小さい頃は1シーズンに1回は風邪をひいているような、身体の弱い子供でした。さらに、アトピーとぜんそくを持っていました(泣)
アトピーの記憶はほとんど残っていませんが、母に厳しく食べ物の制限をされていた記憶はしっかり残っています。しかし、そのおかげで今では本当に跡形もないぐらいキレイな肌になりました。今思えば、その時に身を持って、食事の大切さを学んだのだと思います。
小学4年生の11月から、水泳の選手コースに入る事になり、週に5日はプールに入っていました。
小学6年生の時に、選手コースの中でも1番上のコースになり、1回の練習で6000m~7000mぐらいは泳いでいました。結果、この時に人生で初めて「腰痛」というものを経験し、整形外科に通院し始めました(泣)
中学生になるとほぼ同時に母の薦めで、スイミングスクールを移籍しました。新しい所では、練習量が極端に減り、また周りは年上ばかりで遊ぶ事ばかり覚えました。 そのおかげか?中学生時代はあまり腰痛で悩まされた記憶がありません。
それでも高校で水泳を続ける決意をし、最後の半年ぐらいは真面目に練習し、身体を作り出しました。この怠けていた期間が、後々の人生を決めるとは思いもよらずに・・・
高校は、大阪で水泳の名門である太成高校(現・太成学院大学高校)に進学しました。
1年生の時に、大阪で5位になり、近畿大会出場、インターハイやジュニアオリンピックにはメドレーリレーのメンバーで 選ばれ、人生で初めて「全国大会」を経験させていただきましたが、1年生の冬に中学生の時に練習をさぼっていたのが祟ったのか?
またも、腰痛になりました。
顧問の先生に相談した時に、カイロプラクティックを紹介していただきました。
これが、私とカイロプラクティックの初めての出会いでした。
私の腰の状態は思った以上に悪く、冬の間はほとんど練習できませんでした。2年生のシーズンは、ボロボロ・・・近畿大会の出場も逃し、リレーのメンバーには後輩が選ばれ、たった2日で2年生の夏は終わりました。
泳ぐのが苦痛になり、水泳部で1番仲の良かった友人が退部した事もあり、初めて水泳を辞める意思を先生に伝えました。
友人や先生方の支えもあり、もう1度頑張る事を決意し、3年間続ける事ができました。進路の時期になり、大学進学の話がありましたが、カイロプラクティックに出会って以来、腰痛に悩まされる事が無くなっていたので、 大学に進む話を断り、カイロプラクティックの専門学校に行く事を決意しました。
実は私、高校の時は文系の特進クラスにいたので、理数系の話はまるっきりダメなんですけど、専門学校に入ってみると解剖学や生理学や栄養学など、理科系の話ばかり・・・
案の定興味を持てず、2年生への進級試験では、下から2番目という成績でした。
2年生になると、カイロプラクティックの実技の授業が増え、なぜか矯正の実技は得意で、授業がおもしろくなってきました。そのおかげで、「どこをどう矯正すれば良いか?がわからないとダメ」という思いから、1年生の時に勉強しなかった解剖学や生理学を必死で勉強しました。
カイロプラクターになると決めた時から将来は開業を考えていましたので、高校卒業と同時にアルバイトを始めて、将来の資金作りを開始しました。今まで水泳をやってきたので、それを活かし、スイミングスクールでコーチをやりました。この時の経験から、今でも子供と接するのは得意になりました。
長尾院長からは「やれると判断したら、ドンドン(カイロの)矯正をやっていいからね。」と言っていただけました。
この時、「俺はカイロプラクターだ!」という意識が強かったので、この言葉を誇大解釈し、カイロの矯正ばかり行っていました。
幸い、良くなっていただける方が多く、どんどんカイロプラクティックの魅力にはまっていき、時間があればセミナーに行き勉強していました。
60代のお客様は「若い」と言われるような環境でしたので、自然とポキポキしない、ご高齢の方でも安全に施術できる治療法を勉強するようになりました。それが、今でも当院のメインの治療法になっています。
長尾クリニックに勤めて1年後、リハビリ室長に任命されました。そこから、スタッフの指導やお客様に「いかに喜んでいただくか?」という事を、考えるようになりました。
ここで出会った、院長先生・整形外科の先生・心療内科の先生・薬剤師さんとは今でもお客様の事でご意見やアドバイスをいただいています。
長尾クリニックで3年半勤め、その後「中央カイロプラクティック院堺」でお世話になりました。
院長が施術しても6,000円、私が施術しても6,000円、しかも、自分でお金を受け取るというプレッシャーを今でも覚えています。
このプレッシャーに勝つ為に、必死に勉強し、必死に院長に食らい付いていきました。
毎日、何かしら怒られていたと思います。厳しかったですが、その中にも優しさがありました。
「作本君なら、絶対大丈夫やで!」という言葉が何より嬉しい言葉でした。私が開業できたのも、院長の厳しさがあってこそだと思います。
中央カイロプラクティック院堺で3年間副院長をさせていただき、平成20年8月17日に中央カイロプラクティック院西宮を開院しました。
自分が教えていただいた事・体験した事を1人でも多くの方に伝えていき、1人でも多くの方が不快な症状無く暮らしていけるように、日々精進してまいります。よろしくお願い致します。
ちなみに・・・
長尾クリニックに勤めていた時に、出会った整形外科の先生に、「これからは西宮が良いよ!」と聞いたので・・・