ひと昔前から現代に至るまで、日本でヒットした曲が中国大陸をはじめとする中華圏でカバーされるケースが多く存在する。正規の手続きを踏めば「カバー」、「移植」となるが、黙ってやれば「パクリ」となるわけだが、いずれにせよオリジナルが日本であると認識されていない曲が多いようである。

 中国メディア・今日頭条は25日、「人口に膾炙した名曲『祈祷』、日本がオリジナルだった」とする記事を掲載した。記事は、中国人にお馴染みの「祈祷」という曲が実は日本の民謡だったと説明している。このオリジナル曲、何かと言えば、元は京都地方の子守歌で1971年にフォークグループ・赤い鳥によって発表されヒットした「竹田の子守唄」だ。

 記事は、この曲の中国語版である「祈祷」を最初に歌ったのは、日本でも有名な歌手のジュディ・オングであると紹介。歌詞は、父親が50歳の誕生日に愛娘であるジュディに贈ったもので、75年に作られたとした。そしてその後、王傑、卓依〓といった台湾人歌手によってカバーされ、最も多くの人に馴染みがあるのは王傑のバージョンであると説明している(〓は女へんに亭)。

  「祈祷」の歌詞は「竹田の子守唄」とは全く異なり、世界の平和を願う内容のもの。ゆえに、中華圏へと移植されたのはメロディーのみだ。前向きな歌詞の内容が、美しい旋律自体と相まって人びとの心に響いたということなのだろう。オリジナルの歌詞はもちろん、歌が持つ背景や、一時期公共の電波から姿を消した経緯などを、中華圏の人びとは知る由もない。

 記事を見た中国のネットユーザーからは「私も初めて知った。まあ、何と言うか、人様の良い物はやはり学ぶべき、ということだろう」、「王傑がオリジナルだとずっと思いこんできた」、「香港や台湾の名曲の多くが日本からの移植であることをようやく知った」、「どうしていい歌だと思った曲の多くが日本のものなだろう」といった感想が寄せられた。

 日本の秋を代表する唱歌である「里の秋」も、中華圏で移植され、大ヒットした曲の1つだ。今は亡きアジアの歌姫テレサ・テンが78年に「又見炊煙」(かまどの煙がまた昇る)として発表し、日本でも有名な歌手フェイ・ウォンなどもカバーした。オリジナル同様に里の情景を美しく表現する一方で、その美しさにも勝る恋心が歌われている。なお、この歌詞を生み出した台湾の作詞家・荘奴さんは、今年10月に95歳の生涯を終えた。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)