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はいはい。みなさん。落ち着いて。

間違いですよ。

 

詳しくは、書けませんが、

先日、僕の方から被害届けを出したのです。

 

被害の内容は、想像して下さい。

 

そしたら、逆に疑われてしまいまして、

尿検査をうけました。

 

何の、問題もありません。

 

ずべて、フライングのニュースです。

 

これから、弁護士と話をいたします。

 

ASKA

今、13曲をとおして聴きました。

これで良しっ!

な、気持ちになっています。

 

今は、1曲ごとの感想はありません。

アルバムが到達点直前にいることの喜びを感じています。

 

ジャケットも、写真もできています。

ただ、間に合っていないのは、その中に収める中ジャケ。

クレジットなどのデザインです。

これが、意外に時間がかかってしまっています。

が、数日の間には、それも形になるでしょう。

 

その後は、デザイナーにそれを送って、皆さんが呼ぶ、

 

「歌詞カード」

 

と、なります。

これを、最後に送りつけられるデザイナーさんは大変です。

そして、それが完成すれば、CDプレスです。

CDのプレスは、それらが揃ってからしか行われません。

 

プロモーションを行えない現況、

みなさんには、来月の終わり頃、

Youtubeにおいて、数曲発表させてください。

ありがとう。

 

ASKA

 

 

 

いよいよ、Mixの最終日です。

今日、最後のMixを迎えます。

何とか、ここまでたどり着きました。

 

こんな風に、リアルタイムで皆さんとアルバムを制作したのは、初めてのことです。

 

最後ということで、レコード会社の社長さんも駆けつけてくれます。

 

以前のエントリーで、

 

「Mixが終われば、マスタリングをしに、そのまま福岡に飛びます。」

 

と、書きましたが、

ちょっとー、まった!!

が、かかりました。

 

CDにするためには「ISRCコード」をディスクの最初に記録しなくてはならないそうなのです。

これは、権利、著作権のためのコードなので必ず、必要なものなのです。

そう言われて「あーそんなものが、確かあった」と、思い出しました。

 

わ、忘れてた・・・。

そう言えば、昔、CDのプレス工場に納品後「どうしても曲順が違うのではないか」という気持ちに襲われ、偶々、その日が土曜日のできごとであったため、レコード会社のスタッフが、稼働していない工場に忍び込んで、CDを取り戻したことがありました。

 

そして、納得のいく曲順にしたまでは良かったのですが、もう一度、マスタリングをしなくてはなりません。しかし、もう、楽曲たちにおいては、もうマスタリングは完成していたアルバムでしたので、曲順を変えるだけで良かったのです。

ところが、その「ISRCコード」を記録しそこなったのです。

慌ててましたねぇ。何とか、その日のうちに、そのコードを記録することに成功いたしました。

 

そして、日曜日の夜に工場の元あったところへ戻し、なんとか、月曜日からのプレスに間に合ったという出来事を思い出しました。

 

その「ISRCコード」は、リリース日が設定されていないと、記録することはできないのだそうです。

 

なので、今日、決定するのか、明日決定するのか、明後日なのか・・・。

 

それが決まってから、福岡に飛びます。

リリースは、おそらく、1月の下旬になると思います。

 

皆さんに、早く聴いてもらい。

いまは、ただ、そそれだけです。

 

ASKA

 

 

上手く行きました。

いろいろ、話題は尽きませんでしたが、

録り直しの3曲が、ほぼ終わりました。

 

負け惜しみでは、ありません。

前のテイクより、良いテイクになったと思います。

 

こう書くと、

 

「前に一緒に作った方に失礼だ。」

 

こういう、言い方もされるでしょうが、これは当たり前のことです。

楽曲に、完成はありません。

タイムアップでを迎え、

 

「これで、良し!」

 

と、思ったところを完成と呼ぶのです。

なので、時間をいただいた分、楽曲はイメージに近づいていきます。

 

聴く人には、まるで別楽曲のように聞こえてしまうような編曲になりました。

編曲は、澤近泰輔です。

 

3曲とも、見事なまでに違う服を纏いました。

季節の違いさえも感じてしまいます。

 

しかし、作った本人には、別曲に聞こえません。

 

「楽曲を、時間かけてビルトアップしたら、こうなった。」

 

以前、迷ったり、悩んだりした箇所。

それが形づいた時、そこが、楽曲のフックになったりもしますが、

今回は、そういう部分を「バッサリ切り落としてくれた」と、表現してもいいくらい、

イサギ良い、そして、澤近らしい緻密で繊細な仕上がりになりました。

 

この3曲。

僕ぁ、好きだなぁ(加山雄三さん風)

 

 

さぁ、後は22日のレコーディング。

生のドラムに差し替えれば、音入れは終了。

そして直ぐ翌日からは、

その3曲のミックスダウンに入ります。

 

ミックスが終了したら、福岡へ飛んで、マスタリングです。

それで、音源製作は終了です。

 

ああ、総入れ歯、

歌詞カードに添えることになる写真撮影も、今月の5日にやっていました。

ジャケットの、デザイン、構成も福岡のデザイナーです。

写真ですか?

 

そりゃもう、3週間で2回のファスティングを行ったわけですから、

痩せてるのなんのって。

 

白抜きのページがありましたら、流し見せず、

よーーーーーく、見てください。

ガン見してください。

 

白いページに、糸みたいな線が入っていたら、それが、

 

私です。

 

いいですか。

見落とさないように。

 

私を・・・。

 

てやんでぇ!

な、気分です。

 

今日は、やけに眠い。

おやすもうかな。

 

ASKA

 

 

 

 

報告。

今、久しぶりにアクセス数を見たら、

間もなく、

 

1千4百万アクセスになろうとしていました。

 

ITを仕事にしている方に、この数字を伝えたら、

4か月でこの数字は、まず有りえないアクセス数だと教えてくれました。

 

とんねるず」では、ありませんが、

みなさんのおかげです。

ブログを書く上での励みになります。

 

みなさん、業界の方々。

 

ただ、ただ、

ありがとう。

 

ASKA

 

東京

東京

 

 

高層ビルから見守る夕陽は

心電図のような山間に金色の糸を放ちながら沈んでゆく

 

雲は空の海を流氷のように流れ

一日のクライマックスの脇役を演じている

 

朝陽には何事にも動じない勇気を感じ

夕陽には一日の仕事をやり遂げた凌牙を感じる

 

昇る太陽で息を吸い

沈む太陽で息を吐く

 

砂利を投げたように忙しかった街は

夕景とともに地上に星をつくる

 

生きるということは

果てしないしんぼう

 

誰もがそうであるように

僕は僕なりにやってゆくのだろう

 

電線が風で小さなビブラートをしている

僕はそろそろオブラートを破ろうとしている

 

仕方のないことは

もう悩む必要はない

過ぎてしまったことなのだから

 

逃げ隠れしない真っ直ぐな心で挑めば

好奇心を失うことはないだろう

 

夢の降る街東京で

僕の野生は何を手にするのか

 

 

 

おはようだ!

僕が書いたことは、僕が感じ、そして思っていることなので、それが答えなどという気持ちは微塵もありません。

 

僕は、無宗教です。

 

あの手の文章を書いたり、発言をしたりすると、必ず「宗教臭い」と、敬遠する人たちが現れます。

 

人は生きる上で、常に導きとなる言葉や、思想が必要です。

それを、「宗教」と一括りにすることは、その人の心の回路がそうなっているからです。

 

僕は、宗教を否定しません。

その人にとって、生きる導きだからです。

宗教というだけで、嫌悪感を抱く人たちがいます。

 

そういう方達に、僕からの質問です。

なぜ、宗教がいけないのでしょうか?

 

それを必要とする人たちがいる。

それによって、生きる指針を見出している。

それを頭ごなしに否定することは、俗世間の「宗教」へ対する偏見です。

 

「キリストに愛されている」と胸で十字を切る人の行為を、僕は、とても美しく見ています。

 

「神様、私に御加護を。」

 

それで、心がやすまり、凛として勝負に挑むアスリート。

それに不快感を持つ人は、どれほどいるのでしょうか?

 

「宗教」

それだけで、否定をすることに同意はできません。

 

もう一度、言いますが、僕は無宗教です。

「無宗教」という、宗教なのかもしれません。

 

こういう考えを持たれたことはありますか?

 

あのイエスキリストにも敵がいる。

 

ひとりの人の考え、思考、生き方。

それは、その人の持つ、

ある意味、その人の「宗教」なのかもしれません。

 

さあ、明日からレコーディング最終段階を迎えます。

約1週間は、スタジオに缶詰です。

 

皆さんが、待ってくれている。

だから、頑張れる。

 

待ってくれている人たちが、それを幸せだと感じてくれている。

だから、頑張れる。

 

信じるものがある。

これが「宗教」の根源ではないでしょうか?

 

いいじゃないですか。

どんな人にも「名前のない宗教」があるのです。

 

ASKA