この記事
留萌線 増毛町長、廃線後の街模索 最終運行まで1週間
毎日新聞2016年11月27日 09時30分(最終更新 11月27日 11時17分)
http://mainichi.jp/articles/20161127/k00/00m/040/082000c
読んで、いろんなことを思う。
いつも書いとるけど、道路は税収からの財源があって、どうして鉄道は民間で黒字経営にせなアカンのか、その理屈がワカラン。
鉄道だけでなくインフラといわれるものはすべてそうや。
そして、仮にそれで黒字が出たって、他のインフラの赤字部門に回して、全体で上手くいくようにしたらええねん。
黒字を出さなアカンという理屈があるから、地方が切り捨てられる。
私は、そんな地方にいては、世界を変えられんと思って東京にいるけれども、別にそんな野望がなくて、自分の生まれた地で活躍したい人間がおってもええし、現実にはそういう人間のほうが多いやろ。
”過疎化”が進んでそうでもない、というかもやけど、それは民営化で街にしか求人がなくなったからで、民営化せんかったら田舎にだって当然のように求人があるはずやし。
そして、そんな社会では、やはりいくら最先端で省エネを達成しようとも、それを自分の身の回りのコミュニティの人々で切り盛りできる程度に、理解できる技術でないとアカン。
それは、法律だって哲学だって、同じなんやけど。
コミュニティの中の誰もが理解できず、「遠くのあのヒトの、あの政治家の、あの企業の言うことが正しい」というようなことにしていては、資本主義だろうがマルクス主義だろうが破綻してまう。
自分とか身の回りが理解できる。
いや、だからといって、誰でも理解できる、というほどでもなくていい。
その道のエキスパートになれば、詳細を理解できるし、一般人もそのヒトから説明を受けたら、なんとなく概要がわかる、ぐらいでええんちゃうかなあ?
そうやって、そのエキスパートの集団ができて、年長者が年少者に教える、というようなカンジでええんちゃうかなあ?
マルクス主義が、というと、それはそれでもう堅苦しいものになってまうところがあるから、そうではなくて、本当に人々が生きやすい社会ってどういうものか?を考えて、その考えを共有してったらええちゃうかなあ?
そんな社会できっこない、という人間が出て来るのも容易に想定できるけど、じゃあどこが隘路になるか?を考えてったら、きっと少しずつ進歩するし、そんな議論の中からだって革命は起こせると思うねん。
労働組合だって、一旦そんな夢物語を描いてみて、現実とのギャップを考える、という案もあるやろ。
あくまでイメージ論やけど、そんな方向からのアプローチもできると思う。
最近のコメント