わたしたちは憲法九条の改悪に反対します
アジアでおよそ2000万人の命を奪ったといわれる日本による侵略戦争、日本人310万人といわれる人々の命も奪ったアジア太平洋戦争が終わって60年という節目を迎えました。60年前、3月10日東京大空襲の三日後、大阪も最初の大空襲にあいました。四月の米軍沖縄本島上陸以後の凄惨な戦いにより日本の敗戦がはっきりしたあとも空襲はつづき、ついに広島と長崎へ原爆が投下されたのち、終戦の前日、8月14日には最後の大空襲に見舞われ多くの犠牲者を出しました。梅田から難波まで見通せる焼け野原にされてしまったのです。
戦後、わたしたち教育に携わる者は、悲惨な結末に終わった侵略戦争の反省にたって、再び教え子を戦場に送らないことを信条としてきました。幸いにして、戦後長く日本の若者は、朝鮮戦争にもベトナム戦争にも湾岸戦争にも加わらず、自らの血も他国の人びとの血も流すことがありませんでした。それを可能にしたのは、かつて日本の侵略に遭ったアジア太平洋の人々も高く評価する日本国憲法第九条という歯止めがあったからです。
しかし今、この第九条を中心に憲法を改悪し、日本を、外国に出かけて戦争のできる国に変えようとする動きが急速に強まってきています。憲法改悪の動きは制定直後よりありました。あるいは、明文改憲ではなく解釈改憲を繰り返す中で創設され肥大化してきた自衛隊は、いまでは、アメリカ合衆国の軍隊に次ぐ軍事力を持つといわれるまでになり、有事立法は戦争遂行体制を着々と築いてきています。
2001年の9・11事件以後、事態はさらに急展開し、重武装した自衛隊がイラクの戦場に派遣され、占領支配の一翼を担うまでになっています。しかし、戦争を放棄し、陸海空軍その他の戦力、すなわち軍隊を保持することを認めず、国の交戦権を認めないと規定する憲法九条が、いまイラクで展開する自衛隊の手を縛り、かれらが直接戦闘行為に加わることをくい止めているのです。この歯止めをいよいよ取り払おうとしているのです。
経団連をはじめとする財界団体は改憲で声をそろえ、武器輸出三原則の放棄を主張するだけでなく、かれらの主張に同意する政党にだけ選別して献金するという露骨な政治介入までしています。こうした中、政府与党だけでなく、野党第一党の民主党の内部においても、改憲が声高に叫ばれています。
改憲の動きは、日の丸、君が代を強制し、教育基本法をあらため、ふたたび「お国のために命を捧げる」愛国心をもつ国民を育成しようとする動きと連動しています。第九条改定は、戦後わたしたちが獲得した男女平等や人権尊重などを規定する民主条項の改定と表裏一体のものとしてすすめられようとしています。今秋にむけて、元首相を総動員して進められている自民党の憲法改定草案策定作業を見れば、改憲の動きがいかに全面的なものであるかがわかります。
改憲論者の中には、この憲法がアメリカに押しつけられたものだからという人がいます。しかし、憲法が施行されて間もなく憲法違反の再軍備を押しつけ、いま日米同盟の障害になるとして第九条の撤廃を押しつけているアメリカに、この人たちが反対しないのはどういうことでしょうか。
外敵の侵略にたいして自衛するためには、第九条、特にその第二項を改定しなければならないという主張があります。しかし、そもそも、日本の安全はどのようにして保障すべきでしょうか。ミサイル増強、武器輸出容認、ひいては核武装という方向、つまりは第九条改悪による軍備増強の悪循環は、アジア諸国の不信と世界の緊張を極度に高め、戦争の危機をいっそう深めるでしょう。そうではなく、戦力を保持しないという第九条と非核三原則を堅持する日本であってこそ、東北アジアと世界の緊張を解きほぐし、平和と安全をもたらすための外交努力を率先して展開できるのです。
そろそろアメリカに守ってもらうことをやめて自前の軍隊を持つべきだ、という論があります。この議論がまやかしであるのは、日米軍事同盟のもとで第九条を改定すれば、自衛隊は日本を自衛するよりも、アメリカのグローバルな世界制覇のために利用されることを隠しているからです。アメリカの石油戦略、宇宙防衛戦略のために日本の若者の血を流させてはなりません。
国際貢献と人道支援が自衛隊の海外派兵の口実として使われています。今では真っ赤なうそであった「大量破壊兵器の存在」を口実としたイラク戦争への加担がまさにそうです。イラク戦争で奪われた、また今後も奪われるかもしれない多数の人々の命は、誰がどのようにして償うことができるのでしょうか。軍事介入は多数の命を奪い、人々の肉体と心に、緑の山河に深い傷を残します。わたしたちは第九条を堅持しつつ、教育、学術、技術、医療などの分野で貢献することができ、平和な経済援助は世界の人々に歓迎されるでしょう。
憲法は空気のようなものです。空気の存在はふだん意識しませんが、空気なしに人は生きることができません。わたしたちが空気のようになじんできた憲法第九条がなくなったらどうなるか、という問題に正面から向き合って考えなければならない時がいよいよやってきました。憲法を改定する具体的手続きを規定する国民投票法案を国会で審議し、決定しようとする動きも強まっています。これまで考えられている法案は、改憲を思うように果たそうとするために、表現の自由、報道の自由をいま以上に抑制しようとする重大な内容を含むものです。
戦争を体験した人は老人となり、その数もだんだんと減ってきて、戦争を知らない世代が増えています。たしかに実体験は切実ではありますが、体験しなくとも真実に迫ることはできます。歴史学は体験できない時代のことを教えてくれます。今、戦争体験者はつとめてその体験を語り伝え、戦争を知らない世代は積極的に過去の歴史に学び、憲法第九条を護り育てるという一点で手をつなごうではありませんか。
2005年5月16日
青水 司、泉 弘志、伊藤 武、伊藤 都、井上 清、遠州尋美、
大槻 弘、大橋範雄、小川雅弘、替地勝治、柏木 正、柏原 誠、
上島 武、北崎豊二、四方洋子、鈴木 亨、蕎麦谷東造、高津芳則、
田中邦夫、寺倉 寛、土居充夫、徳永光俊、内藤幸雄、中川 操、
永野 仁、鍋島哲郎、成瀬 洋、橋本憲子、林 遵、平等文博、
藤原武人、本多三郎、松田裕一郎、松原和男、松村幸一、三上正禮、
門田俊夫、山田達夫、山田文明、山本恒人、山本晴義、吉川勝彦、
吉田秀明(他八名)
(アピール第1号)