少し前に「自分の記事に対して、全員が友好的な反応を返してくれるなんてありえないのだから、ネガコメを気にしてブログをやめるのはもったいない」という主旨の記事を書いた。
実は自分は、前からこの「ネガティブコメント」(以下ネガコメ)というものに興味があった。
ポジティブな反応よりもネガティブな反応のほうが本音が出るのではないか、と考えているからだ。
自分もたまにネガコメをつけることがある。
「何か引っかかる」「どこか気に障った」
その気持ちを表明したいときがほとんどだ。
それだけその記事のテーマなり内容に、興味があることが多い。
ネガコメとひと口に言っても様々な種類があり、「意味をなさない暴言」から「遠まわしの否定」まで様々だと思う。
そのひとつひとつを、書き手の心境から、第三者目線でどう映るかまで考えてみた。
(*記事の内容に関係ない誹謗中傷や暴言、人格攻撃などはコメントと考えていないので除いている。)
知識マウンティング系
専門分野の記事で、見られることが多い。
「こういう記事を書くなんて、それだけで知識がないことが分かる」
「こんなことを書いているなんて、〇〇が▲▲であることを知らないに違いない」
数あるネガコメの中で一番もったいないと思う。
内容だけを考えれば、一番、筆者にも他の読者にも役に立つコメントだと思うからだ。
内容的には同じでも、言い方が違ければとても役に立つありがたいコメントになるのになと思う。
自分もその事柄の背景や周辺知識などをコメントで教えてもらったことがあるけれど、とてもありがたかった。
恐らくそれだけその分野に対する愛が深く「いい加減に語られたくない」という思いが強いと思うのだが、第三者として読むと「その知識を語ってくれたほうが、読んでいるほうも楽しいのに」と思う。
「怒り」ではなく「知識」を伝えればいいのに、と思う。
とはいえ、大好きな分野の記事では「それは的外れでは」と自分もひと言いいたくなるほうなので、人のことは言えない。
自分の見解や知識を述べるにしても、相手にすんなり伝わる言い方を心がけたい。
否定的独り言系
出現率★★★★★
「確かに〇〇であることもあるんだけれど、一方で▲▲であることも否定できないんだよなあ」
「この人は◇◇については、どう考えているんだろう」
独り言のような形態で、返答を求めていない言い方。
ひと言意見を言いたいが、ぶつかり合って意見をすり合わせるほどではないので、反応は求めていないのが特徴。
否定的な意見の中では割と柔らかいニュアンス。
すべてを否定しているわけはないけれど、全面的に賛同もできないという場合に、自分も使うことがある。
直接否定系
出現率★★★★
記事に対して、理由と共にはっきりと反対意見を述べる言い方。
よほど非常識な言い方でなければ、ネガコメの中では一番好き。
その人の意見もきちんと述べられているので、なぜ、自分の記事に対して否定的なのか、どこが気になっているのか、相手の考えが分かるからだ。
もらったときは感情的になることもあるが、後々に考えると「ああ、そういう考え方もあるのか」と学べることも多い。
逆に自分がこういうコメントを書く場合は、「何かがそうとう気に触った」か「この件に関して、筆者と本気で討論がしてみたい」ときかどちらかが多い。
読者としては、たまに前提や論点がすれ違っていて、まったく議論が噛み合っていない場合を見かけるので、そういう時はとても残念に感じる。
言葉の定義争い、揚げ足取り系
出現率★★
「トマトを煮込むようにじっくり考えたいと、と書いてあるけれど、そもそもトマトは煮込まない」
例えや暗喩などに突っ込みを入れたり、言葉の定義などで突っ込みを入れていて、ほとんど記事の主旨には何の関係もないもの。
個人的には数あるコメントの中で、一番つまらないし、意味がないと思っている。
第三者として読んだときも、記事の主旨を読み取ることができていないし、例えが分からないのだろうかと思ってしまう。
わざとやっている場合が多いと思うが。
自分がコメントをもらった場合は、書きこんでもらったこと自体には感謝するが、内容にはまったく注意を払わないと思う。
恐らく、何ひとつ分かり合える部分はないだろうと思うので。
読んでいない系
出現率★★★
「面白くない。読んでいないけれど」
「そもそも、最初の部分から読めなかった」
わざわざ、「読んでいないこと」を自己申告してくるパターン。
自分はこういう書き込みはしたことがないけれど、ためしに書き込むときの心境になってみるとわりと複雑な気持ちになった。
「もう二度と会うことはないから。連絡もしないから」
と別れ際に言う人の心境に似ているような気がする。
別に強制的に会うわけでも連絡しなきゃならないわけでもないのだから、そんなことをなんでわざわざ言うんだろう??
と聞くと、怒るんだろうなと思う。
第三者的な目線で見ると「面白かったです」とコメントした自分以上に、しっかり読んでいるのだろうな、とは思う。
才能涸れた?系
出現率★
はてな界に疎い、自分ですら知っている人の記事でごくたまに見かける。
このコメントは
「そもそも、その筆者が涸れるほど才能があったことをコメント主が認めているし、多くの人がそう思っていると考えている」
この前提がないと成り立たない。
涸れるほどの才能があると赤の他人に思われているなんて、羨ましい限りである。
第三者として見ると「読んでいない」というコメント以上に複雑な心境を感じる。
まとめ
当たり前だが、どんなコメントを書くかは書く人間の自由だ。
そのコメントを受けとるか受けとらないかは、もらった側の自由である。
自分個人で言えば、どんなコメントであれ、「記事を読んでコメントを書く」という反応をしてくれたということ自体には、感謝している。