フィデルが死んだ。

 1959年のキューバ革命で政権を握ってから半世紀近く、フィデル・カストロ氏は、敵対する米国の隣で革命家と独裁者の二つの顔を持ち続けた。

 強烈な個性で国際的にも長く存在感を放った人間像には、社会主義革命が遠い過去のものとなった今なお、世界の不平等を問い続ける力があった。

 豊かな農場主の家で育ったカストロ氏は、もともと共産主義者ではなかった。革命後にカストロ政権を敵視した米国に対抗してソ連と連携。社会主義体制へとかじを切った。

 さらに米ケネディ政権下の出来事が反米主義を固めた。61年に米中央情報局(CIA)が仕掛けた亡命キューバ人による侵攻事件と、62年にソ連の核ミサイルを米国が海上封鎖で撤去させたキューバ危機だ。

 カストロ氏はアフリカのアンゴラなど世界の紛争に介入し、「革命の輸出」をはかった。国内では平等な社会づくりをめざして医療や教育に力を入れた半面、反体制派や言論の自由を徹底して抑え込んだ。

 冷戦の終結でソ連圏からの支援が絶たれると、国民の生活水準は一気に悪化し、経済は疲弊した。カストロ氏は08年に国家元首の地位を退いた後は、表舞台から遠ざかっていた。

 この間、キューバをめぐる状況は大きく変わった。弟のラウル氏の指導の下で経済の改革が進む。そして昨年7月、ついに米国との国交が回復した。

 両国の和解に尽力したオバマ米大統領が任期を終えようとするのをまるで見届けるかのように、カストロ氏は世を去った。

 いったん開かれた歴史の扉を再び閉じ、時代を逆回転させてはならない。

 カストロ氏を敵視する亡命キューバ人の支持を受ける米国の共和党は、これまで禁輸の緩和などに強く反対してきた。

 だが、隣国のキューバと安定した関係を築くことは、米国の安全や経済にも資するはずだ。トランプ次期大統領は、ぜひ肝に銘じてほしい。

 キューバの現政権も、もはや強権や言論封殺では国は統治できないと心得るべきだ。

 カストロ氏の革命家としての原点には、大資本による搾取や腐敗への怒りがあった。それはグローバル化に取り残され、格差に苦しむ現代の世界中の人びとの不満とも重なり合う。

 公正で平等な社会をどう平和的に築いていくか。カストロ氏の死を機に、理想と挫折が交錯した20世紀の歴史を振り返り、改めて世界の未来を考えたい。