イタイイタイ病とは?続く100年の苦難!初期から末期までの12の症状!
イタイイタイ病は、カドミウムという物質が原因と考えられている日本の4大公害病の1つとされる公害病です。この病気は、今だ被害に苦しむ人もいるとされ、さらに、近年でもあらたに認定される人もいるなど現在進行形の病気であることも調べてみるとわかりました。そんなイタイイタイ病について症状などとともに社会問題としての側面もご紹介させていただきます。
イタイイタイ病の経緯
イタイイタイ病は、聞きなれた病名で公害病であることは認識しているものの、実際にどのような病気で、どのような経緯で今日に至っているのかを知る人は少ないかもしれません。この記事では、イタイイタイ病について、原因や症状、治療法とともに、加害企業との被害住民との裁判の経緯など、過去の経緯、現在についても紹介させていただきます。
鉱山から排出されたカドミウムが原因!イタイイタイ病について
イタイイタイ病について、原因物質や汚染源などの特徴と、水俣病や四日市せんぞくについても見て行きまよう。
イタイイタイ病とは
イタイイタイ病は、臨床的(りんしょうてき)にはファンコニー症候群と呼ばれる腎尿細管障害(じんにょうさいかんしょうがい)と骨軟化症(こつなんかしょう)、貧血などを合併した疾患(しっかん)です。主として更年期を過ぎた、妊娠回数の多い、居住歴がほぼ30年程度の農村部の婦人に好発すると言います。
腎尿細管障害では、尿中にβ2ーミクログロブリンなどの低分子蛋白尿(ていぶんしたんぱくにょう)、糖尿(とうにょう)、蛋白尿(たんぱくにょう)、アミノ酸尿が出るのが特徴とされます。
尿細管リン再吸収率(%TRP)や血清(けっせい)P(リン)の低下や血清ALPの上昇、代謝性(たいしゃせい)アシドーシスなども認められ、高度な障害例では血清クレアチニンの上昇などで表わされる糸球体機能(きゅうしたいきのう)の障害も認められます。
また病理学的には萎縮腎(いしゅくじん)が特徴的であり、通常120g前後ある腎重量が60g前後(非特異的炎症や動脈硬化(どうみゃくこうか)を合併した例では30g台)までになってしまうと言います。光学顕微鏡下で腎臓を観察すると尿細管症が認められるとされます。
骨軟化症は、骨改変層(こつかいへんそう)があらわれるのが特徴で、肋骨(ろっこつ)や大腿骨(だいたいこつ)に多くあらわれ、多発する傾向があると言います。また、骨粗鬆症(こつそしょうしょう)をも伴っており、骨梁(こつりょう)の菲薄化(ひはくか)や圧迫骨折なども認められるようです。
病理学的には骨軟化症に特徴的な類骨(るいこつ)の増加が起こると指摘されています。
発生した場所
イタイイタイ病は富山県神通川(じんずうがわ)流域に発生し、昭和30年(1955年)代に住民とその地域の開業医萩野昇氏の努力によりその存在が世の中に広く知られる様になり、1968年裁判により日本最初の公害病として認定された疾患(しっかん)とされます。
その根拠は同年5月8日に出された7項から成るいわゆる厚生省見解(こうせいしょうけんかい)に簡潔に示されており、厚生省(現在の厚生労働省)は、イタイイタイ病がカドミウムの慢性中毒によって引き起こされ、 そのカドミウムは神岡鉱山(かみおかこうざん)から排出されたもの以外には見当たらないという見解が示されたと言います。
政府が公害による健康被害の発生について、はじめて公(おおやけ)に発表したものであり、画期的なものとなったとされます。これはカドミウム以外のものはイタイイタイ病の地域限局性(ちいききょくげんせい)を説明できないという疫学的(えきがくてき)な見解であったと説明されています。
他の河川流域である非汚染地区や境界地区では患者は認められないのに対して、汚染地区、特に神通川に沿った強汚染地区では高い有病率(ゆうびょうりつ)が示されていると言います。
原因と治療法
イタイイタイ病の原因物質はカドミウムであり、それによる骨軟化症でおこるとされる骨障害に対しては、近年の薬物治療の発達により、ビタミンD2剤の大量投与や活性型ビタミンD3による治療が概ね奏功するため、増悪(ぞうあく)を繰り返す症例はあるものの長期的には軽快する傾向にあると言われます。
しかし、腎障害については進行性であり、腎不全に至り透析(とうせき)が必要になる症例もあり、それに伴って進む高度な貧血を合併することになるようです。生命予後は同じ地域住民と比較して不良とされていて、腎障害が高度な症例ほど悪いことが明らかになっていると言います。
他の公害病
イタイイタイ病以外の公害病としては水俣病(みなまたびょう)や四日市(よっかいち)ぜんそくが知られています。
水俣病は、化学工場から海や河川に排出されたメチル水銀化合物(すいぎんかこうぶつ)を、魚介類が直接エラや腸管(ちょうかん)から吸収して、あるいは食物連鎖(しょくもつれんさ)を通じて体内に高濃度に蓄積し、これを日常的に多量に食べた住民の中に発生した中毒性の中枢神経疾患(ちゅうすうしんけいしかん)であると言います。
しかし、当初は原因不明の特異な神経疾患(しんけいしっかん)されてしまい、熊本県水俣湾周辺を中心とする不知火海(しらぬいかい:八代海(やつしろかい)とも言うようです)沿岸で発生し、その後新潟県阿賀野川(あがのがわ)流域においても、発生が確認されたと言います。
熊本県水俣湾周辺の水俣病(熊本水俣病)については、1956年5月初めて患者が報告され、その年の末には1953年12月から発生していた54人の患者とそのうち17人が死亡していることが確認されました。この疾患は、1957年以降「水俣病」と呼ばれるようになったと言います。
新潟県阿賀野川流域の水俣病(新潟水俣病)については、1965年5月に患者の発生が報告され、1965年7月には26人の患者とそのうち5名の死亡が確認されました。熊本水俣病患者の認定は、法律に基づき熊本県知事及び鹿児島県知事により行われ、両県知事により認定された水俣病患者は、1999年11月末までに2,263人に上っています。
一方、新潟水俣病患者の認定は、新潟県知事及び新潟市長により行われ、知事または市長により認定された水俣病患者は1999年11月末までで690人に上っているとされています。
四日市ぜんそくは、三重県四日市市(みえけんよっかいちし)の石油化学コンビナートから排出された大気中の有害物質によって起こった近隣住民の喘息(ぜんそく)で、1964年頃から東海労働弁護団への相談をきっかけに、提訴する動きが始まりったとされています。
1967年9月磯津(いそつ)地区の公害病認定患者9人が、第1コンビナート(1959年塩浜地区で本格的に稼働した)6社を相手に津地方裁判所四日市支部に、これらの企業の排出した亜硫酸(ありゅうさん)ガスが喘息の発病要因となったとして、慰謝料と損害賠償の支払いを求めて提訴をしたと言います。
裁判であらそわれた最も大きなポイントは、二酸化硫黄と喘息の医学上の関係(因果関係)と被告の6社が行った共同不法行為についてで、特に硫黄酸化物による大気汚染と四日市ぜんそくの疫学的(えきがくてき)見地からの立証が必要でした。
この裁判では、初期から疫学的調査を続けてきた三重県立医大の吉田教授の疫学四原則に基づく証拠が裁判所によってみとめられたとされています。疫学四原則とは、(1)発病前に原因とみられる特定因子が作用、(2)量と効果の関係が見られる、(3)流行の特性がある、(4)メカニズムが生物学的に説明できる、以上の4点です。
5年にわたる裁判の結果、原告が勝訴しました。
初期では多尿、頻尿、便秘など!イタイイタイ病の初期症状
イタイイタイ病の初期では、軽症のカドミウム腎症症状がみられ、特徴的には尿細管障害高度(にょうさいかんしょうがいこうど)、骨量減少(こつりょうげんしょう)、生命予後短縮、などがおこるとされています。
多尿
体内に取り込まれたカドミウムは腎皮質(じんひしつ)に蓄積されます。その濃度が200~300ppmを越えると明らかな尿細管障害(にょうさいかんしょうがい)・再吸収障害があらわれると言います。
低分子量タンパク、グルコース、アミノ酸、尿酸、重炭酸塩、リン酸、カルシウム、ナトリウム、カリウム、クロールなどの再吸収機能が障害され、その結果、低リン酸血症や近位尿細管性アシドーシスなどがもたらされると言います。
この状態をカドミウム腎症(じんしょう)と呼ばれていて、すでにこの時期において血清アルカリフォスファターゼ活性やオステオカルシン濃度の上昇など骨代謝異常にかかわる所見があり骨量の低下も見られるとされています。多尿(たにょう)は、尿細管障害が原因で起こることがあるとされています。
頻尿
尿細管障害にによって、多尿に加えて、頻尿(ひんにょう)があらわれることもあるとされます。健康な成人の尿量は、個人差はあるものの、ほぼ1000~2000mlとされます。多尿と頻尿の区別は、1日の尿量をためる(蓄尿)ことで尿量を測って診断されると言います。
多飲
さらに尿細管障害によって、多飲(たいん)、口渇(こうかつ:のどがかわくこと)があらわれるとされています。多飲とは、飲水量が多くて多尿を来す状態で、通常、1日尿量3000ml以上を一般的に多尿と呼ぶともされます。
便秘
尿細管機能障害の症状として、便秘があらわれることもあると言われます。
骨密度や筋力の低下も!イタイイタイ病の中期症状
イタイイタイ病の中等度を典型期と呼ぶとされて、その特徴として、尿細管障害高度、骨改変層(こつかいへんそう)・骨折、貧血、低血圧などが起こるとされます。
筋力低下
尿細管障害の程度が長い年月をかけて進行するに伴って、やがて骨のX線所見での骨改変層(こつかいへんそう)などがあらわれるとされます。骨軟化症(こつなんかしょう)の症状が顕在化する段階は、イタイイタイ病の最終段階であり重症型と呼ぶことができるとされています。
骨軟化症では、筋力低下、歩行時の下肢骨(かしこつ)の痛み、呼吸時の肋骨(ろっこつ)の痛みなどがあらわれると言います。
運動痛
さらび骨軟化症では、上肢(じょうし)、背部(はいぶ)、腰部(ようぶ)などに運動痛があらわれると言います。
骨密度減少
骨軟化症では、骨密度が減少します。なお骨軟化症と診断される基準は、
大項目
1-1.低リン血症、または低カルシウム血症、1-2.高骨型アルカリホスファターゼ血症
小項目
2-1.臨床症状 筋力低下、または骨痛(筋力低下の程度:しゃがんだ位置から立ち上がれない、階段昇降不可など)
2-2.骨密度 若年成人平均値(YAM)の 80%未満
2-3.画像所見 骨シンチグラフィーでの肋軟骨などへの多発取り込み、または単純X線像でのLooser’s zone
大項目2つと小項目3つを満たすものを骨軟化症と「確定」し、大項目2つと小項目2つを満たすものは骨軟化症を「疑う」とされています。
立ち上がれない
上述のとおり、骨軟化症の進行に伴って、筋力低下が典型的にあらわれて、しゃがんだ状態から立ち上がれないといった症状があらわれることがあると言います。
重篤な腎不全、骨折で寝たきりに!イタイイタイ病の末期症状
イタイイタイ病の末期については重症とされて、高度腎障害(こうどじんしょうがい:糸球体機能低下:しきゅうたいきのうていか)、骨改変層多発、骨折多発、高度貧血、低血圧などが起こるとされます。
腎不全・貧血
イタイイタイ病の末期に至ると、腎不全があらわれて、高度な貧血、血清リンの上昇などが見られるようになると言われます。
皮膚の色が変色
腎機能が障害されることで皮膚の変色が見られることがあるとされます。慢性の腎不全では、皮膚症状として、暗褐色(あんかっしょく)の皮膚、皮膚掻痒症(ひふしょうようしょう:発疹(ほっしん)など目立った症状が見られないのに、かゆみだけがある症状)がみられると言います。
テタニー
テタニーとは、血液中のカルシウム濃度が低下して末梢神経の興奮性が高まった結果、筋肉の持続的な硬直が起こる病態のこととされています。この場合、口の周りや手足の先端のしびれ感を伴うことがよくあるとされます。
カドミウムは,近位尿細管細胞(きんいにょうさいかんさいぼう)を損傷しビタミンD変換を阻害することによって低カルシウム血症をもたらります。低カルシウム血症によりテタニー、痙攣(けいれん)、脳症(のうしょう)、心不全などを起こすこともあるようです。
【2)脳と神経】 4)突っ張る痛み、突然体中に
http://www.tottori.med.or.jp/alacarte/4)突っ張る痛み、突然体中に
各所の骨折
さらに、この時期では骨軟化症が進行して、最終的には骨の強度が極度に弱くなりわずかな刺激で骨折し、寝たきり状態になることが多いと指摘されています。
土壌汚染には除染作業が実施された!農地に起こった被害
イタイイタイ病では、カドミウムによる土壌汚染を引きおこし、863ヘクタールに及ぶ神通川(じんずうがわ)流域の農地が汚染されたといいます。2012年には、すべての農地の土の入れ替え作業が完了してコメの作付が可能となったとされています。
汚染地域
1979年度の開始から33年に及び、総事業費407億円を費やし国内最大規模の農地復元事業とされています。対象となった神通川流域の計863ヘクタールの全地域でコメの作付けが可能になり、農地としてよみがえったと言います。
この事業の対象面積は東京ドームのほぼ185個分に相当するとされ。費用407億円を原因企業の三井金属や国、県などが分担し、農業の継続を希望した地権者の土地を対象に、汚染土をはぎ取って埋め戻し、別の土をかぶせる作業が行われました。
土壌汚染
イタイイタイ病のもととなったカドミウムに汚染され復元の対象となった農地は、収穫された玄米に含まれるカドミウムの濃度などで3つに区分されたと言います。1.0PPM(PPMは100万分の1)以上は復元までコメの作付けは行わない1号地に指定されました。
農作物の扱い
1.0PPM以上となる恐れが著しい2号地、0.4PPM以上1.0PPM未満の3号地と分離されて農地については、収穫されたコメ(汚染米)を国が買い上げて工業用として加工処理するなどして対応したとされます。
復元後の玄米のカドミウム濃度は食品衛生法で規定される安全基準0.4PPMに対し、1号地、2号地で平均0.08PPM、3号地で同0.09PPMまで低下したと言われています。
苦闘の100年史!イタイイタイ病の歴史
イタイイタイ病は発病から現在に至るまで、100年が経過していると言います。その歴史について見て行きましょう。
1920年~1951年
神通川(じんずうがわ)を汚染したカドミウムを含む重金属類は、過去において長年月にわたり同水系の用水を介して、イタイイタイ病発生地域の水田土壌を汚染し、かつおそらく地下水を介して井戸水を汚染していたものとされています。
その間、住民に食物や水を介して摂取され、吸収されて、腎臓(じんぞう)や骨等の体内にその一部が蓄積され、主として更年期を過ぎた妊娠回数の多い居住歴ほぼ30年程度以上の婦人に対して、徐々に発病に至らしめたと考えられると言われていて、十数年にわたる慢性の経過をたどってイタイイタイ病を形成したものと判断されるようです。
1955年に萩野昇、河野稔両氏によって第17回日本臨床外科医会に原因不明の奇病の事実が報告されたことにより事実が表面化されたと言います。それより30数年さかのぼって汚染が徐々に広がったと推定されています。
1955年~1966年
1959年年10月には河川水、井戸水に、カドミウム、銅、亜鉛等が顕著に含まれていることが岡山大小林教授により発見されました。1960年年8月に神通川水系河川水、神岡鉱業所の廃滓(はいさい)、稲、魚、患者の臓器や骨等にカドミウム、鉛、亜鉛が著しく含まれていることが発見され、カドミウム原因説が注目されはじめ、ようやく国としての原因究明が進みだしました。
そして1961年年12月に富山県地方特殊病対策委員会の設置され、1963年6月には厚生省医療研究助成金によるイタイイタイ病研究委員会が発足し、文部省科学研究費によるイタイイタイ病研究班が発足しました。さらに1966年2月には、厚生省公害調査研究費による医療研究イタイイタイ病研究委員会が発足されて、公害病認定に近づいたとされます。
1966年~1972年
1968年1月には、富山県イタイイタイ病および疑似患者等に関する特別措置要綱による対策の実施がなされ、同年3月 富山県イタイイタイ病患者審査委員会は、集団検診結果に基づいて患者73名、要観察者150名を初めて認定しました。さらに同年5月には厚生省が富山県におけるイタイイタイ病に関する見解を発表します。
1969年12月には健康被害救済法施行(実施は1970年2月1日)、96名が認定されました。1971年年6月にイタイイタイ病裁判第1次提起分判決(原告一部勝訴)、原告被告双方が控訴し、1972年4月にはイタイイタイ病控訴審結審し、同年8月イタイイタイ病控訴審判決(原告一部勝訴)が出て、同年8月24日その判決が確定します。
訴訟については、後述します。
1973年~現在
神通川流域におけるイタイイタイ病要観察者(経過を観察して必要に応じてイタイイタイ病患者に認定する)が確認されているが、この要観察者については現在でも国からの助成を受けて富山県において年2回の管理検診を行なって経過を観察して対策していると言います。
富山県神通川流域以外の地域においてはイタイイタイ病患者の発生はみられていないが、宮城県鉛川、二迫川流域など7地域をカドミウム汚染による要観察地域として定め、毎年住民の健康調査を実施し、健康被害発生の未然防止の見地から経過観察を続けているようです。
また、1970年秋に行なったカドミウム汚染の一斉点検の結果、高濃度汚染が疑われた兵庫県生野鉱山周辺地域については兵庫県においてカドミウム汚染に係る健康調査が行なわれ、生野鉱山周辺地域においてはイタイイタイ病およびこれにつながる腎臓障害もないという発表がなされたました。
しかし、さらにその後も国の「イタイイタイ病およびカドミウム中毒症の鑑別に関する研究班」において、県が行なった検診のデータを検討していると指摘されています。
イタイイタイ病資料館開設
2012年4月29日富山県立イタイイタイ病資料館が開館しました。館長あいさつでは、「次代を担う子どもたちにも興味や関心をもって学んでもらえるよう、イタイイタイ病を時間の流れに沿って、ジオラマ、絵本、映像などを組み合わせ、 わかりやすく解説されている」とされています。
さらに「イタイイタイ病についてより理解を深めていただくため、語り部による講話や副読本の作成・配布なども行っています。 さらにホームページにおいて、イタイイタイ病や資料館に関する様々な情報を、多言語により国内外へ積極的に発信してまいります。」とされています。
富山県立イタイイタイ病資料館
住所:〒939-8224
富山県富山市友杉151(とやま健康パーク内)
9:00~17:00(入室は16:30まで) 休業日:月曜日(休日の場合は翌日)、元日
全面解決とされるまで約100年!裁判と認定の問題
イタイイタイ病では、被告企業を相手取り患者の集団訴訟が起こりました。次にその経緯を見て行きましょう。
イタイイタイ病の認定者
イタイイタイ病患者に対しては、1968年から国の補助を得て、富山県において医療救済の措置が講じられていたが、1964年12月に制定された公害にかかわる健康被害の救済に関する特別措置法に基づいて、1970年2月以降医療費、医療手当、介護手当を支給されていると言われます。
1968年年1月に富山県イタイイタイ病および疑似患者等に関する特別措置要綱(ようこう)による対策が実施され、1968年3月に富山県イタイイタイ病患者審査委員会は、集団検診結果に基づいて患者73名、要観察者150名を認定したとされます。
1968年5月には、厚生省は富山県におけるイタイイタイ病に関する見解を発表し、1969年12月に健康被害救済法が施行され(実施は1970年2月1日)、96名が認定されたと言います。1973年2月現在123名が認定されたと説明されています。
第1次訴訟
1967年になると、厚生省研究班、地元の医師、金沢大学関係者等の調査研究の結果、イタイイタイ病の原因は、カドミウムの体内蓄積に他の要因が加わって発病したものであるとする見解が大勢を占めるに至ったとされます。
また、カドミウムについては、神通川上流の三井金属鉱業神岡鉱業所の事業活動に伴って排出されたもの以外にみあたらないなどを内容とする「富山県におけるイタイイタイ病に関する厚生省見解」が発表されることになりました。
イタイイタイ病公害訴訟は、このいわゆる厚生省見解が発表される2か月前の1968年3月9日に、三井金属鉱業を相手どって提訴されたイタイイタイ病患者と遺族による慰謝料請求訴訟のことです。
イタイイタイ病公害訴訟は、新潟の阿賀野川水銀中毒公害裁判、四日市のぜんそく公害裁判につぐ全国3番目の公害裁判であること、またこの訴訟は鉱業法第109条に基づき企業の無過失責任を追及する点において、日本で初めての裁判であることで世の注目を集めたと言います。
イタイイタイ病公害訴訟は、第1次訴訟に続き、その後第7次訴訟まで及ぶため、全国四大公害訴訟では最大規模(原告総数522人、請求総額14億9,288万円)のものとなりました。
第1次訴訟は、(1)原告数は患者9件9人、遺族5件19人の計14件28人、(2)請求順は1件につき患者400万円、遺族500万円の計6,100万円、(3)争点は、カドミウムが神岡鉱業所から流れ出たか、カドミウムが原因物質か、という2点におかれている、などとされています。
第1審判決では、イタイイタイ病第1次訴訟は、3年余りの審理を経た後、1971年6月30日に全国四大公害訴訟の最初のものとしてその判決が下されました。
判決の内容は、損害を発生させたカドミウムの排出行為と、その疾患であるイタイイタイ病発生との間の因果関係を認め、かつ、鉱業法第109条による無過失責任を適用して原告の主張をほぼ全面的に肯定するもの(判決認容額5,700万円)であったと言います。
第2~第7訴訟
イタイイタイ病第1次訴訟第1審判決に対し三井金属鉱業側は、「因果関係についての科学的、病理学的な解明が不十分」として即日控訴し、これに対し原告側は、第1審判決で損害賠償額を減額された病死者4人については、減額を不服として逆控訴し、さらに第1審の請求額を患者については960万円、遺族については1200万円とそれぞれ拡張しました。
イタイイタイ病第1次訴訟控訴審の最終口頭弁論は、1972年4月24日名古屋高等裁判所金沢支部で開かれ、この日に結審が宣言され、控訴以来10ヶ月でのスピード結審となり、富山県の働きかけもあり、同年8月9日の判決を前にして被告は上告を断念したと富山県は説明しています。
さらに原告は富山地方裁判所に係属中の第2次以降の訴訟事件または訴訟を提起していない患者に対しても控訴審判決を尊重し、誠意をもって善処する旨を表明したとされています。
全面解決
イタイイタイ病第1次訴訟控訴審判決は、1972年8月9日名古屋高等裁判所金沢支部で言い渡さ、「イタイイタイ病の原因は、カドミウムである」との富山地方裁判所第1審判決を支持して三井金属鉱業の控訴を棄却しました。
また原告側か請求していた死者1,200万円、患者960万円の損害請求額に対し、相続関係による遺族1人を除いて請求どおり認め、1億4,819万余円の支払いを命じたと言います。
とくに第1審で減額された10数年前の死者4人については、この第1審判決を否定、さらに死亡時からの利子を加算して認容しました。すでに三井金属鉱業は、上告しない旨表明しているため、第1審提訴以来4年5か月の裁判は事実上、この段階で終了したと言います。
この後、40年以上経過し、被害者らでつくる「神通川流域カドミウム被害団体連絡協議会」(被団協)と原因企業の三井金属(東京)は2013年12月17日、全面解決を確認する合意書に調印したと報じられました。
イタイイタイ病の前段階の症状で、国の基準では公害病患者と認められないカドミウムによる腎臓障害を抱えている人に、三井金属が1人60万円の一時金を支払うとされ、これとは別に被団協に解決金を支払い、謝罪。双方が問題決着と位置付けると言います。
国が1968年に全国で初めて公害病と認定してから45年、国が推定する最初の患者発生から約100年を経てようやくの合意と報じされています。
一時金の支払いは、公害健康被害補償法で定められた対象地域に75年以前に20年間以上住んでいた人のうち、腎臓障害の指標となるたんぱく質の「β2ミクログロブリン」の尿中濃度が1リットル当たり3千マイクログラム以上の人が対象で、居住歴の該当者は8000~9000人いて、一時金支払いの対象となるのはそのうち500~600人程度と見込まれています。
イタイイタイ病は認定患者が196人で、このうち生存者は3人(2013年当時)。被団協は2009年、三井金属に全面解決を申し入れ、両者で協議を継続。今月に合意内容を大筋で確認したと伝えられています。
現在も進行している!イタイイタイ病の疑問
イタイイタイ病は、当事者ではまだ終わっておらず、実際近年になっても認定患者が増えるなどしています。関係者の人たちは、年月の経過によって関心が薄れて風化していくことを恐れています。
どんな人がかかりやすかった?
イタイイタイ病は、更年期以降の出産経験のある女性に多く発症したとされています。これに該当する人に加えて、妊娠、授乳、内分泌の変調、老化および栄養としてのカルシウム等の不足なども発症のきっかけとしてあると言われます。
何故解決まで時間がかかった?
解決までに時間がかかった背景には、(1)公害と病気との因果関係を科学的に証明することは非常に難しい、(2)従って加害企業が責任を認めるまでに時間がかかる、(3)汚染が公になることで、当該の地域でとれた作物が売れなくなるなど風評被害を恐れて地域住民からも患者が差別を受ける、などの複雑な要因が重なって、公害問題の解決には時間がかかると言われます。
現在も残る課題
さらに近年になっても、イタイイタイ病の認定を申請する人がいることも事実です。患者認定の可否を検討する富山県公害健康被害認定審査会は2015年、富山市の女性(86)と、2014年9月に89歳で死亡した同市の女性を「認定相当」とする審査結果をまとめたと報じられており、結果を受けて、県が正式に認定するとされています。
これにより認定患者は200人となって、うち生存者は6人であるとされます。申請後に死亡した女性は、死後の病理解剖の結果を踏まえて認定したと言います。
このような状況下で先の「全面解決」合意によるイタイイタイ病の風化を危惧して、イタイイタイ病の「歴史」と「教訓」を次世代に伝えるために市民団体「イタイイタイ病を語り継ぐ会」が2014年に設立されたと伝えされています。
国はカドミウム腎症は「生活に支障が出るわけではない」として、公害病として認定しない方針を堅持していて、認定のハードドルが極めて高い現状では、イタイイタイ病は決して終わったわけではなく、解決済みの過去の問題として扱うことなく、現在進行形の公害問題であるとの認識を、次の世代に「歴史」と「教訓」の教育として語り継いでいきたいと主張されています。
公害病は科学的な因果関係の立証が難しい!風評被害も大きな問題
最後までお読みいただきありがとうございました。イタイイタイ病について見てきました。約100年を経過しても問題を解決したと言えない状況に驚くとともに、私たちの社会が、大きな社会的な問題を解決できずに先送りしている現状を見るにつけて、風化を恐れる関係者の人たちの声に耳を傾ける必要があると強く感じさせられました。
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