安倍晋三首相(手前)と会談するフィデル・カストロ前国家評議会議長=キューバ・ハバナで2016年9月22日、アレックス・カストロ氏提供
【サンパウロ朴鐘珠】1959年にキューバ革命を実現し、世界の左翼運動に強い影響を与えたフィデル・カストロ前国家評議会議長が25日、死去した。90歳だった。死因は明らかになっていない。弟のラウル・カストロ国家評議会議長が国営テレビで明らかにした。カストロ前議長は2006年に腸の手術を受け、08年に約30年間務めた議長職を引退。議長を継いだラウル氏を中心とした集団指導体制が固まっており、キューバ国内ではカストロ氏死去に伴う大きな混乱はないとみられる。
ラウル氏は「キューバ革命の最高司令官が今夜(25日夜)午後10時29分(日本時間26日午後0時29分)、死去した」と発表した。カストロ氏追悼の国民集会が28、29日にハバナの革命広場であり、東部サンティアゴデクーバの墓地で12月4日、遺灰が埋葬される。
カストロ氏はキューバ東部オルギン県のサトウキビ農園で生まれ、酷使される季節労働者を見て育った。53年7月26日、米国の強い影響下にあったバティスタ独裁政権の打倒のため武装蜂起したが失敗し、投獄された。55年に恩赦で釈放され、メキシコに亡命した。
翌56年に革命運動組織「7月26日運動」を結成。アルゼンチン人革命家のチェ・ゲバラらとともにヨット「グランマ号」でキューバ東部に上陸してゲリラ戦を展開。59年に革命政権の樹立を成し遂げた。
反米の国家元首としてカストロ氏が渡り合った米大統領は、第34代アイゼンハワー氏から第44代のオバマ氏まで11人。世界を核戦争の瀬戸際に追い込んだ62年10月の「キューバ危機」では、当時のケネディ米大統領、フルシチョフ・ソ連首相とともに現代史に残る出来事の主役を演じた。世界の反米勢力のカリスマとして君臨した。
08年2月、自身の死去による混乱を避けるため引退し、ラウル氏が議長に就任した。11年4月には、共産党第1書記の座も退き、一党員に戻っていた。
カストロ氏は非公式に2度訪日し、95年は当時の村山富市首相と会談。03年には広島を訪れ、原爆慰霊碑に献花した。安倍晋三首相が今年9月、首相として初めてキューバを訪問し、カストロ氏と面会した。
キューバと米国は15年7月に国交正常化。16年3月にはオバマ氏が現職米大統領として88年ぶりにキューバを訪問した。
オバマ氏は26日に弔意を示す声明を出し、カストロ氏が周囲に与えた影響について「歴史が記録し、判断するだろう」と述べた。