「きっぱりと冬が来た」
このフレーズ以上に清々しく私に冬の到来を納得させるフレーズは存在しない。
「きっぱりと冬が来た」
「冬よ 僕に来い 僕に来い」
顔をあげて立ち向かって行かねばならないような、
断ち切って進まねばならないような、
冬は強い覚悟を連れて来るようで、私は厳粛な気持ちになる。
怠惰を助長する暑い夏よりも、私は冬が好きだ。
凍てつく外に出れば、自分は弱さをかなぐり捨ててここに立っていると感じるし、
木枯らしに逆らって歩けば、自分の中に意志があることをはっきりと感じるから。
「冬よ 僕に来い 僕に来い」
※ ※ ※
先日の降雪。
実は密かにワクワクしていた。
当地では午前中が雪、午後はもう雨になるとの予報。
気温もさほど下がらないようだし、たいした被害はなさそうだ。
よしよし。一番いいパターン。
朝起きた時には影も形もなかったのに、細い雨が降って来たかと思うと白いものが混じり、あっという間に惜しげも無く大胆に雪が降り始めた。
通勤途中の旦那は大丈夫かな。
次男も外を気にしながら、朝ご飯を食べている。
TVニュースが降雪への注意を呼びかける。
北海道の映像だろうか。風が雪を巻き上げながら吹き付けてくる様子が流れている。
『お母さんが子供の頃ってさ、冬はいつもこうだったんだ。
風と雪が一緒に吹き付けてくるから、視界が悪いし風が痛いんだよ。』
『吹雪?』
『吹雪。』
『傘 飛んでっちゃうんじゃない?』
『傘なんかささないよ』
『え、なんで?』
『なんで、って... そう言えば、なんでだろ』
『僕は今日 傘さしていいんでしょ?』
『うん、さしたほうがいいよ。さして行って』
いつもより厚着をさせた次男を学校に送り出す。
辺りはすっかり白くなっているが、雪の勢いはまったく弱くなる気配がない。
片付けを済ませ身支度を終えると、いつものようにパソコンの時間。
雪雪雪、雪のニュースでいっぱいだ。
頭には生まれ故郷の雪景色が浮かんでくる。
今日あたりは朝から雪かきだろうな。
しかし...
どう思い出してみても、やはり冬に傘をさした記憶はない。
玄関に傘がおいてあった記憶もない。
風が強いから? 手がふさがるから? 乾いた雪だから?
テレビを見れば、首都圏で雪に降られている人々は傘をさしているし、自分もこれから傘をさして出勤する。
うーん、あっちの冬とこっちの冬は違うんだよなー。
外に出ると、積もった雪を踏みしめながら歩く。
そうそう、雪ってこんな感じ。
なんだか嬉しくなってくる。
さっさと会社に行けばいいものを、児童公園の滑り台に積もる雪なんか撮ってみたりして。
雪の写真を長男に送ってみたりして。
朝っぱらからうざいだろ、ドヤっ。
歩き始めると、ほどなく返信が来た。
『こっちはマイナス40℃』
ぶ。マジか。どんだけだよ、ヤクーツク。
そっちの冬も、こっちの冬とは違うという訳か。
たぶん傘はささないよな。
極寒の世界。
生きていることを強烈に意識させられることだろう。
さぞかし暖かい経験と知恵に満ちた冬なのだろう。
いいなー。いいなー。
きっぱりしてて、いいなー。
おもむろに手袋をはずして雪玉を作って、
木の枝にぶっつけてやった。
雪がさらさら落ちてくる。
友達を木の下におびき寄せてからこれをやるのがお約束。
って、いや、こんなことしてる場合じゃないのだ。
遅刻遅刻~
※冒頭の 「」は 高村光太郎 詩集『道程』の中の『冬が来た』より抜粋です。