精神科医・松本俊彦のこころ研究所
コラム
ピアスとタトゥー、そして自傷の傷痕
ピアスやタトゥーも自傷?
私はこれまで研究してきたテーマの一つに、リストカットなどの自傷があります。自傷とは、自殺以外の意図から自分の身体を傷つける行為を指し、しばしば依存症のように頻度や程度がエスカレートします。なお、よく知られているのはリストカットですが、他にも、「壁に頭をぶつける」「皮膚に爪を立てる」といった行為も自傷に含まれます。
自傷する人はいつも批判に 曝 されています―― 曰 く、「甘えている」「弱い」「人の気を 惹 こうとしている」などなど。しかし、すべて誤解です。自傷は、怒りや不安、絶望感といったつらい感情を、誰の助けも借りずにやわらげる方法であり、多くの場合、一人きりの状況で秘密裏に行われます。
自傷する人は、「人は必ず裏切る、でもリストカットは絶対に私を裏切らない」と信じ込んでいます。「人に頼らない」という点ではむしろ「強い」といえるかもしれませんが、一つ問題があります。その強さには「しなやかさ」が欠けているということです――。
――といった話を私はよく講演で話していますが、時々こんな質問を受けます。
「ピアスやタトゥーも自傷の一種ですか?」
なるほど、確かにそれらもまた、「自殺以外の目的から自分の身体を傷つける行為」という自傷の定義を満たしていますね。実際、ボディーピアスやタトゥーの愛好家を見ていると、ピアスやタトゥーの入った身体エリアがどんどん広がっていくなど、まるで依存症のようにエスカレートする場合もあるようです。
実際のところはどうなのでしょうか?
自傷の基準は時代によって変化する
何をもって自傷と定義するのかは、その時代の風俗や文化、あるいは地域性によって様々に変化します。
女性のイヤリングを考えてみてください。一般の女性がごくあたりまえに耳たぶにピアスの穴を開けるようになったのは、1990年以降です。少なくとも1980年代のわが国では、イヤリングはピアス式ではなくネジ式が主流でした。
もちろん、1980年代にも、少数ながら耳にピアスの穴を開けている若い女性はいました。しかし、それには、周囲からの非難にぶれない、ある種の度胸が必要でした。実際、当時ピアスをしていた女性には、多少とも「社会や周囲に対する怒り、抗議、決意」というオーラが漂っていたという記憶があります。それは、仲間との結束を確認するために「根性焼き」をしたり、好きな人のイニシャルを腕に彫り込んだりする不良少年の文化とも一脈通じる、「強い思い」に裏付けられた行為でした。その意味では、当時の耳ピアスには自傷的な意味合いがあったといえるでしょう。
しかし、いまは違います。いまや私たちは、鼻や唇、眉、さらには 臍 にピアスをした若者にも驚かなくなりました。その一方で、ネジ式のイヤリングにこだわる女性は、古風ではあるものの、「ダサい」と見なされかねない状況となりました。実際、アクセサリーショップで購入しようとしても、ネジ式イヤリングの品数の薄さに 愕然 とするはずです。
同じことはタトゥーにもいえます。2000年以前、タトゥーといえばもっぱら、色鮮やかな「手彫り」の、一般社会と決別し、反社会的集団のなかで生きていくことを決意した人だけのものでした。けれども、いまやファッション感覚で「機械彫り」のタトゥーを腕や脚に入れている若者は、さほどめずらしい存在ではありません。
今日、一般的なピアスやタトゥーからは自傷的なニュアンスが消えたといえるでしょう。
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