この世界の片隅にの話だけど。ちなみに視聴済みです。
それって「この映画の制作に自分も出資したかった」ってこと?それならあのエンドロールが動機づけになるのかな?出資してる人たちの名前を見て、自分も参加したかったって思うのかな。
それとも、「自分もあそこに名前を載せたかった」ってことなのかな?これなら、欲望としてわかりやすいから説明がつきやすいけど。
まあ別に非難してるわけじゃないけど、私にはよくわからない感覚だなと思った。
応援のために出資するのはわかるけど、いろんな人が参加してるのを見て参加しとけばよかったと後悔したり、エンドロールに自分の名前を載せたいと思う感覚があるとしたら、それがよくわからない。
こういう人たちの言ってることが、いわゆるオタクのコレクター欲というか参加したい欲(?)なのかな。
これから出資者一覧みたいなところに名前を残すことがステータスになっていったりするんだろうか。「お前こんな良い映画に出資してないの?(笑)」みたいな会話が繰り広げられるんだろうか。
私はこのセカを見て特に出資したいとか思わなかったけど(大変良い映画だと思ったけど)、「こんな名作なのに出資したくならないの!?」とか「名作だと思ったんなら出資するでしょ。本当のファンなら」みたいな風潮になったら嫌だなと思った。(これは「本当のアニメファンなら金出して当たり前でしょ」という意見に通ずる)
より純粋に感動している人は率先して出資する人、出資しない人はそこまで入れ込んでない人。
作品のファン度や作品の理解度の指標として、こういった新たな線引きがまたネットにできてくるんだろうかと勝手に思ってしまった。どれだけ自分が感動したか表明するツールというか。
別に「お金を出すということは純粋な気持ちでやるべきであり、邪念などもってのほか!」とかは全く思ってないし、出資してくれた人の名前を出したり、それを当人が誇るのも当然の権利だと思うけど。
うーん。
結局、良い作品を見ても円盤を買いたくならないし、出資しようと思うこともない自分のようなクズ人間の肩身が狭くなるんだろうなってことが引っかかってるのかな。そういう感性が自分にはないので。
「お前の好きな作品の続きが作れなくなるかもしれないんだぞ?続き見たくないの?支援したくならないの?それなのに何で出資しないの?人の心がないの?」と言われたら、うーん。本当にそう思ったことがないからなあ。
まあこれも"本物のオタク"の方々からすれば「浅い」って言われたりするんだろうか。「本当に入れ込む作品に出会ったら人は支援したくなるもの」って万人に当てはまる?
ちゃうんやで。あのクラウドファンディングのスタッフロールは 「お祭りがありました」を示唆する情報なんやで。 映画を見ている人で、スタッフロールに載ってない人は、観客そのも...