「成功」とか「失敗」とかってよく聞くけど、じゃあどこからが成功で、どこからが失敗なのだろう?
そんなことを月明かりの綺麗な深夜にぐるぐると考えたので書いていきます。
成功の定義
なにをもって成功というのか。どこまでいったら成功と呼べるのか。そんなことを深夜のしみ青年は考えた。
まず思ったのが、世の中てきに「成功」と呼ばれていることは、ぼくにとっての成功ではないということ。ぼくはお金持ちになったから幸せになるわけではないし、自分の事業でなにかを達成したから「成功」かと言われたら、そうでもない。
みんなの想像する成功者ってやつになれたとしても、びっくりするほど嬉しくない。なぜだ。そうして考えて出た答えが成功の定義はその人のなかにあるというものだった。
ぼくが自分と対話して、向き合って、なにを幸せと感じるのか、どこまでいったら成功と呼べるのかを考えて自分で決めることが大切なのだという結論にいたったわけだ。
考えてみた
てことで考えてみた。
どこまでいったら成功かなあ? このへん? いや、もっとかな? いやいやそれは行き過ぎかもなあ。でも成功の基準は高いほうがいいしなあ。こうなれたら成功って呼べるのかな?
考えても考えても答えが出やしない。なかなかの強敵である。そこで成功したときの自分というものをイメージしてみた。
そのときの自分は笑っていて、大好きな人たちがまわりにいて、幸せそうで、にやにやしていた。毎日のんびり過ごしていて、日常の小さな出来事にもうれしさを感じて、そんな人生に感謝をしていた。
このときに分かったことがある。
成功なんてものはそもそも存在しないし、あったとしても、成功は「位置」じゃない。
スタンスである
成功というものはそもそも「ここまでいったら」という位置を指すものではないことに気づいた。
たとえば人生というマラソンを走っているとして、「ここまでいったら成功だよ」みたいなものはないんだよね。そこまでたどり着いたら、そこにたどり着けた自分にはまた別の成功があったりして、これじゃあいつまで経っても成功めがけて全速力で走りっぱなし。消耗することになっちゃうんだよね。
そうじゃなくて、位置なんて決めずに、成功の定義なんて決めずに、走るときのスタンスを決めることが大事なのだと気づいた。スタンスとはつまり姿勢のことであって、生きていく上でのその人の姿勢。生き方。
ぼくであれば「目の前のひとりを大切に。ゆるく楽しく温かく」というものをスタンスとして決めているんだけど、これのなにがいいかって、結果に左右されないんだよね。
成功の定義を決めて、位置を定めちゃってる人は、相対的に、そこまで到達しなかったら失敗になってしまうし、そこに到達しないと幸せにはなれない、みたいな感じになっちゃうんだよね。
そうじゃなくて、スタンスを決める。走っていくうえでの姿勢を決める。「在り方」ってやつだよね。それを決めることのなにがいいかって、今幸せになれるんだよね。いつかじゃなくって。
ぼくであれば「ゆるく楽しく温かく」生きられていれば幸せなわけ。これはスタンスであるから、そこに成功も失敗もないし、達成も未達成もない。だから、このスタンスでいられさえすれば、いまこの瞬間に幸せを感じることができるし、つねにこのスタンスを心に置いているから、ブレない。
未完であれ。過程であれ。
友人が言っていて印象的だった言葉がある。
「 成功も失敗もないんよ。すべてが過程だから。」
すべてが過程だから。その言葉にズドンと胸を打たれた。よく「失敗は思い込みだ」とか「失敗だと思うから失敗になるんだよ」とかって聞くけれど、その真意はこのコトバに詰まっているのかもしれない。すべては過程であって、そこで終わっておらず、続いているのだ。
大丈夫うまくいく。
— しみ @クラファン挑戦中! (@shimi_yurutabi) 2016年6月16日
友人が放ったその言葉に力強さを感じた。ああ、こいつはたとえうまくいかなかったとしてもそれを「失敗」とは思わずに次に進んでいくんだろうな。そしていつか叶えたときに「ほらね」って笑うんだろう。
そんなことを思った。
諦めなければ、それは失敗でなく
「続く」のだ。
自分の決めたスタンスで、ただただ自分らしく生きること。どこまでも僕が僕であること。そして、人生に起こりうるすべてが過程であること。
そんな生き方ができたなら、幸せなのかもなあって。いかがでしょうか?