少し長い記事になります。
辛口だと思われるところもありますが、所詮個人ブログでのひとつの感想でしかありません。
率直にいま思うことを書いてみました。
不愉快な思いをした人はすいません。個人ブログということでご了承ください。
【コメントへの返事】
コメントありがとうございました。
返事が遅くなってすいません。
▼とんこさんへ
『Sakura』の初回限定盤、たしかにまだ店頭で売られていますね。
残念な思いとともに、どうしてこんなふうになってしまったのかと哀しい気持ちになります。
並んでいる限定盤を見たくなくて足早に通り過ぎるしかなくて。
嵐の声そのものを消してしまうようなナレーションを良しとして導入した企画は、誰が考えたのだろう?と不思議でなりません。
ジャニーズ事務所は長年アイドルを育て世に出してきた事務所です。
ファンに寄り添うような対応が苦手な事務所だとは知っていますが、売上に直結するであろうマイナス要因をあえて取り入れた真意はどこにあるのでしょう。
とんこさんと同じように感じている人も多いかもしれませんね。
▼若月さんへ
ごめんなさい。コメントの意味がよくわかりませんでした。
▼hidemimiさんへ
拍手コメントへの返事です。
本当にお久しぶりです。ブログの更新を止めていた間も嵐の活動は追いかけていました。
年初から櫻井くん、二宮くんとドラマもあって、4月からは相葉くんのドラマも始まります。
冠番組で活躍する櫻井くん、相葉くん、二宮くん。
ラジオ番組でテレビよりも身近な存在を感じさせてくれる大野くん、相葉くん、二宮くん。
初の月9で主演をつとめる相葉くん。
映画やSPドラマが控えている二宮くん。
個々の活動も楽しみのひとつとして過ごしています。
▼名無しさんへ
拍手コメントへの返事です。
嵐がこれまで見せてきた「無邪気にどうでもいいことで笑ってる嵐」は、けっして彼らが意図的に見せてきたものではないと私は思っています。
それでも、ファンというのはけっこうしっかりと見ているものです。
本気で笑っているときと、ちょっとだけ笑っているとき。
無理して笑いでごまかしているのかな?と感じるとき。
自然に笑い合っていた嵐が本当に好きでした。
コンサートですれ違うときに交わす眼差しひとつで、幸せな気持ちになれました。
ファンに見せるためにしているのではない、同じ嵐のメンバーとしてステージに立つ仲間としての笑顔。
素敵だったと思いませんか?
名無しさんがいう「ファンに寄せてた時があった」という櫻井くんの発言。
試行錯誤する中で、嵐も進む方向を模索する過程でそういう時期もあったように思います。
ただ、名無しさんが言うようにもう「作りたくない」や、「もう今はやだ」はちょっと違うニュアンスのような気がしています。
櫻井くんの真意がどこにあるのかはわかりません。
だからこそ、ファンは嵐の発言ひとつに一喜一憂するのですから。
自然体・・・それこそが嵐の魅力だと思っています。
もしかしたら最初は作られたキャラだったかもしれないけれど、今もときどきは無理をしていることもあるだろうけれど、懸命に嵐であろうとしてくれている彼らを嫌いにはなれません。
年齢とともに嵐も変わっていくだろうし、ファンも変わっていきます。
嵐も、そしてファンも、転換期にきているのかもしれませんね。
▼コメント非表示を希望した人へ
『Sakura』は本当に良い曲だと思います。
確かに大野くんの声が前面に出ている箇所が多いけれど、他のメンバーの声もしっかりと聞こえていますよね。
ただし、かなり混ぜてある感は強いですが。
以前松本くんが言っていた「重ねる」とはこういうことだったのかな?と思ったりもしました。
個人的にはすっきりとそれぞれのメンバーの声が響き渡るような構成が好きですが・・・。
CD、DVD。
少なくとも本業であるはずの活動に深く関わってくる商品に関しては、発売する側の一員として嵐には確認をしてほしいとは私も思います。
あのナレーションを面白い!新しい試みだ!これでいこう!
そう感じて製作したのなら、ファンが何をメイキングに期待しているのか。
何を喜び、何のために購入するのか。
初回限定盤の特典の中にメイキングも当然含まれると思うし、だからこそ通常盤よりも高い価格設定がされているわけですから。
製作側が「画期的な試み」だと思ったものは少なくとも個人的には少し残念なものになってしまいました。
【嵐に いま思うこと】
いつからだろう。
嵐を見ていてどこか不思議な感じがするようになったのは。
そして、ブログという至極個人的な発信媒体も思うようには書いてはいけないのだと思うようになったのは。
松本くんに対して「武器」という言葉を使ったとき、その表現にコメントでご意見をいただいた。
嵐の楽曲において大野くんの歌声と櫻井くんのラップは武器だよね・・・。
そんなふうに「武器」とはいい意味で使うものだと思っていた。
だからお叱りの意見をいただいたときは驚いた。
ブログを始めたばかりの頃の話だ。
嵐について、そしてひとりひとりのメンバーについて、思うところは人それぞれだ。
嵐というグループを好きな人もいるだろう。
その中で特に応援しているメンバーがいるのも当然だと思う。
また、好きなメンバーがいるグループだから嵐を応援している人もいるだろう。
嵐なんて関係ない。特定のメンバーだけが好きだ・・・という人もいるとは思う。
嵐というグループが好きだ。
彼らのかもし出す空気感が好きだし、さりげない会話や態度の中にある信頼感や距離感が好きだ。
楽曲も好みの曲がいくつもあって、嵐が歌うことでより一層その曲が好きになっていった。
それは5人だからこそ作り上げられたものだといまも思っている。
初めてのアラフェス。
一生懸命に考えてリクエストしたことが懐かしい。
あれもこれも歌ってほしい。でもリクエストできる曲数は決まっている。
投票した多くの人が迷いながらも、それなりに厳選した曲をリクエストしたことだろう。
個人的にはアラフェスは十分に満足のいくものだった。
何よりもずっと映像として残してもらいたいと思っていた曲が歌われたことが本当に嬉しかった。
「歌ったよ」そう知らせてくれた嵐友の言葉にうれし涙が出たほどだった。
けれど小さな・・・本当に小さな違和感を感じたこともあった。
上位の楽曲はフルで歌ってほしかったし、ランキング内の楽曲はすべて入れてほしかった。
この曲が聴きたい・・・そう思ってリクエストしたのだから。
事前にリクエストのランキング通りのセットリストではない・・・というようなインタビュー記事を読んでいたけれど、それでも期待はあったのだと思う。
FCの人数に比べれば格段に少ないリクエスト数だったかもしれない。
あえて参加しなかった人たちもいただろう。
それでも、リクエストしたファンの思いがたくさん詰まったランキングだったと思うのだけれど。
いつものコンサートとは違う、ファンの聴きたい楽曲で構成されたアラフェスを期待したことが間違いだったのだろうか。
フルオーケストラで歌われた『One Love』。
豪華な雰囲気がとても楽曲にあっていたと思う。
衣装も曲の世界観によくあっていたし、フルオーケストラをバックに歌うにふさわしい荘厳さもあったと思う。
けれど・・・何故ランキングに入らなかった曲が?という思いもあった。
時間的にけっして余裕があったとはいえない『アラフェス』で、オーケストラを入れるという案はいつの段階で決定したのだろう?と。
そして連続して歌われた『truth』。
これまでとは違う嵐を見せてくれたこの曲は、ダンスナンバーでもあり、その振り付けは本当にどのメンバーも見どころのあるものだったと思う。
あの真っ白な衣装のままでは踊りにくかっただろうな・・・というのは見ればわかる。
フォーメーションを含むダンスは、上位にランクインしていた『truth』の魅力のひとつであったと思う。
でも、そのダンスを見せよう!見せたい!という意識はあの衣装からは感じられなかった。
先日、ある番組で歌手の吉川さんがコンサート会場でこんなことを言っていた。
「今回もかぶりなしですね、去年から」
レア曲で構成されたコンサート・・・。
もしも、これまでに一度でもいい。
嵐をずっと応援してきたファンだけに向けたコンサートが行われていたとしたら。
レア曲だけで綴られたレアな時間。
もしも、『アラフェス』でランクインした曲がすべて歌われていたとしたら。
ファンが聞きたいと願った曲を、嵐がフルで歌ってくれたとしたら。
何故ランクインしながら歌われない曲があったのか。
その説明だけでもしてくれていたとしたら。
いまさらに残念に思うことは多い。
デビュー記念日11月3日を前後して嵐の15周年特番が各局で放送された。
なかなか肉声で聞くことのできない嵐の考えや思いを伝えてくれる番組もあった。
バラエティ的な面白さもあり、舞台裏の人間関係を垣間見れる場面もあり、いろいろな意味で興味深い番組になっていた。
嵐を好きになって知ったことがある。
それは、メディアはときに事実とは違うことも伝える・・・ということだ。
インタビューなどはそれでもまだメンバーの話した内容を大きく変えてしまうことはないだろう。
けれど、記者がまとめたものは書いた人の主観がどうしても影響してしまう。
同じものを見たはずなのに感じ方は違ってくる。
それはプロである記者でも仕方のないことだと思っている。
感性は人それぞれ違うのだから・・・。
NHK 【嵐・15年目の涙と決意~LIVE&ドキュメント~】
▼ドキュメンタリーとは?
取材対象に演出を加えることなくありのままに記録された素材映像を編集してまとめた映像作品。
ドキュメンタリーというと「事実と公平」が映像化されていると思いがちだ。
けれど、実際は映像を撮る、編集する。
そこには必ず主観的要素が含まれてしまう。
どの場面をどんなふうに撮るか。
映像として何を伝えたいか、そのためにどのように編集をするか。
けっしてドキュメンタリーだから公平だ、事実だ、というわけではない。
嵐の演出家としての松本くんを中心に、彼がどのように嵐のコンサートを作り上げていくかに迫った前半。
5人が揃ってこれまでの15年を振り返り、普段はなかなか表に出ることのない出来事を伝えた後半。
そして、その合間に挿まれた彼らが抱くそれぞれの思い。
NHKはこの番組を作るにあたり、どのような事前取材をしたのだろうか。
松本くんの動きを追いながら流れるナレーションは、あくまで個人的にだが「えっ?」と思うことが多かった。
ずいぶんと昔から松本くんが嵐のコンサート演出を担っていたことはファンならば知っている。
ほとんど松本くんが決定している・・・と思っていたファンは多いだろう。
何故なら松本くん自身がそうメディアに向けて発信していたからだ。
私も松本くんが演出をしている・・・そう思っていたひとりだ。
けれど、10周年以降。
具体的に言えばコンサートDVDに対する意見が勢いを増したころから対応は微妙に変わってくる。
コンサートは嵐全員の総意で作られている。
松本くんひとりが責任を負うものではない・・・責任があるとすれば嵐全員にその責任はかかってくる。
正直に言えば不思議な感じがした。
嵐のコンサートはすごい、楽しい、盛り上がる。
そんなふうに評価されていた頃は松本くんが演出のほとんどを担っている、と言われてきたからだ。
厳しい意見が出るようになったら全員で・・・というのは違和感を感じた。
けれど、松本くんがいろいろなアイディアを出し、具現化し、コンサートに深く関わってきたことは確かだ。
そして、その松本くんの思いを受けて嵐として形作ってきたのは嵐自身だ。
結果として嵐の総意・・・というのもよく理解できた。
責任は嵐全員に・・・なるほどと納得もした。
ところが、特に15周年特番以降、再び松本くんが演出をしている・・・嵐の演出家・・・という情報発信が頻繁になる。
実際に松本くんがどのメンバーよりもコンサート作りに力を注いでいるのだから、その点には何の違和感もない。
松本くん自身も言っていた数々のコンサートにまつわるエピソード。
セットリストを部屋の壁に貼っていろいろと考えた話など、やっぱり松本くんはすごく頑張ってコンサートに取り組んでいるんだな、と素直に思った。
誰よりも早くからコンサートの打ち合わせを始め、誰よりもコンサートの細部まで意見をスタッフに伝える。
NHKの特番で取り上げられた、「嵐の演出家・松本潤」を明確にした構成は逆に嬉しかったほどだ。
何故なら、「松本くんはこうして嵐の演出を担う立場を明確にしたんだな。責任も重圧も引き受ける覚悟なんだな」と思ったからだ。
一般社会ではプロジェクトチームが出来れば当然そこには責任者としてのトップが存在する。
チーム全体から意見を取り上げ、検討し、進むべき方向を決めていく。
独断で進められるものではないし、かといって全員の意見が通るわけでもない。
最善の策となるようにまとめ、細部にわたって進捗状況を把握し、成功へと導く。
それが責任者としての役目だ。
成功も失敗も、すべての最終責任はトップとしての責任者が負うことになる。
ファンのさまざまな意見が、嵐のDVDレビューなどを筆頭に飛び交っていることは嵐も承知しているだろう。
だからこその、雑誌や会報での「松本くんだけに責任があるのではない」という趣旨の発言に結びつく。
ファンが自由に発信できる媒体での発言など、現状を何も知らなければああいった発言は出てこないはずだ。
松本くん自身が言う「嵐の演出をやっている」という発言。
さまざまなメディアで取り上げられている「嵐の演出は松本潤」という情報。
そして、メンバーたちから発信される「嵐の総意」的な発言。
全員で考えてやっているという情報。
相反するものをどう受け取ればいいのか。
他のファンのことはわからないけれど、活字のみの情報発信に戸惑うことが多くなっている。
松本くんはアイディアの宝庫だという。
メンバーはその点をとても高く評価しているし、頼りにもしているだろう。
ただひとつだけ、NHK特番を見ていて気になったことがあった。
それは、相葉くんや二宮くんが考えたセットリストを松本くんが却下したエピソードだ。
松本くんなりの考えがあってしたことだろう。
番組内できちんとその理由も松本くんは述べていた。
だから、却下したことがどうこう言うつもりはない。
怖いな・・・と思ったのは別のことだ。
松本くんは「10周年だから派手に始まりたかった・・・」というような理由をあげていた。
疑問なのはここだ。
大切なライブの根幹をなすライブコンセプトが、何故共有されていないのだろう?
松本くんの考えているライブイメージが、どうして他のメンバーに伝わっていないのだろう?
(※10周年と言っていたけれど、記憶が間違っていなければ初国立のときのエピソードだと思う)
自分の考えていることを他の人に伝えることが苦手だ。
いろんな考えが自分の中にあって、自分では全部わかっているけれどそれを他の人に上手く伝えることが出来ない。
そんなふうに、松本くんは以前言っていた。
たくさんのやりたいこと、アイディアなどが松本くんの中にありすぎるからなのかもしれない。
それでも、嵐のライブなのだ。
きちんと、意識の共有はしてほしい。
松本くんの持っているライブへのイメージ、コンセプト、思い描く完成形。
苦手であっても伝えてほしい、と思う。
共有してこそ嵐のライブが完成すると思うから。
再販店に行くと、以前には見られなかった光景がそこにはある。
嵐のCDやライブDVD、ドラマや映画のDVDなどが並んでいるのだ。
誰かが手放したものなのだろう。
いろいろな意味で臨界点が近いファンがいるのかもしれない。
「嵐」が嵐を見捨てない限り、彼らに風を送りたい。
誰ひとり欠けてもそれは嵐ではない。
そう、彼ら自身が言っている。
メンバーそれぞれが大切に思っている「嵐」というグループ。
同じように「嵐が好きだ」という気持ちを大切にしたい。
ずっと感じていたことを書いてみました。
嵐に対して感じているちょっとした不安や、これでいいの?と危惧する気持ち。
けれど、冠番組や歌番組、バラエティなどで頑張っている姿を見ると、元気になれる。
こんなことを書いてどうする!
文句があるならファンをやめろ!
いろいろな意見があるのはわかっているのだけれど・・・。
辛口だと思われるところもありますが、所詮個人ブログでのひとつの感想でしかありません。
率直にいま思うことを書いてみました。
不愉快な思いをした人はすいません。個人ブログということでご了承ください。
【コメントへの返事】
コメントありがとうございました。
返事が遅くなってすいません。
▼とんこさんへ
『Sakura』の初回限定盤、たしかにまだ店頭で売られていますね。
残念な思いとともに、どうしてこんなふうになってしまったのかと哀しい気持ちになります。
並んでいる限定盤を見たくなくて足早に通り過ぎるしかなくて。
嵐の声そのものを消してしまうようなナレーションを良しとして導入した企画は、誰が考えたのだろう?と不思議でなりません。
ジャニーズ事務所は長年アイドルを育て世に出してきた事務所です。
ファンに寄り添うような対応が苦手な事務所だとは知っていますが、売上に直結するであろうマイナス要因をあえて取り入れた真意はどこにあるのでしょう。
とんこさんと同じように感じている人も多いかもしれませんね。
▼若月さんへ
ごめんなさい。コメントの意味がよくわかりませんでした。
▼hidemimiさんへ
拍手コメントへの返事です。
本当にお久しぶりです。ブログの更新を止めていた間も嵐の活動は追いかけていました。
年初から櫻井くん、二宮くんとドラマもあって、4月からは相葉くんのドラマも始まります。
冠番組で活躍する櫻井くん、相葉くん、二宮くん。
ラジオ番組でテレビよりも身近な存在を感じさせてくれる大野くん、相葉くん、二宮くん。
初の月9で主演をつとめる相葉くん。
映画やSPドラマが控えている二宮くん。
個々の活動も楽しみのひとつとして過ごしています。
▼名無しさんへ
拍手コメントへの返事です。
嵐がこれまで見せてきた「無邪気にどうでもいいことで笑ってる嵐」は、けっして彼らが意図的に見せてきたものではないと私は思っています。
それでも、ファンというのはけっこうしっかりと見ているものです。
本気で笑っているときと、ちょっとだけ笑っているとき。
無理して笑いでごまかしているのかな?と感じるとき。
自然に笑い合っていた嵐が本当に好きでした。
コンサートですれ違うときに交わす眼差しひとつで、幸せな気持ちになれました。
ファンに見せるためにしているのではない、同じ嵐のメンバーとしてステージに立つ仲間としての笑顔。
素敵だったと思いませんか?
名無しさんがいう「ファンに寄せてた時があった」という櫻井くんの発言。
試行錯誤する中で、嵐も進む方向を模索する過程でそういう時期もあったように思います。
ただ、名無しさんが言うようにもう「作りたくない」や、「もう今はやだ」はちょっと違うニュアンスのような気がしています。
櫻井くんの真意がどこにあるのかはわかりません。
だからこそ、ファンは嵐の発言ひとつに一喜一憂するのですから。
自然体・・・それこそが嵐の魅力だと思っています。
もしかしたら最初は作られたキャラだったかもしれないけれど、今もときどきは無理をしていることもあるだろうけれど、懸命に嵐であろうとしてくれている彼らを嫌いにはなれません。
年齢とともに嵐も変わっていくだろうし、ファンも変わっていきます。
嵐も、そしてファンも、転換期にきているのかもしれませんね。
▼コメント非表示を希望した人へ
『Sakura』は本当に良い曲だと思います。
確かに大野くんの声が前面に出ている箇所が多いけれど、他のメンバーの声もしっかりと聞こえていますよね。
ただし、かなり混ぜてある感は強いですが。
以前松本くんが言っていた「重ねる」とはこういうことだったのかな?と思ったりもしました。
個人的にはすっきりとそれぞれのメンバーの声が響き渡るような構成が好きですが・・・。
CD、DVD。
少なくとも本業であるはずの活動に深く関わってくる商品に関しては、発売する側の一員として嵐には確認をしてほしいとは私も思います。
あのナレーションを面白い!新しい試みだ!これでいこう!
そう感じて製作したのなら、ファンが何をメイキングに期待しているのか。
何を喜び、何のために購入するのか。
初回限定盤の特典の中にメイキングも当然含まれると思うし、だからこそ通常盤よりも高い価格設定がされているわけですから。
製作側が「画期的な試み」だと思ったものは少なくとも個人的には少し残念なものになってしまいました。
【嵐に いま思うこと】
いつからだろう。
嵐を見ていてどこか不思議な感じがするようになったのは。
そして、ブログという至極個人的な発信媒体も思うようには書いてはいけないのだと思うようになったのは。
松本くんに対して「武器」という言葉を使ったとき、その表現にコメントでご意見をいただいた。
嵐の楽曲において大野くんの歌声と櫻井くんのラップは武器だよね・・・。
そんなふうに「武器」とはいい意味で使うものだと思っていた。
だからお叱りの意見をいただいたときは驚いた。
ブログを始めたばかりの頃の話だ。
嵐について、そしてひとりひとりのメンバーについて、思うところは人それぞれだ。
嵐というグループを好きな人もいるだろう。
その中で特に応援しているメンバーがいるのも当然だと思う。
また、好きなメンバーがいるグループだから嵐を応援している人もいるだろう。
嵐なんて関係ない。特定のメンバーだけが好きだ・・・という人もいるとは思う。
嵐というグループが好きだ。
彼らのかもし出す空気感が好きだし、さりげない会話や態度の中にある信頼感や距離感が好きだ。
楽曲も好みの曲がいくつもあって、嵐が歌うことでより一層その曲が好きになっていった。
それは5人だからこそ作り上げられたものだといまも思っている。
初めてのアラフェス。
一生懸命に考えてリクエストしたことが懐かしい。
あれもこれも歌ってほしい。でもリクエストできる曲数は決まっている。
投票した多くの人が迷いながらも、それなりに厳選した曲をリクエストしたことだろう。
個人的にはアラフェスは十分に満足のいくものだった。
何よりもずっと映像として残してもらいたいと思っていた曲が歌われたことが本当に嬉しかった。
「歌ったよ」そう知らせてくれた嵐友の言葉にうれし涙が出たほどだった。
けれど小さな・・・本当に小さな違和感を感じたこともあった。
上位の楽曲はフルで歌ってほしかったし、ランキング内の楽曲はすべて入れてほしかった。
この曲が聴きたい・・・そう思ってリクエストしたのだから。
事前にリクエストのランキング通りのセットリストではない・・・というようなインタビュー記事を読んでいたけれど、それでも期待はあったのだと思う。
FCの人数に比べれば格段に少ないリクエスト数だったかもしれない。
あえて参加しなかった人たちもいただろう。
それでも、リクエストしたファンの思いがたくさん詰まったランキングだったと思うのだけれど。
いつものコンサートとは違う、ファンの聴きたい楽曲で構成されたアラフェスを期待したことが間違いだったのだろうか。
フルオーケストラで歌われた『One Love』。
豪華な雰囲気がとても楽曲にあっていたと思う。
衣装も曲の世界観によくあっていたし、フルオーケストラをバックに歌うにふさわしい荘厳さもあったと思う。
けれど・・・何故ランキングに入らなかった曲が?という思いもあった。
時間的にけっして余裕があったとはいえない『アラフェス』で、オーケストラを入れるという案はいつの段階で決定したのだろう?と。
そして連続して歌われた『truth』。
これまでとは違う嵐を見せてくれたこの曲は、ダンスナンバーでもあり、その振り付けは本当にどのメンバーも見どころのあるものだったと思う。
あの真っ白な衣装のままでは踊りにくかっただろうな・・・というのは見ればわかる。
フォーメーションを含むダンスは、上位にランクインしていた『truth』の魅力のひとつであったと思う。
でも、そのダンスを見せよう!見せたい!という意識はあの衣装からは感じられなかった。
先日、ある番組で歌手の吉川さんがコンサート会場でこんなことを言っていた。
「今回もかぶりなしですね、去年から」
レア曲で構成されたコンサート・・・。
もしも、これまでに一度でもいい。
嵐をずっと応援してきたファンだけに向けたコンサートが行われていたとしたら。
レア曲だけで綴られたレアな時間。
もしも、『アラフェス』でランクインした曲がすべて歌われていたとしたら。
ファンが聞きたいと願った曲を、嵐がフルで歌ってくれたとしたら。
何故ランクインしながら歌われない曲があったのか。
その説明だけでもしてくれていたとしたら。
いまさらに残念に思うことは多い。
デビュー記念日11月3日を前後して嵐の15周年特番が各局で放送された。
なかなか肉声で聞くことのできない嵐の考えや思いを伝えてくれる番組もあった。
バラエティ的な面白さもあり、舞台裏の人間関係を垣間見れる場面もあり、いろいろな意味で興味深い番組になっていた。
嵐を好きになって知ったことがある。
それは、メディアはときに事実とは違うことも伝える・・・ということだ。
インタビューなどはそれでもまだメンバーの話した内容を大きく変えてしまうことはないだろう。
けれど、記者がまとめたものは書いた人の主観がどうしても影響してしまう。
同じものを見たはずなのに感じ方は違ってくる。
それはプロである記者でも仕方のないことだと思っている。
感性は人それぞれ違うのだから・・・。
NHK 【嵐・15年目の涙と決意~LIVE&ドキュメント~】
▼ドキュメンタリーとは?
取材対象に演出を加えることなくありのままに記録された素材映像を編集してまとめた映像作品。
ドキュメンタリーというと「事実と公平」が映像化されていると思いがちだ。
けれど、実際は映像を撮る、編集する。
そこには必ず主観的要素が含まれてしまう。
どの場面をどんなふうに撮るか。
映像として何を伝えたいか、そのためにどのように編集をするか。
けっしてドキュメンタリーだから公平だ、事実だ、というわけではない。
嵐の演出家としての松本くんを中心に、彼がどのように嵐のコンサートを作り上げていくかに迫った前半。
5人が揃ってこれまでの15年を振り返り、普段はなかなか表に出ることのない出来事を伝えた後半。
そして、その合間に挿まれた彼らが抱くそれぞれの思い。
NHKはこの番組を作るにあたり、どのような事前取材をしたのだろうか。
松本くんの動きを追いながら流れるナレーションは、あくまで個人的にだが「えっ?」と思うことが多かった。
ずいぶんと昔から松本くんが嵐のコンサート演出を担っていたことはファンならば知っている。
ほとんど松本くんが決定している・・・と思っていたファンは多いだろう。
何故なら松本くん自身がそうメディアに向けて発信していたからだ。
私も松本くんが演出をしている・・・そう思っていたひとりだ。
けれど、10周年以降。
具体的に言えばコンサートDVDに対する意見が勢いを増したころから対応は微妙に変わってくる。
コンサートは嵐全員の総意で作られている。
松本くんひとりが責任を負うものではない・・・責任があるとすれば嵐全員にその責任はかかってくる。
正直に言えば不思議な感じがした。
嵐のコンサートはすごい、楽しい、盛り上がる。
そんなふうに評価されていた頃は松本くんが演出のほとんどを担っている、と言われてきたからだ。
厳しい意見が出るようになったら全員で・・・というのは違和感を感じた。
けれど、松本くんがいろいろなアイディアを出し、具現化し、コンサートに深く関わってきたことは確かだ。
そして、その松本くんの思いを受けて嵐として形作ってきたのは嵐自身だ。
結果として嵐の総意・・・というのもよく理解できた。
責任は嵐全員に・・・なるほどと納得もした。
ところが、特に15周年特番以降、再び松本くんが演出をしている・・・嵐の演出家・・・という情報発信が頻繁になる。
実際に松本くんがどのメンバーよりもコンサート作りに力を注いでいるのだから、その点には何の違和感もない。
松本くん自身も言っていた数々のコンサートにまつわるエピソード。
セットリストを部屋の壁に貼っていろいろと考えた話など、やっぱり松本くんはすごく頑張ってコンサートに取り組んでいるんだな、と素直に思った。
誰よりも早くからコンサートの打ち合わせを始め、誰よりもコンサートの細部まで意見をスタッフに伝える。
NHKの特番で取り上げられた、「嵐の演出家・松本潤」を明確にした構成は逆に嬉しかったほどだ。
何故なら、「松本くんはこうして嵐の演出を担う立場を明確にしたんだな。責任も重圧も引き受ける覚悟なんだな」と思ったからだ。
一般社会ではプロジェクトチームが出来れば当然そこには責任者としてのトップが存在する。
チーム全体から意見を取り上げ、検討し、進むべき方向を決めていく。
独断で進められるものではないし、かといって全員の意見が通るわけでもない。
最善の策となるようにまとめ、細部にわたって進捗状況を把握し、成功へと導く。
それが責任者としての役目だ。
成功も失敗も、すべての最終責任はトップとしての責任者が負うことになる。
ファンのさまざまな意見が、嵐のDVDレビューなどを筆頭に飛び交っていることは嵐も承知しているだろう。
だからこその、雑誌や会報での「松本くんだけに責任があるのではない」という趣旨の発言に結びつく。
ファンが自由に発信できる媒体での発言など、現状を何も知らなければああいった発言は出てこないはずだ。
松本くん自身が言う「嵐の演出をやっている」という発言。
さまざまなメディアで取り上げられている「嵐の演出は松本潤」という情報。
そして、メンバーたちから発信される「嵐の総意」的な発言。
全員で考えてやっているという情報。
相反するものをどう受け取ればいいのか。
他のファンのことはわからないけれど、活字のみの情報発信に戸惑うことが多くなっている。
松本くんはアイディアの宝庫だという。
メンバーはその点をとても高く評価しているし、頼りにもしているだろう。
ただひとつだけ、NHK特番を見ていて気になったことがあった。
それは、相葉くんや二宮くんが考えたセットリストを松本くんが却下したエピソードだ。
松本くんなりの考えがあってしたことだろう。
番組内できちんとその理由も松本くんは述べていた。
だから、却下したことがどうこう言うつもりはない。
怖いな・・・と思ったのは別のことだ。
松本くんは「10周年だから派手に始まりたかった・・・」というような理由をあげていた。
疑問なのはここだ。
大切なライブの根幹をなすライブコンセプトが、何故共有されていないのだろう?
松本くんの考えているライブイメージが、どうして他のメンバーに伝わっていないのだろう?
(※10周年と言っていたけれど、記憶が間違っていなければ初国立のときのエピソードだと思う)
自分の考えていることを他の人に伝えることが苦手だ。
いろんな考えが自分の中にあって、自分では全部わかっているけれどそれを他の人に上手く伝えることが出来ない。
そんなふうに、松本くんは以前言っていた。
たくさんのやりたいこと、アイディアなどが松本くんの中にありすぎるからなのかもしれない。
それでも、嵐のライブなのだ。
きちんと、意識の共有はしてほしい。
松本くんの持っているライブへのイメージ、コンセプト、思い描く完成形。
苦手であっても伝えてほしい、と思う。
共有してこそ嵐のライブが完成すると思うから。
再販店に行くと、以前には見られなかった光景がそこにはある。
嵐のCDやライブDVD、ドラマや映画のDVDなどが並んでいるのだ。
誰かが手放したものなのだろう。
いろいろな意味で臨界点が近いファンがいるのかもしれない。
「嵐」が嵐を見捨てない限り、彼らに風を送りたい。
誰ひとり欠けてもそれは嵐ではない。
そう、彼ら自身が言っている。
メンバーそれぞれが大切に思っている「嵐」というグループ。
同じように「嵐が好きだ」という気持ちを大切にしたい。
ずっと感じていたことを書いてみました。
嵐に対して感じているちょっとした不安や、これでいいの?と危惧する気持ち。
けれど、冠番組や歌番組、バラエティなどで頑張っている姿を見ると、元気になれる。
こんなことを書いてどうする!
文句があるならファンをやめろ!
いろいろな意見があるのはわかっているのだけれど・・・。
NHKの話は5×10ではなく初国立ですね。ニノは何度もこの話をしていて、その度にニュアンスが変わってます。相葉くんがデジタリアンのパンフで言っていたようにセトリは全員の多数決で決めているので、単にニノ相葉案の対案を潤くんが出して、多数決で潤くん案に決まったということだと思います。ですから大野くん櫻井くんは潤くん案に賛成したということですね。
ニノはかなり不満だったからこそ何度も言っているのだと思いますが、どう考えても多数決で決まった事に後からあれこれ言うのはどうかと思うし、寝ずに考えたんだから対案を出すなというのもおかしな話ですよね。
ですからこれは潤くんの問題ではなく、多数決で決まった事に「ニノ相葉くんが納得していない」ことが一番の問題だったんだと思います。不満を解消するには納得するまで説明を求め話し合いをするか、そうでなければニノ相葉くんが自分と違う考え方も受け入れられる大人になることが必要でしょうね。
ハワイでのメンバーのやり取りを見て、櫻井くん同様私も「このグループは危うい」と感じました。
先日日経エンタで櫻井くんが「ハワイから帰って関係性が大きく変わった」と言っていましたが、私はこれを良い意味では捉えていません。上手く行っていると思っていたことが上手く行ってなかった、不満がないと思っていたら不満だらけだった、そういうメンバーの自己主張をあらためて知ったという事だったのではないかと思います。