読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

よーじ通信

新潟から沖縄に移住してきたていへんしゃちく

失敗のススメ

雑記

f:id:youji11410:20161128161230j:plain

しっ-ぱい【失敗】

物事をやりそこなうこと。方法や目的を誤って良い結果が得られないこと。しくじること。

 

しっぱい【失敗】の意味 - goo国語辞書

 

 

 

失敗を回避している自分がいた

僕は、脳内完璧主義者なので、脳内で完璧を描けないとやる前から諦めます。簡単に諦めちゃうけど、その脳内完璧主義には致命的な欠陥があるんですよ。それは、脳内理論には欠陥しかないという欠陥です。

 まぁ、単なる妄想ってことです。分析や計画が緻密にあるのではなく「あーいいなーいいねー楽しいーやれるーこれでかんぺきじゃね?れっつごー!!」ってな具合。だから、例えやったとしても、成功するとは限らない。

 ちなみに一応、ちょこっとググってみて調査はするものの、都合のいいことしかみないので、アテになりません。そんな感じで生きてきたので、手をだしたものの中途半端ばかりを積み上げてきました。極めたものはありません。でも中途半端も10個持っていると便利な人にはなりますw

でも、 流石にこんなことをうん十年も続けてきたら慎重にもなります。微かな学習能力はあるみたい。

慎重になるのも、僕の場合は大事なことだと思いました。向こう見ずだったり、無鉄砲だったり、とにかく無茶苦茶。だから、慎重になった自分に、「大人になったな」なんて思ってました。

 

失敗=金銭的損失?

とは言え、損失が(少)ないであろうことに関しては、即行動してしまう。最近のやるかやらないかの基準は「できるできない」より「金がかかるかどうか」になっている気がします。

例えば、ブログ。

今のところブログをはじめるのに使った費用

はてなPro代:1008円(すぐやめるかもしれないと1ヶ月分で自重した)

ドメイン代    :600円/年

参考になるかもしれないと思って買ったnote:500円

最短ルートで収益をあげたかったので依頼したコンサル代:9,800円

計:11,908円

 今まで、思いついては投資したのに何の意味もなかったものに比べたら、安い。

そしてブログ楽しい。収益0円だけど。それは置いておいても、ブログ書くの楽しいからまぁいいかって思ってます。

ブログに関して言えば失敗ってないと思うんです。書けばいいわけだし。目標を定めて、そこに向かっていって、それが達成できなければ失敗みたいに思いそうだけど、目的が間違っている場合も「失敗」と定義できるわけだから、目的を「ブログを書く」に変えて書き続ければ「失敗」にはならないよね。

 

それは計画的なんじゃなくて打算的なんじゃない?

昔からそうなんだけど、大抵のことは努力なしで平均点以上できるんですよ。しかも結構早い段階で。だからそこで満足しちゃう。向上心ないし、継続力もないから、ずっと頑張って、できるようになった人にそのうち追い抜かれてる。だから失敗というか「できない」って経験をあまりしてこなかった。例えできても向上心も継続力も努力もないから、極めない。できないって壁にぶつかっていかない。

子供のうちはなんでもできても、大人になると大人になるってだけで物事のハードルが上がっていて。周りは小さなことをクリアしていく中で経験値とか積み上げていて、大人のハードルもクリアできるレベルになっているのかもしれない。けれど、僕はその経験値を積み上げてこなかった。しかも失敗したくない。いつのまにか「できること」「失敗しないこと」ばかりをやるようになるんです。

脳内完璧主義だから、脳内でイメージした結果ダサい自分がそこにいたらもうやらないんですよ。最初のハードルである程度の高さを飛べないってわかったら、もうやらない。低いハードルから飛び越えていけば、そのうち高いハードルだって飛び越えられるようになるのに、最初に飛び越えられるハードルが小さすぎてかっこ悪いからやらない。

小さなリスクで大きなリターンがないと、やる価値がない、とか思ってしまうんでしょうね。小さな資本で大きな収益とか言えば聞こえはいいですけど。

ある程度大人になると「リスク」を「お金」にすり替えるんです。これはお金がかかりすぎるからやめよう、とか、この金額を投資してリターンがこれならやめよう、とか。

今、僕はサラリーマンをしていて、月給なんか大学生のバイト以下です。でも、ないよりはマシなわけです。そうなるととりあえずこの収入を持っていたほうが無いよりはマシじゃないか?って、ここで甘んじようとするわけです。

でも本当に損失してるのって、人生そのものですよね。

 

 失敗してもいいよ

失敗したくないのって、ダサいってのもあるんですけど。失敗した自分を許せないんですよね。失敗そのものではなくて、失敗してしまう「自分」。それを受け入れる気がないわけです。そんなの自分じゃないって目を背ける。自分が思っているほど自分はすごくないのに。

だから、僕は失敗していいよって許すことにしました。でもそのかわり失敗しても最初はできなくても、なんとなく面白くなくても、楽しいって思えなくても、続けよう、って。

そもそも「失敗した自分」を許せてないということに気がついてなかったんです。

ずっとプログラミングをやろうと思っていて、ちょっとやってみたりもして。色々あってうまく行かなくて、ブログ始めたらブログの更新だけで余暇の時間なんかなくなるし。そうやって、ブログの方が楽だしお金かからないし、リスクは少ないし、最初は大変だけど、10日もすればなれちゃうし、そもそも文章を書くの楽しいし。プログラミングなんかできてもきっと、俺のことだから底辺にしかいないんだろうな、とか。適当な事考えて。農業のほうがいいんじゃない?とか、いやいやせっかくだから建築業界で頑張れよとか。まぁ色々ごまかしていたわけです。

 

頑張らなくても失敗しても誰も困らない

頑張る理由とか、失敗したくない理由とか、色々並べてみるけど。僕が頑張っても誰も得しないから頑張らなくてもいいんですよね。同じように、僕が失敗しても極論僕すら困らないんですよ。

人生、なんとかしたければ、死ななきゃ、なんとかなるんです。最悪死んだって「死んだ」っていうだけで死んでしまった僕は死んでから死にたくなかったって悔いるかどうかはわからないけど、そもそもどうなるのかもわからないけど、結構どうでもいいんじゃないかなって思うんですよ。

頑張ろうって奮起する必要もないけど、失敗を怖がる必要もないと思うんです。

結果的にやったかやらなかったかという事実しか残らないんじゃないかなって。

 

だから、とりあえずやれば?

ブログもそうだし、なにかやろうと思ったこと、とりあえずやればいいと思うんです。ただ、辞めないっていう方が大事だと思うんです。逃げたり辞めたりって、僕は構わないと思っています。でも、失敗したかどうか成功したかどうかわからないまま、辞めるのはもったいないと思うんですよ。例えばブログなんて1ヶ月で結果が出る人がいれば、一年で軌道に乗る人もいます。人によって違いますから、数ヶ月で結果が出ないからって辞めちゃうのは、エンディングを見ない映画と同じだと思うんです。

引き際が大事っていうのもありますよね。僕も前の会社に3年もいる必要なかったなって思うし、今の会社ももう引き際だなと思ってます。

辞めたり諦めたりしてもいいと思うんです。人生は無駄遣いできるほど長くないので。辞めたり諦めるときのラインを決めておくといいと思うんです。

一年経って収益が出なかったらやめよう、とか。

半年やってみて面白いと思えなかったらやめよう、とか。

こういうのって諦めのようで、引き際を定めているんですよね。自分で自分の引き際を決めておくことで、人生の浪費をとめることができるんじゃないかな。

 

諦きらめたらそこで試合終了ですよ

って言いますけど。試合が終わるだけで人生が終わるわけじゃないんですよ。んで、また試合も始まりますから。*1

引き際と諦めの違いって難しいんですけど、諦めてもいいんですよ。

手段や方法を諦めるのか、目的を諦めるのかにもよると思うんです。この方法はだめだな、じゃあこの方法に変えてみようっていうのは、目的地は同じだけど、電車で行くかバスで行くかっていうだけで、そんな諦めは別にどうってことないですよね。

目的を諦めるってなると、これまた話は違う方向にいきますけど。

例えば、野球経験0の僕がイチローにあこがれてイチローを目指すとしますよね。それは諦めたほうがいいと思うんですよ。さっさと。僕の延長線上にイチローはいないんですよ、やっぱり。野球なんか小4からやってないですし。

 

努力の方法を間違えてるってよく言われます

僕、よく努力の方向を間違えてるって言われるんですよ。本人は至って真面目にやっているのに。例えば、一生懸命学費を稼いでいたときも、働きながら資格試験の勉強をしていたときも。誰かにしてみれば努力の方向を間違えているみたいなんです。

でも、僕自身はよくわかりませんw

だから、たまにこういうふうに思うようにしているんです。

「この道じゃなくてもいいよ」って。結構必死こいて辛くなっちゃってると、ここまで頑張ったからとか、これしかないからとか、今あるものにしがみつきたくなるんですけど、辛くなっちゃってるのって結構な負け戦だと思うんですよね。

一位じゃなくて二位かもしれない。二位でいいならいいんですよ、それでも。でも、もしかしたら、三位かもしれない。違う方法で、違うフィールドでやれば一位を取れるかもしれないのに、それにしがみついちゃってる。

目的じゃなくて、それをやるということに固執しちゃってる。

だから一回冷静になるためにも「それじゃなくてもいいよ」って言うようにしています。

 

おわり:目的を諦めるな

辞めたり、諦めたり。逃げたり、放棄したり。頑張らなくてもいいと思うんです。でも、目的を諦めちゃいけないと思うんです。

例えば、僕は「子どもと遊び」っていうものをカタチにしていきたいなって思っていて。そのベストな方法はまだ見つからないんですけど。いろんな手段で試しているんですけどカタチになってないんですよね。さまざまなことをやってきましたけど、そこだけはブレない。ブレないぞ!!って思っているんじゃなくて、なぜかブレないだけなんです。だから、多分僕はそれがやりたいことなんだろうなって思ってます。プログラミングをやろうと思ったのも、収入を増やしたいという思いもありましたけど、目的達成できるんじゃないかなと思ったからなんですね。

その目的は諦めたらいけないな、って思うんです。失敗かどうかは、死ぬときに決めればいいわけで。というか目的を達成するまでは挑戦し続けるから、失敗しないんですよね。

 

*1:スラムダンクは大好きですのであしからず。

Copyright © 2016 よーじ通信 All rights reserved.