「かるめぎ」
No.47・48号
2003.1.1発行
12月22日「行方不明帰国者家族証言集会」
〔目次〕
○年頭のあいさつ
○ソウル本部設立さる
○「行方不明帰国者家族証言集会」
宣言と報告
○北朝鮮帰国者にも
「原状回復」を!
○金幸一さん第1回控訴審報告
○金幸一さん「控訴理由書(要旨)」
○『大王の祭典』と『北朝鮮脱出』
の間 A
○青山健熙さんへの手紙
○書評 『北朝鮮という悪魔』
(青山健熙著)
○訪韓報告
○在日よ「敗戦国民」になるな!
新年明けましておめでとうございます
2003年の年頭にあたって
代表 山田 文明
この一年に皆様からいただいたご協力に厚く感謝申し上げます。昨年は金正日政権の反社会性が広く認識される一年となりました。守る会の運動も時代の要請に応えるべく努力してゆきたいと思います。皆様のいっそうのご協力、ご支援を心からお願い申し上げます。
昨年は北朝鮮を巡る人権問題に大きな注目があつまりました。年初から脱北者の大使館駆け込みが続いたあと、9月17日の日朝会談では金正日が拉致の一部を認め、しかもその多数が死亡したと発表し、日本社会に衝撃を与えました。その後、5人の被害者が帰国し、北朝鮮に戻らず、家族を日本に戻したいと明確に表明しました。また、北朝鮮難民救援基金の加藤博さんが一時中国で拘束されたことも、脱北難民の問題をクローズアップすることになりました。
わが身の危険を冒しても北朝鮮難民の救援に努力し、多くの人たちを救ってきた加藤さんと救援基金の皆さんにあらためて敬意を表します。
これらの諸事件をとおして、金正日政権が人の命や人権を紙くず同然に取り扱い、核開発を玩ぶ集団であることが広く知られるようになり、しかもそのことが外国や外国の人たちの問題ではなく、日本社会の問題であることが、あらためて示されました。
政府も40名余りの帰国者が北朝鮮を脱出して日本に入国していることを認めています。
北朝鮮を巡る人権問題には、故郷日本に帰ることも許されず飢餓と収容所送りの恐怖にさらされている帰国者の問題、拉致された人たちとその家族の救出の問題、飢えと迫害から逃れようと中国に渡った脱北者の問題、そして金正日の暴力的独裁下で苦しむ北朝鮮の
人々の問題、さらに、それらの人たちの日本の家族、親族が北朝鮮の人質政策で声もあげられずに長年にわたって物心両面の苦労をつづけている問題があります。これらの人道問題に等しく関心を向けつつ、それぞれの立場でできることから実行し、協力しあって行きたいと思います。
社会の関心の高まりの中で、帰国者の在日家族の方々も勇気を持って実情を語り始めています。12月だけで関西に住む4人の在日家族が報道陣を前に帰国した家族の生活状況などについて貴重な証言をしました。新年にも引き続き、多くの在日家族に証言していただく予定です。
12月22日には東京で「行方不明帰国者家族証言集会」を開催し、チョ幸さん、芝田弘之さん、金民柱さん、小川晴久さんが発言したほか、横田滋さん、横田早紀江さん、来日中の姜哲煥さんからも発言があり、多数の報道機関を含め、150名の参加者が証言に聞き入りました(詳細は別稿)。
これらの証言が広く伝えられ、知った人たちが行動を起こすことで、被害者自身が勇気を持って告発する流れをさらに大きく広げ、同じ問題に悩む人たちを励まして行きたいと思います。
8月30日、東京地方裁判所で金幸一さんが朝鮮総連を訴えた帰国事業裁判の判決がありました。判決は、帰国事業の実態を検討することもないまま、時効を理由に請求を棄却した不当なものでした。金さんは直ちに控訴しました。その控訴審判決も2月20日に言い渡されます(別稿参照)。
政府、政党、政治家に求められていることは、交渉に応じようとせず、国際的な約束も守ろうとしない金正日政権をどのようにして交渉に引き出し、約束を守らせるかという具体的な戦略、方針を提示し、実行することです。ただ単に「交渉で解決すべきだ」とか「拉致問題を国会で取り上げたのは自分たちが先だ」と主張するだけでは、何の役にも立ちません。
交渉を引き延ばし、約束を無視することを繰り返してきた金正日政権に対する具体的な対応戦略を提起し、実行することが政府、政党、政治家に求められているのです。政党はそれぞれの立場からその戦略、方針を国民と世界に提示し、行動の実績を示す責務があります。
北朝鮮の人権問題を巡っては、中国政府の責任も厳しく問いただし、政策の変更を求めねばなりません。生存の可能性を求めて決死の脱出を試みた脱北者を、中国政府は保護するどころか、犯罪者として捜索して拘束し、その上拷問と生命の危機が待ち受ける北朝鮮に送還しています。
このため、脱北者は中国でも身を隠すしかなく、生活の手段が得られず、高額の身代金を狙うブローカーの手に落ちたり、人身売買の犠牲になるなど、深刻な2次被害が発生しています。そして、拘束された脱北者が北朝鮮へ送還されることで、その悲劇は倍化していることを見逃すわけには行きません。
ハン・ウォンチェさんの告発の遺書となった『脱北者』には、脱北して中国の警察に捕らえられた時から無知で野蛮な仕打ちとおぞましい拷問が加えられたことが生々しく記述されています。
中国政府は脱北者を保護し、救助すべきであり、金正日政権の人権犯罪の共犯者であってはならないのです。むしろ、人権問題についても、核開発問題についても、ロシア政府と共同して金正日政権に厳しく対処し、影響力を行使することが、国際的な責務であり、そうすることで国際的な支持と協力が得られるのです。
中国政府の政策転換を迫るために、日韓の政府と民間が連体し、国連や世界各国の協力を得て行動を起こす時が来ていると思います。
2003年を北朝鮮人権犯罪追求の国際連帯の年、在日被害者家族が立ち上がる年、そして日本の人権意識が成熟し、日本人妻、日本人夫、日本人子弟たちの日本の家族が声を上げる年、になるよう力を合わせたいと思います。
「守る会」ソウル本部
設立さる!!
ソウルにおいて10月17日(木)、韓国在住脱北者のなか北朝鮮帰国者10数名(家族を含む)の皆さんによって「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」(以下略)ソウル本部結成集会がおこなわれ、出席者全員の賛同と承認により「守る会」ソウル本部が設立されました。
役員には、代表として金幸一さん、事務担当として文賢一さんが決りました。また先日、日本の国会で証言された李昌成さん(写真=次頁)もソウル本部の一員として今後、重要な働きが期待されます。

なお、金幸一さんのソウル本部設立に関しての多大な努力と寄与に、設立に立ち会った役員の一人としてお礼を申し上げます。
会員の皆様のご支援、ご声援をお寄せ頂きますようお願い申し上げます。
ソウル本部 代表 金 幸一
事務局長 文 賢一
2002年12月22日
行方不明帰国者家族 証言集会
集 会 宣 言
内閣総理大臣 小泉純一郎殿
9月17日の日朝会談以後、北朝鮮による国家犯罪・日本人拉致事件で進展があり、8人の死亡通知の真相解明等を残しつつ、5人の被害者に帰国の道が開かれました。
ところで、北朝鮮と日本の間に横たわる人権問題は、日本人拉致だけではありません。9万3千人を超える在日韓国・朝鮮人と日本人配偶者が、帰国運動によって北朝鮮にいわば「誘拐」され、今もなお彼の地で人権抑圧と飢餓に苦しんでいるのです。
1959年に始まった北朝鮮帰国運動を推進した朝鮮総連は、北朝鮮を「差別の無い、社会保障の完備した地上の楽園」と宣伝しました。日本の政治家、マスコミ、知識人等も安易にこれに追従し、こうした運動の結果として、北朝鮮に夢を求めた多くの在日朝鮮人が、希望を胸に海を渡ったのでした。
しかし、「楽園の夢」は無残にも破れました。現実の北朝鮮では、帰国者は日本にいるとき以上の差別にさらされ、職業や居住地選択の自由も無く、一言でも政府に批判的なことを言えば、恐ろしいことになりました。強制収容所に入れられ、拷問と強制労働の日々を送らねばなりません。罪状も告げられず投獄され、裁判も経ずに処刑されてしまう人が跡を絶ちません。何年も行方不明のままの人もいます。
日本に残された帰国者家族(離散家族)は、肉親を人質にとられているため、帰国者の実態について沈黙を守らざるをえません。まれに勇気ある帰国者家族が、行方不明の肉親の安否をアムネスティ・インターナショナルなどを通して調査しても、拉致被害者の安否調査と同様、北朝鮮政府の回答は全く荒唐無稽な信じがたいものでしかありませんでした。
今こそ帰国者問題を、拉致問題と共に解決すべき大きな人権問題としてとらえ、その解決を北朝鮮政府に対して強く求めていこうではありませんか。
私たちは日本政府に、以下の点を北朝鮮政府に要求するよう、要請します。
1、日本政府は北朝鮮政府に対し、帰国者、日本人配偶者のうち行方不明になっている者の安否調査を、人道上の緊急課題として要求し、報告を求めるよう要請する。
2、チョ浩平さん・小池秀子さん一家、芝田孝三さん一家の安否については、北朝鮮政府からアムネスティ・インターナショナルに回答があったが、きわめて荒唐無稽な内容であるので、日本政府は北朝鮮政府に対して再調査を求めるよう要請する。
3、帰国者、日本人家族も多数収容されているといわれる強制収容所や、家族連座制などの制度は、国際人権規約に違反した極めて残酷かつ非人道的な制度であり、現代においては既に許されざるものであるので、日本政府は北朝鮮政府に対し、強制収容所を閉鎖し、「政治犯」を解放する事を求めるよう要請する。
2002年12月22日 行方不明帰国者家族証言集会
証言集会報告速報
報道陣を含めて150名以上が参加したこの集会には、3名の衆議院議員も参加されました。自民党の左藤章さん、公明党の漆原良夫さん、保守党の松浪健四郎さん、それに公明党衆議院議員の江田康幸さんの秘書も参加してくださいました。また、保守党衆議院議員の小池百合子さんはこの集会に祝電を送ってくださいました。
当日の集会を多くのテレビ局が取材し、特にNHKとテレビ朝日が詳しく報道しましたので、あるいはご覧になったかも知れませんが、集会の冒頭、類似の問題である日本人拉致事件について横田さんご夫妻から詳細な経過報告と励ましの挨拶がありました。
続いて行方不明帰国者家族の方々から、北朝鮮に帰国した肉親が彼の地でひどい目に遭い、あるいは行方不明になっている実態について証言がありました。証言者と証言の要点は以下のとおりです。
姜哲煥(カン・チョルファン)さん――
北朝鮮への帰国者の孫。脱北して韓国に在住。平譲で経済畑の仕事をしていた祖父が、ある日突然行方不明になり、強制離婚させられた母を除き、当時9歳だった姜哲煥さん本人を含む家族全員が強制収容所に入れられ、塗炭の苦しみをなめる。のち、安赫(アン・ヒョク)さんと共に北朝鮮を脱出。『北朝鮮脱出』を著す。
チョ幸(チョ・ヘン)さん――
兄チョ浩平(チョ・ホピョン)さんは、東北大学大学院を卒業し、科学者として生きようとしたが、当時の日本では在日の身分で大学の教職に就く道も、就職する道も無く、朝鮮総連の「帰国すればモスクワ大学に留学させてやる」という甘言に騙されて、日本人妻の小池秀子さんとともに帰国した。その後強制収容所に入れられ、死亡した可能性が強い。
アムネスティ・ロンドン本部が調査した結果、北朝鮮政府から回答があったが、家族全員が死亡したというその回答の内容はあまりに荒唐無稽なものであったため、チョ幸さんは小池秀子さんの家族とともに、子供も含めて兄一家の安否の真相調査を望んでいる。
芝田弘之さん――
労働省の役人をしていた弟の芝田孝三さんは1960年、在日朝鮮人だった妻の申性淑(シン・サンオク)の北朝鮮帰国に同伴して「帰国」した。しかしその後、里帰りを求める運動に加わったため、1964年に「国家反逆罪」で逮捕された。アムネスティの問い合わせに対して北朝鮮政府は、刑務所を出たあと、引越しの途中一家全員が列車事故で死亡したという回答を寄越したが、その内容は極めて荒唐無稽なものであり、芝田弘之さんを初め日本の家族は、真相究明を求めている。
金民柱――
当会(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会)名誉代表。帰国した二人の弟のうち上の弟が、収容所に入れられたことがもとで死亡。残された甥の安否を調べている。
小川晴久――
同じく、当会名誉代表。東京大学名誉教授。帰国者の肉親ではないが、帰国した往年の名テノール歌手・永田絃次郎さん(在日朝鮮人)と、その日本人妻・北川民子さんの悲劇について報告した。
北朝鮮帰国者にも
「原状回復」を!!
関東支部長 三浦 小太郎
■拉致問題を通じて北朝鮮人権問題を考える
9月17日の日朝首脳会談以降、北朝鮮による日本人拉致事件は急速に展開した。5名の拉致被害者は日本に「帰国」し、残された家族をもまた北朝鮮から呼び戻すよう日本政府は交渉を始めている。北朝鮮の国家犯罪だった拉致事件を金正日は正式に認め、謝意を少なくとも首脳会談の場で表明した。
この結果をもたらしたのは、確かにブッシュ大統領の誕生以降、9・11テロ事件に続く国際情勢の変化、「悪の枢軸」発言などのアメリカの外交姿勢などが大きく影響していることは確実であろう。しかし、何よりも大切なことは、そのような外部の「風」だけではなく、拉致被害者家族会の長年にわたる結束と運動の成果が、今大きく追い風を受けて事態を前進させたということである。
横田めぐみさんの拉致事件発覚以降結成された「拉致被害者家族会」は、それ以降、「被害者救出」の一点に目的を絞り、原則を曲げずに訴え続けた。
南北首脳会談当時の北朝鮮との融和ムード、第3国での再会をほのめかした日本政府首脳の発言、時には日朝国交回復こそが問題解決の道であると言った、様々な発言や情勢の変化に惑わされる事なく、何よりもまず、この拉致事件が国家犯罪であり、被害者は直ちに救出され、日本に戻さねばならないことを、様々な応援組織とともに訴え続けたのである。
家族会の横田滋さん、そして増元照明さんは、この2月に東京で行われた第3回北朝鮮の人権と難民国際会議にも出席された。そしてこの拉致事件を大きな人権問題として訴え、国際的な支援を求めたのである。
会議参加者の一人、アメリカの防衛フォーラム財団スザンヌ・ショルテさんは、横田さんたちの証言に大きな感銘を受け、帰途の飛行機の中でも涙が止まらなかったという。
そして、帰国した被害者を暖かく包み込み、彼らが拉致以降北朝鮮でおった心の傷をいやすとともに、どんなマスコミにも不可能なほど、彼らの言動を静かに本心を引き出しつつあるのもまた家族の方々である。
家族会の蓮池透氏は先日(11月17日)の新潟集会で述べた。「弟はきっと、ほかの(今は死んだと北朝鮮が発表している)被害者について知っていることがあるに違いないし、それをいつか語ってくれると思います」。語れるようにするのは政治の役割である。日本政府が彼ら被害者のご家族との再会を、自由に意思表示が可能なここ日本にて直ちに実現させることである。
■帰国者の「誘拐」を想起しよう
さて、帰国運動が「拉致」とは言わないまでも、巨大な「誘拐という国家犯罪」であったことは、様々な事例から明らかなことと思う。
北朝鮮は朝鮮総連を通じて、「北朝鮮は差別もなく、社会保障も完備した地上の楽園」と宣伝した。当時の日本の政治家、マスコミ、赤十字、文化人のほとんどは、この宣伝を十分な検討なく鵜呑みにし、「居住地選択の自由」という人権・人道上の権利として、北朝鮮への帰国運動を推進したのである。
少なくともウソの宣伝で北朝鮮に導いたこの行動は、ほとんど「誘拐」と言うにふさわしい。
帰国者を待ち受けていた運命に関しては、いまさら語る必要もないほどの悲劇が待ち受けていた。日本にいたときよりもさらに厳しい差別が帰国者を待ち受け、職業選択の自由もなく、居住地さえ北朝鮮側に決定させられた。3年後の里帰りを約束していたはずの日本人妻は、一向に果たされない約束に抗議して日本への帰国を求め、むごい弾圧にさらされることとなった。
帰国者は差別にさらされただけなく、一言政府に対し不満を漏らしただけで逮捕され、最悪の場合は処刑や「山送り」(強制収容所への収容)などの悲劇に見舞われなければならなかった。この、北朝鮮政府、総連、そして日本側を巻き込んで繰り広げられたこの悲劇は、拉致事件と同じ大きな人権侵害を10万人近くの人々にもたらしたのだ。
帰国者が朝鮮総連と日本側の宣伝によって、北朝鮮に「誘拐」された事態もまた、拉致被害者と同じく「現状復帰」されなければならない人権問題である。そのためには、日朝国交回復交渉の場において、拉致問題とともに帰国者、日本人配偶者の問題を日本政府の側から提起させ交渉の議題として乗せさせなければならない。
守る会はこれまでも、亡命者の招請講演、学習会、記者会見などを通じてこの帰国者問題を世論に訴えて来た。しかし、今回、かってないほど日本の市民はこの問題に目を向けつつある。また、マスコミも、自らこの帰国者問題を報じ始めているのだ。私達にとって、今もなお北朝鮮にて飢餓と抑圧にさらされている帰国者、日本人配偶者にとって、千載一遇のチャンスが訪れているのである。
■拉致被害者の死亡状況についての北朝鮮の解答は、帰国者の安否調査への解答同様に荒唐無稽である
9月17日の日朝首脳会談の席上に置いて、日本人拉致被害者の安否確認について、北朝鮮側は、5人生存、8人死亡という報告を日本側に対し一方的に通告した。なんら根拠も証拠も示されていない安否情報を、そのまま日本に通達され、福田官房長官が被害者ご家族を飯倉公館に招き、まるで確認された情報のように宣告されてしまったことは既に周知のとおりである。
このことはご家族の外務省に対する徹底的な不信感につながった。しかし、その後数日を待たずして、この情報にはなんら確証はなく、また後に北朝鮮が追加で説明して来た死亡通知書などの報告も全く矛盾した穴だらけのものであることが判明した。
これも多くのマスコミで既に報じられた通り、死亡とされた拉致被害者8人のうち7名は、すべて第695病院という同一の病院で死んだものとされている。
しかも、北朝鮮側は一時は死亡通知書を出そうとせず、日本側が厳しく要求すると今度は席を立ち、数時間後に提出して来た、その過程では死亡通知書をコピーした後に個人情報を書き込んだものらしく、書類の病院名のゴム印が全く同一のものだった。そもそもこのような書類など作成していなかったことは明らかである。
通知書では有本恵子さん、市川修一さんの生年月日は誤記され、増元るみ子さんは日本での住所が誤記。しかも市川さんは9月に海水浴中に溺死という信じがたい(本人は水泳はせず、しかも9月の時期にわざわざ海に行ったとは思えない)報告。
また、増元さんは27歳の若さで心臓病で急死(日本にいた時はいたって健康体で、家族にもそのような病歴はない)。この他にも数限りない疑疑惑が上げられており、現時点で北朝鮮側の提出した死亡報告を立証するデータは何一つないと言ってよい。
そして、これと全く同じ事例が、かって守る会が発足当初より訴えて来た、曹浩平(チョ・ホピョン)一家の真相究明問題、そして日本人夫、芝田幸三さんの事件などでも明らかに起こっているのだ。
曹浩平さんは1962年2月、日本人妻小池秀子さんを伴って北朝鮮に渡った。浩平氏が行方不明となったのは67年である。秀子さんからは浩平氏との別離を匂わせる手紙(名字が小池から池の一字となり、家族全員では5名なのに、「4名になって」という記述がある)が1973年に届く。
そして1995年に北朝鮮からアムネステイ・インターナショナルを通じてもたらされたのは、浩平氏は1967年にスパイ容疑で逮捕され、リョンソン地区に拘束。1974年10月23日脱走。妻秀子さんの家まで約90キロを走破、妻と子供達を伴って港へ向かい、ナイフをふるって水兵を殺害、銃とボートを奪って逃亡を図った。そして追撃を受け、銃撃戦の末一家全員は射殺され海の藻くずと消えたので、遺体も遺骨も発見できない……。
このような荒唐無稽なストーリーを信じられる人は恐らく一人もいないだろう。守る会は運動の発端で、曹浩平真相究明運動を展開した。日本で講演を行った全ての亡命者も、このような事件が起これば直ちに噂が広まる、あり得ないことだと明確に否定している。
この時点ではまだ十分な日本世論の喚起をもたらすことはできなかったが、私達は拉致問題の展開によって、日本国民のほとんどが彼の国の人名軽視の姿勢と、虚偽の報告を平気で行う事を知った今こそ、もう一度帰国者の悲劇と、北朝鮮の誠意なき姿勢を世に問うべき好機が訪れたのである。
■行方不明の帰国者全員の安否情報を日本政府は、人道上の見地から北朝鮮に要求せよ
芝田幸三さんの事例もまた、曹浩平さんの場合と同じく北朝鮮側の虚偽の報告に満ちている。芝田さんは1960年に、数少ない「日本人夫」として北朝鮮に渡る。
そして1964年、スパイ罪として逮捕され、26年に及ぶ収容所生活を送った。判決では20年の刑であったはずだが、さらに6年が「反国家的活動への関与」ということで追加されたのである。そして釈放の数週間後の90年3月、一家は列車事故で全員が死亡したと北朝鮮は発表している。
芝田さんの「罪」がどのような性格のものだったかは、本号で書評として紹介されている青山健煕氏の著書「北朝鮮という悪魔」が明らかにしている。
芝田さんは帰国者が再び日本に戻ることができるよう、密かにかの地で署名運動を行おうとした人の一人だったようだ。これが北朝鮮のような全体主義国家でどれほどの罪になるかは疑いを入れないが、この芝田さんたちの勇気ある行動を、私達は今こそ引きつごうではないか。
少なくとも、現在の北朝鮮との国交交渉において、日本側はまず拉致被害者と同時に、北朝鮮帰国者、日本人配偶者のうち、行方不明、または死亡通知が在日家族に通達されている事例に対し、直ちに正確な安否調査と、死亡証明書を、また冤罪の可能性が極めて高いスパイ罪等の事例については、裁判記録や証拠の提示を北朝鮮側に強く要求するべきである。
もしも、かって帰国運動を支持した人々が、人権、人道上の権利として北朝鮮への帰国を支持したのであるならば、その後このような非人道的な冤罪で帰国者が捌かれ、行方不明となっている事態を座視できるはずはない。
そして日本政府もまた、北朝鮮との国交回復交渉において、拉致問題の解決と安全保障だけではなく、真に北朝鮮が対話可能な国家となったかいなかを判断するに当たっては、国内においてかってここ日本から渡って行った人々をこのようなひどい差別と迫害に投げ込んでいる現状を北朝鮮が反省し、改善するかいなかを多きな判断基準にすべきである。
もしも、日本から来たということだけで彼らが監視対象におかれ、成分階級の再下層に見なされ、迫害される現状が続くならば、そのような国家が真に日本と友好を結ぶ意志があると見なせるだろうか。
■帰国者・日本人配偶者の「日本再定住」の実現を
そして、私達はこの問題に対して、解決のために帰国者、日本人配偶者の、日本への再入国、再定住を求める人達に対しては、再びその権利が与えられることを北朝鮮政府と日本政府に対しもとめたい。
帰国者、日本人配偶者はあの牢獄のような(最も、普通の牢獄ならばせめて食料は与えられる。北朝鮮ではそれすらもない。飢餓の牢獄である)北朝鮮で囚われのみのままである。
もしも帰国事業が、居住地選択の自由という人権、人道上の理由から行われたものであるならば、かって参加した人達、一度でもこの帰国事業に正当性を見いだした人達は、帰国者、日本人配偶者が、騙されて渡ったと気づいた後の悲劇を知った今、もう一度かれらに「居住地選択の自由」を与えることを、北朝鮮にも日本政府にも呼びかけていこうではないか。
現在、読売新聞等の報道によれば、帰国者が数十名、既に日本に再定住している。読売新聞は、日本人妻とその家族が日本に20名以上入国と伝えたが、これは信憑性は感じられない。
1959、60年当時の日本人妻の年齢を考え、また北朝鮮での厳しい迫害を思えば、これだけの数の日本人妻が脱北に成功し再帰国したとは考えがたい。しかし、NGOの手助けにより、一定数の帰国者が日本への再入国、再定住に成功していることは事実である。
しかし、このような、秘密のルートと非公式な形だけでこの問題を解決することは難しい。帰国者、日本人配偶者、そしてその子孫は、多く日本に戻ることを望んでいる。
北朝鮮難民の中にも数多くこのような人々がいる。日本政府が北朝鮮難民の保護にも乗り出し、難民キャンプ設営にも資金、外交両面で協力し、同時に帰国者とその子孫については、再入国、再定住のプログラムを準備してほしい。
同時に、北朝鮮との国交交渉においても、危険に満ちた脱北という手段ではなく、日本政府の調査団を北朝鮮が受け入れ、帰国者の安否とともに、日本への再入国、定住を求める人々はその機会を与えるよう、北朝鮮がわに要請していただきたい。
日本政府は拉致被害者に対して、その家族が帰国した後のこまやかなケアまでも整えるために法制化を急いでいる。私達はこれを人道的措置として高く評価するものである。しかし同時に、かって虚偽の宣伝によって北朝鮮に旅立った人達、そしてその子孫に対しても、同じく「人道的処置」が考慮されることが、日本の国家的名誉にも、また人権大国としての栄光にもつながることではないだろうか。
金幸一さん
第1回控訴審報告
総連への本当の勝利とは
12月5日(木)の午後1時半から、東京高裁825号法廷で控訴審第1回の公判が開かれました。約20名くらいの傍聴がありましたが、裁判そのものは2分位で終了しました。これまでだと民団新聞や統一日報のほかは大手だと毎日新聞かサンケイ新聞くらいか取材に来なかったのですが、当日は殆どの新聞社が取材し、中でも朝日新聞の記者は報告会とその後の松本楼での遅い昼食の集まりにまで参加していました。関係者の間ではげんきんなものだと話しているものもいましたが。
裁判では裁判長から一言、原告側と被告側に問いかけがあっただけで、次回の日程を確認して終了しました。ただ報告会では時効のことなどマスコミから質問も出て、22日の集会のことも伝達しました。
高裁での判決ではよもやまた時効で逃げられることはありますまい。とはいえ、たとえ勝訴となって500万円もらったからといって、キム・ヘンイルさんの総連によって奪われた人生がとりもどせるわけではないでしょう。
正義とは衡平であることとも言われます。まさに弁護士のバッジにはこのことを表わす「秤のマークが」使われていると言います。総連に完全に勝利し、キム・ヘンイルさんに正義を回復するためには、ヘンイルさんの本来の自己実現の夢が達成されることが必要なのでしょう。まさにそうなることを祈願しています。(報告者 佐倉
洋)
次回裁判は、2003年2月20日(木)、午後1時15分、825号法廷で第2審の判決が言い渡されます。当日は金幸一さんも出席します。ぜひ傍聴にお出でください。
平成14年(ネ)第4999号
慰藉料請求控訴事件
控 訴 人 金 幸 一
被控訴人 在日本朝鮮人総聯合会
控 訴 理 由 書(要旨)
2002年11月11日
東京高等裁判所第10民事部 御中
控訴人訴訟代理人弁護士 藤 森 克 美
第1 原判決批判その1
1 法令解釈の誤り
原判決は最判1970.7.15大法廷判決の「その権利行使が現実に期待できる状態をいうと解するのが相当」という判旨を曲解している。
最判でいう「現実に期待できる状態」とは、その当事者が具体的に提訴することが可能な状況に置かれた時をさすと解釈すべきであり、その当事者の置かれた国家的状況、本人の経済状況、日本の弁護士の状況、支援の状況等裁判遂行の実情を無視して、形式論、精神論を展開するもので、およそ最判に云う「提訴が期待できる状態」とは似ても似つかぬものであって原判決は破棄を免れない。
2 事実誤認
原判決は、控訴人は日本に渡航できなくとも、日本の弁護士を選任することはできるし、選任した弁護士で提訴も訴訟遂行もできるという事実誤認を冒している。
裁判官としての想像力のなさ、社会的弱者をいたわる思いやりのなさに只々驚くばかりである。弁護士の選任も訴訟遂行も可能というのであれば、原裁判所はその道筋を具体的に示すべきである。
(1) 韓国に亡命したのが21歳、「悪夢の575日」が出版された当時が24歳という外国在住の青年が、しかも韓国の国家権力は控訴人を監督下におき、韓国政府は1995年まで控訴人にパスポートをおろさなかった。
つまり、控訴人が日本で騒ぎを起こすことをずっと封じていたのである。そんな若者がどうやって日本の弁護士と連絡をとり、相談できるというのか。ソウルの庶民にとって日本に自由に電話を架けることすらできないという時代なのにである。
(2)
更に控訴人と怒りを共有し、訴訟提起遂行まで受任してくれる弁護士をどうやって控訴人は国外にいて探すことが出来るというのであろうか。引き受けてくれる弁護士を探し出すことは国外にいては絶対に不可能である。
1966年に出版された「悪夢の575日」は韓国の国家権力が出版したものであり、非売品であった。「悪夢の575日」日本語版は日本の一般社会向けに出版されたものではなく、日本の弁護士が入手することは殆ど不可能であった。怒りの共有の機会が全くなかった。
しかも、次には弁護士費用、訴訟遂行費用のネックに遭遇する。控訴人には日本の弁護士に正規の着手金・飛行機代・交通費等の実費を支払って依頼する資力もなかった。
又、当時、自腹を切って弁護士がソウルへ打合のために通う物好きな弁護士がいたとも思えない。
更に云えば、今回の提訴が可能であったのは、日本国内の支援者たちのカンパや調査その他の弁護支援活動などの協力があって初めて可能となったものである。
抑々、もし控訴人が「悪夢の575日」が出版された1966年から、時効が問題となる10年後の1976年までの間に、朝鮮総聯を日本の裁判所に訴える裁判に日本国内において支援運動が可能であったか。
全世界の目は韓国の軍事独裁政権に釘付けになっていた。北朝鮮が全体主義(収容所国家)化しつつあることに世界は、そして日本は気付いていなかった。従って、この時期に海外から朝鮮総聯を訴えるための支援運動はあり得ないことである。日本国内の支援運動なくして提訴は不可能である。
にも拘らず提訴と訴訟遂行が可能という原判決は、全く歴史的感覚を欠如させていて、救いようがない程に無知である。
(3)
従って、原判決の「本邦に渡航しなくとも、裁判遂行は可能」という認識は、およそ現実離れも甚だしい(あるいはわざと現実を無視し、現実に目をつぶった)誤まった認定である。
第2 原判決批判その2 帰国事業の犯罪性の判断を避けた原判決
1 控訴人は、帰国事業を推進し担ったのは朝鮮総聯であり,
事実上どの帰国船に誰を乗せるかまで決定する権限を持ち、行使していたこと、
帰国者と朝鮮総聯との間に帰国契約と参画契約が成立していたこと,
朝鮮総聯幹部が北朝鮮の「地上の楽園」とは全く異なる実情を十分知っていたこと,
知った上で帰国者に虚偽の説明や事実の隠蔽を行ったこと、
帰国船に乗るまで帰国者を組織し、管理し、教育し、輸送し、財産処分まで担当し、帰国者の財産を手中に収め、多額の利益を得ていたこと、
などを主張、立証してきた。
2 これに対し、朝鮮総聯は、帰国事業は日本政府と日赤が行ったもので、自分たちには責任がないと主張し、さらに時効であると主張した。そして,控訴人側の主張、立証内容に対しては,殆ど何も反論、反証しないままであった。
朝鮮総聯は帰国事業の「正義」や「人道性」を一切語らず、それを推進した自らの「正当性」を主張することもまったくなかった。
判決言渡の日、被告代理人も含め朝鮮総聯側は誰一人出席しなかったが、そのことは応訴内容と同じく「逃げ」の姿勢を象徴する態度であった。
原判決は、判断の選択肢として、契約の存否、債務不履行の有無や、被害の有無を判断できたし,被告の反論の空疎さや反証の乏しさ、事件の大きさからして当然中味の判断に踏み込むべきであったにも拘らず、なにも判断しないまま、時効と判断しただけで片付け、これ又逃避と言われても仕方がない内容であった。
控訴人が日本に渡航することもできず、権利行使ができない状態にいた原因は、他でもない朝鮮総聯の帰国事業で北朝鮮に行き、韓国へ脱出したからであり、その責任は控訴人の個人的なものではなく、朝鮮総聯の帰国事業自体にある。にも拘らず、消滅時効を適用するのは朝鮮総聯の責任を一方的に免罪するものであり、正義と公正に著しく反する判決である。
司法改革が現実の俎上に上っているとき、到底原判決の論理展開は社会に受容されるものではない。
3 原裁判所は同部に配属された段階で、被告が権利能力なき社団に該当していることの立証をせよと書記官を通して控訴人代理人に要求してきた。
(……略……)その上(……略……)裁判所は書記官を通して今度は朝鮮総聯の綱領、規約を出せと指示してきた。
(……略……)
もう一段落かと思いきや、今度は書記官を通して訴状記載の住所地に朝鮮総聯が存在していることの証拠を出せと云ってきた。驚くばかりであったが、これに応じた。
裁判長は慎重を通りこして被告を怖れていると控訴人代理人には感じられた。
第1回口頭弁論期日の前に、書記官を通して控訴人側支援者の傍聴者数を尋ねてきたが、遂には被告側の傍聴者の数まで書記官を通して控訴人代理人に聞いてくるに及んだ。そんなことを控訴人代理人が答えようがないことを書記官に答えたが、ここでも、控訴人代理人は裁判長の朝鮮総聯に対する畏怖感を感じた。
そして今回の責任論判断回避の判決である。到底首肯できるものではない。
(……略……)
圧力団体としての朝鮮総聯に勇気を持てない大マスコミの臆病さ、北朝鮮に対する政府の弱腰さは日本国内の北朝鮮観、朝鮮総聯観をずっと呪縛してきたのであった。
大マスコミすら朝鮮総聯を恐れ、うるさい団体として逃げる姿勢が、朝鮮総聯の反社会的行為(本件帰国事業。傘下の朝銀東京信用組合の業務上横領事件で元の理事長に有罪判決がおり、同判決では朝鮮総聯の元財政局長(分離公判中)との共謀も認定された。
朝鮮総聯の送金疑惑もぬぐえないとされている。
日本人拉致に関して、一部の幹部が佐渡島で工作員上陸の下調べに協力していたとの証言etc)を助長し、拉致問題や本件帰国事業問題の解決を長引かせてきたことを裁判所は深く認識し、日本社会の臆病風に追随するのではなく、良心に従って憲法と法律に忠実でなければならないのである。
小泉総理の訪朝で金正日も認めた拉致という国家犯罪から明らかになったとおり、北朝鮮においては人権という観念は全くなく、人間尊重、人権尊重という観念も全くないということである。
暴力を行使して日本人をさらって北朝鮮に連行していくことと、「地上の楽園」と欺して北送したことと手段態様に違いはあるものの、その犯罪性に本質的な違いはない。
北へ送られたあと、「出身成分」の差別の中で息を潜めて暮してきたことも両者間において違いはない。
朝鮮総聯は、一貫して北朝鮮による拉致を「でっちあげだ」と称し否定してきたのに、金正日の謝罪後今以て反省の言葉を発していない。
傘下の在日本朝鮮人人権協会近畿地方本部が「拉致行為に抗議し、その真相解明を求める」との声明を発表した。
朝鮮総聯系の「朝鮮新報」などは「誤った事実を伝え、言葉では言い表せない迷惑をかけたことを率直に反省する」との編集部の「お便り」を載せた。
ただ、いずれも朝鮮総聯の中央本部の見解ではない。人権協会の声明にしても、北朝鮮に明確には抗議の意を表明していない。
「お便り」に至っては、北朝鮮の労働新聞などの「拉致はでっちあげ」という「誤報」をそのまま報道したことを反省しているだけである。
しかし,今こそ朝鮮総聯は帰国事業を検証し、反省をし、帰国者に謝罪し賠償をなし、本来の在日朝鮮人の権利擁護団体に帰るべきである。
そして裁判所は朝鮮総聯を恐れず、裁判所の本来の役割に徹して、帰国事業を検証し、責任論の判断に踏み込むべきである。93380人の帰国者やその家族、親戚は裁判所の良心に大いに期待をかけている。
『大王の祭典』と『北朝鮮脱出』の間
A
宋 允復
小泉訪朝を契機に、金正日が明かした北朝鮮による日本人拉致の事実と被害者「8人死亡」の衝撃
好機を生かし、収容所体験記を広めよう
マスコミの連日の報道で、家族を人質にとって駆け引きする北朝鮮のやり口、非人道体質がようやく日本国民公知の事実となった。帰国者・日本人妻問題の構図も、理解されやすくなったといえる。
しかし、北朝鮮の本当のおぞましさはまだ知られるところとはなっていない。伝えられる拉致生存者五人の北朝鮮での待遇は、籠の中の鳥のものとは言え、特権層のそれであるから。
正式に認定されているだけでも10件15人、実際には数10人に上ると見込まれる「日本人拉致」。しかし、「被害者」はこれにとどまらない。当会会員には周知のとおり、日本にゆかりのある、桁がいくつも違う数の人たちが、事実上の拉致、監禁状態に置かれ続け、多くが非業の死を遂げているのである。
与野党の一部政治家や、一部マスコミも、日本人拉致に絡めて、帰国者・日本人妻問題にも言及、注意を喚起している。その闇の真相、ディテールがいかなるものであるか。これを知らしめる上で、『北朝鮮脱出』、原著『大王の祭典』が読まれるべき緊急性、今日的意義は一層高まった。
あらためて注目される姜哲煥証言
週間文春10月10日号には「日本人妻が命がけで伝えた強制収容所の地獄」と題して、在日朝鮮人帰国者の脱北者 李昌成氏の告白が掲載された。この中には『北朝鮮脱出』の著者の一人、姜哲煥氏の証言も盛り込まれている。

証言集会に参加した姜哲煥氏
…92年に脱北した姜哲煥氏(34)は、姜氏が入っていた収容所に約10名の日本人妻と日本人男性1名が居たと証言している…。
記事中、姜哲煥氏の証言の引用はわずか二十数行であり、ごく概略的なものにとどまっているが、実際の証言の中には、かなり詳細な内容があった由である。
収容所生活を克明に描いた『北朝鮮脱出』。韓国語の原著『大王の祭典』は、3巻本の大部であり、翻訳版の『北朝鮮脱出』は上下2巻に収めるために、割愛されている部分がかなりある。実はその中に先の証言にも言及されていた「李セボン」一家の消息が記されていたのだ。
「先に帰国した父親に会わせてあげよう」という北朝鮮の欺きに釣られて1980年代に「祖国訪問」し、そのまま収容所送りにされた在日朝鮮人家族の話である。
以下に、該当部分を訳出する。(『大王の祭典』第一巻P.342〜346)
「父に会わせる」と母子家庭をおびきよせ、そのまま収容所送り
収容所生活の中でも、「李セボン」との出会いは悲しい思い出だ。
セボンは、日本にいるとき、医学を学んで、脳博士になるのが夢だった。長兄が日本の東京大学に通った秀才で、セボンもやはり頭がとても良かった。
彼の家族が初めて耀徳収容所に入ってきた時、収容所の人たちは、彼らを囲んで見物した。良い服を着て、とても清潔な印象で、血色も良く、一目で豊かな暮らしをした人たちなのが分かった。セボンの母さんはとてもおしゃれで、真っ黒なサングラスをかけ、かっこいい洋服を着ていた。
セボンが収容所に来たのは、私が中学5年の時。同じ帰国者村で、同じクラスで勉強したので、自ずと情が通った。小学校からここに通っている我々とは違い、セボンは栄養が良く、体格も大きかった。しかし、仕事はうまくやれなかったし、朝鮮語も全然できなかった。そうした度に、他の子供たちは彼を「ばか」と侮り、はやし立てたが、私はなぜかそうはできなかった。
セボンは性格が優しくてとても良い子だった。私か周囲に目配りしながら仕事を少しずつ助けてあげると、とても有難がってぺこぺこ挨拶した。セボンは私に外部、日本の情報を伝えてくれた。彼が話す外の世界の話、日本の話は、ほんとうにそんな世界があるのだろうかというほどに幻想的だった。
セボンの母は東京でトラックの運転手をしていた女傑だった。夫が一人で北朝鮮に行ってしまった後、三人の子供を育て、勉強させながら暮らした。そうしたところ、1981年、北朝鮮からセボンの家族に、父親に会わせてあげると、招請をしてきた。
そこで、母と、長兄を除く子供二人が北朝鮮を訪問した。長兄だけが行かなかった。来てみて、それが北朝鮮の騙しであるのが分かった。すでにセボンの父親はどこかの収容所に引っ張られて行った後であり、訪問した家族までスパイの容疑を被せて、耀徳収容所に放り込んでしまった。
このため、セボンの家族は、他の北送僑胞よりももっとここの生活に適応できなかった。数ヶ月ではなく一年が経っても、彼は自分がここにこうしているのは夢に違いないと言っていた。
適応できないセボンは、入ってくるや否やすぐに下痢症に罹った。他の人であれば、長くても一、二ヶ月で直るのが普通だが、セボンは一年近く下痢で苦労した。顔と体ががりがりにやせてしまい、絶えずゴロゴロ下るお腹のために落ち着いていられない。それもあっていじめを多く受けた。私はセボンが心配で、まめにヨモギを採ってあげたり、山に仕事に行っては、薬草を採ってきたりした。
そうして一年が過ぎるころ、セボンはほぼ奇跡的に下痢症が治まった。
「やー、チョルファン。僕はもうすっかり良くなった」
げっそりこけた頬で、口元にしわを寄せてセボンが笑った。私もとてもうれしくて笑った。 セボンは拙い朝鮮語で、私が不思議に思う話を聴かせてくれた。
「日本では、学生がコーヒーとパンを食べながら勉強するんだ」
「私は医学の中でも、人間の脳を研究したい。脳は人間の意識を支配する一番重要な器官なんだ」
収容所の中の収容所「拘留所」行きで廃人に
彼の話を聞いていると、時間が経つのを忘れてしまう。話を聞きながら、セボンのような子が騙されてここまで来たのがあまりにも気の毒で無念だった。そんなある日、セボンは拘留場に行くことになった。
拘留場から帰ってきたセボンは脆弱になり、病んだ体を引きずりながらも作業場で仕事をしなければならなかった。その日もセボンと私は野菜畑で同じ組になって仕事をしていた。
「一回腰を伸ばしてまたやらなきゃ。ああー」 背を起こしたセボンが急に黙った。表情を見ると何かただ事ではない。
「急にどうした」
「うん、急に足がズキズキするんだ」
道にへたり込んだセボンはそのまま立ち上がれなくなった。いくら頑張っても立てないということだった。そのうち、視力もだんだん落ちてきて前も見えないようになった。収容所に入って二年もせずに、セボンは完全な廃人になってしまったのだ。
私は、暇ができればセボンの家に立ち寄った。その後、数年間、セボンは作業班に入ることもできずに家で床に伏し、身の上を嘆いてばかりいた。
「セボン!」呼びながら門を開けて入っていくと、彼は懐かしそうな声で「チョルファンか?」と、見えない視線で私を探した。私もかなり毒された人間だが、そんなセボンを見ていると鼻の奥がツンとした。セボンは自殺も試みたが失敗し、死にたいと泣き叫んだ。
そんな日には、私は夜も眠れずに、様々な考えに暗澹たる思いに浸った。
私はすでに18歳、前途が残されたはずの若者が、あっという間に廃人となり、かろうじて命だけを永らえているセボンの姿は、私の暗い未来を予告してもいた。いつなんどき私がそうなるかもしれない。
〈なんとしてでもここから抜け出る方法はないか〉
〈脱出? 自殺?〉
〈いっそ戦争でも勃発すれば〉
しかし、そのいずれも可能なものはなかった。
時には、とうに忘れていた祖父や母のことも思い浮かんだ。また、叔母や他の叔父たち。彼らは今どこにいるのか、生きているのか、死んだのか。
私とともに収容所で過ごした子供たちはいまやみな青年になっていた。十年近くこの中だけで暮らしてみると、作業だとか保衛員の動きは、目つき一つからでも窺えるほどになった。子供たちは、要領を尽くして暇を作り、深い山奥に集まっては、思うさま話をし、歌も歌った。おおっぴらに収容所に対する不平もぶちまけた。日本の童謡や南朝鮮の昔の歌を大人から習いもした。
一方では、そうしたことが私を苦しめる最も大きな要因になっていたのも確かだ。すべての世界が収容所と大して違わないだろうと考えればこそ心穏やかに暮らせるのだが、あまりに違う別天地がほんとうにあるというのだから、それが一層私を苦しめた。
拉致幇助犯 朝鮮総連の犯罪性
ここに記されているのは、80年代に入っても、北朝鮮が在日朝鮮人を新たに拉致・監禁していたという事実である。
看過できないのは、朝鮮総連の果たした役割である。在日朝鮮人の北朝鮮訪問の際、窓口となるのは原則として朝鮮総連だからだ。
5人の日本人拉致被害者の帰国に先立って、一時帰国を果たした寺越武志さんの母が告発する。
訪朝の窓口となる朝鮮総連も、何かと献金を要求してきました。ある在日の女性は十万円単位で何度も口利き料をとった挙げ句、「八十万円でバスを買って、送れ」と言い出しました。
そんなお金はないと断ると、「あんたの家のことは全部調べてある。買えないはずがない」と迫り、武志が強制収容所行きになると脅す。もう私は精神的にかなり参ってしまいました。(週間文春10月31日号)
北朝鮮に親族を有する在日朝鮮人、日本人にはおなじみの構図だ。
今回、金正日が拉致を認め、突き上げを食らった総連は、これまで「拉致はでっち上げだ」と言い続けてきた責任に向き合おうとせずに、「総連は拉致に関与しておらず、謝罪する立場にはない」と、内部で強弁している。
当会が支援した帰国者損害賠償請求訴訟でも、「総連は帰国事業の当事者ではない」と逃げに終始していた。
しかし、帰国事業で総連が紛れもなく主導的役割を果たし、さらには北朝鮮の指示に唯々諾々と従い、親族を人質に取ってのゆすり、たかりに加担し続けたように、拉致問題においても、少なくとも中央執行部は事実と知りながら、「でっち上げ」と宣伝し続け、北朝鮮を幇助してきたのである。
いま、総連がなすべきは、北朝鮮に捕らわれている帰国者、日本人妻、拉致被害者の救援に、手立てを講じること。現執行部は多くが親族を北朝鮮にとられていて身動きがとれないというなら、これを期に退陣し、しがらみのない若手に一新する程度の芝居は打てないのか。
いずれにせよ、総連の影の所業に眼差しが向けられていくのは時間の問題である。
2002年12月17日
青山健熙さんへの手紙
『北朝鮮 悪魔の正体』における
『守る会』へのご批判について
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
代表 山田 文明
その後、お元気にご活躍されているご様子を頼もしく拝見いたしております。ご自身の数奇な、そして辛く厳しい体験をもとに『北朝鮮という悪魔』を出版され、ひきつづいて『北朝鮮 悪魔の正体』を出版し、北朝鮮に残るご親族に危害が及ばないよう配慮しつつ、帰国事業と北朝鮮社会の人権犯罪を告発された勇気と努力に敬意を表します。
実は、私はこの2冊をまだ読み終えていなくて、今読み進みつつあるところです。このため、精読した感想を申し上げることができる段階ではありません。しかし、これまでに読み進んだ内容からも、この2冊の本が広く読まれることで、北朝鮮政府の実態とその政策・行動に対する正確な認識が広がり、それが金正日政権に対する痛打となることと確信します。
精読し終わるのを待たずにお手紙を差し上げたのは、『北朝鮮 悪魔の正体』に「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」が2002年4月27日に日本赤十字社に提出した要請文の内容に対する批判が記されており、その点について早急に守る会としての考えを表明しておく必要があると考えたからです。
4月28日に北京で日朝赤十字会談が開催されることになったため、北朝鮮帰国者の生命と人権を守るために基本となる課題を、この機会も利用して表明し、北朝鮮側にはっきりと伝えてもらおうと、守る会は急遽要請文を作成して日赤の藤森昭一社長に送りました。
その要点は青山さんも要約して紹介されていますが、要約しすぎて一部不正確になっていますので、改めて3点を要約します。
1、 北朝鮮帰国者に北朝鮮出国の自由、居住地選択の自由、そして日本への一時帰国の自由をみとめること
2、 帰国者のなかには、日本の家族と連絡が取れなくなっている人が多数あるので、「行方不明者」として調査すること
3、 帰国者のなかには、不明確な罪状で処刑、投獄、収容所送りにされた人が多数います。この人たちについて、日本の家族の問い合わせに正確な罪状、裁判記録、処刑の日時と場所、あるいは投獄されている場所、罪状と連絡方法などを伝えること、万が一冤罪の可能性がある場合は、裁判のやり直しと名誉回復の道が開かれていなければならないこと
以上の3点を北朝鮮赤十字会に伝え、要請することを日赤に求めたものです。
青山さんもこの「要請は誠に正しい。要請は倫理に合った人道上の主張であり、だれもが認める正義の叫びである。」と全面的に賛同していただきました。
しかし、守る会は@「余りにも北朝鮮についての知識が不足している」と述べ、その理由は「朝鮮赤十字会が諸外国のような赤十字社と同じ機能をもっていると認識し、そのことを前提に置いて要請しているから」だとおっしゃっていますね。
また、日本の家族が連絡できなくなっている帰国者を「行方不明者」として調査する要請について、A帰国者の「中で消息が途絶えた人を『行方不明者』として認めて捜査してくれるであろうか?」と疑問視されています。
さらに、守る会はB「北朝鮮に日本のような裁判所があるとでも思っているから話にならない」と批判されています。
そして、守る会が帰国者の生命と人権を守ろうとするのならC「有名無実な朝鮮赤十字会に間接的に訴えても何もならない。
訴えるのであれば、まず、朝鮮赤十字会と同じ部署(統戦部)に入っている朝鮮総連(在日)に要請すべきである」、「また、米国のような影響力のある第三国か、赤十字国際委員会に訴えるべきである」と述べていらっしゃいますね。
これらの点について、守る会としての見解を表明しておきたいと思います。
@については、守る会は、朝鮮赤十字会が金正日政権から相対的に独立して、中立的な立場で人道的救援事業を遂行しているとは、到底考えていません。
しかし、赤十字を名乗り、日本赤十字社との会談を行う以上、赤十字基本原則に則り「国籍、人種、宗教、社会的地位または政治上の意見によるいかなる差別をもしない」「いかなる場合にも政治的、人種的、宗教的または思想的性格の紛争には参加しない」、「その国の法律に従うが、」「その自主性を保たなければならない」という原則を守る責任を負っていなければなりません。
ですから、守る会は、現実の朝鮮赤十字会が赤十字基本原則に反するものであることを知りつつも、その基本原則を守る義務と責任を負わねばならならい団体とみなしているのです。
Aについては、赤十字基本原則からして、「あらゆる状況下において人間の苦痛を予防し軽減することに、国際的および国内的に努力する」「すべての国民間の相互理解、友情、協力、および堅固な平和を助長する」ことが赤十字の目的であり、「行方不明者」の調査は当然その原則、目的に合致したものです。
現に朝鮮赤十字会から日赤に、毎年100―200通の日本の家族の連絡先を訪ねる手紙が届けられています。日赤ではその要請を受け、調査を進め、判明したものについて回答しているのです。同様のことが朝鮮赤十字会にできないわけはありません。堂々と要請すればよいと考えています。
Bについては、北朝鮮に「日本のような裁判所がある」とは決して思ってはいません。しかし、経済犯とみなされたものなどは「裁判」を受けることになります。政治犯とみなされたものは「裁判」もないまま収容所へ送られていくことが何人もの脱北者の証言で明らかになっています。
日本の家族の下には帰国者が処刑されたとの連絡や処刑されたことを示す連絡が多数寄せられています。その他にも収容所に送られた帰国者の数は万を数えるのではないかと思われます。
このため、帰国者との連絡が取れないで、不安な毎日をすごしている日本の家族は、行方の分からない家族・親族の消息を知ろうと努力し、処刑されたり収容所に送られた場合は、その理由と現在の状態を知りたいと、やり場のない必死な気持ちでいるのです。
どのような場合にどんな裁判が行われ、どんな犯罪-には裁判が行われないままどのように罰せられるのか、金正日政権は罰せられる本人とそのご家族に対し説明すべき義務があるのです。政治犯の場合は裁判もないということも、金正日政権から公式にはなにも発表されていません。
どのような罪であれ、そして裁判の有無にかかわらず、刑を課する以上はその根拠を本人と家族が分かるように示すのが裁いて刑を執行するものの義務であります。金正日政権が無法の独裁体制であることは百も承知していますが、現代社会の民主主義と人権の常識にもとづいて金正日政権の人権犯罪を批判するのは当然のことです。
それは決して「北朝鮮に日本のような裁判所がるとでも思っているから」ではないのです。そして、この要請に現実性があるかどうかにかかわらず、人間の尊厳を守り、人権を擁護する上で、断固として要請しなければならない課題なのです。
ですから「北朝鮮の内部を余りにも知らない自由民主主義文明国家で暮らしている幸福な人々の考えである」と揶揄して、このような要請をすることを否定してはならないと考えます。
Cについては、「朝鮮総連にも要請すべきである」という点については異存ありません。
守る会は、米国や赤十字国際委員会、あるいは国連人権委員会や諸外国の政府にも人道的立場から金正日政権に強く圧力をかけるよう求める立場です。同様に、日朝赤十字会談が開かれる機会には、朝鮮赤十字会にも強く要請することは、あらゆる機会を捉えて金正日政権に働きかけることの一環であり、「朝鮮赤十字会に間接的に訴えても何もならない」と判断して行動しないことには賛成できません。
以上、青山さんの批判点にたいする守る会としての考えを述べました。どうかご理解くださいますようお願いいたします。
青山さんのお気持ちと守る会の目標は、金正日政権の人権犯罪の告発と人権擁護という点で完全に一致しています。守る会としては、青山さんの各種の体験や知識からさらに多くのものを学び取りたいと思っております。
北朝鮮の人権問題にかかわるすべての団体と個人が、それぞれの短所を補い合い、長所を尊重しあって、目標に向かって確かな協力と連携の関係を作り上げていかねばなりません。
最後の目標達成まで、共に頑張りたいと思います。
書評 『北朝鮮という悪魔』
青山 健煕 著 光文社
三浦 小太郎
「元対日工作員が明かす驚愕の対日工作」という副題が記された本書は、実は「北朝鮮帰国者の語る驚愕の手記」と言い換えたくなるような内容をもつ1冊である。
帰国者が彼の地北朝鮮でどのような悲劇に出会ったかを証言する手記はこれまでも様々に書かれて来たが、本書は帰国者がいかに北朝鮮で、あの独裁体制下で抵抗し、戦おうとしたかの一端を物語っている。
大阪の生野区で生まれ、1960年、安保闘争の年に北朝鮮に旅立った著者、青山氏は、やはり多くの在日朝鮮人と同じく、朝鮮総連の宣伝を信じ、北朝鮮を「地上の楽園」と信じ込んでいた。
特に向学心に燃えた青山氏にとって、差別もなく自由に学問ができるという誘いほど魅力的なものはなかった。しかしその夢は、清津の港に着く前、すでに帰国船を見た段階で揺らぎ始めたという。
社会主義先進国であるはずのソ連が赤十字社を通じて提供した帰国船、クリリオン号自体も、当時の日本の船に比べればみすぼらしく見えた。しかも乗船後食べさせられた食事は、とても喉を通らないものだった。
勿論失望が決定的になるのは北朝鮮に到着し、貧しい民衆の(歓迎に駆り出され、精一杯の服装を来ているとは言え)姿に直面したときである。さらに職業も居住地も一方的に北朝鮮側に決められ、何一つ自由のない現実に、帰国者の多くは怒りに震え、次のように抗議したという。
「就職の自由もなく、居住の自由もないこんな所で暮らすつもりはない。国際電話をつなげ、赤十字に訴える」
「政府は嘘つきだ、金日成は偽為政者だ」
「総連の奴らに騙された。我々を日本に帰らせろ」
青山氏もこの抗議の輪に加わろうとして、先に帰国していた親族に止められた。抗議したものがどのような運命をたどるか、その親族にはよく分かっていたのだ。しかし、帰国者たちは抵抗をあきらめなかった。
まず、日本に残された家族に対し、ここは宣伝とは全く異なる国家であり、決して後を追って帰国してはならないことが、検閲の目をかいくぐって伝えられた(事実、帰国開始後数年で帰国者は激減する)。
青山氏は、自分たち家族が最もつらく苦しい生活をしていた地名を手紙に書き「あそこでの暮らしのように楽しく幸せです」という内容を書き付けた。家族はこの一言で全てを察したという。
続いて、帰国者の間で、1962年頃、「里帰り署名運動」がひそかに行われる。
ここで私たちは柴田コウゾウ(本書の記述のとおり。実際にはかの帰国者、芝田幸三さんであろうと思われる)さんもかかわっていたと思われる署名運動は、日本に帰国したいという嘆願書を作り、秘密裏に帰国者の間を回されてかなりの署名を集めていた。
この運動の中心人物の一人は「伯爵婦人」と言われていた、在日テノール歌手永田源次郎さんの妻である。しかし、この運動によって、柴田さんは一人娘を含めて連行される。永田氏の受難が大きくこの運動にかかわっていたことは言うまでもあるまい。
あのような全体主義体制下で、ただ耐え忍ぶだけではなく、何とか日本への帰国の道を探ろうと、危険を冒して署名運動を行おうとした人々がいたことは、決して歴史の闇に埋もれさせてよい出来事ではない。これこそが人間精神の勇気と尊厳の証しである。
著者が北朝鮮工作員として教育され、持ち前の才能を活かし(日本にとどまっていれば企業家か技術者としてさぞかし成功したことであろう)情報収集、外貨稼ぎ、ハイテク技術の登用などに、日本を対象に主として中国で携わって行く。
その過程はぜひ本書をお読みいただきたいが、最も恐ろしいのは、おどろおどろしいスパイ行為ではなく、全く合法的に、商取引としてこれらの工作活動が成立していることである。
この自体は今もなお、青山氏以外の工作員が同様に引き継いでいると考えられる。北朝鮮の核開発がどのように行われたのか、私たちは本書からその一端を知ることができる。
青山氏は今、日本に在住している。帰国者が40年の月日を越えて日本にもたらした、「帰国者、日本人配偶者の抵抗の記録」がここにある。

訪 韓 報 告
事務局次長 金 国 雄
今回の訪韓の目的
今回、10月15日より10月22日の一週間の日程で韓国に行ってまいりました。「ソウル本部」設立に立ち会うという目的のほか、訪韓の重要な目的であった韓国に定住する脱北者(北朝鮮難民・亡命者)の方たち、また、韓国における北朝鮮人権擁護団体、脱北者団体など諸団体の関係者にお会いし、私なりに関係を築く事でした。
行くまで、どれほどその目的が叶うか分かりませんでしたが、しかし今回、多くの脱北者の方たちともお会いし、また、私たち韓国・朝鮮人社会で言えば「兄弟」「姉妹」となることができました。
なかには来春、日本でも本(日本語訳)を出される方もおられました。金正日の警護部門におられた方とお聞きしました。詳しくはその本が日本で出版されましたなら参照いただければ幸いです。
韓国の北朝鮮人権擁護諸団体
今回は、人権諸団体の代表の方たちともお会いし、簡単ながらご挨拶とお話が出来ました。
「社団法人北韓人権市民連合」の理事長・尹玄さんとは来年の「第4回 北朝鮮の人権と難民問題国際会議」への取組に関するお話を中心に、そして「被拉致・脱北者人権と究明のための市民連帯」代表・李犀さんとは韓国と日本の脱北者の定住問題を中心に意見交換をし、「脱北者同志会」の副会長・張さん、事務局長・金さん、庶務・徐さんの皆さんともお会いでき、北朝鮮での民主主義、人権の確立の問題などで夜遅くまでお話ができたことは大きな訪韓の成果となりました。
また、離韓の際には事務所に伺い挨拶もさせていただきました。あいにく日程の関係などで、韓国政府(情報院)の管理下にある黄長(ファン・ジャンヨブ)さんとは、お会いする事がかないませんでしたが、次回、訪韓の折にはお会いできるものと思います。
ソウル本部設立に立ち会う
また、ソウル地区での脱北者全体会合(政府・省庁主催。全国的に行われるそうです)を参観する事ができました。およそ250名(ソウル在住の3分の1ほどとお聞きました)ほどの脱北者の方たちの集まりを拝見し、一部の方たちとは直接会話(通訳を通し)を交わし、また「守る会事務局次長」の名刺をお渡ししました。
そして、韓国に逃れた北朝鮮帰国者(元在日)脱北者の方たち(現在、韓国には家族を含め20名ほどの方々が在住とお聞きしました。最近脱北された方で2000年に北朝鮮を出られたそうです)の中の10数名の方たちと昼食時に、テーブルを囲みお話を聞く機会がありました。
皆さん方は、ほぼ日本に帰国できる方法を知らなかったようで、韓国に入国を果たされたそうです。また、現在の日本での受入れ状況や、日本政府の定住無支援状態をお話したところ、現状では日本に戻りたくても戻る事は現実的ではない、と語られました。
なかには日本人妻の問題で相談も受けましたし、先日、日本の国会で証言された李昌成(イ・チャンソン 写真=)さんともお会いできました。また、「守る会」ソウル本部設立という事とに立ち会うこともできました。
同時に「守る会」の活動の一つである「帰国者裁判」に新たに3名の韓国在住の方たちが名乗りを上げました。このことは「帰国者裁判」に新たな展開になるものと思います。これからも会員の皆様のご理解、ご支援をお願いいたします。
多くの方々ともに
たまたま偶然でしたがプライベートな席(場所)で、ある大統領候補の方ともお会いし、関係者の方によって北朝鮮難民・亡命者(脱北者)問題で訪韓した在日同胞を紹介をしていただき、ご挨拶をさせていただく事もできました。
今回ソウルでは、日本で裁判になりました北朝鮮亡命者の金龍化さんの所に泊めていただいて、他の脱北者の方々とも夜遅くまで歓談する事ができました。
多くの脱北者の方々が韓国社会に定着・定住する上での問題点(とくに人間関係、就職問題について)、不満を強く訴えておられました。これは前述の脱北者全体会合でもよく聞いた話でしたし、ある奥さんは、この点に関する憤激を私に強く訴えられたことがいまでも強く印象に残っています。

右側が金国雄
感謝の言葉
もう少し滞在する時間があれば、ソウルの脱北者の方たちの運動会(約600〜700名参加を目指したもの)に出席させていただけたのですが、あいにく滞在日の関係、かなわなかった事が残念でした。
今回の訪韓を支えていただきました関係者の皆様、また、お会いした北朝鮮問題関係者の皆様に、この場をお借りしてお礼を申し上げます。この関係を今後とも大切にし、拡げていくためにも、また、さらに多くの韓国の団体・個人の皆様ともお会いできる事を願って今後とも活動をおこなって行きたいと思っています。
訂正とお詫び 小川 晴久
前号の「かるめぎ」の拙文"怒りの中で考えたこと"のなかに誤った認識がありました。以下のように訂正させていただきます。
誤 三、1966年にソウルで出た手記は、韓国の国家権力が出したもので、非売品である。
正 三、1966年にソウルで出た手記は、韓国の国家権力が韓国の値段をつけて出版したものであった。
訂正理由 今回1966年にソウルで出たという"悪夢575日"の奥付を確認したところ、180ウォンという値段がついており、寶晋斎(ポジンジェ)という出版社から出版されたものであることがわかった。奥付を確かめもせず、"非売品である"と書いたのは、誤りであったので、上記のように訂正する。
山田文明氏からいただいた資料によると、同書の原本に当たる韓国語版が1963年5月に出ていることがわかった。120ウォンの値段がついており、同じ出版社からであった。
山田文明氏が今回金幸一さんに電話で確かめたところ、韓国語版は1962年11月にソウルに亡命した直後から始まったKCIA(韓国中央情報部)による5ヵ月に及ぶ取調べで金幸一さんが語ったものを、KCIAがまとめて出版したものである。主に軍関係に配ったという。
1966年に日本語版が出たことは本人は知らなかったという(1967年6月まで)。韓国の国家権力(KCIA)が出した本であるという指摘は間違っていない。非売品というところが間違っていた。お詫びしつつ、以上のことをお伝えします。
在日よ「敗戦国民」になるな! ムッソリーニを倒したイタリア国民に続け!
原 良一(守る会 会員)
同文は守る会、RENK、救う会などで他方面で活躍している会員、原良一さんが、去る10月26日のRENK東京集会にて発表したメッセージです。当人の了解を得て、カルメギに投稿として掲載致します。
9・17日朝会談を受けて一日本人として、現体制への賛否を問わず、朝鮮民族としての自覚と帰属意識を持ち、北朝鮮の動向に関心を持つ全ての人々に訴えます。
「日本の9・17」と「在日の8・15」
まず改めてご心痛お察し申し上げますとの言葉から始めさせていただきます。私たち日本人にとっても9・17は「日本版9・11」といってもいい衝撃であり、怒りと悲しみに打ちひしがれた一日でした。
一方在日の皆様にとっては、これに加え祖国・母国たるべき北朝鮮への失望と背信感、アイデンティティーの喪失と価値観の崩壊をもたらす一大衝撃だったと拝察します。これは私が両親から聞かされていた8月15日の「終戦」の日に天皇の「玉音放送」で受けた衝撃と同質の「朝鮮版8・15」だと思います。
そのような衝撃の中にも拘らず、その翌日から在日各氏から拉致被害への様々なお悔やみ、謝罪、ご配慮の言葉をいただいたことを深く感謝します。特に被害者とその家族の苦しみを我が痛みとして共感する発言が相次いだことに、心打たれ救われる思いでした。
その一方、今回もまた一部の心無い日本人によって、民族学校やその生徒への暴力や嫌がらせが多発していることに、日本人として深くお詫びします。もちろんお詫びしたところで、実効性のある防止策を提示できるものでなく、その種の事態に直面した時は身を挺して被害者をお守りすることをお約束するのが精一杯でありますが…。
日独両国民の轍を踏むな
さて現下の厳しい逆境を、皆様はどう打開すればいいのでしょうか? 私は、第二次大戦後のイタリア国民の行動にヒントがあると思います。先の戦争でイタリア国民は、ムッソリーニらファシスト幹部を自ら処刑したことで「我もまた戦勝国民なり」と強弁し、連合国に対し有利な条件で講和条約を結ぶことができました。
対して日独両国民は、最後まで国家の戦争遂行に協力し続けたことで、「敗戦国民」として侵略戦争を含むすべての国家犯罪のツケを負担させられる破目となりました。各種の賠償に伴う物的・経済的負担に加え、侵略者・加害者として周辺諸国からの不信と敵視に曝され続けることになったのです。
それでも、ヒットラー暗殺計画が実行されたドイツ国民にはまだ救いがあります。我が日本は、それどころか南米移民の間で「勝ち組」の茶番劇まで演じて、世界の笑い者になってしまいました。即ち、他国に移住してまで母国への盲従を続け、真実を受容できない民度の低い民族だと…。
失礼ながら、総聯系諸組織で北朝鮮支持を続けた在日の皆様も、現在その「勝ち組」と同じ立場に立たされていると私は考えます。
もちろん、このような遠隔地ナショナリズムが表出するには、移住先で様々な差別や抑圧が加えられている背景がありますが、すべての移民、すべての在日コリアンがその様な陥穽に陥っているわけではない以上、あらゆる有利な事情を考慮してもなお、北朝鮮の現状に対して各人にそれぞれ一定の責任があると言わざるを得ないのです。
罪責感情から具体的な行動へ
もちろん責任があるからといって、皆様に「祖国」の罪を背負って迫害を忍従する義務などありません(というより一般市民に私的制裁を加える権利などない)。これからも不当な迫害には断固として戦うべきだし、私も全面的に支持します。
また、罪責感情から新聞の投書欄などで謝罪の気持ちを綴る方も多く見ます。良心と帰属意識を持つ人間として極めて自然で尊い感情の発露ですが、それに押し潰される必要はないし、それのみでは事態を解決できません。
より必要なことは、在日への迫害の原因となっている北朝鮮の悪政を正すために行動を始めることなのです。北朝鮮の体制変革に主体的に参加し、主導して「貢献度に見合う見返りを寄越せ」と堂々と要求すべきなのです。
戦後の朝鮮半島の発展は、しばしば「20年前の日本」と比喩されるように日本の後を追う形で行われてきました。しかし失敗例まで追随する必要はありません。我が日本が、過去の清算、特に責任者の処罰が不充分・不徹底であることは皆様がつとに指摘しているとおりです。
また政治体制の民主化が、「上からの、押付けられた」民主化だったため現在も多くの軋轢を抱えています。皆様には是非「後発組のメリット」を生かして、違う道を歩んで欲しいのです。
ご意見・お問合せは 〒260-0033
千葉市中央区春日1−21−2−402、原良一まで
Tel/Fax 043−242−0111
E-mail roy.hara@k6.dion.ne.jp
関 西 支 部 だ よ り
十一月三十日、小島晴則さんと加藤博さんをお迎えして関西支部講座を大阪で開催しました。参加者は、これまでの最高の一四〇名でした。テレビカメラも入り、夜のニュースでも伝えられました。
一月二〇日(月)には、アメリカから一時帰国する萩原遼さんをお迎えして関西支部講座を開きます。夜の時間になりますが、ご参加ください。詳細は案内文をご覧ください。
昨年十二月に関西在住の帰国者家族4人が共同記者会見を開きました。一月にも連続して開催し、実情を語っていただきます。
発行:北朝鮮帰国者のいのち生命と人権を守る会
年会費:5,000円
郵便振替口座 00140-4-718645 00970-1-119745
裁判支援振替口座 口座名「守る会訴訟支援」 口座番号「00920-7-134220」
東京本部
〒100-8691 東京中央郵便局私書箱551号 TEL/FAX(03)3262-7473
関東支部 TEL/FAX(03)3262-7473
関西支部
〒581-0868 大阪府八尾市西山本町7-6-5 (山田文明方)
TEL/FAX(0729)90-2887
東海支部
〒488-0044 愛知県尾張旭市南本地ヶ原町2-114
(金 国雄方) TEL/FAX(0561)54-4590
中国・四国支部
〒791-3310 愛媛県喜多郡内子町城廻811-36
(福本正樹方) TEL/FAX(0893)44-3163
カルメギ・ホームページ
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頒価 200円