ソフトは、外からみても、どういうことをやっているのか、くわしいことは、わかりません。
どれも、たいして、ちがわない?それとも、おおきくちがう?
競馬ソフトのちがいがわかるには、ある程度、競馬のことも、わかっている必要が、ありそうです。
単純にいえば、よくあたるか、というあたりに、なるでしょうか。
わたしは、それだけでは、たりないとおもいます。
問題は、勝てるのかどうかということのはずで、では、どうすれば、勝てるのか、ということになると、
たいていのひとは、よくあたれば、勝てるんじゃないか・・・とか、おもってしまう。
いや、それきゃないだろう、いうしかない。
しかし、残念ながら、この公式は、たいてい、うまくゆきません。
というのも、何点ながしで、どれくらいの頻度で、あたると、勝てるか、
ということが、ほとんど、わかっていないはずです。
それを、だれもが、さがしていると、いったほうが、はやい。
それでも、競馬新聞では、成立しない。
だって、それだと、馬連2000円をこえるあたりから、ほとんど、あたらないから。
ここで、もう、さといひとは、わかるはず。
やすい的中を、くりかえしても、プラスには、ならない・・・ということです。
もっと、極端なことを、いうと、
勝つためには、あたればいいという、考えこそが、まちがっているのでは、ないか、
新聞が、なぜ、だめか、いうと、構造的に、おなじ考えになるひとが、おおすぎるからです。
けっして、予想が、へたくそだから、では、ありません。
(じつは、腹の中では、こいつらは、自分で、やってみて、勝てなかったひとたちだと、おもってます)
こういうひとが、ゆきゆきて、どうするか、ちゅうと、
新聞で、予想したり、自分で、有料サイトをつくって、つまり、予想で、めしをくうわけです。
でも、あたるのと、勝てることは、意味が、おなじでは、ないので、
そういうの買う馬券をしんじて、やっても、勝てることには、ならないだろうなあ・・・・と、おもうのです。
具体的な指摘を、1つ、いいましょう。
おおさかの、馬券裁判のひと、けっして、本命がくるから、本命に、ぶちこめば、払いがでかくなる、みたいには、やってません。
オッズに、おうじた、枚数も、やってません。
競馬ファンの大半は、ここで、もう、まちがっているのが、なんとなく、わかるみたい、です。
こういうのは、自分は、買わないで、かんがえると、かえって、わかりやすい。
はらいがでかいと、へらし、はらいが、やすいと、ふやすって、・・・・・
なんか勝ちたくない、みたい。
どれがきても、1万円になる、みたいな、やりかたのひとも、おおい。
くれば、いいけど、こなかったら、・・・・・・再起不能になる。
それをいうなら、競馬なんか、やめろ、いわれそう。
いや、オッズを基準にして、やると、ぜったい、勝てないのでは?いってるだけです。
大阪のひとは、
むしろ、ぎゃくに、オッズを、利用してる。
基準は、自分のねらいです。
つかないなら、やらない。
つくなら、ぶちこむ。
オズべったりじゃ、ないです。
自分が、くると、おもうのが、基準です。
これができりゃ、達人ですが、
達人になれずとも、オッズべったりは、だめです。
はやり、競馬は、自分の主観を、大切にしたほうがいいし、
新聞なんか、読むと、自分がまがるので、わたし作者は、いっさい、みません。つか、もともと、自分は、
競馬が、へたで、新聞をみると、自分なんかより、そっちのが、ただしいと、おもってしまうひとでした。
ずっと、これでは、うかばれない。それで、もう、そろそろ、新聞を、やめないと、自分は、一生、
ずるずると、この新聞に、ひきづられたまんまで、おわると、おもえて、
それで、競馬ソフトをつくるしか、自分を、すくう道は、ないと、確信したわけ、なんです。
はじめは、まるきし、あたりませんでした。
あたるようになったのは、スピード指数を、やめて、あとは、ぶちゃむくれで、自分まるだしで、
プログラムを、かいてからです。
自己流なんて、自分でも、しんじられません。
さいしょの、G1、皐月賞は、たったの800円でしたが、ゲットできたので、すごく、感動でした。
が、本当の、感動は、万馬券を、とれたときでした。
6つ、やって、1つだけ、1−3着で、はずれ。それも、ハナ差。きてたら、4万馬券!
いちばん、やすい的中で、2000円。
つまり、その日は、大荒れの日だったのです。
こういう日に、新聞なんかで、やると、ひどいめに、あうんでしょう。
pbの◎のが、くそ新聞より、はるかに、あたるし、万馬券まで、◎ながしで、年間かぞえきれないくらい、あたる。
ということが、だんだん、わかってきました。しかも、これ、ぜんぶ、オレイズム。
おれって、天才だったのか、なんて、ブタはすぐ、木に登る。
pbの印は、競馬新聞の、考えとは、あきらかにちがいます。
では、どこが、ちがうか、ということです。
(で、年間で、◎ながしで、どれだけ、万馬券が、とれるか、しらべたら、つくったあたしが、こしをぬかした。
あなたも、自分で、みたほうが、はやい! )
いいソフトなのか、そうでないのか、いろいろな、分け方が、あるでしょうが、
どうせ、勝てないなら、無料かそうでないかは、とてもおおきな、判断のわかれめです。
けども、無料なのは、つくった本人が、つかっているかさえ、あやしいです。
もし、つかってみて、以前の自分より、馬券収支が、よくなったら、ぜったい、ただでは、やらないとおもうのです。
名前を、いうと、・・・いえませんが、どれも、勝てないのばっかでは、ないかな。
以前は、フリーソフトが、たいへんに、おおかったものです。
WINDOWSとか、パソコンが、はやった、理由の1つには、それが、おおきかったということも、できます。
では、最近は、どうか、いうと、有料の、できのいいのが、そろってきてるので、
無料ので、おなじ性能なのは、めったに、ないようです。
競馬ソフトは、どうでしょう。
この分野だけは、まだまだ、まともな、有料ソフトは、ないようです。
どうして、そうなのか、ということが、ここのテーマです。
問題は、競馬の知性の、問題です。
競馬を、しらないひとでは、いくら、コンピュータに、くわしいひとでも、競馬ソフトは、つくれません。
現在の競馬ソフトの、ほとんどが、タイム理論であることを、ごぞんじでしょうか。
スピード指数というのが、それです。
JRA−VANとかみても、ほとんど、それで、つくられています。
では、スピード指数とは、いったい、どいういうものなのか。
私自身も、これをたよりに、競馬ソフトを、つくろうと、おもったものでした。
しかし、なにか、釈然としないものを、うっすらと、感じていたのは、たしかです。
それが、いったい、なにであるのか、ことばに、できるなら、競馬力なんて、みるみるまに、
あがって、しまいに、ソフトなんか、つくる必要が、なくなったことでしょう。
スピード指数というのは、つぎのとおりです。
いつも、馬が、全力で、一定の能力で、はしるなら、その走破タイムは、おなじはずであるが、
じっさい、そうなっていないのは、馬場状態が、ちがうせいであるだろうから、
当日の、トラックバイアスのちがいが、わかれば、その分だけ、逆算すればいい。
わかりやすい例が、重馬場です。
従来は、これを比べる方法は、ありませんでした。
おおざっぱに、3秒から5秒、かかる、みたいな、うけとめかたを、やってた。
これじゃ、ほとんど、意味ないじゃん、みたいな、かんじです。
スピード指数なら、当日の、トラックが、どれくらい、かかるか、わかるから、くらべることが、できるわけです。
ですから、これが登場したときは、予想の革命とまで、いわれたものです。
わたしも、とても、感動したのを、おぼえています。
で、競馬予想といえば、スピード指数、ということになっています。
でも、だめ、なんだな、これが・・・・・
こういう場合を、かんがえみてください。
体調の、よくない馬が、8着、やりました。
勝った馬より、1秒以上、おそかった。
当然のことながら、8着馬の指数は、勝ち馬よりも、かなり、悪くなる。
これで、いいでしょうか。
ま、競馬ファンの9割は、これで、いいじゃん。なにか、問題でも、あるのか?
というでしょう。
じっさい、競馬新聞でも、この8着馬に、◎をうつ新聞なんて、ないでしょうね。
では、もし、この8着馬が、次走、勝ってしまったとしたら?
競馬新聞が、なぜ、ろくすっぽ、あたらないか、という、理由が、ここにあります。
というよりも、なぜ、おおくの、競馬ファンが、こういう予想で、正しいと、おもうのか、ということです。
はずれ馬券を、厚めに買って、「勝負だ!」
なんて、いきまいて、 ガックリ、くる。
そして、スピード指数は、ただしい予想が、できたと、いうでしょうか。
新聞の予想は、ただしくないです。
だって、あれは、前回、きた馬に、順番に、印つけてるだけですから、
小学生だって、できる、
で、そうなって、いくらになるんだい?
こんなの、あてて、よろこぶのは、きょう、競馬を始めてやった人だけでしょう。
競馬は、あなをあててこそ、オレは、えらい!
て、いえるんじゃないか。
しかし、新聞は、発行部数が、おおいため、穴を、予想できません。
成績そのまんまが、いちばん、たよれるところですが、
競馬の本懐は、そんなもんじゃないのは、あほでも、わかるはずです。
さっき、いった、スピード指数。
一見、ただしくみえる理論にも、とんでもない、落とし穴が、あるものです。
その理論だけを、近視眼的にみるかぎり、どこにも、おかしなところは、ないように、みえます。
馬は、いつも、全力で、走る。うたがいようがない・・・・・
馬は、いつも、おなじ能力だから、おなじ走破タイムになるだろうな・・・・・
これも、うたがいようがない。
となると、タイムのちがいは、馬場のちがい、だよなあ。。。。。
もういちど、おなじことを、いいます。
競馬新聞は、なぜ、あたらないのか。
そして、競馬新聞を、ただしいと、おもえて、新聞を信じると、(すこしだけは、さからうが)、ほとんど、負けてしまうのは、なぜか?
ほとんどの競馬ファンが、気づけないことが、ここに、あるのです。
それは、ほとんどの馬が、じつは、体調がよくない、という、事実です。
おまえ、そんなでたらめを、よくも、いえるな。
なんて、かみつかないでくださいね。わたしは、事実を、いってるだけです。
もし、そう、おっしゃるなら、逆に、おききしたい。
馬が、いつも、全力で、はしる、なんて、どうして、いえるのか?
全力で、はしると、馬の、タイムは、いつも、おなじになるのか?
そら、ホンダの、スーパーカブとか、なら、いつも、おなじ性能でしょう。
でも、あれは、ガソリンエンジンですよね。
日によって、走り具合が、ちがったら、あぶなくて、そば屋さんは、片手運転なんか、できませんよね。
でも、馬は、いきもの、なんです。
うんちを、するんです。
感情というか、気分のちがいが、あるんです。
あなただって、そういう気分と、体調の、起伏は、毎日、感じているはず。
体調が、わるいときも、あるでしょうし、
ジョギングも、やすむことだって、あるでしょう。
犬の散歩で、いつも、ばててしまうのが、今日は、なぜか、犬に勝った、なんてときも、あるでしょう。
しかし、馬は、人間に、それを、いえません。
いっぽう、馬のくいもんは、たいへんに、高いわけで、
調子がいいとか、わるいとか、なんて、いっていたら、えさ代も、かせげないから、
調子がわるくても、レースをつかうことは、おおいに、ありえるわけで、
そういう馬が、タイムも、着順も、わるいのは、あたりまえです。
しかし、なんちゃら指数は、そんな、主観的なことは、かんがえない。
どのうまも、全力で、やった、結果のように、あつかうわけです。
ここに、微積分やら、すごい高等数学を、もちこんでも、こういう、やりかたであるかぎり、
8着馬の指数は、うんと、わるいに、きまってます。
人間なら、やすむような場合でも、馬は、やすめずに、でる。
だから、こんな、指数は、いうならば、ノーカン、でしょう。
人間のスポーツでは、体重別、男女別ですが、
馬の場合は、いっさい、わけへだて、ないから、
くたびれないやつと、くたびれるやつが、おおきく、わかれるのは、想像できますよね?
なんか、すごく、あっさり、もったままで、勝つ馬も、あります。
もったまま、というのは、騎手が、なにもせず、馬なりで、やって、ということです。
しかし、新聞は、そういうことは、いいません。
新聞が、いわなきゃ、自分で、疑問をもって、ということになりますが、
それが、できりゃ、だれも苦労はしない。
わたしみたいに、ジタバタ、本を、買ってきては、競馬力を、よくしよう、なんて、
たいていのバカは、やらないようです。
あ、はっきり、いって、すみません。
新聞を読めば、競馬なんか、だいたい、わかる、っていうのは、
たいてい、ぼろ負けしてるはず。
このせちがらい、世の中、だれが、そういう、横着が、勝つような、ことを、
やってくれる?
それで、勝てるなら、他人なんかに、おしえないで、自分で、馬券を、買うよね?
つまり、これをしんじて、買っても、あたっても、馬券で、勝つのは、むり、って、わかってるから、
他人に、おしえているんです。
こういう、構造は、はやく、きづいたほうがいいです。わけもなく、善意のひと、なんて、いませんから。
なかでも、本命を、おしえる馬券会社は、悪質です。(あなをおしえる馬券会社、なんて、ありません)
本命いっぽんは、ゆいつ、かてそうな、感じがしますが、
これこそが、いのちとりになるやりかたで、佐賀の亭主殺害、和歌山のカレー事件も、これです。
サクラチトセオーという、馬がいました。
みんなが、ダービーで、わいわい、さわぐころ、こいつは、やっと、500万クラスを、勝った。
じゃあ、能力が、たりないのか、いうと、さにあらず。
のちに、天皇賞で、逃げるジェニュインを、とらえて、栄冠をゲット。
しかし、この馬は、とちゅうで、人気になっては、凡走をくりかえしたのです。
わたしは、こういう、成績が、はちゃめちゃの馬が、予想できたら、いいなと、おもいました。
調教師いわく、
この馬は、めちゃくちゃ、がんばるから、自分で、故障してしまう。まともな体で、でたことなんて、ないです。
体調管理。
調教師の、苦労は、ここいらへんになりそうです。
こういう馬を、スピード指数で、やると、新聞と、おなじように、やられるだけでしょう。
じゅうらい、予想というと、走った成績を、そのまんま、指数にしてた。
これでは、着順でやるのと、たいした、ちがいは、ありません。
スピード指数の盲点は、調子のいい馬ばっか、でると、えがいたところにあります。
現実には、馬にとって、レースは、体力の限界ぎりぎりで、やるので、故障がちになります。
故障といっても、ぴんと、こないでしょうか。
あれだけの速度で、はしると、骨は、圧縮加重を、うけるため、骨が、つぶれます。
ソエが、でます。
ソエというのは、骨が、運動加重のせいで、ふくらむことをいいます。
骨瘤といって、ほねが、とびだして、こぶになることもある。
どちらも、相当に、痛い。
で、テキは、おきゅうを、したり、笹針うったり、バンテージまいたり、します。
お化粧で、やってるわけでは、ないです。
関節に、炎症が、おきる馬も、ある、
最悪は、脱臼、複雑骨折で、これは、レースのその場で、殺処分されます。
競馬が、すきなひとは、こういうことは、ききたくないでしょうが、
馬は、経済動物であるので、こういう過酷な、ありさまになるのです。
あなたは、つよい馬が、すきでしょう、
いつも、勝つ。
すると、どの馬も、たいしたことに、ならないみたいに、つい考えてしまう。
そこが、競馬で、勝てない、最大の理由です。
ほとんどの馬は、むりをするので、1回、走ると、体力が、がくっと、おちる。
ですから、天皇賞 ジャパンカップ 有馬記念を、3つとも、勝った、馬なんて、いません。
厩舎だって、そんなことは、わかっているので、どれかしらを、足慣らしにするわけです。わざと、負けることも、ありです。
ホキっときたら、もとも、こもないわけで。
連勝する場合は、わざと、途中は、やすむはず。
これを、やすみあけだから、どうか、などと、かんがえては、いけないわけです。
予想をするなら、こういう、主観的な、見方で、やらないと、いけないと、おもうのです。
なお、こういう主観を、あらわすデータなんて、ありません。
だからこそ、それが、予想なんじゃ、ないですか?
たとえば、インコースをついて、勝った馬。
せりあって、勝ったうま、負けた馬は、次回、人気でも、消しです。
単騎で、にげた馬も、人気になれば、はなしは、ちがいます。
こういうのは、いくら、新聞を、みても、わかりません。
信じると、かえって、はずれます。