今回は、短文でさらさらっと核心を突いて終わらせる予定です
話のアウトラインを先にささっと書くとするなら、4年間ほど続いたニート時代初期は仕送り5万円ほどからスタートして、度重なる交渉によって月額40万円まで上昇し、それでも飽き足らずに消費者金融からの借金(主にブランド品調達やキャバクラに使用)をしていたら、タイミング悪く父が体調を壊して仕送りがストップし、家賃も支払えなくなった僕は夜逃げするという不運で悲惨な人生を過ごす羽目になった、という感じである。
100万円ほどに膨らんだ借金は、全てお父さんが支払ってくれて事なきを得たものの、総合的に考えて僕は、なんて辛く、日の当たらない数奇な人生を送ってきたのだろう、と身震いが止まらない。
あの頃の僕は、日本一の不幸せ者だった
朝から晩まで先が見えず、仕事もしていないから、寝てばかりいた。
「お金があったから、お金を使ってしまった」という当たり前の前後関係によって、僕は不幸になった。
ネットの世界で、己の苦しみについて語る人はぎょうさんいるが、僕よりも辛い人生を送って来た人はごく少数しか存在しない。
本当にあの頃の僕は被害者だった。弱者だった。悲惨だった。
良く耐えたな、ごくろうさま、と自分を褒め称えてやりたい。
過去の自分を救ってやるつもりで、不遇なニート時代のことを余すことなく書かせて頂く。
(これは故郷で撮影した2枚なのだが、本来僕はこうした肥沃な土地で、さんさんとした陽光を浴びながら羽を広げて、畜産動物たちと駆けっこをするのが性に合っている)
散財内訳報告
自己啓発の本やCD・DVDにずぶずぶにうつつを抜かし、100万円以上投じてしまった
ナポレオン・ヒルにジェームス・スキナーに斉藤一人に中谷彰宏に神田昌典といった、業界の大御所へ大枚を流し込んだ。
月額会員になるとCDやDVD、メールマガジンが送られてくるコースに悩むことなく入会し、それだけでも毎月数万円は飛んでいった。
色事にもどっぷりと沈み込み抜け出せなくなった
優しいお店、厳しいお店、多国籍なお店など、ジャンル問わずに足を運び、財布から万札を引き出して次から次に手渡した。
それでも総額300~400万円程度だろう。
とりわけ高円寺駅の通りにある、喫茶店風のお店には朝昼晩と3回行くようなこともあり、贔屓にさせて頂いた。
「3番シートにユミちゃん向かいま~す」といったようなコールが懐かしい。
洒落たモノへの執着も激しかった
唐突にティファニーのネックレスを部屋の飾りとして買ってみたり、アバクロなどアメカジ系の服や、EVISUジーンズというカモメペイントが特徴の6万円くらいするズボンを複数枚買ったりと、おしゃれを忘れないように気をつけていた。
靴も、レッドウィングという5万円くらいの革靴や、ナイキが他メーカーとコラボして出す高くてお洒落なスニーカーをいくつも集めたり、財布もルイヴィトン、ブルガリ、サルヴァトーレフェラガモなどを意味もなく次々に入手した。
あの頃は、室内でもサングラスを掛けるのがトレンドだったから、Ray-BanやDiorの商品を買い漁っていた。しかし、僕が童顔であったため似合わず、そのどれもがインテリアとしての価値しかもたらしてくれなかった。
限定物とブランド物という企業が打ち出す釣り餌にまんまと食いついてしまい、仕送り40万円では何も出来やしない、と落胆する日々だった。
というよりか、己に自身がなくて日がな一日ビクビクする臆病者であったから、ブランド品を身につけて自我拡張をしないと、外を一歩も歩けなかったのだ。
スノボーにもハマってしまった
BURTON、VOLCOM、OAKLEY、RIDEという一流メーカーの板や鞄やゴーグルを買い集めていたら、数十万円単位で金が消失した。
アイテムを揃えたら終わりではなく、一日全力で滑りに行くと1万円は飛んでしまうため、気づくと財布がすっからかんになっていた。
習い事もいくつかやっていた
大手の芸人養成所、役者のチケット制スクール、ボイストレーニング、マンツーマン筋力トレーニングなどだ。
とりわけ吉祥寺だったと思うが、そこで習っていた加圧トレーニングは高額で、月8回で6万円以上だったし、入会金もキャンペーンなどがなくて高かった記憶がある。ちょうど流行りだした頃だったから、短期的に儲けようとするジムだったのだろう。
そういえば杉並区の総合格闘技ジムに通っていたことがある。
ずっとジャブばかりやらされたけれど、ストイックな格闘家になれたみたいで、自己陶酔出来て楽しかった。
サンドバッグを殴って拳に血が滲んでる自分かっけー、という思考になっていた。
他にも、ダンススクールやトレーニングジムなど、入会金だけ納めて一度も通わないことが幾度となくあった。
というのも当時、女の子恐怖症だったから、受付のときに、可愛い子に笑いかけられると赤面したり手が震えたりし、「私のこと好きなの……?」と誤解されるんじゃないかという不安で心臓が縮まったような苦しさにやられていて、入り口近くまでは行くが、入れなくて引き返していた。
サプリメントなど健康補助食品も大量注文した
ビタミンC・ビタミンE・亜鉛・コエンザイムQ10・プラセンタ・ホエイプロテイン・アミノ酸など。
あらゆるメーカーのサプリを買って試し、小林製薬に落ち着いた。
パソコン機器にも惜しみなく放資した
秋葉原のTSUKUMOという専門店で、BTOという購入者が自由にカスタマイズして注文が可能なパソコンを、情弱ゆえにとりま最高スペックにしてもらって買った。
自宅に四台パソコンを並べて、アニメ、ニコ生、ニコ動、チャット、スカイプ、テレビ、2ch、YOUTUBE、タイピングゲーム、オンラインゲームなどを、同時起動してマルチにコンテンツを消化する日々であった。
キーボードなども東プレのREALFORCEや、FILCOのMajestouchといったハイブランドを追求し始めると、胸が躍って集めるしかなかった。
生き物の飼育にも挑戦した
値の張る金魚を数匹飼ってみたこともあるのだが、持ち前の無責任さによって飽きてしまい、12オンスのプラスチックコップに入れて、近所の公園のベンチに座っている知らないおばあちゃんの隣に放置して、逃げた。
見捨てるような真似はしないだろうから、今でも強く生きていると良いな~、と思う。
アニメフィギュア収集にも凝っていた
フィギュア関連もねんどろいどを中心に大量買いして、部屋の出窓にテーブルがついていたから、そこに所狭しと数十体並べていた。
(iPhoneの待ち受けにするため撮影した、この画像しか残っていないのが、誠に残念である)
ゲームもやりきれないくらいに積んでいた
スーパーストリートファイターⅣ、グランド・セフト・オート、Age of Empires、三國志、AIR、クドわふたー、彼女×彼女×彼女など、定番からギャルゲーまで幅広くプレイしていた。
肌をつるつるにしてモテ度を向上させようと思っていた
美容にも興味を惹かれてしまい、品川駅近くにある光治療をしてくれるエステで、一回7万5000円ぐらいだったかの施術を何度も受けた。これは、輪ゴムでぱちっぱちっと肌を叩かれているような小さい痛みに我慢すると、肌がつるっつるになるというようなものだった。
それだけでなく、新宿駅南口にある美肌になれると有名な皮膚科に行き、ケミカルピーリングという薄汚れた角質を落とす治療(当時2万円ほど。現在は1万円しないくらいと思われる)を受けて、水晶玉みたいな肌にしようと頑張った。
こうしたお店で売り出されている、一本5000円程度の化粧水や乳液、日焼止めも一通り買って、試してみた。
整形などそういったものに関しては、自分の顔に不満が微塵もなかったから、一切手を付けなかった。
姿勢を良くするために、週に一度くらいのペースで整体にも通った。これはあまり効果がなくて、骨をバキバキと鳴らされるのは体に良くない気がして、すぐに辞めた。
芝居やミュージカル、サーカスの観覧も日常茶飯事だった
宝塚や、劇団四季をはじめとして、素人レベルの演劇発表会も鑑賞した。
S席などを確保すると1万円近く掛かる訳だが、決して無駄にならないほど圧巻の舞台を見せて貰えるし、独特の緊張感、高揚感に包まれて、行く度に生きている実感を得られた。
ただ、疲労困憊しているときにウエストサイド物語を観に行ったときは、途中60分くらい眠り込んでしまった。
思いつきで流行の品を買ってしまうことが多かった
電子ピアノを買って、ひぐらしの鳴く頃にの『YOU』や東方の『お嫁にしなさいっ!』『Help me,ERINNNNNN!!』やキャナァーリ倶楽部の『ドキッ!こういうのが恋なの?』という曲を練習していたが、二週間ぐらいで庭に叩き出してしまった。
5万円以上するミキサーを買って、バナナシェイクを自作したりもした。お店販売のものよりも、キンキンに冷えた良質な味を堪能出来たから、胃のことなど気にせず何杯もごくごくと浴びるように飲んだ。
散財内訳発表はこんなところである
冒頭で説明したとおり、僕は田舎育ちの純朴な人だから、東京の成金趣味の奴らと比べると、慎ましやかな一人暮らしをしていたなと自己評価している。
彼らは野蛮だし、ああした悪徳塗れの人間にだけはなるもんか、と自分に言い聞かせていた。
縁者に感謝し、謙譲の美徳を忘れなかった。
今だから分かる、親の仕送り法の失敗点
良くないなと考えられるのは、毎月決まった日に振り込みをするという単調さのせいで、受け取る側の僕がマンネリ化してしまって、日常のモチベーションが低下してしまうというところだよね。
本来であれば、部屋を片付けたら5万円支給、筋トレを一ヶ月間継続したら20万円支給など、インセンティブ形式で、月額40万円まで出すという風にしておけば、僕はすくすくと成長しただろうし、実にもったいないなと思わざるを得ない。
途中で、そうした初歩的な誤謬を正すことが出来ていれば、僕はもう少しまともな大人になっていただろう。
(借金生活をしていた頃に住んでいたぼろ屋には、小さな友達がいた。壁に穴を開けてまで会いに来てくれた。古いガラケーで撮影したため、画質が悪い。ハムスターだと思う)
(借金のせいで食事にお金が回らなくなって、こういうものばかり食べていた)
仕送り額を40万円にまで高めた方法
単純明快、豪快に泣き喚きながら懇願しただけである。
「今しかないんだよ……今が、僕の人生で一番に……物事を吸い込める……脳が柔軟な時なんだ……! 今を逃し……たら、一生……後悔する! 頼むよ……ぉぉ!」
パソコンのメモ帳で、ネゴシエーションスクリプトを何種類か自作して、父がこう発言したらこう返す、母がこう怒ったらこう宥める、など、事細かに流れを決めておいた。
感情の勝負にどう打ち勝ち、どう頷かせるか、を考えに考えて、あらゆる確度から説得を試みた。
でも小細工は不要だった。必要なのは情熱だけであった。
引きこもりニート時代の生活について
ニート生活の初心者だった頃は、退屈さに打ちひしがれていた
一時期チャットルームで、『8歳ぐらいの幼女の叩くタンバリンの音が好き』という文章を朝から晩まで張り続けることで利用者に迷惑を掛けて、IPBANされてしまい、アクセス禁止、出禁となったこともあった。
僕は彼女が欲しくて溜まらなかったから、プライベートチャットで、「会おうよ」といった類いの発言を連発していたら、何十人もの女の子に通報されてしまい、一部機能が使えなくなったりしたから、その腹いせに荒らしを行っていたんだ。
ニート初期は、家賃と光熱費しか出してくれないという悪性の環境で生きていたため、こうした根暗な遊びに興じるだけで、日が暮れてしまった。
自由に使えるお金が少ないと、人はネットの荒らしになってしまうんだよね。
無職初心者だった頃は、プルルルルルッッ! と隣部屋から電話の音が鳴るだけで、心臓が跳ねて汗がだくだくと垂れた
仕事もしない、友達もいない、彼女が出来たこともない、こうした暮らしをいつまでも続けて良いのだろうか、と甚大なる不安が膨らんでいたからだ。
胸が苦しいときは、2chの検索窓に、『23歳無職』『23歳ニート』『23歳クズ』などと打ち込んで、似たような境遇の仲間を見つけて、胸をなで下ろしながら生きていた。
こうやってほとんど引きこもっていると、狭い空間でイベントの起きる物語が好きになる。
『四畳半神話大系』『NHKにようこそ!』『げんしけん』など。
当時の僕にとってアニメは救いでもあり、絶望でもあった。
なぜなら大概の作品世界で、恋愛エピソードがあるため、彼女いない歴=年齢だった僕は、自分だけが損をしている世界だ……と極端な恐れと、不公平を感じて精神がおかしくなってしまったからだ。
『天使な小生意気』や『君に届け』を観ながら、「彼女欲しい……彼女欲しい。なんで僕だけ彼女が出来ないんだろう。すぐ結婚したい。彼女さえいれば全てが変わるのに……」と落涙してばかりだった。
それで少しでもスーパーモテ男に近づこうと思って、散財内訳の欄に書いたように様々なことに取り組んだのだ。
僕は努力家で几帳面で繊細だから、非モテの未来なんて絶対に厭だ……という強迫観念に苛まれながら、人の100倍頑張った。
格闘技を観て筋トレもした。フランクシャムロックやマークハントのPV動画を観て、叫びながら、重り入りのリュックを背負って懸垂したり、部屋をウサギ跳びした。
僕が一生懸命だということが、お父さんとお母さんに伝わったからか、「ピピが生きているだけで幸せだよ」と、一週間おきくらいに電話で言ってくれた。
仕事というのは、誰かを喜ばせて対価を貰うことだと思うし、その軸で考えるならば、僕は何もしていないけれど仕事をこなしていたということになる。
そのため、月々40万円の仕送りを貰っても罪悪感はなかったし、むしろもう少し昇級してしかるべし、と考えていた。
だって僕が、『加圧トレーニングのジムで、バーベルを持ってスクワットしたよ! in吉祥寺』という写メールを送信したら、受話器が震えるほどに大きな拍手をしながら喜んでくれたから。
このように人に感謝され、お金を稼ぎ生きていた。
当時の時代精神はまだ、「オタクキモい」が主流であったから、誰かとアニメの話をするでもなく、黙々と一人で観るしかなかった
アニメは日に50話視聴など当たり前で、やることが積み重なっているときなどは、1.5倍速視聴をしていた。
そうしながら、ニコ生の女の子が放送事故を起こさないかを監視し、更にPCゲーム・エイジオブエンパイアなどで帝国を建設し、農民や兵士を働かせていた。
他には、ニコニコ生放送で盛んだった喧嘩凸というコンテンツが好きで、グモハン・エセアカ・凸激者あっきー、ばくはげ画伯、ちくしといった喧嘩っ早い生主が行う、スカイプでの口争い放送を、朝から晩まで視聴するなんてこともしょっちゅうだった。
ホストクラブでも働き始めた 最低保証金は5000円だった
ニート後期の出来事であった。
初回料金を自分で設定してキャッチに行き、成功するごとにその場で現金払いして貰えるのが魅力的だった。
僕は大概、一人1000円で設定していた。
4人連れに声を掛けて店まで連れて行くと、すぐに4000円貰えて凄く得した気分になった。
危険組織の抗争や、危ない粉の売人と警察の追いかけっこも目撃出来て、良い経験になった。
ちなみに僕が働いていたお店で暴行事件があった。
店に多額の売り掛けがある太客に逃げられたプレイヤーの一人が、借金を背負うのが嫌で逃亡したのだけれど見つかってしまい、顔面が腫れ上がり、焼け焦げたような色になるまで殴られ蹴られていた。
「ぐいぐいぐいぐいぐいぐいよしこい!」など、一気コールするのも厭でしょうがなかった。
トルネードマートという4万円ぐらいするトンガリ靴まで買ってホスト稼業に精を出そうとしたのだが、客に相手されなくて悲しくなり、早々に引退した。
ヘアメ(髪の整え)なんかも、毛根に傷がつきそうで耐えられなかったんだ。
でもホストを経験したことにより、女の子恐怖症が吹き飛んで、ヒモを目指したり、ナンパで彼女を獲得しようとするアグレッシブさを手に入れられた。
このとき、使う機会がないのに、携帯電話を3台も持っていた。
ナンパ師やヒモ師に憧れていたから、なりきりのために。
ストナンに心酔した
ホストをやり始める少し前くらいに、今も親友の鬼野原げんた(仮名)という奴と知り合って、新宿や池袋や上野で朝から晩までナンパをするようになった。
そうした日は家を出る直前に、手が震えるまで逆立ちし、それからバナナを食い、エビオス錠と亜鉛をごさっと口の中へ、多量に突っ込んで、ココア味のプロテインで流し込む。
こうすることで緊張感が薄れるどころかハイになり、「100人声掛けしてやるぞ」という気持ちが沸き上がった。
逆に言うと、それだけやらないと怖じ気づいてしまうということだ。
一人暮らし時代に感じた、東京の極悪非情さについて
カントリーマアムを袋のまま電子レンジでチンしたら、もくもく黒い煙が出てきて火災警報装置が夜中に鳴り響き、近隣住人が飛び出してきて大激怒されたこともあった。
ずっと、「ピーピー火事です! ピーピー火事です!」と機械音声が流れるもんだから、玄関にあった釘抜きハンマーで天井の機器を叩き壊した。
そのせいで、管理会社の人にまで注意されてしまう始末。
本当に東京という街は、酷いなと思った。
あと真夏なのに生ゴミを放置していたら、小バエが百匹近く発生して、大慌てでファブリーズを部屋全体に振りまいたこともあった。
こうした危険性がありますという説明を、不動産会社の人たちは一切してくれなかった。
これが東京の実態なんだな、と虚脱した記憶が鮮明に蘇る。
ここまで書いてきたように、僕は一生懸命頑張って生きてきた
トラウマ必至の暗黒時代を、どうにかこうにか生き延びた。
なのに辛かった思い出をブログなどで語ると、「ニートだ」「甘ちゃんだ」「スーパーナチュラル責任転嫁マンだ」など誹謗中傷のコメントをされてしまい、過去だけでなく現在進行形で辛い思いをしている。
どうして社会のモブキャラクターでしかない僕が、人格攻撃をされなくちゃいけないのだろう。
「良い人生だね」「君は頑張っている」などと反語で責めてくる社畜もぎょうさんいる。
だから最後に、私怨ではないけれど、誹謗中傷が趣味になっている社畜など、そうした人々について少しだけ書き込んでおく。
おまけのようなものだ。
一部の陰険な社畜によるニート批判の実態
以前、北海道にあるトラピスト修道院を視察しに行った際に感じたことなのだが、人は極度に我慢を強いられると、悪魔に取り憑かれやすくなる。
前述の修道院がどうのこうのというよりか、世界全体の修道女の歴史を見てみると、残忍なイジメが執拗に繰り返されてきたのが分かる。
つまり、過分な忍耐の副作用の一つに、理性の崩壊があるのかもしれないということだ。
日頃、「社会のため!」「多様性!」「貢献意識!」など叫んでいる社畜が、他方では僕という小さな単位に対して、「働け」「穀潰しが」「税金泥棒」などと、惨い暴言を平気で放つような事例がいくらでも存在する。
つまり外形判断という奴で、他人の表層だけを見て良い人間か悪い人間かを理性抜きで決めてしまっているから、これは黒人差別のからくりに酷似していて、人間とはこの程度か……と幻滅せざるを得ない。
自己利益を貪ろうとして表の仮面と、裏の仮面を使い分ける器用さ、そうした醜さ、狡猾さの際立った者が溢れた社会になっている。
橋下徹が先日、『多様性とか寛容性という言葉を出す人に限って、多様性とか寛容性がない。トランプのような考え方をちょっと耳にするともう、「あいつは非人間的だ! あいつは人間としてどうしようもない!」と徹底して感情的になる。攻撃していたのは、まさにポリティカルコレクトネスを遵守する人たちで、一瞬そこを――自分たちの正義に触れられると、こんなに非寛容になり感情的になるのかと怖かった』と、橋下×羽鳥の番組の中で語っていた。
社畜によるニート批判もまさにこれで、社畜やニートという言葉が市民権を得たことによって、「働いている俺様がニートと同格視されているのか? っざけんな。こっちのが偉いんじゃ!」と高圧的な態度を取り、自己保守に走ろうとしている。
感情をコントロール出来ない人は、仕事の質にも波があるため、人を指導するような素質や器がなく、どんなに頑張っても万年平社員の座に座り続けることになってしまい、そうした職業人生に納得が行かなくなった頃合いに、「俺はニートなんかより偉いんだ」と、働く自分を絶対視するようになり、ニートに迷惑を掛けるわ、仕事も出来ないお荷物になるわで、社会環境の悪因子へと変わり果ててしまう。
そういう自分のことがままならない癖して、忠告や先導など、他人の生き方に横槍を入れるような者は、ヒーロー気取りなナルシシズム屋さんであり、逆に人に迷惑を掛けてしまう確立が極めて高い。
ブロガーや芸能人志望者の中にも、己の地位が安定していないのに、「みなさんの笑顔のために」「みなさんの人生が良くなればそれだけで幸せです」という偽善家をいくらでも見掛けるが、そういう自己陶酔しちゃってる人たちに限って、自分の価値観からずれた人を見ると、即時に不快になり、その悪感情をを解消するため遠回しな攻撃に打って出る。
正義というのはまち針みたいなもので細いんだよ。
そんな適用範囲の狭い道具を持って、自分が民衆を救うメシアにでもなったような顔をされても、観衆が嘔吐してしまうほどの寒気がするだけである。
自惚れる暇があったら、「わたしは自分と似たような仲間を集めて傷の舐め合いがしたいです。人を救うフリをして、自分が一番認められて稼ぎを得たいです。嘘をばらまいて心を満たしたいです」と偽りのない本音を世間に伝える方が良いのではないか。
綺麗な言葉で周囲を固めて自分を守りながら、素敵な人だと思われたい、頑張っている人だと思われたい、という本音が透けて見える。
小賢しい、後ろ汚い、烏滸がましい。
人間は例外なく悪い奴なんだよ。不倫も浮気も環境さえ揃えばするし、状況次第では裏で誹謗中傷だって垂れ流すんだ。
そういう自分を認めたくないからって、正義という愚者でも着られる安いファッションで身を固めるのは辞めなよ。
そうした人間の卑屈さを叩き壊して欲しいという希望も込めて、僕はドナルド・トランプを熱烈に支持している。
働いている者は偉いという驕り高ぶった態度
有職者も無職者も生きているだけで、偉いんじゃないのか。
切羽詰まって働いていると閾値が低くなって、瞬間湯沸かし器的に他者を貶めたくなることは誰であれ経験があるから仕方ないにしても、もう少し落ち着けないものかね。
いじめられっ子ほどいじめっ子になるという説を聞いたことがあるけれど、これは良く言ったもので、働いて心が疲れてくると、働かない人に嫌みを口にしてストレスを解消しようとしてしまいがちなのだ。
傷ついた結果、人は心を修復するために暴れ牛じみたならず者となる。
チンピラの過去に目をやると、親に虐げられていたり、学校で無視されたり、心の病を発症していることが多々ある。
人が異常行為に打って出るというのは、傷付いた心を癒やすためなんだよね。
精神が狂いそうになりながらも社畜を続けていると、人の心を失ってしまい、静かにまったり暮らす牧歌的なニートに暴力を振るようになる。
つまり過酷な労働を強いられながらニートを憎しむ日々を送るというのは、本格的なチンピラになるためのトレーニングをしているも同じなのだ。
だから、心が壊れないように自分のこと第一主義で過ごすことが、回り回って人間社会に最も恩恵をもたらす暮らしぶりといえる。
人間とは面白いもので、傷付けば傷付くほどに、屈折した厭な奴になってゆく。
これは僕自身を振り返ると、痛いほど良く分かる。
時折、「傷付いた者ほど人の気持ちを分かってあげられるようになる」という意見が上がるけれど、それは、「痛みの経験則を元に、過去の自分と似たような人間を味方につけて金銭や名声を得やすくなる」という風に置き換えて考えるべき事柄であり、そうした利己的同情スキルを最大限発揮するには条件があって、どん底から這い上がり社会的成功を少なかれ収めなくてはならない。
綺麗事抜きにいえば、苦しんでいる者は、苦しみによる悲鳴を公共の場に撒き散らして、ただただ絶望し消えてゆく。
このような明らかなる事実を、優しい言葉で覆い被して生きると、漸次的に心がますます蝕まれて行き、自分にも他人にも迷惑を掛けるようになる。
であるから、全ての人は自分がクズであることをきちんと胸に刻み、愚かであることを前提に生きるべきなのだ。
本音を隠して嘘ばかり吐いて綺麗になろうとする人は、いつか社会の癌になる。
そして仕送り40万円で生活するニートを、腐したりするようになってしまう。
税金とは国民の貯金 食い扶持に困ったニートの安全網
働かず貯金もせず遊び暮らした結果、日々の生活に困ることになったら、そのときは国家の税金に頼れば良い話であって、日々税金を支払っている者は、憚ることなく大手を振って国家財産で生き延びても良い。
それを許さない人というのは、日本国憲法第13条・幸福追求権を不当に奪おうとするゴロツキ崩れであり、税金を納める義務を履行している者は、どんな理由であるにせよ、困った際に一つ返事で支援されてしかるべきだ。
国家の財産というのは、我々国民の貯金でもあるのだから。
憲法的常識を逸脱した社畜たちが意想外に数多くいて、彼らは、ニートを筋違いの論で押しのけようとする。
労働に疲れているからだと思うが、その主張はことごとく論理破綻していて議論にもならず、挙げ句の果てには、「取りあえず働け」など人格攻撃を開始し、感情論で押し切ろうとしてくる。
僕のような弱者男性に、救いの手が伸びる社会になるべき
ありのままの本音を曝け出して生きるのが、僕の人生目標だから、自分に嘘をついてまで他人が経営する企業で働きたいと思わなかった。
ブラック企業の犬になって扱き使われることで、僕という人間がコモディティ化し、魅力を欠いてしまうような働き方はしたくない。
はっきりいって、日本社会の企業はどれもこれもブラック企業も同じであり、残業があったり、自分の席の後ろに上司がいて監視されていたり、GPSで外回りを管理されていたりと、人間の尊厳を奪われような働きを強制されてしまうことがぎょうさんある。
僕くらいの弱者になると女の子にもモテない訳だし、なるだけブルーオーシャンに飛び込まないと一生彼女が出来なくって、今年のクリスマスのように一人寂しくケーキを食べることになってしまう。
それを防ぐためには一般的な男性が働いている時間に街へ出て、暇そうにしている看護師さんなどに声を掛けて、「友達くらいですか……? 良いですけど……」という返事を引き出し連絡先を交換し、後日スープカレーを食べて関係を深めて告白して付き合って貰うしか他ないのだから、こうしたトントン拍子の幸せを勝ち取るためには、業務時間中の抜け出しが必要不可欠となる訳なのだが、それを許してくれる企業はほとんどない。
ゆえに、大概の会社はブラック企業なのである。
若者から、恋愛という生物学的本能に根ざす喜びを奪い取り、根絶やし、散り散りにしてしまう、残忍な大人達が多く、僕のような弱者は自律神経を狂わせ、穏やかじゃない心で生きなくてはならなくなる。
僕がイケメン俳優とかそういうポジションにいて、待っていても女の子に取り囲まれるような人生を送っていたとしたら、絶対に本気で仕事に取り組んだだろう。
結局、自分が頑張れるかどうかは、頑張れる環境、状況にいるかどうかで全て決まってくるんだよね。
たまにお爺ちゃんが、「偉いねぇ、この子偉いねぇ」とアイススケートの選手を観て、僕に問いかけてくるんだが、「いいや。こいつはこいつの人生を生きているだけで偉くもないし頑張っている訳でもない。そういう生き様がそこにあるだけだよ」と返答している。
苦しいトレーニングとプレッシャーのある表舞台で戦って拍手される人生と、現実でもネットでも女の子に相手されずにクリスマスを一人きりで過ごさなきゃならない寂しい人生、どっちを選ぶ? という選択肢があったなら絶対に前者を選ぶはずだし、どっちの方が辛そう? と聞かれたら絶対に後者を選ぶだろうから、つまりは僕みたいにクリスマスを一人で過ごさなきゃならない男の方が、誰がどう見たって頑張っているし偉いと思う。
僕というゲームをプレイしてくれる女の子は一人もいない。みんなクソゲーと認定して去って行く。
僕のような弱者の見えない努力とかを、認めてくれる社会になって欲しい。
「ニート生活はつまらない」という誹謗中傷について
日本には、こうした悪質な罵詈雑言を、息を吸うように吐く者がぎょうさんいるけれど、それはその人の努力が足りないだけであって、どんな物事であれ死に物狂いで継続すれば、楽しくなるんだよ。
ニート生活を楽しめない人間は、仕事だって出来やしない。
自分が楽しむために試行錯誤するという本質部分は、ニートであれ社畜であれ同じなのだ。
ニートというのは、言ってみれば無収入のフリーランスみたいなものだから、経済的に無生産の生活の中で、どのように自我を守り、どのように自尊心を保つか、といったレジリエンススキルも必須になってくる。
マクロ的に見ると無職かもしれないが、ミクロ的には有職者なんだよね。
ただ給料が発生していないだけ、その働きぶりが現代社会においては仕事と見なされていないだけなのである。
これはワークタイプの違いだから、どちらがより働き者であるかの判断は本来であれば不可能なはずなのに、『正社員』という権威を笠に着る者たちが、伸びきった天狗の鼻で百叩きの刑を仕掛けてくる。
これって、きちんと冷静に考えると、鼻の曲がる劣悪な行為なんだよね。
深夜に一生懸命働いてくれている人に、「健康を害する時間に働くとかバカ丸出しやんけ。ママへの感謝ないんかオドレ」と罵っているにも近く、差別意識が間違いなく働いてしまっている。
こうしたマジョリティによるマイノリティ潰しの風潮のせいで僕は、誰にも迷惑を掛けず、自分のやるべきことを懸命にやって生きていただけなのに、心が苦しくなってきて、いくら散財しても足りなくて借金までしてしまった。
世間が僕から金を奪って、サラ金を利用させて、リボ払いという地獄の真っ赤な水を注ぎ込んだとも言えるよね。
家賃も滞納して、夜中に逃げて大家さんに迷惑を掛けたこともあったが、その迷惑だって僕が生み出したものというよりも、世間が作り出した作品である可能性が高い。
一人一人の人間の脳構造にはあまり違いがないのにも関わらず、なぜこうも個体差が現れてしまうかといえば、やはり育った環境と、冷酷な世間のせいであると思われる。
僕みたいに、返せる当てもなく100万円以上の借金をするというのは異常な状態ではあるけれど、決して僕という存在が異常なのではなくて、そうした状態異常に追い込んだ環境や世間の方が遙かに異常なのだ、と考えられるのではないか?
であるから本来、あの借金は僕のお父さんが返す必要はなかったし、国家がなんらかの制度を作って0にすべきものであったはずである。
逆に、苦しい借金生活という痛手を背負って心に傷が入り、僕は弱者になってしまったのだから、補償金が出されるべきとも思う。
借金というのは苦しいものなんだよ。苦しさに耐えているのに、どうして返済という苦しいことまでさせられて、二重苦の人生を生きなくてはならないのか?
この世界は勝者のためだけに出来ていて、僕のような弱者は置いてきぼりなんだな、と痛感した。
最低だよ、この世界も、世間も、人も、金も。
一度も人を殴ったことがないのに、一度も盗みを働いたことがないのに、一度も迷惑を掛けたことがないのに。
ただただ弱者だから叩きやすいという理由だけで、世間は僕をひたすらに虐げる。
この辺に関しては、資産家階級の人間が政治を牛耳っているせいだから、一概に世間のせいだとは断言出来ないが、少なかれ僕という個人単位の存在のせいではない。
圧政じみた政治家の腐敗した行動と、冷え切った世間の目さえなければ、僕は被害者になることも、弱者に落ちぶれることも絶対になかった。
こうして僕の人間社会は、本当に悪い方向へ進んでいる。
国家のイデオロギーの危険指数が過度に高い状態だ。
是非一度、皆さんもしっかり考えて見て欲しい。
自分たちだけが得をすれば良いのか? 自分たちだけ幸せならそれで良いのか?
少なくとも僕は、とっても頑張った。いっぱい頑張った。それだけは確かだ。
痛みに耐えてよく頑張った、感動した。小泉純一郎。
- 作者: ワシントン・ポスト取材班,マイケル・クラニッシュ,マーク・フィッシャー,野中香方子,森嶋マリ,鈴木恵,土方奈美,池村千秋
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2016/10/11
- メディア: 単行本
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