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日本が受けいれた「シリア難民」はこれまでたったの6人──「東京に圧倒された」そのうちの1人が明かした本音
From The Washington Post(USA) ワシントン・ポスト(米国)
Text by Adam Taylor
国際的に「難民鎖国」という不名誉なレッテルを貼られている日本でも、これまでに6人のシリア人が難民認定を受けている。
米紙の記者がそのうちの1人である24歳の青年に取材。来日当初は困惑の連続だったが、いまでは仕事をこなし、日本人の友人とサッカーを楽しみ、居酒屋にも出向く。そんな彼が味わった「変化」とは──。
未知の国・日本で難民になる
子供が学校を卒業するまで、内戦を耐え忍ぼうとしていたシリア人家族の家に、1発のミサイルが撃ち落とされる──悲しいがよくあるニュースだと思うかもしれない。だが、実際にこの出来事を経験したジャマル(24、仮名)にとっては、たまったものではない。
最初の爆発の後、ジャマルは自宅の地下室に駆け込んだ。外では恐ろしい音が鳴り響いていた。彼の妹はショック状態に陥り、母親も恐怖のあまり何度も妹をひっぱたいた。
そして、内戦で国外に避難した500万人のシリア人と同様に、彼らもまた「いますぐこの国から逃げ出さなければならない」と悟った。
ジャマルと彼の家族が他のシリア難民と違ったのは、国を脱出した後の「行き先」だ。
彼らは欧州や北米には行かず、エジプトに短期滞在した後、2013年10月に日本にやってきた。当初、いとこが暮らすスウェーデンに身を寄せようとしたが、ビザが発給されなかったのだ。すると日本人女性と結婚していた叔父が、日本への渡航を手助けしてくれた。
そして2014年、彼らは難民として認定された。
新天地であるこの日本では、ジャマルたちは奇異な存在だ。
法務省の発表によれば、2015年現在、日本で難民認定を受けたシリア人はわずか6人。つまり、ジャマルと、彼の母親そして妹だけで、その半数にあたる。
日本の難民受け入れの基準は非常に厳しい。2015年には7586人が日本に難民申請を提出したが、認定されたのはそのうちたったの27人だった。
この異常な状況のため、ジャマルは日本で引っ張りだこだ。日本のジャーナリストから取材を受けたり、彼の経験を聞きたいという学生のために講義したりしている。
埼玉県の朝霞市でジャマルに会った。コーヒーを飲みながら、彼に日本での生活について話を聞いてみた。
「自分の経験について話すときは、いつも最初にシリアの紹介をします。なぜなら、多くの日本人がシリアには砂漠しかないと思っているからです」
公平を期すために言うが、シリアで暮らしていた当時のジャマルだって日本に関する知識はそれほど持っていなかった。彼が日本について知っていることといえば、すべてインターネットでみる日本のアニメから得たものだった
東京は彼らを圧倒した。
ジャマルも母も妹も、もちろん日本語は話せなかったし、日本文化も理解していなかった。
滞在していた叔父の家で、「居候扱い」を受けるようになったため、彼らはそこを出た。
だが、まだ就労許可がなかったジャマルができる仕事といえば、怪しげで危険な解体作業だけ。さらに悪いことに、作業中に釘が足を貫通したせいで破傷風にかかり、病院に1週間入院する破目になった。
ジャマルはその頃のことを「人生で最悪の時期」と振り返る。
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