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本日の報道特集「憲法改正を目指す日本会議の実態」

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月26日(土)18時25分17秒
  国民運動を暗躍する日本会議(-_-)
今、テレビで観ていますが佐藤ぴろしは、出てこないみたいですね?
なかなか面白い内容です。どなたか、まとめて下さい\(^o^)/
 

訪問団は何処へ?

 投稿者:光輝  投稿日:2016年11月26日(土)18時17分17秒
編集済
  原田会長、笠貫女史と南アジア訪問団と
博正SGI副理事長と派遣団の違い

1.団員
博正さんの派遣団は団員の存在が明らか
(今日の新聞三面の写真)

原田会長の訪問団は団員の存在が不透明
(25日付新聞三面
未来部の合唱を真ん中の最前列でお二人並んで拍手する写真
お二人を除くと殆どの人がインドネシアの民族衣装
団員らしき人は何処に?
通訳、記者、カメラマンだけ?

2.記念写真
  博正さんは最前列にいない
  遠慮がちに写っている

原田会長、笠貫女史は南米では常に最前列
今回は宿坊の指摘を受けてか?
最前列は遠慮している
しかし、原田会長、人相悪過ぎ!
直ぐ後ろに写っている笠貫女史、はしゃぎ過ぎ!

さて、ほぼ同じ時期に何故
訪問団と派遣団が必要だったのか?

池田先生は「世襲は絶対しない」と断言されている
先生の学会を、会員を思う真心をいいことに原田会長はあまりに勝手三昧し過ぎているように思う

54年
山友と原島は先生が体が弱いことにつけ込み、会長の座から追い落とし、原島が会長になろうとした

先生を「先生」と棚上げし、SGI会長の座に原田会長がつこうとしているのではないか?
と懸念する声が各地から上がっている

12月号の大白の巻頭言
池田大作とある
肩書き、役職何もない

おかしい!
おかしいではないか!

先生が生きておられる限り
SGI会長は池田先生!
54年の二の舞をしてはいけない

全国の池田門下よ
いよいよ声を張り上げ攻めて行こう!




 

アルベアさま、ありがとうございました。

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月26日(土)18時13分26秒
  スレッド1,000件満了、余りに多様な資料と見識に、嵌った方々は狂い悶えて去っていった方もいましたね、反板の財務喰らって淫行している者共でしょうが、これらの者共はスルーして前に前に進んでいきましょう。

紹介されたyoutubeは、古いものは削除され始めています。リアルプレーヤー等でダウンロードしておくの事をお勧めします。
 

もんすもんさま、あなたの主張しているところが支離滅裂です?!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月26日(土)17時56分36秒
  小作人さまとのやりとりをじっと読んでいましたが、あなたの主張は次々と変遷してコロコロ変わっています。

伸一会退転者リストが当方に有ります。あなた、退転または脱会者ではありませんか?
 

小作人@地上の発心さんへ

 投稿者:もんすもん  投稿日:2016年11月26日(土)16時37分56秒
  大学時代、自分は創価大学じゃなくて伸一会入れられたけど、卒業のときの感想文に創大生が多すぎて月一回の同窓会だよと書いたら指導されましたね。池田先生が全員のを読むから失礼がないようにと言われたから読んでもらって結構と返しました。誰でも池田先生と言えばこちらが黙ると思ってる師弟観も大嫌いでしたね。伸一会はほんと肌に合わなかった。感情ぶちまけました。  

そういえば柳原さんって・・・

 投稿者:eco◆Smw69  投稿日:2016年11月26日(土)16時14分36秒
編集済
  どういった形でアポを取ったのか?わからないけれど
アメリカの有名な心理分析官を招致してまで対談し
ある元弁護士の性格が悪い証明をする努力までしておきながら
当の池田先生から見た柳原さんの評価を、一度も聞いたことがないのは何故?

あと、ここまで(創価では)有名な人だし 側近の幹部と仲がいいわけだから
当然、会ったことがあるよね~
柳原さんが 池田先生から どんな指導を直接もらったのか みなさま興味が湧きませんか?



>>ロマンさん
ここからは 投稿の内容とは関係がありませんが
突然の訃報にびっくりしたので ご冥福を祈る意味も込めて返信しておきます。

http://

 

訃報

 投稿者:ロマン  投稿日:2016年11月26日(土)16時09分28秒
  キューバ カストロ前議長死去

http://news.yahoo.co.jp/pickup/6222173
 

サイト「創価正義」創価教学の変化ーアップ

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年11月26日(土)12時58分24秒
編集済
  完了です・・

http://www.sgi-seigi.com/


ついでに・・

いろいろ、意見がありますけれど・・以下、何かを汲み取っていただければと思います。

出展:http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-1205.html

“我々の運動は、破綻し、腐敗した既存政治支配体制を、あなた方、アメリカ国民が支配する新政権で置き換えるのが狙いだ。

支配体制にとっては今回の選挙には、何兆ドルもがかかっている。ワシントンの権力のテコを支配している連中と、連中が組んで

いる世界中の特定利益集団は、庶民の幸福など念頭にない。我々を阻止しようとしている既成政治支配体制は、アメリカの悲惨な貿易協定、

膨大な違法移民や、わが国の富を流出させた経済・外交政策の責任がある同じ集団だ。

“わが国の労働者階級を略奪し、わが国の富をはぎ取り、その金を、ごく少数の大企業や政治組織の懐に入れた経済決定の責任は、グローバル

な権力構造にある。この腐敗した機構を止めることができるのは、あなた方だけだ。わが国を救うだけの十分強力な唯一の勢力は我々だ。

この腐敗した支配体制を、投票で追い出せるほど勇敢な唯一の人々はあなた方、アメリカ人だ。”

・・貼り付け終わり・・

ただ、1月の就任式まで、幾つか越えなければならないハードな出来事がありそうですが・・

もう一つ・・

権力の魔性のとる手段は皆似たようなものです・・

以下はヒトラーではなく、ナチよりも多くの民衆の生命を奪った毛沢東について
http://www.epochtimes.jp/editorial/9ping-3.html


最後に息抜きに・・

二人の天才女の子・・ バッハの曲・ピアノ二重奏の美しきメロデイーをどうぞ

https://www.youtube.com/watch?v=epshAHNiY9Q

右の女の子(イギリス人)はモーツワルトの再来とか・・

11歳でオペラを書き。ピアノ、バイオリン、オペラを歌う・・

最近、こういう子供達が、世界のあちこちに出現していますね・・


トラ

http://

 

告発本に対する抗議は?

 投稿者:大阪の地区ブチョ?、メール  投稿日:2016年11月26日(土)11時20分45秒
  執行部は告発本に対する抗議はしないのでしょうか?実名が出ていますし、具体的なことも出ています。名前出た人は、嘘を言うな、そんなことはしていないと名誉棄損で訴えることも出来ます。
何もしないということは、やはり全部本当だと言っていることになるはずなのですが。そのあたり、どうなのでしょうか?
 

「信濃藩家中見聞」 其の十

 投稿者:ヨッシー  投稿日:2016年11月26日(土)11時12分57秒
  其の十

頼綱「どうじゃ、順調に進んでおるか?」

勃樹「それが、懸念した通り律令方がなんだかんだと抵抗をしめしております」

頼綱「なに、殿よりの命令だと、頭からかましてやればよいのだ」

勃樹「はい、さよう申し付けましたところ、ひとたびは怯んだ様子でしたが、その後、なにやらお側用人の坂田の守のところへ確認に出向いたようで、、、、」

頼綱「なんじゃと?坂田の守に?」

勃樹「さよう。しかもその坂田の守、あろうことか『殿はそのようなことは申されておらぬ』と、真っ正直に答えたばかりか、『今は、騒動を起こす時ではないとも仰せられている』などと余計なことまでしゃべったとのこと」

頼綱「ええい、アホの坂田め、相変わらず後先が読めぬ提灯持ちじゃのう。あいわかった。その件は拙者の方に任せておけ、至急手は打っておく。それより、殿はそのようなことを申すほど回復しておるのか?」

勃樹「拙者も直接見聞きしたわけではござらんので実情は測りかねますが、お側衆から漏れ聞く情報ですと、どうも良くなったり悪くなったりを繰り返しているようで、、、体は投薬にてなんとか持ちこたえているようですが、やはりご思考のほうは日に日に衰えを見せているとのこと、、、」

頼綱「さようか、もともと頑強な質ではない上、あの齢だ、既に我らの策謀を覆すほどの力は無いと見る」

勃樹「それならばよいのですが、、、、」

頼綱「時に貴公、最近また居酒屋通いをしておるそうじゃのう」

勃樹「はっ?、へへっ、まあ時には息抜きもしませんと、、、、」

頼綱「息抜きもよいが、酔って余計なことを口走るでないぞ! オヌシが『次の当主は拙者でござるー』などと息巻いていたとの噂が出ておる」

勃樹「ギョギョ!」

頼綱「オヌシと同門で赤門出身の元瓦版屋、薬師丸何某とかいう者と飲んで喋っていたとの報告が入っておる。新城落慶も近いことゆえ、少しは自重いたせ!」

勃樹「申し訳もござらん、、、」

頼綱「まあよい、拙者の方も、今から町奉行所へ出向かねばならぬ。隠居の件をもうひと押しせねば、奉行所の腰が重くてらちが明かん。オヌシも律令方を抑え込むのじゃ、どんな手を使っても構わん」

勃樹「かしこまってござる。では早速に、御免」


頼綱(やはり皆行の守では荷が重いかもしれんな、、、藩内の人気もない上どうも酒に弱い。幸い、城代もやっとこちらの懐に入って来たゆえ、無理して皆行を押し立てる必要も無いかもしれぬ、、、万が一の時は奴に責任を負わせて詰め腹を切らせればよいしな、、、ここはしばらく慌てぬ方が得策かもしれぬ、、、、)

(つづく)


※これまでの投稿はこちらを。
壱の巻
其の壱 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60044
其の弐 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60103
其の参 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60470
其の四 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60472
其の五 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60473
其の六 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60474
其の七 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60407
其の八 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60468
其の九 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60534
 

ツイッターより。当たり前だけど、会則で定めたから仏の団体って。ちょっとね~。なんだかね~。笑

 投稿者:ツイート人  投稿日:2016年11月26日(土)10時47分40秒
  会則で仏と定めたからといって
「賢明で人徳と慈愛に満ち溢れた組織であり続けれる」
訳ではないですからね。
そんなんだったら正宗も顕正会も会則で
「我、仏なり」と定めちゃえば、みんな仏の団体になっちゃいますもんね(笑)
 

柳原さん、早い更新ご苦労さん。

 投稿者:ダメよダメダメ~  投稿日:2016年11月26日(土)09時03分21秒
  今日も相変わらすの偏向情報(笑)

後継体制?誰が決めたのですか?本当に先生なんですか?

殆ど貴方と同じで自称だと思うのですが?(笑)

今日のお題も

【福岡一味】 やっていることは師敵対の極み

元職員関係に対する因縁。よほど実名告発本がいやなんでしょうね(笑)

 「元職員3人(小平秀一・滝川清志・野口裕介)についてはっきりいえることは、いまや公然と、「教団執行部の即刻退陣」を求めているグループということである。現在の執行部は池田名誉会長が手作りでつくり上げた“後継体制”であり、彼らが求めているのはそれを“破壊”することにほかならない。また執行部のだれが何をしたかという個別具体的な事実をもとに客観的な裏付けをもって罷免を求めているわけではなく、執行部全体を批判するという漠然とした要求にすぎないものだ。」

今日の貴方のコラム日記からの引用ですが、全てが憶測、推測と決めつけ、思い込みですよ。
いや、貴方や信濃町界隈の願望かな?(笑)
 

二十一世紀への対話9

 投稿者:まなこ  投稿日:2016年11月26日(土)08時22分42秒
編集済
  【池田】 現代の若者たちに見られるそうした性の放縦の傾向は、物質主義的な文明の圧力に押されて、彼らの生命自体が衰弱化しているところにその真因があるのではないかと私は見ています。弱りきった生命から、どうしてみずみずしい愛の精神が生まれるでしょうか。
かねて博士は「愛の働きに、現代の状況を乗り越える方向がある」と主張しておられます。私はその御見解にはもちろんうなずけるのですが、さらにその愛自体を生み出し、支える、もう一歩深いところに基点を置かなければ、真に現実的な力とはなりえないのではないかと感じます。
性に人間的道義性を回復させる道としては、まず若者たちの精神を抑圧している物質主義的な力を除いてやることが先決でしょう。それと同時に、愛を支え、愛を生み出す根源の生命自体を開発し、躍動させ、強めていくことが必要です。私は、それを可能にするものが何であるかが問われるべきだと考えます。

【トインビー】 性の放縦を正すものとして期待できるのは、積極的な方法だけでしょう。性の放縦は、人類の未来に対する信念と希望の喪失を示すものです。それを癒すものとしては、まぎれもなく若い世代に生気を吹き込む――といって空想的なものではない――何らかの目的を与えてやることです。
性の行為を律するどんな規範体系も、たしかに神聖不可侵のものではありません。といって、もし人間の性関係が何らかの規範体系によって律せられていなければ、人間の生活は獣的なものになってしまいます。この規範体系とは、人間が他の動物と共通にもつ生理機能のうちでも最も厄介な性というこの機能に、人間の尊厳を与えるものでなければならず、またそのことがはっきりと認められるものでなければなりません。
 

厚顔無恥王様、m(._.)m

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2016年11月26日(土)08時20分14秒
  皆さま、おはようございます。m(._.)m

厚顔無恥王様、m(._.)m初めまして私は谷川に1票でお願い致しますm(._.)m

 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、「派遣団」と「訪問団」どう違うのデスか~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年11月26日(土)08時00分37秒
  おはようございます。本日の政教珍聞1面、久々に博正サンの登場デスね~。誠に、誠に、ご苦労様で~す。

あれれ、記述が「派遣団」に変わってマスね~? どうしてでしょうか? タイ国、インドネシアの流れで、

フィリピンにも当然、原田怪鳥様を中心とする「訪問団」が訪れるのが当然と思ったのですが・・・

確かに、「派遣団」と「訪問団」の記事・写真の方の名前も違います。ある意味なんでこんな無駄なことをするのでしょう?

本日の政教珍聞1面の写真でも、原田怪鳥様、写りたがりの女史様、お写りになっていません。

ということは、原田怪鳥様は御帰国あそばされたんデスか~。

25日の政教珍聞の記載では、怪鳥様御一行は23日の午後インドネシアのジャカルタに到着デス。ということは、

23日の夜行われたフィリピンの行事には参加できたはずなのですが、なぜ参加されなかったのか?

「直弟子」の怪鳥様であり、最近では博正サンに変わって南米にも行かれた怪鳥様が、どうして今回は授賞式に参加されなかったのか?

インドネシアからなにがしかの「要請」があったとの記事はありません。ということは、

なにも「要請」がなかったタイ国、インドネシアには行くが、「要請」のあったフィリピンには行かない、

こういった図式ができるのです、女史様も含めてですがね。(笑)

ますます、怪鳥様、女史様の「訪問団」は私的なものではないか? という疑惑が増しますね~?

本当のところはどうなんでしょうか? 「訪問団」も「派遣団」もそのもとにあるのはすべて「浄財」デス。

ますます「情報公開」を望む、本日の政教珍聞でした~。(笑)

 

新聞

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月26日(土)07時15分23秒
  11.10話題杉本婦人部長が紹介していた話です。神奈川県の小学5年生のI君
。お母さんは白ゆり長で配達員です。学校の若い担任の先生が「明日、家にあ
る新聞を持ってきなさい」という宿題を出した。I君の家は一般紙はとってい

ない。聖教新聞、小学生文化新聞、公明新聞の中から聖教新聞を持たせた。翌
日、I君はお母さんに持たされた聖教新聞を教室の中で大きく開いた。担任が
回ってきて、「その新聞は何だ!」と聞いた。彼は大きな声で「池田先生の詩

です」と答えた。(池田名誉会長桂冠詩人の世界のページ)後日、この先生か
らお母さんのところへ電話がかかってきた。お母さんは慌てて「すいませんで
した。うちは創価学会です。一般紙はとっていないので、あの新聞を持たせま

した。すいません、先生」と。すると先生が「お母さん、ボクは初めて聖教新
聞を読みました。感動しましたよ、お母さん。素晴らしい新聞ですね」と。お
母さんは、子どもが広げてくれた仏縁、何とうれしいことかと大喜びした。こ

のクラスにはもう一人聖教新聞を持ってきた少年がいた。I君は教室で「お前
とこの母ちゃんも聖教新聞を配っているのかよー」と大きな声で叫んだそうで
す。その少年の家はお母さんがあまり頑張っていなかったそうで、おばあちゃ
んが孫のために聖教新聞を持たせてくれたそうです。

 

わが友に贈る 2016年11月26日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2016年11月26日(土)07時11分0秒
  仏法を学んだこと自体が
無量の「心の財」となる。
いよいよ強く朗らかに
一人も もれなく
大歓喜の人生を!
 

ひらがなプロジェクトに投稿しました。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2016年11月26日(土)02時26分45秒
編集済
  ひらがなプロジェクトに投稿しました。
須田氏の宮田論文破折 1~終わり


くじけるな負けて知るなり秋の霜

柿赤く艶やかなりていつき節

渋柿や一個残りて葉が散るか

柿熟しとろとろ甘く難き種

ネタもなく艶ある柿や斎おり

今日は珍しく、俳句にチャレンジしました。
季語は、秋の霜です。
いきなり、寒さがやってくるわけではないのに、寒さは厳しいですよね。

青春の愚かな失敗を、思いだして作句したのですが・・・・。

 なぜ俳句???、ですよね。テレビのプレバトランキングに、ハマってしまったのです。
夏井いつき先生、厳しい査定は気持ちいいのですよ。
この年齢になると誰も怒ってくれる人はいないですからね。
アマゾンで超簡単俳句塾、1400円を買ったのです。

 俳句は脳に良いらしいです、認知症の予防になると、共著者の茂木健一郎氏も指摘しています。
「ここまでで終わりというゲームはつまらない、学びの限界が見えてしまうものって案外つまらない。
ゲームで言えばクリヤした段階で終わっちゃう・・・」。

「脳はちょっとだけ難しいことが、大好きなのです、脳科学の専門用語で言えば、オープンエンドというの
ですが、どこまで行っても終わりがない、俳句は間口が広くて誰でも気楽に入っていけるけれど、
一度入ったら、奥が深い、そこが優れた点だと僕は思うのです」。だって・・・。

俳句も川柳も、脳トレ、老化防止に良いそうです。
脳の細胞は年々減っていく?、いかない?、っていう話ですが、脳の活性化の話になってしまいました。

いまや、MRIという、すごい機械が出来てきたのですが、わが社は病院で電気設備の仕事もしていますが、
MRIの事は全く分かりません。
磁気で脳の働きを検知する装置らしいです、だから、銅の板で部屋全体を電磁遮断するのですよ。

週刊新潮で・・・。
池谷教授が語る。
「脳は何かの変化に興味が向く。つまり、いつもと違うことにいち早く気づくようにできています。
海馬はその典型です。

だからマンネリ化して"またか"と感じると、記憶が定着しないどころか、気づきもしません。
そして、脳は使わなければ、それに合わせた性能になってしまうのです」

では、どういう人の海馬が衰えないのだろうか。

築山所長が説明する。
「道をよく知っているロンドンのタクシー運転手の海馬を調べると、経験が多い人ほど海馬細胞が
大きかった。
つまり、よく勉強している人ほど海馬を維持できるのです。

昔は"面倒くさい"が先に立って新しいことを覚えない年寄りが多かったですが、今は駅のエレベーター
など年寄りにやさしい環境が増え、外出もしやすい。
その結果、記憶力がまったく衰えない方も現れています。

便利になっても階段を上がるのが、私の流儀です。
電車内では、30分以内なら決して座らない、手すりやつり革を持たないように努力・・・。


要するに、年をとったから勉強しなくていい、ではなく、年をとったからよく勉強しなければいけない、
ということ。
大切なのは、社会への好奇心を減らさないことです。

としよりは、新しいことに興味をもってボケないようにしましょうということです。
 

光輝?さま

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月26日(土)01時51分8秒
  レスありがとうございます。そうですね、まずは自分が自分の
いる場所で勝利していく事が広宣流布につながるんでしょうね。

私も役職なしの現場の最先端で戦っているのでそう確信します。
やはり現場で純心に戦っている方が一番強いです。

多宝会のみなさんの会合に毎月御書講義してくれと呼ばれて参加させて
いただいてるのですが話が深くていつも信心を教えていただいています。

長生きの秘けつは風邪をひかない事と転ばない事だそうです。
う~ん深い!
 

もんすもん様

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年11月26日(土)01時00分26秒
  《自分と御本尊(が基本)》・・・間違いではない。

《日蓮が宗祖、師匠》・・・これもその通り(本人は宗祖という立場を否定していたが)

師匠、師匠と大上段に構えている人は形から入ってしまっているからウザく聞こえる。
(ああ、この人もいろいろ模索している最中だなぁ、と鷹揚に構えるのが大事)

出来上がった組織の枠組みにむりくり自分を押し当てるから、バイアスの掛かった池田像に不信感が芽生える。
先生をこう見なきゃいけない。こう語らなきゃいけない、と規制があるかのように捉えて窮屈に思えてくる。。

先生の事を遠巻きにして仰ぎ見るかのような存在と見る(偶像化)位置に自分を立たせず、
先生は今どこを見て、何を考えているのだろう?と同じ視線を持つことを想像してみると、
文字通り自分の視野が広がり、世の中が今までと違って見えてくる。
今何をしなければならないか、世の中のために自分に何が出来るかを考えられるようになる。
我の強さが、悪条件を跳ね返して意志を貫き通す強さに変わっていく、ということです。

日曜日、朝から鬱陶しかったですねえ(笑)今もそうだけど。。
最初から出来上がった枠組みの中で有無を言わせず、あれしろこれしろ・・・じゃあ、強制
以外の何物でもないし、反発しか覚えない。
プロセスが大事。誰かが用意したテキストをただなぞるんじゃなく、はじめに御本尊と相対
して、そこから御書を一編一節拝読していき、池田先生の生き様そのものに肉薄していく。
まず一人でどこまで出来るか。集団からのお仕着せを上手く回避して一人から歩み出す基点
を持って、少しずつ人のつながりを作っていく。つながるプロセスを自分で確かめていく。

一人の時間を大切に。でも本当に一人でいる事の大切さが分かる人は、旺盛に、かつ謙虚に
他人との係わり合いを求めて、そこに価値を見出だしていく。
そうやってお互いを触発しあう大人どうしの自発的な集団の中心に池田大作という人の姿を
見つける事が出来れば、それで充分ではなかろうか、と個人的には思っています。
だから、あやふやでも構わないし、一生それが続いても悪いことではないんじゃなかろうか?
最初から答えありきではないはずなのだから。
多分「人はひとりでは生きていけない」という当たり前の事を何度も確認する手段として、
宗教が存在するのだろうなあ、と最近特に強く感じるようになりました。よきにつけ悪しき
につけ、また宗派を問わず。

日常生活でいろいろな人と喜怒哀楽を共にするよう心掛けてみてください。
人間って面白いなあ、、、と痛感する出来事が増えれば、信仰を持つ必然性が分かってくる。
自分を基点として新しい創価学会がカスタマイズされていく、、、かも知れない。。
 

寝たきりおじさん様

 投稿者:光輝  投稿日:2016年11月26日(土)00時29分10秒
  感動的な話、ありがとうございます

中でもインドネシアの話は胸に響きました
トップがおかしくなり、学会を乗っ取った
そこから「創価学会インドネシア」として新出発した

そういえば、海外は結構、トップがおかしくなり乗っ取る話あります
スペイン等
日本の学会と連携とり、先生直結で反転攻勢したのでしょう

それでは、肝心の日本のトップがおかしくなった時はどうしたらいいのか?

具体的に考えつかず、まどろっこしい思いですが、先ずは先生に教えて頂いた通り
学会が先生直結で発展するように
全学会員が歓喜と希望、功徳溢れる信心ができるように
祈ることから挑戦していきます

いつもありがとうございます
 

対中対北朝鮮抑止力を重視したのが現在の公明党

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年11月26日(土)00時03分0秒
  で、集団的自衛権の限定解禁で、北朝鮮や中国を軍事的に抑止でき得ると唱えています。シンクタンク新外交イニシアティブは、この軍事的抑止力を虚像と断じています。明日26日のシンボジウムでは、トランプ米国新政権に対して日本外交が如何に向き合うのかを論ずるものと思われます。  

その名は・た・に・が・わ・(⌒0⌒)/~~

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2016年11月25日(金)23時53分32秒
  ミナヨクイク事件・そして(/o\)

(^.^)/~~~そ・の・名・は・た・に・が・わ・って

ヽ(^○^)ノ『俺のちん〇の黒いうちは正義の学会には

戻させないぞ』 ヽ(^○^)ノ ・ってか?

た・に・が・わ・お前ヽ(^○^)ノ会長になるつもりで

いたの?(爆笑)\(^o^)/

バカもここまで来ると笑える(*^▽^)/★*☆♪

た・に・が・わ・自分でなりたいと思っていても

会員さんにとってはお前みてーのが会長になっちゃっ

たら(ToT)めーわくなの┐(-。-;)┌

秋谷も八尋も原田もやることなす事失敗ばかり

・頭・悪りーね・(*^▽^)/★*☆♪

ダメな人たちだ┐( ̄ヘ ̄)┌

 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2016年11月25日(金)23時48分9秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
おやすみなさい
 

もんすもんさん

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年11月25日(金)23時46分14秒
   もんすもんさん


 「師弟不二」って、師匠も法華経のために命を投げ出した、弟子も法華経のために命を投げ出したって、ことじゃないのかなと思うようになってきました。師弟ともに法華経のためです。それで、初めて「師」と「弟子」が「不二」です。

 大聖人晩年の御書に「法華証明抄」(1586~1587㌻)、別名「四活抄」があります。冒頭に、「法華経の行者 日蓮花押」と記された御書だということです。研究によれば、冒頭に「日蓮花押」とあるのは、この一編だけのようです。
 後半に、「命はかぎりある事なり すこしも をどろく事なかれ」とあります。

 ねぇ、もんすもんさん、グリグリさんにこの「法華証明抄」の講義を頼んではくれない。私たちからでは、「なんだそんなことも勉強してないのか!」なんて怒られそうな気がして。「法華経」(の説くところ)は正しい。真実だ。それを証明する御書でもあると思うのです。


 

小作人@地上の発心さんへ

 投稿者:もんすもん  投稿日:2016年11月25日(金)22時54分48秒
  我見かもしれないけど、昔、師匠と自分だよ。と言われました。僕は自分と御本尊だろと思いました。今は信仰心も薄れてしまいましたが、その先輩がやたら師匠、師匠というからウンザリしたのかもしれません。それと、日蓮が宗祖、師匠かと僕は思うんです。もう話せないけど、池田先生の捉え方というのかな、昔からあやふやなんですよ。上手い返事できなくてすいません。あと、自分は三世なので生まれてこのかた、学会員、てのも嫌でしたね。日曜日休んでるのにこられて嫌でしたね。関係ないかもですが、一番、納得出来そうな意見いってくれそうなので甘えときます。我が強いからそういう同じ類いがくるのかなと最近思います。  

同盟題目23時から開始!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年11月25日(金)22時53分17秒
  よろしくお願い致します。  

サイト『創価正義」アップのお知らせ

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年11月25日(金)22時36分22秒
編集済
  人間革命に学ぶ『師弟の道と師弟不二の道」をアップしました。

http://www.sgi-seigi.com/ 日本語
http://www.sgi-seigi.com/?lang=en 英語

順次、アップ・・乞うご期待(チョットだけです)
また、クリアスカイ様の「創価教学変更」も近くアップ(ダウンロードも利用可)

先日、こんにちは様が投稿された、先生指導「権力の魔性を描いた動物農場」もアップ予定。

それでは・・サイト作成に携わっておられる同志に感謝しつつ・・

http://

 

もんすもん様

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年11月25日(金)22時16分9秒
  こちらにも時折投稿なさるある方が、ご自身のツイッターで
「師弟不二は“めだかの学校”。上下関係ではなく水平思考」
という意味の事を書かれていたのを目にして我が意を得たり、
と思いました。

師匠は一切を超越した完全無欠な存在じゃないのです。
皆、池田先生の事をなんだか雲の上の人、スーパーマンみたいなものと
勝手に仮定してしまって、何かの拍子で都合が悪くなると、手の平返し
でこれまた勝手に罵り出す。
へいぜいから他人に悟られたくないおのれ自身の醜い心や、人としての
器量や才覚の限界を、池田先生に投影させてしまっているのです。
「不二」を一方的な上下関係の構図で見ているうちは、こういう錯覚に
常に陥ってしまう。

師匠はもう誰からも何も教わることはない、、、というわけではなくて、
弟子が各々の課題を乗り越え成長することで、師匠もまた、それらから
多くの物事を学び取り、共に成長し境涯を開いていくのが本来の師弟の
在り方なのです。
めだかの学校--。川の流れに沿って、隊列を組んで仲良く進んでいく。
指示や命令任せではない、自立したものどうしがお互いを尊重しゆく中で
困難を乗り越えていく。これが「水平思考」です。

そしてそれは昨夜、もんすもん様がおっしゃていた「我賢し」の驕慢の心
を打破すること、そこに尽きるのです。
皆ひとりでは生きていけないはずなのに、他人は他人、自分は自分・・と
頑なに自他の壁を作る生命の宿習に正面から向き合い、他人に多くの事を
学び、自分も他を益していく。この姿勢が身についていけば少しずつでも
先生の偉大さを心で感じ取れるようになっていきます。
 

柳原さん、連日ご苦労さんです(笑)

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2016年11月25日(金)21時51分36秒
編集済
  お久しぶりです。自称・妙法のジャーナリストの柳原滋雄さん。

相変わらず信濃町界隈の偏向情報を真に受けてというか確信犯的に取材もせず、当然情報の精査

も調査もせず、一方的に憶測、推測、風聞、伝聞、思い込み、決め付けの駄文のコラム日記ご苦

労さんです。

又、11/15の元職員3名による『実名告発 創価学会』発刊以来、集中的に元職員3名や関係者を

取材することなく一方的に攻撃しているのは如何なものか?

11月15日「足軽会の専門弁護士」
11月16日「唯我独尊の3人によるプロパガンダ本」
11月17日「元職員3人による蒸し返し訴訟」
11月18日「福岡を中心とする組織内組織」
11月19日「信用を失った青年たち」
11月21日「ふるいにかけられた者たち」
11月22日「元足軽会所属メンバーの証言」
11月23日「敵は内部から生まれる」
11月24日「関係のない人間が次々と登場して支部長を攻撃する」
11月25日「足軽会の異常体質がなければ女性は除名になどなっていなかった」

等々、本当にご苦労さんな事です。

アマゾンでは「お陰様で新刊『実名告発 創価学会』がamazonの創価学会部門でただいま1位を

獲得しています。元創価学会の職員だった野口裕介さん・滝川清志さん・小平秀一さんの共著」

だそうですよ。

柳原さんも矢野絢也追及の『矢野絢也の素顔』でも出版すれば?(笑)

過去の三冊は著者名も違うけど、矢野糾弾の本は柳原滋雄名で堂々と出版したらたちまちベスト

セラー間違いなし。だと思うがいかがでしょうか?

あと、24日のコラム日記で件の支部長を擁護するかのような書き方しているけど、この支部長

は先生が本部幹部会で自ら数度に亘り御糾弾、御指摘、御指弾されたいわゆる組織内組織のT治

一派による数百万の飲み食いによる横領の一員であり筆頭である方ですよ。

最近は、信濃町界隈の執行部。職員最高幹部を批判、指摘すると=学会批判、組織批判に拡大解

釈、スリカエにより査問、そして役職解任、活動停止、除名等々を頻繁に行っているが、このT

治組織内組織一派の職員は誰一人処分らしい処分は受けてはいない。

せいぜい職場の異動だけでお茶を濁し、職員解雇にも、役職解任にも、除名処分も行われていな

い、あの矢野でさえ、先生が除名にしろ。と当時の秋谷会長に厳命したのにも関わらず、意図的

に見逃しまんまと自ら退会させ、後に本部幹部会席上、壇上において先生からご叱責を受けた事

を。

ともかく今の信濃町界隈はご都合主義丸出し。そのご都合主義のお先棒を担いでいるのが自称・

妙法のジャーナリストの柳原滋雄さん、貴方ですよ。
 

JCB創友会カード

 投稿者:五分の魂  投稿日:2016年11月25日(金)21時25分41秒
  今日、カード会社のJCBから、創価大学創友会カードが廃止になるとの通知書が届いた。カード会社を通じて毎年定額の寄付ができ、創友会メンバーの身分証明も兼ねたカードだったのに残念です。
来年から、大学では期別の同窓の集いを行わないと決められたこともショックだったが、カード廃止の通知もショックだった。
何者かの良からぬ意図がなければよいが。
 

虚構ではなくて虚像でした

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年11月25日(金)20時04分9秒
  虚像の抑止力、新外交イニシアティブ編。  

新外交イニシアティブと云うシンクタンクが

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年11月25日(金)19時48分13秒
  明日星稜会館でシンボジウムを行います。トランプ米国新大統領と今後の日米関係。詳しくは各自が検索をしてみてください。新外交イニシアティブと云うシンクタンクは、2014年に虚構の抑止力と云う本も出していまして、沖縄海兵隊が中国に対する軍事的抑止力たり得ていないことを明らかにしています。虚構の抑止力に登場するマイクモチヅキ氏は以前に聖教新聞メディアのページに寄稿をしたこともあります。  

実名告発創価学会無事刊行おめでとうございます

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年11月25日(金)19時36分31秒
  こちらも宜しく→創価学会公明党の研究。硬派なルポルタージュ。原田、谷川、佐藤浩らの権力闘争を描き出しています。  

私はなんと言っても、その名は【た・に・が・わ】です。

 投稿者:厚顔無恥王  投稿日:2016年11月25日(金)19時36分3秒
  374919は、やはりやはりでした。更に酷いのは自らの不始末を隠ぺいしたいが為、学会員に査問を繰り返していたと言うじゃありませんか。
何方の投稿で、その名は【た・に・が・わ】というのも衝撃でした。
 

報恩社

 投稿者:窮状  投稿日:2016年11月25日(金)19時29分13秒
  昨日、報恩社 北林芳典から葬儀のご案内が届きました。

何故、我が家の住所を知ってるのか不思議。
まさか統監から個人情報が漏れてるのか?

今まで一度も報恩社使用したことないのになぁ~!

そういえば、数年前元支部婦人部長の夫が亡くなってすぐ、報恩社から手紙が来ていやな思いをしたと言っていたのを思い出しました。

北林 芳典さんどうして住所分かったのか教えて下さい。
もし、統監からなら組織利用は辞めて下さい。

 

厚顔無恥王さま

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年11月25日(金)19時24分0秒
  小生の一押しは、やはり原田怪鳥様、これ以外ありませ~ん。

「オレを誰だと思ってるんだ!」「怪鳥さんだぞ!」

流行語大賞にもノミネートされるかと思われるほどの大活躍デス。
 

もんすもん様

 投稿者:つかさ  投稿日:2016年11月25日(金)18時57分51秒
  実は、私も師弟不二がしっくりこないタイプです。

それは、教学ではありませんから、先生を知らない人には、無理ないことです。

幹部指導がよくないのです。
本来、師匠は、弟子が師を超えていくことに、
最大の喜びを感じるのです。

それが師弟不二なんです。
一緒に師を超えていきましょう。

少しでも、モヤモヤが溶けたらいいな(*^^*)
 

「告発本」の感想

 投稿者:一言児  投稿日:2016年11月25日(金)18時54分58秒
   一般書店で購入「実名告発」、よくぞ発刊できましたね、元職員3人快挙に大拍手。
 官僚的組織の圧迫に立ち向かい、自己の思い、意思を行動で全うされていく姿に心打たれます。規律・懲罰委員会など私らと縁のない役職につく往年の青年部トップ幹部たちの名前、先生の息子さん2人も登場。当時の原田正木谷川長谷川ら執行部、その厚い壁にドンキホーテ如く一途に「面談」依頼。すべて拒否され囲い込まれて左遷されていく。原田体制での「創価学会仏」制定が冗談になってくる、その慈愛溢れた教団仏の代表って原田?。
 創価の庭で育った真っ正直な人材たちの訴えに、組織官僚がムシ、納得させられずに圧力をかけて行く図式。このままではご本尊も師匠も執行部の采配下、逃げたくなる暗黒時代ですわ。
 この件では、事実確認のないまま組織の大義維持で彼ら排除し生活を奪った会長の引責辞任、解職された彼らの再雇用を一会員として断固要求します。
 
 

私は笠貫さんへ一票!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月25日(金)18時50分39秒
  ◯◯訪問団で、ノコノコ腰巾着のように付きまとい海外に出掛けている笠貫SGI女性部長に一票!!

この方の女子部時代の活動が見えない。
便1同様に青年部時代、怠惰な信心活動していたのでは?

私は外面的美醜には拘らない方(光に反射して見えるものは無視!)なので、オーラの無い蝋人形のような感じがします。キモい!昔からキモい奴だと観ていました。
 

今年の厚顔無恥大賞に向けて

 投稿者:厚顔無恥王  投稿日:2016年11月25日(金)18時19分1秒
  ご無沙汰しております。もう11月も終わりに近づきました。
恒例の厚顔無恥大賞に向けて、候補者を発表する時期になってまいりました。この人に大賞を。と推薦したい方がいたらドシドシ候補を挙げてください。
 

(無題)

 投稿者:もんすもん  投稿日:2016年11月25日(金)17時50分36秒
  僕は師弟不二という考え方自体があまり良くないと思います。教学を元にやらないとと勉強してませんが、思ってます。皆さんはどう考えてるか聞きたいです。
皆さんの考えを教えてください。
 

ツイッターより。師弟不二は皆が師匠と同じだから都合悪いんだね。直弟子って威張ってる会長はどう位置づける?だから会則で三代会長を継承する立場ね。でも師匠の指導を否定してますよ。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2016年11月25日(金)16時34分13秒
編集済
  創価学会仏論を中心教義にするのは、これまでメインだった師弟不二論では、一般会員と会長が三代会長との距離という点で原理的には等価値になってしまう(私こそ真の弟子、という人が出たときに否定できない)からですね。

組織のガバナンスを強化するために、組織自体に聖性を付与するというロジック。
 

(無題)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月25日(金)14時42分49秒
  頂き物です。大魔神変じて
大患部神だって(-_-)

たしかに、たしかに、終わってマス。
 

おせっかい星人さま

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月25日(金)13時52分33秒
  ご指摘ありがとうございます。その辺のところは私もわかりませんでしたので
大変ありがたいです。これからもよろしくお願いいたします。
 

於保哲外ドクター部セミナー局議長指導5/5

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月25日(金)13時48分27秒
  この中で自分のことを100点と思う方?(笑い)ありがとうございます。素直な方が多いですね。まだ、あがらない方がいるようですから、最後に一つだけ。御書の中に「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別なしと解かりて妙法蓮華経と唱

え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」。(御書P1337)。このことが大聖人仏法の根本である。「法華経を持つとは是なり」。これは
有名な生死一大事血脈抄の一番重要な御文ですね。この中で「久遠実
成の釈尊」とは大聖人のことですね。「皆成仏道の法華経」とは御本尊。「我等衆生」というのは自分自身。大聖人と御本尊と自分自身がまったく差別なしと解かりて、信じてですね、南無妙法蓮華経と唱え
奉るところに生死一大事の血脈はあるなり。したがって、自分のこと
を60点と見る場合は、御本尊のことも60点、大聖人も60点ということになりますね。まったく差別無しですから。こういうのを謗法って言いません?いや、大聖人やご本尊は100点だけど、私は60

点だと思う人は「全く差別無し」と信じません、ですからね。こういうのを不信というでしょ。こうやって自分のことを100点と信じない人は、謗法不信になるんですね。じゃあ、その御文の後ろに「謗法不信の者は「即断一切世間仏種」とて仏に成るべき種子を断絶するが
故に生死一大事の血脈之無きなり」(御書P1337)「謗法不信の者
は」、自分を100点満点と信じられない人は、「即断一切世間仏種」。すなわち、一切世間の仏に成る種を断つ人だ。「法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と説かれたれば定めて獄卒迎えに来って手をや取り候はんずらん」(御書P1337)。したがって、臨終のときには
、地獄の獄卒が手を取り迎えに来るでしょう。「所詮臨終只今にあり
と解かりて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を「是人命終千仏授手令不恐怖不堕悪趣」と説かれて候、悦ばしい哉一仏二仏百仏二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事歓喜の感涙押え難し」(御
書P1337)。自分を100点満点の仏なんだと信じて喜び、大安心の境地で生きる人は千仏までも来迎し、臨終を支えてくれる。「歓喜の感涙押え難し」。獄卒が迎えに来る方か、千仏が迎えに来る方か、どちらがいいですかね。もう、ここで手が上げられない人は二度と上
げられないでしょうから、くれぐれも、最後に聞きたいと思いますが
、半分脅迫ですけどね、私が一人脅迫しているんじゃない。大聖人の仰せですからね。最後に「自分自身のことを100点満点だと思う方?(爆笑)ありがとうございました。「偉大な仏が今、座っていらっしゃるんだ、とまず決めるんですよ。決めるということは勇気が要る

でしょ。これを信心の勇気という。本当に偉大な仏なんだ」と心の底から思うこと。これが「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」ということなんです。「始めて我心(自分のこの生命が)本来の仏なりもともと仏なんだ」と知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(御書P788)とおっしゃっているんですね

。この後、帰って、くれぐれも、「偉大な仏様がお歩きになっているんだ」と思いながら帰るんですよ。「偉大な仏様が鏡に姿をお映しになって、そして、生命を讃嘆していらっしゃる」と。これが勤行唱題の本来の意味なんですよ。たぶん、これを人に言うと、「傲慢だ」と反論にあうでしょう。その時に、また、『村の文化』に戻っては困る

んで、お話しておきますが、「傲慢」「慢心」の「慢」とは、人と自分を比べて、自分のほうが優れていると見る心ですね。すなわち、慢心の人はいつも、人と自分を比べて、私のほうが良く頑張っている、私のほうがよく戦っているとか、私のほうが幹部で、私のほうが金持ちだとか言って、自分の優位性を確認することによって安心するこの生命の働きを「慢」という。どうして、人と比べて安心したがるかと

いうと、実はこの生命の奥底に不安があるんです。不信がある。劣等感があるんです。したがって、ちょっと安心してもすぐに不安になるから、また、次の人をつかまえて「俺の方がすごい、私の方が立派よ」と、これをいつも続けている人を「慢」というんですね。すなわち、慢心の心の奥底には、劣等感と自己不信がある。一番良い例が日顕
さんですね。劣等感の塊なんです。池田先生が世界で大活躍されて報
告すると、「ご苦労様」の一言が言えない。どうしてか?これは劣等感があるからです。「俺の方が偉いんだ」といわなければいけませんね。ねぎらい言葉が出てきようがない。一方、一流といわれる人物は、「実るほど、頭を垂れる、稲穂かな」。一流人物ほど腰が低い。人
を尊敬します。そういう人は自分自身に「自信と誇り」を持っているんですね。その「自信や誇り」は人から認められているから持ってい
る「自信や誇り」ではないですね。一流といわれる人は、人から認められたから一流になったんじゃない。世間が見向きもしない先駆的なことをやって、やがて、世間がついてきて認めるんです。すなわち、もともと自分自身に「自信と誇り」を持つ生き方が一流。すなわち、
「自分が偉大な仏なんだ」と「100点満点なんだ」と見ることは、
一見、慢心に見えるけれども、実は、それは一流の生き方と同じなんです。だけど、これは慢心に似ているから、これを「法華の慢」という。「法華の慢」は正しい。これは根本的な意味で慢心と違うから正しいんです。正しいんです「法華の慢」は。池田先生が、「皆さんが
仏。騙されてはいけませんよ。皆さんが仏なんだよ」と何回もおっし
ゃるでしょ。だけど師匠の言っていること信じてないでしょ。あれは先生の激励だと思っている。「激励」するために『皆さんは仏だ』と言っている。本当は違うんだ」と。「池田先生はそう思っている」と。師匠の言うことをたとえ激励と言いながらも、本当は信じない。こ
れこそ傲慢である。一見、慢心で良いんです。また、ずうずうしい、
図太いというのは人から嫌われるように思うんです。だけど、これで行くとね、不思議に開けてくる。そういう例をいろんな方を見るにつけ実感するんです。今、多くの真面目な方が行詰まっていらっしゃる。その根っこに実は「念仏思想」「村の文化」があるんです。これか

ら日本は、この「村の文化」では世界から相手にされなくなっている。いよいよ日本のもともと持っている、そういう自立的な「海の文化」としての、また、この法華思想を、いよいよ、世界に宣揚をしていく時代が来た。そういう意味で創価学会がその先頭に立つ時代が来ている。その学会の中が「村の文化」で行ってたんではダメですね。そ

ういう意味で、寝る時は、「偉大な仏様がおやすみになる」。朝、目が覚めて、それがどんな心境でも、「偉大な仏様のお目覚めだ」と。着替えをする時も、また、トイレに行く時も、顔を洗う時も、また、味噌汁を作る時も、「偉大な仏様が入れた味噌汁だ」と、これは「偉
大な味噌汁だ」と。やることを楽しみながら、味わいながら、自分自
身の生命を讃嘆しながら生きていく。このことを「朝朝仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」(御書P737)。「朝朝(毎朝毎朝)仏とともに起き、夕夕(毎晩毎晩)仏とともに休む」
。一瞬一瞬、喜びの生命で生きる。そこに本当の意味の法華経を身で読むその実践がある。最後に題目三唱しますが、「自分の生命を讃嘆
する唱題なんだ」という思いで、題目を三唱して終わりたいと思います。本日は、大変にありがとうございました。
 

於保哲外ドクター部セミナー局議長指導4/5

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月25日(金)13時47分19秒
  もう一回、ちょっと聞いてみたいんですが、この中で自分のことを100点と思う方?(爆笑)素直な方が多いですね。わき道が多くて本当の話が少なかったですが。実は、朝晩勤行します。二座の御観念文は何でしたっけ?本尊供養ですね。「一閻浮提総与三大秘法の大御本

尊に南無し奉り報恩感謝申し上げます」。本尊供養。この本尊供養。二座のときに、この本尊を自分のことと思ってやってます?みなさん「仏壇の中の御本尊」って思ってませんか?そういう人を指して大聖人は、「若し己心の外に法ありと思えば全く妙法にあらず」(御書P3

84)とおっしゃられている。すなわち、法華経じゃないんです。また別の御書でも、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(御書P1244)胸中に、自分の生命に、「胸中の肉団におはし
ますなり」って勉強したでしょ?実際やっている時は外に置いていま
すね。不思議なんです。学んだこととやっていることが違うんです。どうしてか?実は、日本文化に、さっき言った「村の文化」に毒されているからなんです。「村の文化」というのは、実は,「念仏文化」
なんです。「念仏文化」というのは、御本尊絶対なんです。大聖人絶
対なんです。それで福運のない、境涯の低い、力のない私たちは、偉大な御本尊様におすがりし、その功徳を、その智慧を分けていただこうと。これを「念仏文化」というんですね。御本尊を阿弥陀仏に置き
換えたらぴったりするでしょ。「情けない私たちは阿弥陀仏の慈悲におすがりしましょう」という構造です。法華経は違うんです。そのことを池田先生は「法華経の智慧で、四年半にわたって説いてくださったです。この「法華経の智慧」の中で、一番端的にそのことをおっしゃっているのは、見宝塔品なんですね。「見」=見る。「宝塔」=宝

の塔。宝の塔を見る。この宝塔というのは法華経の中で出現するわけですが。この宝の塔、高さ五百由旬、計算しますとヒマラヤのだいたい500倍以上の高さなんですね。富士山でもだいぶ高いですけどね。富士山の2倍以上でしょ、ヒマラヤは。それの500倍以上ですからね。まあ、壮大です。しかもそれは、瓦礫の山ではない。宝の塔で
す。非常に荘厳である。また、壮大である。宇宙規模である。この偉
大な宝の塔。それは実は我々の生命の偉大さを表しているんだ。すなわち、我々の生命が宇宙規模の壮大な、また、永遠性をはらんだ、そういう存在なんだと実感することを見宝塔というんだ。大聖人はこの宝塔品の儀式を借りて御本尊を顕された。したがって御本尊は、我が
身を偉大な宝塔と見るための明鏡、明らかな鏡であると明快におっし
ゃっているんですね。ところが、我々はそれを読んでも、鏡を崇め奉って、鏡に映った自分を情けないと見るんですね。いかに深く念仏に毒されているかです。だから、この不思議法則の、「自分さえ我慢していれば」という方向に行ってしまうんですね。喜べないんです。楽
しめないんです。いい時には喜べるけれども、落ち込んだら、とたんに、「情けないって」言い出す。法華経というのは、「最悪の自分が偉大だ」と説く経典なんっていうのはご存知ですか?この法華経と爾前経の差。これを権実相対といいますね。どうして、法華経が優れ、
爾前経が劣っているか。教学的には、二乗成仏、悪人成仏、女人成仏が説かれるからですね。すなわち悪人とか女性とか、二乗(声聞、縁
覚)、この人たちは、大乗経典の説かれた時代、世間からも相手にされない存在だったんですね。したがって、大乗経典はその人たちを救
わなかった。ところが、法華経は世間が相手にしない差別された人たちを、実は偉大なんだと説いたんですね。非常に革命的な思想でした。本当の意味での人間主義でしょう。それを生命論的に見ると、二乗
、悪人、女人というのは、実は,自分自身の一番落ち込んだ自分なんです。一番情けない自分なんですね。一番、人と比べても劣っていると思わざるを得ない、其の惨めな境遇の自分こそ、実は偉大な妙法の
当体なんだと信じること。是が法華経を持(たも)つという意味なんですね。だから、難信難解なんです。元気な自分や、絶好調の自分や
、また、人からもてはやされている自分を偉大だと見ることは、まあできる。だけど、本当に大失敗して、また、人からもバカにされて、落ち込んでいるその自分を偉大と見ることは、難信難解、信じ難く、
理解し難いことでしょう。しかし、そこに立ってこそ法華経なんです
。我々は「慈悲のドクター部」とよく言いますね。この「慈悲」については、ずっとね、わからなかったんです。慈悲のドクターと言われる、この「慈悲」について考えれば考えるほどわからない。「慈しむ」、これはわかる。「悲しむ」がよくわからない。同苦するとか、抜
苦与楽とか、聞くんだけど、わかったようでわからない。こういう時に、池田先生のエッセーの中にこんなものがありました。「魂の勝利する時、悲しみは『慈悲』の『悲』となる」と。『慈悲』っていうこの下が「悲」です。『悲しみ』、「魂の勝利する時、悲しみは『慈悲』の中の『悲』となっていく」という一節です。これを見て、「あー

そうか」と気づいたんです。今までは、「慈悲」を「慈しみ、悲しむ」と読んでいたんですね。そう読むからわからなかったんですね。素直に、これ、漢文読みすると返り点がついて、「悲しみを慈しむ」となるんですね。すなわち、一番落ち込んでいる自分、一番惨めな境遇
に苦しんでいる自分、また、一番不安がっている自分をこそ大きな心
で包んであげると。温かい目で見守ってあげると。それが「慈しみの心」すなわち『慈悲』であると。最悪の時に、自分をその慈悲の心で包む。そこに魂の勝利の姿がある。その生命で自分を包める人は、も
う悲しみは単なる悲しみではない。その悲しみは、その慈悲の心に包まれた時に、そのままで勇気に転ずるであろう。また、絶望はそのままで希望へと転じていくだろう。その生き方の中に本当の意味での人間の強い生き方がある。そういう心で自分を包める人は、また、本当
に苦しんでいる人を我がことのように、温かい心で包んであげられる
でしょう。でも落ち込んだ自分を、こんな自分は情けないって嫌って、もし、ちょっと立ち直ったとしても、落ち込んだ人を見ると、「まあ,かわいそうに」と言うでしょう。しかし、心の奥底では、「弱い人だな、自分に負けてだらしない人だな」と見るでしょう。自分を見る目が人を見る目なんです。したがって、最悪の自分を慈悲の心で「

大好き!」と大きく包みながら、「偉大なんだ」と本当に尊敬できる人は、また、人をも尊敬できていくんです。『本尊』と『御本尊』と。『本尊』というのは略した言い方ですね。何を略したんでしたっけ?『根本尊敬』そうですね。『根本尊敬(こんぽんそんぎょう)』根本尊敬と書く。この根本の「本」と、尊敬の「尊」で「本尊」ですね

。これは池田先生の指導ですが、「何を根本として尊敬するか。それは自身の生命である。自分の生命を根本として、根本ですから、何かができるから尊敬するんでもなければ、大失敗をしたから尊敬できないんでもないです。何が起ころうとも尊敬から出発する。これが御本
尊を持(たも)つということですよ。これは二、三十年前の指導です
。これが大聖人の仏法なんですね。
 

於保哲外ドクター部セミナー局議長指導3/5

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月25日(金)13時44分47秒
  今の自分に目を向けて点数をつけるとすると、100点満点で何点くらいつけるでしょううかね。ちょっと、素直に考えて下さいね。0点から60点の間くらいに大体自分は入るなと思われる方、手をあげて下さい。ありがとうございます。じゃあ、61点から99点までの間

だと思われる方、手をあげて下さい。この辺がふつう少ないんです。さっきの0点から60点までが非常に多いんですがね。さすがドクター部は違いますね。それでは、100点と思う方。二人。ありがとうございます。このお二人以外は全員信心をしてないことになるのはお

わかりですか?大聖人の仏法というのは先ほどずうずうしく、図太く、たくましくとありましたが、自分を100点満点と見る宗教なんですね。これは非常にわかりにくい。信心。信じる心と書きます。何を信じるか。御本尊ですね。また、法華経でしょう。じゃあ、法華経を

信じるというのはどういうことなんでしょうかと言うと、自分自身が妙法の当体であると信じることですね。頭は妙、喉は法、胸は蓮、腹は華、足は経。自分のこの生命が南無妙法蓮華経なんだと、妙法の当体なんだと信じることが信心だと教わったでしょ?教学でね。南無妙

法蓮華経如来がですよ、60点とつけたらどうでしょうね。ちょうど去年、11月でしたか、座談会がありましてね。私、担当で呼ばれまして、地区部長さんが「御書講義をしてくれ」と言うんです。ちょう
ど、フランスのメンバーが6人交流できていました。南フランスから。ブドウ畑を経営しているとかね。そういう人たちなんですね。フランスではSGIはセクトですからね。非合法ではないけれども非合法に近いような扱いを受ける。その中でやっているから、みんな、まあ、真

剣ですね。「一生成仏抄」を取り上げて一緒に勉強したんです。たまたま、この「一生成仏抄」というのは、池田先生がフランスに与えられた御書だったんですね。その中で、「故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり」(御書P384)。<解説>「妙法と唱へ蓮華と読まん時は、南無

妙法蓮華経と唱えるときは、我が一念、自分この生命を指して、名くるぞと、自分の生命の名前を妙法蓮華経と名づけるんだと深く信心をおこすべきなり」という一節があるんですね。そういうのを勉強しながら、フランスのメンバーに聞いていった。「この中で、自分のこと

を南無妙法蓮華経如来だと信じれる人?」って手をあげてもらったんですね。フランスのメンバー6人全員、「はい」ってあげたんですよ。日本人、40数人中3人。実は、学会員が「村の文化」で生きているんです。大聖人の仏法は、創価学会は、「海の文化」の宗教のはずなんです。「村の文化」の宗教になっているんですね。ちょっと、わ

かりにくい話。ちょっと、対比する意味でお話ししてみます。以前、こころのページの「ふれあい診察室から」というところに、「不思議法則」というのを書いたんです。これは、人を見てると、真面目な人、頑張り屋の人、責任感の強い人、また、思いやりのある人、自分のことを顧みず尽くす人、こういう人。こういう人がですね、不思議に

行き詰まる。真面目な人が、頑張っているのに不思議に開けない。そこまで人に尽くしている人が、ありがたがれるどころか、かえって迷惑がられたり、バカにされたり、ひどい場合は恨まれたりしていると。そういう人、見たことありません?真面目な人が意外と開けない。
そうかと思うと、ちゃらんぽらんで、図々しくて、要領よく立ち回っ
ている人が、やることなすこと以外とうまくいって。うまくいくもんだから、ますますこう人に持ち上げられて、ますます、開けているという、そういう現象が確かにあるんです。私はいろんな人の人生に出会う場合が多いもんですから、そういう現象を見るんです。何なんだ、これは。正直者がばかを見て、悪い奴ほどよく太ると。という現象が確かにある。「なぜなんだろう」って、ずっと考えて、最初のうち

分かりませんでした。そういう点で、私は研究できる立場にありまして、そういう問題意識をずっと持ちながら仕事してきて、だんだん見えてきて、「ふれあい診察室」、書いたんですが、最初、抵抗があったんです。ちょっとこれは問題あるかな。載せてくれるかな。カットされるかなと思ったんですが、あえて書きましてね。これには、おそらくそういうことで悩んでいらっしゃる方があるだろうから、書いた
んですけど。幸い載せてもらえました。そしたら、何件かやはり問い合わせがきました。「書いてあるとおりです。私は去年まで一生懸命
こう折伏し、新聞啓蒙し、財務も頑張り、全力で戦いました。今年は病気になって、今、生活保護を受けています。なんで、こんなに頑張っているのにこうなるのか、わからない。そうなると書いてある、そう書いてあるけれども詳しく書いてないから、よくわからない」とい
う問い合わせがきましてね。さっそく、お返事を書いて、後で喜んでいただきました。実はそういう現象が起きる、もう一つ別の法則があるんですね。表面の現象だけでなく、その奥の法則を「不思議法則」
と勝手に名づけたんです。どういう法則かというと、たとえば、困っている人のために、また、家族のために、また、学会活動のために、
広宣流布のために、世界平和のために、世の中の正義のために、戦う。だけど、自分を殺して、自分が我慢して、すなわち、自分を粗末にしてやる人は、福運を失うと。したがって、自分を粗末にしているように、人からも粗末にされるようになっていくという法則があるんで
すね。私さえ我慢すれば、私さえ耐えていれば、いつかこの苦労が実
るときが来る。それまでは辛抱だと。「陰徳あれば陽報あり」と。やればやるほどひどくなるんです。これでもかこれでもかというくらい、ひどい目に遭うんです。つまり、それ、陰徳にならないんです。どうしてか?妙法の当体を殺しているから。同じ事をやっても自分自身

が喜びながら、楽しみながら、自分の命を輝かしながらやることは、これは福運になっていくんです。したがって、人からも大事にされる。ちょうど、今月のSGIグラフに奥様のことを池田先生がおっしゃられていますが、いつも奥様は微笑まれている。「幸せだから微笑むのではない。微笑んでいくことが幸せの因になっていくんだ。幸せだから
微笑む、幸せの結果として微笑むんじゃないんだ。どんな大変なときも、そこでにっこり笑っていく、その命に福運が増していくんだ。」
という一節がありましたが、まさに、不思議法則です。よく、たとえば、「折伏すれば開ける」「新聞啓蒙すれば幸せになる」また、「財務に何桁に挑戦すれば幸せになると、こういうのを餓鬼道と言うわけ
です。見返りを求めている。したがって、それが開けなかったら恨みになりますよ。菩薩道というのは違うんです。大聖人は「自他共に喜
ぶなり」とあります。だから、有名な徳勝童子の譬えがあるんですね。お釈迦様にみんながこう供養している様子を見て、僕も何か供養したい。何もさしあげるものがないから、土饅頭をこねてさしあげると。もし、このとき、徳勝童子がですよ、この土饅頭をあげれば、後で
功徳がある。阿育王に生まれ変わるんだ。だから、これをさしあげる
んだという取引のような気持ちでやっているとしたら、その時には、福運はつかないでしょうね。真心から喜んでしていく。その命に福運がつくんですね。ギブアンドテイクではないです。いわゆる自己犠牲
精神じゃないんです。一生懸命、自己犠牲精神で頑張っていればいつか功徳が出てくるだろうというのは間違いですね。この不思議法則。
自分を輝かせながら生きていく方と、自分が我慢していく方と、池田先生はどっちでしょう?明らかに前者なんですね。喜んでやってらっ
しゃる。そうじゃなきゃ、あんな詩は書けませんよ。いやいややりながら苦しみながらでは、あんな写真は撮れませんよ。(会館の壁にある池田先生が撮られた花畑の写真を指差しながら)池田先生の写真見
てください。先生の写真を見ていつも思うんです。あれ見ていると、ちょうど女子部や婦人部が,「先生」って行っているのと同じように
感じしません?あの花が。我々が撮るとなかなかああいう感じにならないですね、花がね。そこにただ咲いているって感じになるんですが。なんかこう訴えてくるものがある。どうしてだろうと思った。つく
づく思ったんです。法華経と言うのは「喜ぶ経典」なんですね。池田先生は喜んでいらっしゃる。喜びの生命(いのち)に自然が感応しているんですね。その喜んでいる自然を撮っている。だから、これ「自
然との対話」と名づけられたんですね。この前、この話をある芸術部
の人としました。先生と会食した時、先生はそうおっしゃっていました。「みんなにはわからないかもしれないけれど、僕は自然と話ができる。その対話の結果が写真なんだよ」とおっしゃられたそうです。確かにそうなんですね。この不思議法則。不思議というのは妙。法則
は法。すなわち、妙法の当体を粗末にする人は、福運を失うんです。妙法の当体を輝かせる人は、福運を増していくんですね。どっちで生きているか。表面はどっちかなんです。自分の生命を輝かせる、楽し
みながら生きる方向なのか。自分を卑下していく方向なのか。その生
命の奥底がどちらに向いているかが重要なんですね。
 

於保哲外ドクター部セミナー局議長指導2/5

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月25日(金)13時43分15秒
  実はこの日本文化、真面目というのが、先ほどから言っている「村の文化」なんです。出すぎた真似をすると村八分になるんです。白黒はっきりさせる人は嫌われるんです。村の文化の一番良い例が、私は、
村山内閣だったんではないかと思うんです。あの村山内閣の時に、阪
神大震災が起きたでしょ。その時の政府の対応にみんながやきもきしました。腹が立ちました。一番困っている人を何で救わないんだと。
政府は言う。「仕方がないです」「決まっている通りにしかできません」「全体としての救済はできますが、個々人としての救済はできま
せん」。本当に無慈悲の政府ということを露にしましたが、実は,村の文化というのは、そういう無慈悲な文化でもあるんです。人間より
も組織を優先するんです。ですから、人間を抑圧していくという文化
ですね。こういう実は文化が日本文化の基本を成しているんですね。ところが、もう一つの日本文化がある。これを、「海の文化」というんですが、ここで気がついたのが、野茂投手がアメリカに行きました

ね。あの行く時にちょうど、アメリカでは大リーグがストライキをしていました。行ったところでどうなるか分からないという情勢でした。また、向こうに行って、はたして大リーグで野茂が通用するかどうかさえ非常に危ぶまれた。マスコミは、こぞって叩きましたね。反対して、「何で行くんだ」と言いました。だけど、野茂は淡々と行きましたね。で、気がついてみるといつのまにかオールスターに登場して

いた。そうなると日本のマスコミは手のひらを返したように、出てきました。そして、野茂に「日本の国のために頑張る」と言わせようとするんですが、野茂はそう言いませんね。「楽しんでなげていきます」と。英語がベラベラだと思うと、英語があんまり話せないですね。
だから、勝利者インタビューでも通訳がついて話してますね。よく心細くないなと。この一連の行動を見ていると、どうも野茂は、日本人感性ではないなと感じたんです。そしたら、調べた人がいました。野
茂は大阪の生まれだそうです。しかし、両親は五島列島の出身なんですね。この五島列島というのは、昔の、室町時代とかですね、あるい
は前後、朝鮮沿岸や中国沿岸などを荒らし回った倭寇の拠点の島の一つだったんですね。で、東南アジアに日本人町を作った原動力になった島なんですね。今でも、海の男の島なんだそうです。したがって、

そういう文化を両親が持っている、そういう中で育っているんですね。この「海の文化」というのは非常に自立的なんですね。非常に活動家的なんです。そして、開放的なんですね。一方、「村の文化」というのは非常に世間体を気にし、また、保守的で、そして、自分の意見は、表面はにこにこしても、本音は違うという、たて前と本音を立てわけるという、こういうパターンがあるんですね。この2つの文化の

流れが日本の文化にある。だいたい、あちこちに行ってこの話をしますとおもしろいですね。やっぱり、海側はそういう「海の文化」が強いんですよ、で、山側は「村の文化」が強いんですね。ちょうどその両方が一つのゾーンになっているような地域に行くと、その幹部がね、「なんで同じ創価学会なのにこんなに違うんだ」という組織があり
ます。「あー、そういうことだったんですね」とおっしゃるんですが、2つの文化の流れがあるんです。日本のほとんどの宗教、哲学は、この「村の文化」をベースに出来上がっているんですね。それで唯一
「海の文化」の宗教があるってご存知ですか?これが日蓮大聖人の仏法なんです。日蓮大聖人は、「施陀羅が子」といって、「漁師の子」
なんですね。海の文化なんです。だから、身分制度が絶対だった、力を持つ時代においてですよ、「施陀羅が子」と。「施陀羅」というのは、サンスクリット語で「スードラ」ですね。だから、カースト制度
の最下層、「不可職選民の子どもであるということ」を誇りとされたですね。少々、顔が悪かろうと、スタイルが悪かろうと、人柄が悪か
ろうと、身分さえ高いところに生まれれば何でもできる時代だったんです。その時代の最下層ですからね。かたや、大聖人が戦った相手は国家権力の最高峰なんです。それと真っ向からぶつかるとですね、何の後ろ盾もなく、これはすごい対比だと、私は思うんですが、まったく身分制度とか権力を持たない大聖人と、かたや権力の最高峰。ぶつかりあって、大聖人が「わずかの小島の主らが」という言い方をされ
る。これは村の文化の人から見れば畏れ多くて言えないところですね
。海の文化の大聖人にして初めて言える言葉だったんです。大聖人の仏法というのは、まさに、「海の文化」の思想なんですね。そういう意味では、非常に自立している。また、非常に、そういう意味では、開放的なんですね。あるいは、進歩的なんです。そして、活動的なんですね。ところが、この大聖人の仏法が、大聖人亡き後お山に入るんですね。そして、その後は村化していくんです。村の文化に毒されていくんです。それが行き着いた先が「法主絶対」。したがって我々が

行ってもお目通り叶わぬ身」と。そういう発想になっていくんですね。この階級制が強いというのも村の文化の特徴です。昔の村っていうのは、庄屋から、本当に小作だと、庄屋さんの土間にはいつくばらなければだめですからね。日本ていう国は本当に時代錯誤だと。門を建っていい家と建っちゃいけない家があるんですね。そういう日本とい

うのは、着るものまでも身分で決まってしまう。このような「村の文化」。しかし、以外と「海の文化」というのは、だいたい、貧しい家が多くて、差があまりなかったんですね。そういう「海の文化」の大聖人の仏法でも、やっぱり村化するんです。そして,700年経ちました。牧口先生は荒浜の漁師の生まれなんですね。「海の文化」の中
で育っているんです。だから、あの時代に「村の文化」のような発想ではないですね、牧口先生は。それで、戸田先生もやっぱり、厚田で育ちましたね。生まれは石川県の、やはり漁師の家ですね。先祖は北
前線の船頭だったそうです。まさに海の男なんですね。池田先生も海苔屋の息子なんですね。そうして見るとね、創価学会は全部「海の文
化」なんですね。大聖人と非常にストレートにつながっているんです。その間に村化した部分をのぞいてね。非常に興味深いのは、創価学会の宮田教授が、私の先輩ですが、牧口先生の研究されておりますね。牧口先生が、もし宗門と直接出会ったらおそらく入信しなかっただろうと書いていますね。牧口先生は、創価教育学の土台になる宗教を

求めていたんですね。そういう自立すると、また、そういう論理的であると。そして、創価教育と言うと人間の可能性を開くと、生徒を温かい心で見ると。そういう教育ですから。その土台となる宗教を本当に思索されて、探されたんですね。そして、日蓮正宗に出会うですが
。当時、堀米日淳貎下と、この堀米尊師が当時中野の歓喜寮というお
寺ではない、出張所みたいな所をつくっていたんです。この堀米さんは、早稲田大学で哲学を勉強されていて、これからの仏教は、寺仏教ではもう何の貢献もできない。だから、在家仏教で、在家の人たちが活躍できる、そういう宗教運動を起こしていかなければならないと、
歓喜寮を作られたんですね。その堀米さんと牧口先生が出会ったものですから、いわゆる在家仏教運動を展開していくことと、牧口先生の
創価教育学と丁度合致して、そういう人間主義ということを前提としたそういう宗教運動が始まったんです。しかし、宗門から見れば、これは、今までの宗門の伝統にはないんです。したがって、最初からね
、いつも宗門から見れば「生意気だ」と「信徒が大きな顔をするな」というのがずっとあったんです。これはまさに「村の文化」と「海の
文化」の対立と言っても良いでしょう。狸祭り事件とか今までにいろいろありましたが、全部、淵源はこの元々の文化の違いにあるんですね。いよいよ、そのことが明確になったのが、現在の宗門問題が起こっての、今の創価学会と宗門の関係になっているわけなんです。そう
いう意味では、起こるべくして起こったと私は思っております。そういう前提があるんです。今まで話してきたことは前提なんです。非常
に前提が長くて申し訳ないんですが、原点に戻ってこの目を自分に向けてみましょう。
 

於保哲外ドクター部セミナー局議長指導1/5

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月25日(金)13時41分36秒
  日時/2000年4月23日会合名/「第5総県ドクター部。
白樺。医療技術部会合同部員会」
会場/厚木平和会館

はじめまして。第5総県にお邪魔するのは初めてだと思うんですが、神奈川全体の方は、神奈川文化セミナーをやらせてもらいました。こちらに来るのは初めてでございます。おそらく、初めてお会いする方がほとんどだと思うんですが、よろしくお願いします。ドクター部が書記局体制がなくなりましてね。副ドクター部長という役職が全部な

くなってしまったんです。それで、全部局になりましてね。総務局とかセミナー局とかですね、学術局とかというふうに全部局になりました。それでも不思議に書記長はいるんですけどね。書記とか、副書記長とか、副ドクター部を全部、先生が「そういうラフなものはいらな

い」ということでですね、罷免になりまして、その前からセミナー局ってあったんですね。私、セミナー局長だったんです。副ドクター部長兼任のセミナー局長だったんですが、それで、副ドクター部なくなりまして、セミナー局。普通、局なら「局長」でいいんですね。とこ
ろが,「局長では軽い.議長にしなさい」と.「セミナー局議長」というと、やはり、池田先生は詩人だなとつくづく思ったんすよ。我々で「
重い名前を考えなさい」と言われて考えたんですが、浮かばなかったですね。「議長」と先生が言われて、「あ、そうなんだ」と本当に納得したんですが。そういうドクター部の体制も、他の文化本部の体
制とは異質でしてね。ドクター部だけです、こういうのは。それは先生の期待も大きいなということを感じるんですが。そういうセミナー局をやりながら、こう、あちこちセミナーにまいります。何年か前の
2月頃、佐渡の見える柏崎にある牧口記念会館という牧口先生の生家
の近くに、牧口先生がお生まれになったところですね、そこでセミナーに呼ばれました。土曜日、午前中の診療で、午後、新幹線で行って、夜、セミナーをやったんです。質問会が終わって、全部終わったのが10時半ころだったんですが、その10時半から、折角来たのだから、牧口先生の生家を見てこようということで、地元の男子部の人に

お願いして、牧口先生がお生まれになった家に行ってみたんですね。今でも、敷地だけあるんです。間口五軒、奥行き九軒という、区画整理が丁度されているんですね、そのあたりが。全部そういう区画の家が並んでいるんですが、そのすぐそばに荒浜という海岸があります。そこから本当に2,30メートルぐらいですかね。ほんのすぐそばに
。荒い浜と書くんですね。すごい風がきついんです。2月、雪は積もっていなかったんですが。ちょうど、下からすごい、吹き上げてくる
ような雪でね。ちょうど、私の着いた翌日に、えーと、重油流出事件がありましたね。その重油が翌日に荒浜についたんだそうです。新聞で柏崎上陸と、新聞で読みました。その荒浜について何でお話するか
というと、牧口先生のお生まれになった地、また、時というのが非常に不思議なんですね。この荒浜から見て、佐渡は右前方に見えるんで
す。日蓮大聖人は佐渡に流されますね。流された時、こう鎌倉街道をずっと上がってきまして、寺泊、つまり、皆様方がいるところを日本海とすると、ここが荒浜としますね。こちらに本州がずっとありまして、佐渡はその辺なんですね(指しながら)。それで、寺泊というの
はこの辺なんです。それで、大聖人はこの寺泊に着かれて、そこで何
日か風を待たれて、そして、佐渡に流される。流されて、帰りはですね2年半後。今度はばんじん岬(?)といって、柏崎に上陸するんですね。これはちょうど、荒浜から見て、左前方になるんですね。こう全体を見渡すと、こう荒浜を中心にU字型を描いて、大聖人は帰られ

たんですね。そのU字型の頂点に、ちょうど牧口先生が生まれたんですね。それが、大聖人が流されてから何年後か、みなさんご存知ですか?ちょうど600年後なんです。佐渡流罪からちょうど、えーと、竜口の法難から600年後とよく言われますが、佐渡流罪と竜口の法難は同じ年ですから。大聖人が佐渡に流されてから丁度600年後に

、そして、大聖人が巡って帰ったその頂点に、生まれるという、まあ、不思議な時と場所の一致だなと感じたわけです。こういうのは「これで終わらないぞ」と勘が働くんです。「何かあるぞ」と。じっとこう思索したんですが。それで、だんだん見えてきた。日本の文化に2
つの流れがあると言われています。一つは「村の文化」。もう一つは
「海の文化」と言われているんですよ。この「村の文化」というのは、いわゆる、「長い物には巻かれましょう」。いわゆる、日本じゃ「世間体を気にするからと言われますね。この世間体を気にするというのの「世間」というのは、実は村なんですね。ですから、村を出てど
っかに行きますと、「旅の恥はかき捨て」なんです。日本国中、どこへ行っても、世間のはずなんですが、世間じゃないんです。もう、顔見知りのいないところは、もう世間を出るんですね。したがって、「旅の恥はかき捨て」なんです。村の中だけ、そういう意味では規則を
守ればいいんですね。だから、第二次世界大戦の時でも中国ヘ行って
さんざんひどいことをしてると。もう、若い女性を暴行したり、また、小さい子どもを虐殺したり、それはもう、村の外に出てますから、何やってもいいという、そういう倫理性が働かないのが日本的信条の
一つの特徴ですね。いわゆる、日本人にとっての「パブリック=公」
というのは、すなわち、村なんです。村からどう見られるか。これは、精神医学でも対人恐怖症というのがありますが、この対人恐怖症なんかでも、顔見知りが一番問題になるんですね。見知らぬ人はあまり気にならない。つまり、世間が問題なんです。顔見知りでないのは世
間じゃないから、あまり問題にならないんですね。日本人のこの心線の中に村意識というのは、非常に強烈に根づいております。人の目を
気にするというのは、大体、顔見知りの目を気にする。で、この文化。これは「白黒はっきりさせてはいけない」。出しゃばってはいけな
い。また、「ずうずしいのはいけない」というふうにずうーとこう言われるんですよ。今年こういうことを考えていてつくづくそう思ったんです。私の所に、精神科の患者さんと、いわゆる、アレルギーの喘
息とか、アレルギー性鼻炎とか、アトピー性皮膚炎とか、アレルギー性疾患の患者さんが主に来られるんですが、今までに一万人以上の患
者さんが来られました。その患者さんを見ていつも思うんです。みんな、真面目なんです。世間をみると、真面目な人も不真面目な人もいますよね。ところが、私の所に来る患者さんは不真面目な人はほとんどいないですね。ほとんど真面目なんです。一万人もいれば、一万人
くらい来れば、不真面目な方がいてもいいと思うんですが、いらっし
ゃらない。みんな真面目です。どうして、真面目な人が病気になるんだろうとやっぱり考えざるを得なくなってきますね。で、だんだん考えだして、去年でしたかね、聖教新聞の「ふれあい診察室から」という心のページに、「あそびとまじめ」という題で書いてたんですが、これ調べてみますと、「真面目」というのは、まず、原点に戻ろうと
思いまして、広辞苑を開いて、「真面目」ってどういうことなんだろうと調べてみましたら、なんとですね、「真心のこもった顔つき、態
度」と書いてあります。ちょっとふつうのイメージと違いません?「
真心のこもった顔つき、態度」。これが真面目だっていうんです。そう書いたらですね、聖教新聞の担当の方が違和感を懐いたんですね。もう一度、広辞苑をひきなおしたら、私が調べた広辞苑は第3版で古い奴だったんですが、今、第5版で新しい奴です。意味が変わっているんですね。「真面目」の意味がここ十年、二十年で変わっているん

です。それくらい、こういうことは気がつかないうちに、変わっているんですね。で、我々はふつう医学で真面目というのは「周りに合わせる.世間の常識に忠実に従って生きる.日本文化に従って生きる」ことをいう。こういうのを真面目と考えると思うんです。この日本文化というのがくせ物ですね。私が見るところ病気の文化なんです。すな
わち、謙虚、ひかえめ、謙譲の美徳、奥ゆかしく、男は黙って、女は
一歩退いて、人に気を使って、人に合わせて、自分が我慢して、でしゃばってはいけない、いい気になってはいけない、調子に乗ってはいけない、天狗になってはいけない、とにかく、一言で言うと「自分を殺せ」と言うのが日本文化なんです。だから、真面目な人ほど自分を
殺してますね。だいたい、真面目な人は個性がないですね。だいたい
、消極的ですね。世の中一つの組織を動かしたり、会社を引っ張っているような人は、だいたい、ずうずうしい人ですね。それで、図太い人ですよ。それから、非常識な人が多いですね。どちらかと言うと。それで、ワンマンの人が多い。こう考えると、今の世の中、いわゆる、日本文化から見て悪い人が元気なんですね。いい人がみんなこう元

気がない。病気になりがちなんです。結局、これを仏法という眼で見ますと、妙法の当体である自分自身を輝かしている人は、実は、考えたら、図々しい人ですね。図々しい人っていうのは、妙法に則って生きているんですね。こうやって、真面目で自分を殺すっていうのは、
妙法の当体を殺しているわけですから、これは謗法になるんですね。
そうしてみると世の中、一番良い例が自民党の代議士。まあ、あの当選者インタビューなんかで、テレビを見てると、まあ、図々しいと言うのかね、なんで、こんな奴に入れるんだっていう人が、やはり、こう大きな顔をして出ている。そういう人は確かに元気なんです。勢い
があるんです。それで福運があるんです。一方、真面目な人は福運がない。で、結局、よく池田先生が、「ずうずうしく、図太く、たくま
しくいこう」と、「口八丁、手八丁でいくんだ」とおっしゃりますが、これが実はね、そっちが正しいんですね。だから、今の世の中、「悪がのさばっている」と言いますが、むしろ、悪がのさばっていることが問題というよりも、「いい人が自分を殺す」という、間違ったこ
とをしていることが問題なんですね。だから、これからは、真面目な人が、いい人が、思いやりのある人が、心優しい人が、もっともっと
言いたいことをずけずけ言っていくと、正義を主張していくと、勢いを増していくと、そうなっていくと、今のさばっている、自分さえよ
ければいいという人が、だんだんだんだん肩身が狭くなっていくでしょう。そうなってこそ、牧口先生のおっしゃる、「人道的競争の時代」ではないかと私は思うんです。
 

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