間違いですよ。
詳しくは、書けませんが、
先日、僕の方から被害届けを出したのです。
被害の内容は、想像して下さい。
そしたら、逆に疑われてしまいまして、
尿検査をうけました。
何の、問題もありません。
ずべて、フライングのニュースです。
これから、弁護士と話をいたします。
間違いですよ。
詳しくは、書けませんが、
先日、僕の方から被害届けを出したのです。
被害の内容は、想像して下さい。
そしたら、逆に疑われてしまいまして、
尿検査をうけました。
何の、問題もありません。
ずべて、フライングのニュースです。
これから、弁護士と話をいたします。
これで良しっ!
な、気持ちになっています。
今は、1曲ごとの感想はありません。
アルバムが到達点直前にいることの喜びを感じています。
ジャケットも、写真もできています。
ただ、間に合っていないのは、その中に収める中ジャケ。
クレジットなどのデザインです。
これが、意外に時間がかかってしまっています。
が、数日の間には、それも形になるでしょう。
その後は、デザイナーにそれを送って、皆さんが呼ぶ、
「歌詞カード」
と、なります。
これを、最後に送りつけられるデザイナーさんは大変です。
そして、それが完成すれば、CDプレスです。
CDのプレスは、それらが揃ってからしか行われません。
プロモーションを行えない現況、
みなさんには、来月の終わり頃、
Youtubeにおいて、数曲発表させてください。
ありがとう。
今日、最後のMixを迎えます。
何とか、ここまでたどり着きました。
こんな風に、リアルタイムで皆さんとアルバムを制作したのは、初めてのことです。
最後ということで、レコード会社の社長さんも駆けつけてくれます。
以前のエントリーで、
「Mixが終われば、マスタリングをしに、そのまま福岡に飛びます。」
と、書きましたが、
ちょっとー、まった!!
が、かかりました。
CDにするためには「ISRCコード」をディスクの最初に記録しなくてはならないそうなのです。
これは、権利、著作権のためのコードなので必ず、必要なものなのです。
そう言われて「あーそんなものが、確かあった」と、思い出しました。
わ、忘れてた・・・。
そう言えば、昔、CDのプレス工場に納品後「どうしても曲順が違うのではないか」という気持ちに襲われ、偶々、その日が土曜日のできごとであったため、レコード会社のスタッフが、稼働していない工場に忍び込んで、CDを取り戻したことがありました。
そして、納得のいく曲順にしたまでは良かったのですが、もう一度、マスタリングをしなくてはなりません。しかし、もう、楽曲たちにおいては、もうマスタリングは完成していたアルバムでしたので、曲順を変えるだけで良かったのです。
ところが、その「ISRCコード」を記録しそこなったのです。
慌ててましたねぇ。何とか、その日のうちに、そのコードを記録することに成功いたしました。
そして、日曜日の夜に工場の元あったところへ戻し、なんとか、月曜日からのプレスに間に合ったという出来事を思い出しました。
その「ISRCコード」は、リリース日が設定されていないと、記録することはできないのだそうです。
なので、今日、決定するのか、明日決定するのか、明後日なのか・・・。
それが決まってから、福岡に飛びます。
リリースは、おそらく、1月の下旬になると思います。
皆さんに、早く聴いてもらい。
いまは、ただ、そそれだけです。
いろいろ、話題は尽きませんでしたが、
録り直しの3曲が、ほぼ終わりました。
負け惜しみでは、ありません。
前のテイクより、良いテイクになったと思います。
こう書くと、
「前に一緒に作った方に失礼だ。」
こういう、言い方もされるでしょうが、これは当たり前のことです。
楽曲に、完成はありません。
タイムアップでを迎え、
「これで、良し!」
と、思ったところを完成と呼ぶのです。
なので、時間をいただいた分、楽曲はイメージに近づいていきます。
聴く人には、まるで別楽曲のように聞こえてしまうような編曲になりました。
編曲は、澤近泰輔です。
3曲とも、見事なまでに違う服を纏いました。
季節の違いさえも感じてしまいます。
しかし、作った本人には、別曲に聞こえません。
「楽曲を、時間かけてビルトアップしたら、こうなった。」
以前、迷ったり、悩んだりした箇所。
それが形づいた時、そこが、楽曲のフックになったりもしますが、
今回は、そういう部分を「バッサリ切り落としてくれた」と、表現してもいいくらい、
イサギ良い、そして、澤近らしい緻密で繊細な仕上がりになりました。
この3曲。
僕ぁ、好きだなぁ(加山雄三さん風)
さぁ、後は22日のレコーディング。
生のドラムに差し替えれば、音入れは終了。
そして直ぐ翌日からは、
その3曲のミックスダウンに入ります。
ミックスが終了したら、福岡へ飛んで、マスタリングです。
それで、音源製作は終了です。
ああ、総入れ歯、
歌詞カードに添えることになる写真撮影も、今月の5日にやっていました。
ジャケットの、デザイン、構成も福岡のデザイナーです。
写真ですか?
そりゃもう、3週間で2回のファスティングを行ったわけですから、
痩せてるのなんのって。
白抜きのページがありましたら、流し見せず、
よーーーーーく、見てください。
ガン見してください。
白いページに、糸みたいな線が入っていたら、それが、
私です。
いいですか。
見落とさないように。
私を・・・。
てやんでぇ!
な、気分です。
今日は、やけに眠い。
おやすもうかな。
東京
高層ビルから見守る夕陽は
心電図のような山間に金色の糸を放ちながら沈んでゆく
雲は空の海を流氷のように流れ
一日のクライマックスの脇役を演じている
朝陽には何事にも動じない勇気を感じ
夕陽には一日の仕事をやり遂げた凌牙を感じる
昇る太陽で息を吸い
沈む太陽で息を吐く
砂利を投げたように忙しかった街は
夕景とともに地上に星をつくる
生きるということは
果てしないしんぼう
誰もがそうであるように
僕は僕なりにやってゆくのだろう
電線が風で小さなビブラートをしている
僕はそろそろオブラートを破ろうとしている
仕方のないことは
もう悩む必要はない
過ぎてしまったことなのだから
逃げ隠れしない真っ直ぐな心で挑めば
好奇心を失うことはないだろう
夢の降る街東京で
僕の野生は何を手にするのか
僕が書いたことは、僕が感じ、そして思っていることなので、それが答えなどという気持ちは微塵もありません。
僕は、無宗教です。
あの手の文章を書いたり、発言をしたりすると、必ず「宗教臭い」と、敬遠する人たちが現れます。
人は生きる上で、常に導きとなる言葉や、思想が必要です。
それを、「宗教」と一括りにすることは、その人の心の回路がそうなっているからです。
僕は、宗教を否定しません。
その人にとって、生きる導きだからです。
宗教というだけで、嫌悪感を抱く人たちがいます。
そういう方達に、僕からの質問です。
なぜ、宗教がいけないのでしょうか?
それを必要とする人たちがいる。
それによって、生きる指針を見出している。
それを頭ごなしに否定することは、俗世間の「宗教」へ対する偏見です。
「キリストに愛されている」と胸で十字を切る人の行為を、僕は、とても美しく見ています。
「神様、私に御加護を。」
それで、心がやすまり、凛として勝負に挑むアスリート。
それに不快感を持つ人は、どれほどいるのでしょうか?
「宗教」
それだけで、否定をすることに同意はできません。
もう一度、言いますが、僕は無宗教です。
「無宗教」という、宗教なのかもしれません。
こういう考えを持たれたことはありますか?
あのイエスキリストにも敵がいる。
ひとりの人の考え、思考、生き方。
それは、その人の持つ、
ある意味、その人の「宗教」なのかもしれません。
さあ、明日からレコーディング最終段階を迎えます。
約1週間は、スタジオに缶詰です。
皆さんが、待ってくれている。
だから、頑張れる。
待ってくれている人たちが、それを幸せだと感じてくれている。
だから、頑張れる。
信じるものがある。
これが「宗教」の根源ではないでしょうか?
いいじゃないですか。
どんな人にも「名前のない宗教」があるのです。