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保育士の過酷な現実 実体験、ウェブ起業の原動力に

 
日経DUAL

2016/11/30

 保育士を辞めて起業し、保育士支援サイト「ほいくる」を立ち上げた雨宮みなみさん。起業の原動力となったのは、小さいころから憧れた職業の“過酷な現実”でした。「保育士の『欲しかった』をカタチに起業」に続く後編です。

■ルーズソックスを履いて保育園でボランティア

 もともと子どもが大好きだった雨宮さん。保育士の魅力を知ったのは、中学生のときの職業体験。

キッズカラー代表取締役CEOの雨宮みなみさん

 「自分がこんなに自然に笑顔でいられる仕事があるなんて、とびっくりしたのを覚えています」。以来、雨宮さんは保育士になることだけを目指し、中学3年の夏休みには、自ら近くの保育園に電話をして話をつけ、ルーズソックスを履いてボランティアに通うほどだった。

 「私自身は幼稚園育ちなのですが、保育士になることしか考えていませんでしたね。保育園ならゼロ歳児から幅広い年齢の子どもたちに関わることができますし、教えるという要素が濃い幼稚園と違って、日々を通して一緒に育っていくというイメージがあるのが魅力的でした」

 念願かなって保育士になった雨宮さん。熱い思いを抱いて横浜市にある民間の認可保育園の門をくぐったものの、厳しい現実に直面した。

 乳幼児の命を託されるという、常に緊張を強いられる状況に加え、任される仕事と責任の大きさ。

 当時の平均の終業時間は23時。休日も自宅で保育園の仕事をしていたという。忙しさとプレッシャーから1年目に帯状疱疹と突発性難聴を患った。

 「開園間もない園だったこともあり、まだあまり体制が整っていなかったり、初めてのチャレンジもあったりして、子どものことを丁寧に考えるあまり仕事が多かった。そういうものなのだと思って働いていたのですが、後から周囲に聞いてみると、特に忙しい園だったようです」

 数年間働いた後、家庭の事情で長時間勤務が難しくなり、やむなくその園を離れることに。次に雨宮さんが選んだのは、勤務時間が月~金曜日の1日8時間に固定されていた1年契約の非常勤。補助的とはいえ担当クラスも受け持ち、横浜市内の公立認可保育園で働いた。そこで雨宮さんは大きな衝撃を受ける。

■心を病んで保育士を辞める友人の姿に落ち込む

 「最初の園と2つ目の園は、それほど距離が離れているわけでもなかったのに、保育に対する考え方が全く違いました。園によってこんなに違うものなのかと戸惑いもありましたが多くのことを学び、保育には正解がないのだと実感しました」

 しばらくして家庭の事情が解消されたので、もっと現場で働きたいと考えた雨宮さんは、土曜日にも乳児園のアルバイトを入れた。

 そして雨宮さんの頭に新しい夢が生まれた。

 「まったく違うタイプの保育を見たことで『両方のいいところを合わせた自分の保育がしてみたい』と思い始めました」

 自由度の高い保育園はないかと探していたとき、当時増えていた株式会社系の保育園が保育士を探していることを耳にし、興味を持って応募した。

 「課題も色々ありましたが、手応えを感じることはできました」

 そのころ、それまで様々な縁で知り合った保育士たちが、心を病むなどして次々と現場を離れていく姿を目の当たりにし、雨宮さんは大きなショックを受ける。

 「一緒に『がんばろうね』と夢を語っていた人たちが、なぜこうなってしまったのだろうと考えました。人が少なく、日々慌ただしくて保育士に余裕がない。余裕がないと人間関係がギスギスしてしまったり、本来自分が大切にしたいと思っていた保育から離れてしまうことに悩んだり。そういう状態が続くと、あれほど思いを持っていた人も精神的に参って離職にまで追いつめられてしまうのでは、と思ったのです」

■協力し合うべき保育士と親が逆の方向を向くことも

 雨宮さんが働いた園に共通した問題点も「余裕がない保育環境」だった。

 「本当は、保育士と親がお互いにゆとりを持って協力し、子どもが育つための、よりよい環境を一緒に作っていくのが理想ですよね」

 けれども現実は保育士も親も忙しい。保育士はつい余裕をなくして「●●ちゃんのお母さん、また爪切っていない! 忘れものが多い!」などと、本来そこからお母さんの大変さを汲み取るべきところで注意だけしてしまい、親のほうも「あーあ、またあの先生に注意されちゃったわ」と落ち込んだり苛立ったりする。本来は「子どものため」という同じベクトルで協力し合う保育士と親が、時間や気持ちにゆとりがないゆえに逆の方向を向いてしまうという悲しい事態も起きてしまう。

 「親よりも保育士と過ごす時間のほうが長い子どもたちが増えています。子どもたちに接する保育士がこんなに余裕がないようでは、絶対に子どもたちに悪い影響が出てしまう。どうにかしたい、私に何かできることはないか、と悶々としていました」

 そんなとき、雨宮さんに運命的な出会いが訪れた。

■異業種のパートナーと知り合い、新しいアイデアで解決を

 のちに夫となる、フリーランスのシステムエンジニアの男性と知り合ったのだ。保育士業界とはまったく別の世界で生きる彼に雨宮さんは悩みを話した。2人で相談しているうちに「お互いの強みを掛け合わせることでできることがあるのではないか」というアイデアが飛び出し、保育士の負担を軽減する保育士支援サイト「ほいくる」が誕生した。

雨宮さんの思いが詰まった「ほいくる」

 2010年12月に2人で会社を起こし、同時期に入籍。当時雨宮さんは24歳。私生活のパートナーと仕事のパートナーをほぼ同時に得た。

 「どちらも中途半端にするのは嫌だったので、保育園は担当していた年長クラスの子どもたちと一緒に卒園しました。中学のときから夢見た職業でしたし、子どもが大好きだったので現場を離れるのは正直とても寂しかったです」

 目の前の子どもたちとはお別れするけれども、たくさんの保育士の力になることで、より多くの子どもたちの未来に関わることができる――。雨宮さんはそう考え、起業を決断した。

 保育士として6年の社会人経験はあったものの、起業当初は初めてのことばかりで勉強の毎日だったそう。

 「起業した経験がなかったから怖いもの知らずで飛び込めましたが、事前に知っていたら尻込みしていたと思います。名刺を持ってあいさつすることも初めてでしたし、ストレートな物言いをする子どもとはまた違う“大人”という人たちとどう関わってよいのかも分かりませんでした」

 遊びの記事やイラストは雨宮さんが自分で書いた。最初は書き方がまったく分からず、すべてが手探りだったという。

 最初の4年間はシステムエンジニアである夫が、別の仕事も受託する一方、ほいくるサイトの価値を高めつつ、月額350円の会員制として運営した。最終的に事業プランコンペに挑戦し、出資を得るという形を選択した。

 投資家相手に保育にかける強い思いをプレゼンすると、保育士関連のベンチャー企業はほとんどなく、珍しがられたという。「特に保育の現場から来ました、という人はいなかったようです。また、子育てが今の日本の課題だという認識はやはり広くあったのだと思います」。無事に出資を受けられた理由について、雨宮さんはこう分析する。

 事業の将来性を見込まれ、2014年に2つのベンチャーキャピタルから出資を得たことで、保育士支援事業に専念し、会費の無料化を実現。「これで一人でも多くの方に利用してもらえるようになったと思います」。現在、サイトは収益化せず、出資の範囲内で運営している。従業員は9人。うち、雨宮さんを含めて3人が元保育士・元幼稚園教諭だ。

 「起業は大変なことも多かったけれども、やめようと思ったことはありません。遊びや保育の情報が集まるプラットフォームの土台がきちんとできたら収益化したい。次の事業展開も計画中です」

(ライター 小林浩子)

[日経DUAL 2016年10月5日付記事を再構成]

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