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【社会】

教え子のため漱石奔走 書簡8通発見、横浜で展示へ

見つかった夏目漱石の書簡

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 夏目漱石(一八六七〜一九一六年)が、旧制一高の講師だったときの教え子で歌人の佐瀬蘭舟(らんしゅう)(本名・武雄、一八八一〜一九四六年)宛てに書いた書簡八通が見つかった。うち四通は、佐瀬の小説を雑誌「ホトトギス」に掲載してもらおうと主宰者の俳人高浜虚子に掛け合い、佐瀬を激励したことが分かる内容。十二月三日から横浜市の神奈川近代文学館で公開される。

 新たに見つかった書簡は八通だったが、うち三通は印刷年賀はがき、一通は封筒のみ。佐瀬宛ての文面のある書簡は四通で、漱石が朝日新聞社に在籍していた一九〇七年から一〇年に書かれた。

 今年七月に佐瀬の遺族が、既に知られている書簡も含め計十二通を同館に寄贈した。

 〇八年六月二十六日の書簡では、漱石が虚子に渡した佐瀬の小説の原稿について、虚子が「前回のよりも余程劣る、折角(せっかく)前のがよかつたのだから是(これ)を出すのは本人の為(た)めにもよくあるまい」として返却されたことを伝えた上で、「御工夫あり度(た)く存候(ぞんじそうろう)」と奮起を促している。

 既に全集に収録されている〇七年十月二十五日の書簡には、佐瀬の小説「葦切(よしきり)」について「頗(すこぶ)る雅(が)な寂(さび)た面白味がある」と褒めた上で、掲載場所を探すつもりであることが記されている。「葦切」はホトトギス〇七年十二月号に掲載された。

 この他、全集などに掲載された書簡と併せて読むと、小説の執筆に忙しい日々を送っていた漱石が、教え子のために親身になっていたことがうかがえる。

 佐瀬は家族の反対で文学の道を断念、京都帝大を卒業後、南満州鉄道などの技術者として働いた。

 

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