11月26日。満を持して、巨大な泥舟が出港を果たした。『劇場版 艦これ』のロードショーである。
振り返れば、『シン・ゴジラ』『君の名は。』などなど、今年は邦画が大当たりの連チャン状態。つい先日も『この世界の片隅に』が好調な滑り出しを見せている。そういった情勢の中で、KADOKAWAが誇る決戦兵器の、記念碑的な失笑を誘ったアニメ作品の劇場版上映である。否応にも注目が集まるものである。
初日からステキな感想が乱舞し、僕の観測範囲においても、歴戦の勇者たちがこぞって、この見え透いた鉄底海峡へ出航していった。そして僕も真偽を確かめるべく映画館へ足を運んだ。以下は、そのおぼろげな航海日誌である。
飛び交っていた感想について
まず、上映第1陣~3陣くらいが終わったであろう時間帯に、どのような感想が流れていたか。まとめるとこんな感じである。
ここまで確認された劇場版艦これの表現手法
— わさすら (@wasasula) 2016年11月26日
「実質仮面ライダーゴースト」
「事実上のR-TYPE」
「出来の良いレガリア」
「劇場版新妹魔王の前座」
「カストロ議長追悼」
他にも「まるでファフナーだった」という感想もあった(とりわけHAEに近いという声も)。いずれにせよ、とんでもない話だと思っていた。
ただ、鑑賞後にあらためて考えると、「事実上のR-TYPE」と「まるでファフナーだった」という感想は的を射ていると思った次第だ。劇場版ゴーストは見てないからわからない。そして少なくとも、カストロ議長の追悼には向かないなと思った。
そして真面目な感想ツイートをさらってみると、好意的な感想と、否定的な感想が入り混じったようなものがかなり見受けられた。「どうしてこれをアニメ版でやれなかったのか」という、愛憎入り混じった感情が多かったのが印象的だ。
実際に観てみた感想
さて、実態として、劇場版艦これはどのようなものとなったのか。深夜1時のTOHOシネマズ新宿にて、それを確かめることにした。
①作品全体の印象
とりあえず、劇場版の内容をざっくりまとめると、以下のようになる。
「私、吹雪! 海から変な声が聞こえるけど、今日も仲間たちといっしょに、深海棲艦と戦っているの! そしたらある日、沈んだはずの如月ちゃんが還ってきたの! だけどどこか様子がおかしい。すると赤城さんと加賀さんが、「如月ちゃんは深海棲艦になる」って言い出したの! どうしよう! なんとかしなきゃ! そしたら突然、ソロモン沖「鉄底海峡」の攻略作戦が告げられたの! なんやかんや私も出撃することになったから、みんなと力を合わせて、吹雪、がんばります!」
――吹雪型 1番艦 駆逐艦吹雪
そう、キモとなるのは「還ってきた如月」と、「深海棲艦の正体」である。
上記2点に焦点を絞り進められるシナリオは、言ってしまえばシリアス一色である。突然カレーを作り出したり、金剛姉妹が暴れだすこともない。その点において、おはなしはきれいにまとまっている。TV版の実績を鑑みれば、奇跡的としか言いようのない事態である。
ただし、あくまで「あのTV版と比較したら」というものであり、まとめ方は「なんかよくわからないうちに解決しちゃった」というノリなので、手放しに褒められるところではない。そのオチについては後述するが、ここまでのシナリオに達したことは、できの悪い我が子の成長を見ているようで愛おしくなる。
シナリオとしてはその程度だが、作画と海戦パートに関しては、相当なブラッシュアップが施されている。単なる海上の射的ごっこから、夜戦中心ということも相まってか、かなり緊迫感のある「海上戦」が描かれている。それを開幕からぶつけてくるあたり、作品そのものが立場に自覚的になっている印象を受けた。
TV版の数少ない評価点である「キャラクターが可愛らしく描けている」も健在だ。可愛らしさだけでなく、喜怒哀楽の表情付けも良い。この点に関しては、間違いなく100点満点である。
②「事実上のR-TYPE」要素について
「還ってきた如月」と「深海棲艦化する如月」、という二つのキーワードから察せられる方は多いであろう。本作の見過ごせない点は、「深海棲艦とは艦娘のなれの果てである」という設定が公開されたことである。
劇中で公開されたものを軽くまとめると…
- 轟沈した艦娘の一部は、後悔や未練といった感情、および「帰りたい」という意思が強い場合、深海棲艦へと変異する。
- 深海棲艦は、「元いたところへ帰還する」という意思のもと行動する。
- 撃破された深海棲艦の一部は、艦娘として生まれ変わることがある。(→本作における加賀が該当)
- 作中描写を見るに、艦娘となった深海棲艦は回収されているが、「深海棲艦化する途上」の艦娘が回収されるケースもある。(→本作における如月が該当)*1
PixivやTwitterの白漫画でよく見られそうな設定ではあるが、公式から展開されたことは比較的意義深い。今後の二次創作の主流が定まる契機となるからだ。
それはさておき、この一連の設定と、設定をもとに練り上げられたシナリオラインは、R-TYPEにおける「バイド化した人間」に非常に近しい。
当人の意識状態の設定がやや不明であるが、おおむね地球へ戻ろうとするR戦闘機である。「乗っ取られていない」という点を除けば、おそらく如月の状態が一番近い。
もっとも、鎮守府を全滅させた如月が「海鳥たちだけが優しい」とモノローグを吐いて終わるわけではなく、後述するようにきれいに終わる。「救いのあるR-TYPE」という感想も見られたが、まさにそういうことである。
こうした設定群をモリモリ追加したことが、劇場版のシナリオが比較的スッキリしている最大の要因と考えられる。その影響で「加賀さんは元深海棲艦」という後付け設定が爆誕しているが、カレーを作り出すよりはマシだろうか。
③「まるでファフナー」(あるいは劇場版00)要素について
次に、「まるでファフナーだった」という感想の正体について。これは、僕個人の感想としては「劇場版00じゃん」だった。なにがファフナーないし00かと言えば、解決方法である。
本作の終盤、画面上に突如として「なんだかよくわからないもの」が登場する。それは、端的に表現すれば、以下の画像である。
(実際は『滅び』にも似た黒い光だが)これが、作中における「アイアンボトム・サウンドの中枢部」である。史実厨も真っ青な光景である。
この「中枢部」に、吹雪が飛び込む。そして謎の精神世界に突入し、謎の存在と対話する。これが、劇場版艦これの「解決方法」である。
補足すると、吹雪もかつて轟沈した過去があるが、経緯がやや異なるようであり、無理くり言語化すれば「アイアンボトム・サウンドの怨恨からこぼれおちた希望の意思そのもの」という立ち位置にいることが、本作で明かされる。よくわかりませんね。大半の感想でも言われています。
春のライダー大戦のごとき一斉攻撃オチを見せたTV版に対し、劇場版は「未知との対話」によるファンタジックな(そして、ある種SF的な)幕引きを見せてくれる。それは、まさにELSに対する刹那・F・セイエイであり、来主操に対する真壁一騎である。
このようなオチの構造は、それこそ「ゼロ年代」と呼ばれた時期に、わりかしよく見られたものである。「(特に理由はないけど)主人公は特別な存在であり、この闇を打ち払うことができるんだよッ!!」という、トラディッショナルなモチーフは、老人にも理解しやすい、優しいシナリオ設計といえよう。
④全体的な幸福の科学要素について
さて、上で『仏陀再誕』の画像を貼り付けたが、これは単なる当てつけではない。上記の「解決」のパートが、もろもろ幸福の科学映画なのである。
どういうことかざっくりまとめると、
- 「アイアンボトム・サウンドの意思(便宜上の名称)」と対話する中で、吹雪は「意思」に深海棲艦化されかける。
- だが、吹雪の不屈の意志、そして「私は、希望だったんだ」という唐突な気づきによって、深海棲艦化を阻止。
- 精神世界に彼岸花が咲き始め、吹雪は「意思」を抱擁することで、「意思」の怨恨を浄化させる。
- と同時に、謎の浄化の光が広がり、海域にいた全ての深海棲艦が浄化され、消滅する。
- この時、吹雪たちの窮地に駆けつけた如月(深海棲艦化がかなり進行)も浄化され、睦月の腕の中で消滅する。
この、主人公が唐突に気づきを得て、謎の浄化の光で全てを救うという流れが、ものすごく『仏陀再誕』的である。まぁ、10年くらい前にはじゃんじゃん見たオチではあるのだが、「気づき」から「浄化」に至るシークエンスがとりわけ空野太陽先生の覚醒パートにそっくりである。
つまるところ、「吹雪さんが、真の仏陀だったのですね…!」ということである。
もっとも、なぜ吹雪が真の仏陀、もとい「希望」であるのか、作中内では根拠が極めて薄い。空野太陽先生は間違いなく真の仏陀だったが、吹雪は「提督の夢にウェディング姿で現れた」という、どうしようもない証拠しかない。
総評
本作のテーマ曲は『帰還』という曲名が与えられている。還ってきた如月の胸中、そして戦地へ赴く艦娘たちの心境を、端的に表しているだろう。
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だが、この曲名には、さらに深い意味が込められている。それは「ゼロ年代への帰還」である。
2010年代も折り返しを過ぎた中で、主人公がよくわからない理由で覚醒し、救いの光で全てを解決するという、ロートルと疑われても仕方がないトラディッショナルな話をぶち込む。これこそ、巨大すぎて若干沈みかけているKADOKAWAの、「今こそゼロ年代を復活させるぞ!」という意志の現れに他ならない。
そんな意志の体現者として、艦これというフラグシップコンテンツの看板たる吹雪を「希望の光」としてあてがう。本作は、「ゼロ年代への帰還」を「真実の希望」によって成就せんと願う、祈りそのものといえよう。
その結果として、90分1800円の本作が生まれた事実は割とどうしようもないが、意気込みそのものは無下に否定されるべきではないだろう。少なくとも、TV版の一定の清算となり、高水準な映像レベルを担保した本作は、TV版という苛烈な戦を生き抜いた方々には観る価値があるはずだ。
すばらしい一作は簡単に出会える。だが、出来の悪い子の成長を見届ける経験は、容易に出会えるものではない。僕たちは、その稀有さに感謝を捧げるべきだ。
余談
- そう、本当に海戦シーンはかなりよくなっていた。ムダなおしゃべりが減ったのが最大の要因ではないかと疑ってはいる。
- ついに銀幕デビューを果たした天龍ちゃん。戦闘シーンはわずかだが、刀で弾斬りをやってのけるスタイリッシュさを見せつけて、存在感はピカイチ。ついでに怪談話に怖がるシーンで「よくある天龍ちゃん像」も作る。そうそう、キャラクターの描写ってこういうのでいいんだよって。
- 終盤の深海棲艦化した如月は非常にカッコよかった。これ、そのうち「深海棲艦化した艦娘」がプレイアブル化する予兆だろうか。
- 「鉄底海峡イベントって、こんな(艤装が壊れる)設定ありましたっけ?」「いや?」
- 同伴者が「日高里菜の百合としては至上最高」と言っていた。まさにそうではあるが、そんな作品、後にも先にも生まれそうもないが。
- ラストシーンの如月と睦月の再会でごまかしてるけど、本作って如月提督からしたら「殺された嫁を墓から掘り返されて操り人形として動かされて再び殺される」みたいな感じだろうし、どういう気持ちになれることやら。
- 僕個人の最終的な感想としては、「吹雪はビビッドパンチの体現者である」で収まる。どうしようもねえ。
- 少なくとも脳を止めれば間違いなく名作。そんな感じ。
*1:もっとも、艦娘に戻ったものの、結局深海棲艦になってしまった、というケースも考えられるが、本編内の描写だけではやや情報不足。