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もんすもん様

 投稿者:つかさ  投稿日:2016年11月25日(金)18時57分51秒
  実は、私も師弟不二がしっくりこないタイプです。

それは、教学ではありませんから、先生を知らない人には、無理ないことです。

幹部指導がよくないのです。
本来、師匠は、弟子が師を超えていくことに、
最大の喜びを感じるのです。

それが師弟不二なんです。
一緒に師を超えていきましょう。

少しでも、モヤモヤが溶けたらいいな(*^^*)
 

「告発本」の感想

 投稿者:一言児  投稿日:2016年11月25日(金)18時54分58秒
   一般書店で購入「実名告発」、よくぞ発刊できましたね、元職員3人快挙に大拍手。
 官僚的組織の圧迫に立ち向かい、自己の思い、意思を行動で全うされていく姿に心打たれます。規律・懲罰委員会など私らと縁のない役職につく往年の青年部トップ幹部たちの名前、先生の息子さん2人も登場。当時の原田正木谷川長谷川ら執行部、その厚い壁にドンキホーテ如く一途に「面談」依頼。すべて拒否され囲い込まれて左遷されていく。原田体制での「創価学会仏」制定が冗談になってくる、その慈愛溢れた教団仏の代表って原田?。
 創価の庭で育った真っ正直な人材たちの訴えに、組織官僚がムシ、納得させられずに圧力をかけて行く図式。このままではご本尊も師匠も執行部の采配下、逃げたくなる暗黒時代ですわ。
 この件では、事実確認のないまま組織の大義維持で彼ら排除し生活を奪った会長の引責辞任、解職された彼らの再雇用を一会員として断固要求します。
 
 

私は笠貫さんへ一票!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月25日(金)18時50分39秒
  ◯◯訪問団で、ノコノコ腰巾着のように付きまとい海外に出掛けている笠貫SGI女性部長に一票!!

この方の女子部時代の活動が見えない。
便1同様に青年部時代、怠惰な信心活動していたのでは?

私は外面的美醜には拘らない方(光に反射して見えるものは無視!)なので、オーラの無い蝋人形のような感じがします。キモい!昔からキモい奴だと観ていました。
 

今年の厚顔無恥大賞に向けて

 投稿者:厚顔無恥王  投稿日:2016年11月25日(金)18時19分1秒
  ご無沙汰しております。もう11月も終わりに近づきました。
恒例の厚顔無恥大賞に向けて、候補者を発表する時期になってまいりました。この人に大賞を。と推薦したい方がいたらドシドシ候補を挙げてください。
 

(無題)

 投稿者:もんすもん  投稿日:2016年11月25日(金)17時50分36秒
  僕は師弟不二という考え方自体があまり良くないと思います。教学を元にやらないとと勉強してませんが、思ってます。皆さんはどう考えてるか聞きたいです。
皆さんの考えを教えてください。
 

ツイッターより。師弟不二は皆が師匠と同じだから都合悪いんだね。直弟子って威張ってる会長はどう位置づける?だから会則で三代会長を継承する立場ね。でも師匠の指導を否定してますよ。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2016年11月25日(金)16時34分13秒
編集済
  創価学会仏論を中心教義にするのは、これまでメインだった師弟不二論では、一般会員と会長が三代会長との距離という点で原理的には等価値になってしまう(私こそ真の弟子、という人が出たときに否定できない)からですね。

組織のガバナンスを強化するために、組織自体に聖性を付与するというロジック。
 

(無題)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月25日(金)14時42分49秒
  頂き物です。大魔神変じて
大患部神だって(-_-)

たしかに、たしかに、終わってマス。
 

おせっかい星人さま

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月25日(金)13時52分33秒
  ご指摘ありがとうございます。その辺のところは私もわかりませんでしたので
大変ありがたいです。これからもよろしくお願いいたします。
 

於保哲外ドクター部セミナー局議長指導5/5

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月25日(金)13時48分27秒
  この中で自分のことを100点と思う方?(笑い)ありがとうございます。素直な方が多いですね。まだ、あがらない方がいるようですから、最後に一つだけ。御書の中に「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別なしと解かりて妙法蓮華経と唱

え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」。(御書P1337)。このことが大聖人仏法の根本である。「法華経を持つとは是なり」。これは
有名な生死一大事血脈抄の一番重要な御文ですね。この中で「久遠実
成の釈尊」とは大聖人のことですね。「皆成仏道の法華経」とは御本尊。「我等衆生」というのは自分自身。大聖人と御本尊と自分自身がまったく差別なしと解かりて、信じてですね、南無妙法蓮華経と唱え
奉るところに生死一大事の血脈はあるなり。したがって、自分のこと
を60点と見る場合は、御本尊のことも60点、大聖人も60点ということになりますね。まったく差別無しですから。こういうのを謗法って言いません?いや、大聖人やご本尊は100点だけど、私は60

点だと思う人は「全く差別無し」と信じません、ですからね。こういうのを不信というでしょ。こうやって自分のことを100点と信じない人は、謗法不信になるんですね。じゃあ、その御文の後ろに「謗法不信の者は「即断一切世間仏種」とて仏に成るべき種子を断絶するが
故に生死一大事の血脈之無きなり」(御書P1337)「謗法不信の者
は」、自分を100点満点と信じられない人は、「即断一切世間仏種」。すなわち、一切世間の仏に成る種を断つ人だ。「法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と説かれたれば定めて獄卒迎えに来って手をや取り候はんずらん」(御書P1337)。したがって、臨終のときには
、地獄の獄卒が手を取り迎えに来るでしょう。「所詮臨終只今にあり
と解かりて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を「是人命終千仏授手令不恐怖不堕悪趣」と説かれて候、悦ばしい哉一仏二仏百仏二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事歓喜の感涙押え難し」(御
書P1337)。自分を100点満点の仏なんだと信じて喜び、大安心の境地で生きる人は千仏までも来迎し、臨終を支えてくれる。「歓喜の感涙押え難し」。獄卒が迎えに来る方か、千仏が迎えに来る方か、どちらがいいですかね。もう、ここで手が上げられない人は二度と上
げられないでしょうから、くれぐれも、最後に聞きたいと思いますが
、半分脅迫ですけどね、私が一人脅迫しているんじゃない。大聖人の仰せですからね。最後に「自分自身のことを100点満点だと思う方?(爆笑)ありがとうございました。「偉大な仏が今、座っていらっしゃるんだ、とまず決めるんですよ。決めるということは勇気が要る

でしょ。これを信心の勇気という。本当に偉大な仏なんだ」と心の底から思うこと。これが「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」ということなんです。「始めて我心(自分のこの生命が)本来の仏なりもともと仏なんだ」と知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(御書P788)とおっしゃっているんですね

。この後、帰って、くれぐれも、「偉大な仏様がお歩きになっているんだ」と思いながら帰るんですよ。「偉大な仏様が鏡に姿をお映しになって、そして、生命を讃嘆していらっしゃる」と。これが勤行唱題の本来の意味なんですよ。たぶん、これを人に言うと、「傲慢だ」と反論にあうでしょう。その時に、また、『村の文化』に戻っては困る

んで、お話しておきますが、「傲慢」「慢心」の「慢」とは、人と自分を比べて、自分のほうが優れていると見る心ですね。すなわち、慢心の人はいつも、人と自分を比べて、私のほうが良く頑張っている、私のほうがよく戦っているとか、私のほうが幹部で、私のほうが金持ちだとか言って、自分の優位性を確認することによって安心するこの生命の働きを「慢」という。どうして、人と比べて安心したがるかと

いうと、実はこの生命の奥底に不安があるんです。不信がある。劣等感があるんです。したがって、ちょっと安心してもすぐに不安になるから、また、次の人をつかまえて「俺の方がすごい、私の方が立派よ」と、これをいつも続けている人を「慢」というんですね。すなわち、慢心の心の奥底には、劣等感と自己不信がある。一番良い例が日顕
さんですね。劣等感の塊なんです。池田先生が世界で大活躍されて報
告すると、「ご苦労様」の一言が言えない。どうしてか?これは劣等感があるからです。「俺の方が偉いんだ」といわなければいけませんね。ねぎらい言葉が出てきようがない。一方、一流といわれる人物は、「実るほど、頭を垂れる、稲穂かな」。一流人物ほど腰が低い。人
を尊敬します。そういう人は自分自身に「自信と誇り」を持っているんですね。その「自信や誇り」は人から認められているから持ってい
る「自信や誇り」ではないですね。一流といわれる人は、人から認められたから一流になったんじゃない。世間が見向きもしない先駆的なことをやって、やがて、世間がついてきて認めるんです。すなわち、もともと自分自身に「自信と誇り」を持つ生き方が一流。すなわち、
「自分が偉大な仏なんだ」と「100点満点なんだ」と見ることは、
一見、慢心に見えるけれども、実は、それは一流の生き方と同じなんです。だけど、これは慢心に似ているから、これを「法華の慢」という。「法華の慢」は正しい。これは根本的な意味で慢心と違うから正しいんです。正しいんです「法華の慢」は。池田先生が、「皆さんが
仏。騙されてはいけませんよ。皆さんが仏なんだよ」と何回もおっし
ゃるでしょ。だけど師匠の言っていること信じてないでしょ。あれは先生の激励だと思っている。「激励」するために『皆さんは仏だ』と言っている。本当は違うんだ」と。「池田先生はそう思っている」と。師匠の言うことをたとえ激励と言いながらも、本当は信じない。こ
れこそ傲慢である。一見、慢心で良いんです。また、ずうずうしい、
図太いというのは人から嫌われるように思うんです。だけど、これで行くとね、不思議に開けてくる。そういう例をいろんな方を見るにつけ実感するんです。今、多くの真面目な方が行詰まっていらっしゃる。その根っこに実は「念仏思想」「村の文化」があるんです。これか

ら日本は、この「村の文化」では世界から相手にされなくなっている。いよいよ日本のもともと持っている、そういう自立的な「海の文化」としての、また、この法華思想を、いよいよ、世界に宣揚をしていく時代が来た。そういう意味で創価学会がその先頭に立つ時代が来ている。その学会の中が「村の文化」で行ってたんではダメですね。そ

ういう意味で、寝る時は、「偉大な仏様がおやすみになる」。朝、目が覚めて、それがどんな心境でも、「偉大な仏様のお目覚めだ」と。着替えをする時も、また、トイレに行く時も、顔を洗う時も、また、味噌汁を作る時も、「偉大な仏様が入れた味噌汁だ」と、これは「偉
大な味噌汁だ」と。やることを楽しみながら、味わいながら、自分自
身の生命を讃嘆しながら生きていく。このことを「朝朝仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」(御書P737)。「朝朝(毎朝毎朝)仏とともに起き、夕夕(毎晩毎晩)仏とともに休む」
。一瞬一瞬、喜びの生命で生きる。そこに本当の意味の法華経を身で読むその実践がある。最後に題目三唱しますが、「自分の生命を讃嘆
する唱題なんだ」という思いで、題目を三唱して終わりたいと思います。本日は、大変にありがとうございました。
 

於保哲外ドクター部セミナー局議長指導4/5

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月25日(金)13時47分19秒
  もう一回、ちょっと聞いてみたいんですが、この中で自分のことを100点と思う方?(爆笑)素直な方が多いですね。わき道が多くて本当の話が少なかったですが。実は、朝晩勤行します。二座の御観念文は何でしたっけ?本尊供養ですね。「一閻浮提総与三大秘法の大御本

尊に南無し奉り報恩感謝申し上げます」。本尊供養。この本尊供養。二座のときに、この本尊を自分のことと思ってやってます?みなさん「仏壇の中の御本尊」って思ってませんか?そういう人を指して大聖人は、「若し己心の外に法ありと思えば全く妙法にあらず」(御書P3

84)とおっしゃられている。すなわち、法華経じゃないんです。また別の御書でも、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(御書P1244)胸中に、自分の生命に、「胸中の肉団におはし
ますなり」って勉強したでしょ?実際やっている時は外に置いていま
すね。不思議なんです。学んだこととやっていることが違うんです。どうしてか?実は、日本文化に、さっき言った「村の文化」に毒されているからなんです。「村の文化」というのは、実は,「念仏文化」
なんです。「念仏文化」というのは、御本尊絶対なんです。大聖人絶
対なんです。それで福運のない、境涯の低い、力のない私たちは、偉大な御本尊様におすがりし、その功徳を、その智慧を分けていただこうと。これを「念仏文化」というんですね。御本尊を阿弥陀仏に置き
換えたらぴったりするでしょ。「情けない私たちは阿弥陀仏の慈悲におすがりしましょう」という構造です。法華経は違うんです。そのことを池田先生は「法華経の智慧で、四年半にわたって説いてくださったです。この「法華経の智慧」の中で、一番端的にそのことをおっしゃっているのは、見宝塔品なんですね。「見」=見る。「宝塔」=宝

の塔。宝の塔を見る。この宝塔というのは法華経の中で出現するわけですが。この宝の塔、高さ五百由旬、計算しますとヒマラヤのだいたい500倍以上の高さなんですね。富士山でもだいぶ高いですけどね。富士山の2倍以上でしょ、ヒマラヤは。それの500倍以上ですからね。まあ、壮大です。しかもそれは、瓦礫の山ではない。宝の塔で
す。非常に荘厳である。また、壮大である。宇宙規模である。この偉
大な宝の塔。それは実は我々の生命の偉大さを表しているんだ。すなわち、我々の生命が宇宙規模の壮大な、また、永遠性をはらんだ、そういう存在なんだと実感することを見宝塔というんだ。大聖人はこの宝塔品の儀式を借りて御本尊を顕された。したがって御本尊は、我が
身を偉大な宝塔と見るための明鏡、明らかな鏡であると明快におっし
ゃっているんですね。ところが、我々はそれを読んでも、鏡を崇め奉って、鏡に映った自分を情けないと見るんですね。いかに深く念仏に毒されているかです。だから、この不思議法則の、「自分さえ我慢していれば」という方向に行ってしまうんですね。喜べないんです。楽
しめないんです。いい時には喜べるけれども、落ち込んだら、とたんに、「情けないって」言い出す。法華経というのは、「最悪の自分が偉大だ」と説く経典なんっていうのはご存知ですか?この法華経と爾前経の差。これを権実相対といいますね。どうして、法華経が優れ、
爾前経が劣っているか。教学的には、二乗成仏、悪人成仏、女人成仏が説かれるからですね。すなわち悪人とか女性とか、二乗(声聞、縁
覚)、この人たちは、大乗経典の説かれた時代、世間からも相手にされない存在だったんですね。したがって、大乗経典はその人たちを救
わなかった。ところが、法華経は世間が相手にしない差別された人たちを、実は偉大なんだと説いたんですね。非常に革命的な思想でした。本当の意味での人間主義でしょう。それを生命論的に見ると、二乗
、悪人、女人というのは、実は,自分自身の一番落ち込んだ自分なんです。一番情けない自分なんですね。一番、人と比べても劣っていると思わざるを得ない、其の惨めな境遇の自分こそ、実は偉大な妙法の
当体なんだと信じること。是が法華経を持(たも)つという意味なんですね。だから、難信難解なんです。元気な自分や、絶好調の自分や
、また、人からもてはやされている自分を偉大だと見ることは、まあできる。だけど、本当に大失敗して、また、人からもバカにされて、落ち込んでいるその自分を偉大と見ることは、難信難解、信じ難く、
理解し難いことでしょう。しかし、そこに立ってこそ法華経なんです
。我々は「慈悲のドクター部」とよく言いますね。この「慈悲」については、ずっとね、わからなかったんです。慈悲のドクターと言われる、この「慈悲」について考えれば考えるほどわからない。「慈しむ」、これはわかる。「悲しむ」がよくわからない。同苦するとか、抜
苦与楽とか、聞くんだけど、わかったようでわからない。こういう時に、池田先生のエッセーの中にこんなものがありました。「魂の勝利する時、悲しみは『慈悲』の『悲』となる」と。『慈悲』っていうこの下が「悲」です。『悲しみ』、「魂の勝利する時、悲しみは『慈悲』の中の『悲』となっていく」という一節です。これを見て、「あー

そうか」と気づいたんです。今までは、「慈悲」を「慈しみ、悲しむ」と読んでいたんですね。そう読むからわからなかったんですね。素直に、これ、漢文読みすると返り点がついて、「悲しみを慈しむ」となるんですね。すなわち、一番落ち込んでいる自分、一番惨めな境遇
に苦しんでいる自分、また、一番不安がっている自分をこそ大きな心
で包んであげると。温かい目で見守ってあげると。それが「慈しみの心」すなわち『慈悲』であると。最悪の時に、自分をその慈悲の心で包む。そこに魂の勝利の姿がある。その生命で自分を包める人は、も
う悲しみは単なる悲しみではない。その悲しみは、その慈悲の心に包まれた時に、そのままで勇気に転ずるであろう。また、絶望はそのままで希望へと転じていくだろう。その生き方の中に本当の意味での人間の強い生き方がある。そういう心で自分を包める人は、また、本当
に苦しんでいる人を我がことのように、温かい心で包んであげられる
でしょう。でも落ち込んだ自分を、こんな自分は情けないって嫌って、もし、ちょっと立ち直ったとしても、落ち込んだ人を見ると、「まあ,かわいそうに」と言うでしょう。しかし、心の奥底では、「弱い人だな、自分に負けてだらしない人だな」と見るでしょう。自分を見る目が人を見る目なんです。したがって、最悪の自分を慈悲の心で「

大好き!」と大きく包みながら、「偉大なんだ」と本当に尊敬できる人は、また、人をも尊敬できていくんです。『本尊』と『御本尊』と。『本尊』というのは略した言い方ですね。何を略したんでしたっけ?『根本尊敬』そうですね。『根本尊敬(こんぽんそんぎょう)』根本尊敬と書く。この根本の「本」と、尊敬の「尊」で「本尊」ですね

。これは池田先生の指導ですが、「何を根本として尊敬するか。それは自身の生命である。自分の生命を根本として、根本ですから、何かができるから尊敬するんでもなければ、大失敗をしたから尊敬できないんでもないです。何が起ころうとも尊敬から出発する。これが御本
尊を持(たも)つということですよ。これは二、三十年前の指導です
。これが大聖人の仏法なんですね。
 

於保哲外ドクター部セミナー局議長指導3/5

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月25日(金)13時44分47秒
  今の自分に目を向けて点数をつけるとすると、100点満点で何点くらいつけるでしょううかね。ちょっと、素直に考えて下さいね。0点から60点の間くらいに大体自分は入るなと思われる方、手をあげて下さい。ありがとうございます。じゃあ、61点から99点までの間

だと思われる方、手をあげて下さい。この辺がふつう少ないんです。さっきの0点から60点までが非常に多いんですがね。さすがドクター部は違いますね。それでは、100点と思う方。二人。ありがとうございます。このお二人以外は全員信心をしてないことになるのはお

わかりですか?大聖人の仏法というのは先ほどずうずうしく、図太く、たくましくとありましたが、自分を100点満点と見る宗教なんですね。これは非常にわかりにくい。信心。信じる心と書きます。何を信じるか。御本尊ですね。また、法華経でしょう。じゃあ、法華経を

信じるというのはどういうことなんでしょうかと言うと、自分自身が妙法の当体であると信じることですね。頭は妙、喉は法、胸は蓮、腹は華、足は経。自分のこの生命が南無妙法蓮華経なんだと、妙法の当体なんだと信じることが信心だと教わったでしょ?教学でね。南無妙

法蓮華経如来がですよ、60点とつけたらどうでしょうね。ちょうど去年、11月でしたか、座談会がありましてね。私、担当で呼ばれまして、地区部長さんが「御書講義をしてくれ」と言うんです。ちょう
ど、フランスのメンバーが6人交流できていました。南フランスから。ブドウ畑を経営しているとかね。そういう人たちなんですね。フランスではSGIはセクトですからね。非合法ではないけれども非合法に近いような扱いを受ける。その中でやっているから、みんな、まあ、真

剣ですね。「一生成仏抄」を取り上げて一緒に勉強したんです。たまたま、この「一生成仏抄」というのは、池田先生がフランスに与えられた御書だったんですね。その中で、「故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり」(御書P384)。<解説>「妙法と唱へ蓮華と読まん時は、南無

妙法蓮華経と唱えるときは、我が一念、自分この生命を指して、名くるぞと、自分の生命の名前を妙法蓮華経と名づけるんだと深く信心をおこすべきなり」という一節があるんですね。そういうのを勉強しながら、フランスのメンバーに聞いていった。「この中で、自分のこと

を南無妙法蓮華経如来だと信じれる人?」って手をあげてもらったんですね。フランスのメンバー6人全員、「はい」ってあげたんですよ。日本人、40数人中3人。実は、学会員が「村の文化」で生きているんです。大聖人の仏法は、創価学会は、「海の文化」の宗教のはずなんです。「村の文化」の宗教になっているんですね。ちょっと、わ

かりにくい話。ちょっと、対比する意味でお話ししてみます。以前、こころのページの「ふれあい診察室から」というところに、「不思議法則」というのを書いたんです。これは、人を見てると、真面目な人、頑張り屋の人、責任感の強い人、また、思いやりのある人、自分のことを顧みず尽くす人、こういう人。こういう人がですね、不思議に

行き詰まる。真面目な人が、頑張っているのに不思議に開けない。そこまで人に尽くしている人が、ありがたがれるどころか、かえって迷惑がられたり、バカにされたり、ひどい場合は恨まれたりしていると。そういう人、見たことありません?真面目な人が意外と開けない。
そうかと思うと、ちゃらんぽらんで、図々しくて、要領よく立ち回っ
ている人が、やることなすこと以外とうまくいって。うまくいくもんだから、ますますこう人に持ち上げられて、ますます、開けているという、そういう現象が確かにあるんです。私はいろんな人の人生に出会う場合が多いもんですから、そういう現象を見るんです。何なんだ、これは。正直者がばかを見て、悪い奴ほどよく太ると。という現象が確かにある。「なぜなんだろう」って、ずっと考えて、最初のうち

分かりませんでした。そういう点で、私は研究できる立場にありまして、そういう問題意識をずっと持ちながら仕事してきて、だんだん見えてきて、「ふれあい診察室」、書いたんですが、最初、抵抗があったんです。ちょっとこれは問題あるかな。載せてくれるかな。カットされるかなと思ったんですが、あえて書きましてね。これには、おそらくそういうことで悩んでいらっしゃる方があるだろうから、書いた
んですけど。幸い載せてもらえました。そしたら、何件かやはり問い合わせがきました。「書いてあるとおりです。私は去年まで一生懸命
こう折伏し、新聞啓蒙し、財務も頑張り、全力で戦いました。今年は病気になって、今、生活保護を受けています。なんで、こんなに頑張っているのにこうなるのか、わからない。そうなると書いてある、そう書いてあるけれども詳しく書いてないから、よくわからない」とい
う問い合わせがきましてね。さっそく、お返事を書いて、後で喜んでいただきました。実はそういう現象が起きる、もう一つ別の法則があるんですね。表面の現象だけでなく、その奥の法則を「不思議法則」
と勝手に名づけたんです。どういう法則かというと、たとえば、困っている人のために、また、家族のために、また、学会活動のために、
広宣流布のために、世界平和のために、世の中の正義のために、戦う。だけど、自分を殺して、自分が我慢して、すなわち、自分を粗末にしてやる人は、福運を失うと。したがって、自分を粗末にしているように、人からも粗末にされるようになっていくという法則があるんで
すね。私さえ我慢すれば、私さえ耐えていれば、いつかこの苦労が実
るときが来る。それまでは辛抱だと。「陰徳あれば陽報あり」と。やればやるほどひどくなるんです。これでもかこれでもかというくらい、ひどい目に遭うんです。つまり、それ、陰徳にならないんです。どうしてか?妙法の当体を殺しているから。同じ事をやっても自分自身

が喜びながら、楽しみながら、自分の命を輝かしながらやることは、これは福運になっていくんです。したがって、人からも大事にされる。ちょうど、今月のSGIグラフに奥様のことを池田先生がおっしゃられていますが、いつも奥様は微笑まれている。「幸せだから微笑むのではない。微笑んでいくことが幸せの因になっていくんだ。幸せだから
微笑む、幸せの結果として微笑むんじゃないんだ。どんな大変なときも、そこでにっこり笑っていく、その命に福運が増していくんだ。」
という一節がありましたが、まさに、不思議法則です。よく、たとえば、「折伏すれば開ける」「新聞啓蒙すれば幸せになる」また、「財務に何桁に挑戦すれば幸せになると、こういうのを餓鬼道と言うわけ
です。見返りを求めている。したがって、それが開けなかったら恨みになりますよ。菩薩道というのは違うんです。大聖人は「自他共に喜
ぶなり」とあります。だから、有名な徳勝童子の譬えがあるんですね。お釈迦様にみんながこう供養している様子を見て、僕も何か供養したい。何もさしあげるものがないから、土饅頭をこねてさしあげると。もし、このとき、徳勝童子がですよ、この土饅頭をあげれば、後で
功徳がある。阿育王に生まれ変わるんだ。だから、これをさしあげる
んだという取引のような気持ちでやっているとしたら、その時には、福運はつかないでしょうね。真心から喜んでしていく。その命に福運がつくんですね。ギブアンドテイクではないです。いわゆる自己犠牲
精神じゃないんです。一生懸命、自己犠牲精神で頑張っていればいつか功徳が出てくるだろうというのは間違いですね。この不思議法則。
自分を輝かせながら生きていく方と、自分が我慢していく方と、池田先生はどっちでしょう?明らかに前者なんですね。喜んでやってらっ
しゃる。そうじゃなきゃ、あんな詩は書けませんよ。いやいややりながら苦しみながらでは、あんな写真は撮れませんよ。(会館の壁にある池田先生が撮られた花畑の写真を指差しながら)池田先生の写真見
てください。先生の写真を見ていつも思うんです。あれ見ていると、ちょうど女子部や婦人部が,「先生」って行っているのと同じように
感じしません?あの花が。我々が撮るとなかなかああいう感じにならないですね、花がね。そこにただ咲いているって感じになるんですが。なんかこう訴えてくるものがある。どうしてだろうと思った。つく
づく思ったんです。法華経と言うのは「喜ぶ経典」なんですね。池田先生は喜んでいらっしゃる。喜びの生命(いのち)に自然が感応しているんですね。その喜んでいる自然を撮っている。だから、これ「自
然との対話」と名づけられたんですね。この前、この話をある芸術部
の人としました。先生と会食した時、先生はそうおっしゃっていました。「みんなにはわからないかもしれないけれど、僕は自然と話ができる。その対話の結果が写真なんだよ」とおっしゃられたそうです。確かにそうなんですね。この不思議法則。不思議というのは妙。法則
は法。すなわち、妙法の当体を粗末にする人は、福運を失うんです。妙法の当体を輝かせる人は、福運を増していくんですね。どっちで生きているか。表面はどっちかなんです。自分の生命を輝かせる、楽し
みながら生きる方向なのか。自分を卑下していく方向なのか。その生
命の奥底がどちらに向いているかが重要なんですね。
 

於保哲外ドクター部セミナー局議長指導2/5

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月25日(金)13時43分15秒
  実はこの日本文化、真面目というのが、先ほどから言っている「村の文化」なんです。出すぎた真似をすると村八分になるんです。白黒はっきりさせる人は嫌われるんです。村の文化の一番良い例が、私は、
村山内閣だったんではないかと思うんです。あの村山内閣の時に、阪
神大震災が起きたでしょ。その時の政府の対応にみんながやきもきしました。腹が立ちました。一番困っている人を何で救わないんだと。
政府は言う。「仕方がないです」「決まっている通りにしかできません」「全体としての救済はできますが、個々人としての救済はできま
せん」。本当に無慈悲の政府ということを露にしましたが、実は,村の文化というのは、そういう無慈悲な文化でもあるんです。人間より
も組織を優先するんです。ですから、人間を抑圧していくという文化
ですね。こういう実は文化が日本文化の基本を成しているんですね。ところが、もう一つの日本文化がある。これを、「海の文化」というんですが、ここで気がついたのが、野茂投手がアメリカに行きました

ね。あの行く時にちょうど、アメリカでは大リーグがストライキをしていました。行ったところでどうなるか分からないという情勢でした。また、向こうに行って、はたして大リーグで野茂が通用するかどうかさえ非常に危ぶまれた。マスコミは、こぞって叩きましたね。反対して、「何で行くんだ」と言いました。だけど、野茂は淡々と行きましたね。で、気がついてみるといつのまにかオールスターに登場して

いた。そうなると日本のマスコミは手のひらを返したように、出てきました。そして、野茂に「日本の国のために頑張る」と言わせようとするんですが、野茂はそう言いませんね。「楽しんでなげていきます」と。英語がベラベラだと思うと、英語があんまり話せないですね。
だから、勝利者インタビューでも通訳がついて話してますね。よく心細くないなと。この一連の行動を見ていると、どうも野茂は、日本人感性ではないなと感じたんです。そしたら、調べた人がいました。野
茂は大阪の生まれだそうです。しかし、両親は五島列島の出身なんですね。この五島列島というのは、昔の、室町時代とかですね、あるい
は前後、朝鮮沿岸や中国沿岸などを荒らし回った倭寇の拠点の島の一つだったんですね。で、東南アジアに日本人町を作った原動力になった島なんですね。今でも、海の男の島なんだそうです。したがって、

そういう文化を両親が持っている、そういう中で育っているんですね。この「海の文化」というのは非常に自立的なんですね。非常に活動家的なんです。そして、開放的なんですね。一方、「村の文化」というのは非常に世間体を気にし、また、保守的で、そして、自分の意見は、表面はにこにこしても、本音は違うという、たて前と本音を立てわけるという、こういうパターンがあるんですね。この2つの文化の

流れが日本の文化にある。だいたい、あちこちに行ってこの話をしますとおもしろいですね。やっぱり、海側はそういう「海の文化」が強いんですよ、で、山側は「村の文化」が強いんですね。ちょうどその両方が一つのゾーンになっているような地域に行くと、その幹部がね、「なんで同じ創価学会なのにこんなに違うんだ」という組織があり
ます。「あー、そういうことだったんですね」とおっしゃるんですが、2つの文化の流れがあるんです。日本のほとんどの宗教、哲学は、この「村の文化」をベースに出来上がっているんですね。それで唯一
「海の文化」の宗教があるってご存知ですか?これが日蓮大聖人の仏法なんです。日蓮大聖人は、「施陀羅が子」といって、「漁師の子」
なんですね。海の文化なんです。だから、身分制度が絶対だった、力を持つ時代においてですよ、「施陀羅が子」と。「施陀羅」というのは、サンスクリット語で「スードラ」ですね。だから、カースト制度
の最下層、「不可職選民の子どもであるということ」を誇りとされたですね。少々、顔が悪かろうと、スタイルが悪かろうと、人柄が悪か
ろうと、身分さえ高いところに生まれれば何でもできる時代だったんです。その時代の最下層ですからね。かたや、大聖人が戦った相手は国家権力の最高峰なんです。それと真っ向からぶつかるとですね、何の後ろ盾もなく、これはすごい対比だと、私は思うんですが、まったく身分制度とか権力を持たない大聖人と、かたや権力の最高峰。ぶつかりあって、大聖人が「わずかの小島の主らが」という言い方をされ
る。これは村の文化の人から見れば畏れ多くて言えないところですね
。海の文化の大聖人にして初めて言える言葉だったんです。大聖人の仏法というのは、まさに、「海の文化」の思想なんですね。そういう意味では、非常に自立している。また、非常に、そういう意味では、開放的なんですね。あるいは、進歩的なんです。そして、活動的なんですね。ところが、この大聖人の仏法が、大聖人亡き後お山に入るんですね。そして、その後は村化していくんです。村の文化に毒されていくんです。それが行き着いた先が「法主絶対」。したがって我々が

行ってもお目通り叶わぬ身」と。そういう発想になっていくんですね。この階級制が強いというのも村の文化の特徴です。昔の村っていうのは、庄屋から、本当に小作だと、庄屋さんの土間にはいつくばらなければだめですからね。日本ていう国は本当に時代錯誤だと。門を建っていい家と建っちゃいけない家があるんですね。そういう日本とい

うのは、着るものまでも身分で決まってしまう。このような「村の文化」。しかし、以外と「海の文化」というのは、だいたい、貧しい家が多くて、差があまりなかったんですね。そういう「海の文化」の大聖人の仏法でも、やっぱり村化するんです。そして,700年経ちました。牧口先生は荒浜の漁師の生まれなんですね。「海の文化」の中
で育っているんです。だから、あの時代に「村の文化」のような発想ではないですね、牧口先生は。それで、戸田先生もやっぱり、厚田で育ちましたね。生まれは石川県の、やはり漁師の家ですね。先祖は北
前線の船頭だったそうです。まさに海の男なんですね。池田先生も海苔屋の息子なんですね。そうして見るとね、創価学会は全部「海の文
化」なんですね。大聖人と非常にストレートにつながっているんです。その間に村化した部分をのぞいてね。非常に興味深いのは、創価学会の宮田教授が、私の先輩ですが、牧口先生の研究されておりますね。牧口先生が、もし宗門と直接出会ったらおそらく入信しなかっただろうと書いていますね。牧口先生は、創価教育学の土台になる宗教を

求めていたんですね。そういう自立すると、また、そういう論理的であると。そして、創価教育と言うと人間の可能性を開くと、生徒を温かい心で見ると。そういう教育ですから。その土台となる宗教を本当に思索されて、探されたんですね。そして、日蓮正宗に出会うですが
。当時、堀米日淳貎下と、この堀米尊師が当時中野の歓喜寮というお
寺ではない、出張所みたいな所をつくっていたんです。この堀米さんは、早稲田大学で哲学を勉強されていて、これからの仏教は、寺仏教ではもう何の貢献もできない。だから、在家仏教で、在家の人たちが活躍できる、そういう宗教運動を起こしていかなければならないと、
歓喜寮を作られたんですね。その堀米さんと牧口先生が出会ったものですから、いわゆる在家仏教運動を展開していくことと、牧口先生の
創価教育学と丁度合致して、そういう人間主義ということを前提としたそういう宗教運動が始まったんです。しかし、宗門から見れば、これは、今までの宗門の伝統にはないんです。したがって、最初からね
、いつも宗門から見れば「生意気だ」と「信徒が大きな顔をするな」というのがずっとあったんです。これはまさに「村の文化」と「海の
文化」の対立と言っても良いでしょう。狸祭り事件とか今までにいろいろありましたが、全部、淵源はこの元々の文化の違いにあるんですね。いよいよ、そのことが明確になったのが、現在の宗門問題が起こっての、今の創価学会と宗門の関係になっているわけなんです。そう
いう意味では、起こるべくして起こったと私は思っております。そういう前提があるんです。今まで話してきたことは前提なんです。非常
に前提が長くて申し訳ないんですが、原点に戻ってこの目を自分に向けてみましょう。
 

於保哲外ドクター部セミナー局議長指導1/5

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月25日(金)13時41分36秒
  日時/2000年4月23日会合名/「第5総県ドクター部。
白樺。医療技術部会合同部員会」
会場/厚木平和会館

はじめまして。第5総県にお邪魔するのは初めてだと思うんですが、神奈川全体の方は、神奈川文化セミナーをやらせてもらいました。こちらに来るのは初めてでございます。おそらく、初めてお会いする方がほとんどだと思うんですが、よろしくお願いします。ドクター部が書記局体制がなくなりましてね。副ドクター部長という役職が全部な

くなってしまったんです。それで、全部局になりましてね。総務局とかセミナー局とかですね、学術局とかというふうに全部局になりました。それでも不思議に書記長はいるんですけどね。書記とか、副書記長とか、副ドクター部を全部、先生が「そういうラフなものはいらな

い」ということでですね、罷免になりまして、その前からセミナー局ってあったんですね。私、セミナー局長だったんです。副ドクター部長兼任のセミナー局長だったんですが、それで、副ドクター部なくなりまして、セミナー局。普通、局なら「局長」でいいんですね。とこ
ろが,「局長では軽い.議長にしなさい」と.「セミナー局議長」というと、やはり、池田先生は詩人だなとつくづく思ったんすよ。我々で「
重い名前を考えなさい」と言われて考えたんですが、浮かばなかったですね。「議長」と先生が言われて、「あ、そうなんだ」と本当に納得したんですが。そういうドクター部の体制も、他の文化本部の体
制とは異質でしてね。ドクター部だけです、こういうのは。それは先生の期待も大きいなということを感じるんですが。そういうセミナー局をやりながら、こう、あちこちセミナーにまいります。何年か前の
2月頃、佐渡の見える柏崎にある牧口記念会館という牧口先生の生家
の近くに、牧口先生がお生まれになったところですね、そこでセミナーに呼ばれました。土曜日、午前中の診療で、午後、新幹線で行って、夜、セミナーをやったんです。質問会が終わって、全部終わったのが10時半ころだったんですが、その10時半から、折角来たのだから、牧口先生の生家を見てこようということで、地元の男子部の人に

お願いして、牧口先生がお生まれになった家に行ってみたんですね。今でも、敷地だけあるんです。間口五軒、奥行き九軒という、区画整理が丁度されているんですね、そのあたりが。全部そういう区画の家が並んでいるんですが、そのすぐそばに荒浜という海岸があります。そこから本当に2,30メートルぐらいですかね。ほんのすぐそばに
。荒い浜と書くんですね。すごい風がきついんです。2月、雪は積もっていなかったんですが。ちょうど、下からすごい、吹き上げてくる
ような雪でね。ちょうど、私の着いた翌日に、えーと、重油流出事件がありましたね。その重油が翌日に荒浜についたんだそうです。新聞で柏崎上陸と、新聞で読みました。その荒浜について何でお話するか
というと、牧口先生のお生まれになった地、また、時というのが非常に不思議なんですね。この荒浜から見て、佐渡は右前方に見えるんで
す。日蓮大聖人は佐渡に流されますね。流された時、こう鎌倉街道をずっと上がってきまして、寺泊、つまり、皆様方がいるところを日本海とすると、ここが荒浜としますね。こちらに本州がずっとありまして、佐渡はその辺なんですね(指しながら)。それで、寺泊というの
はこの辺なんです。それで、大聖人はこの寺泊に着かれて、そこで何
日か風を待たれて、そして、佐渡に流される。流されて、帰りはですね2年半後。今度はばんじん岬(?)といって、柏崎に上陸するんですね。これはちょうど、荒浜から見て、左前方になるんですね。こう全体を見渡すと、こう荒浜を中心にU字型を描いて、大聖人は帰られ

たんですね。そのU字型の頂点に、ちょうど牧口先生が生まれたんですね。それが、大聖人が流されてから何年後か、みなさんご存知ですか?ちょうど600年後なんです。佐渡流罪からちょうど、えーと、竜口の法難から600年後とよく言われますが、佐渡流罪と竜口の法難は同じ年ですから。大聖人が佐渡に流されてから丁度600年後に

、そして、大聖人が巡って帰ったその頂点に、生まれるという、まあ、不思議な時と場所の一致だなと感じたわけです。こういうのは「これで終わらないぞ」と勘が働くんです。「何かあるぞ」と。じっとこう思索したんですが。それで、だんだん見えてきた。日本の文化に2
つの流れがあると言われています。一つは「村の文化」。もう一つは
「海の文化」と言われているんですよ。この「村の文化」というのは、いわゆる、「長い物には巻かれましょう」。いわゆる、日本じゃ「世間体を気にするからと言われますね。この世間体を気にするというのの「世間」というのは、実は村なんですね。ですから、村を出てど
っかに行きますと、「旅の恥はかき捨て」なんです。日本国中、どこへ行っても、世間のはずなんですが、世間じゃないんです。もう、顔見知りのいないところは、もう世間を出るんですね。したがって、「旅の恥はかき捨て」なんです。村の中だけ、そういう意味では規則を
守ればいいんですね。だから、第二次世界大戦の時でも中国ヘ行って
さんざんひどいことをしてると。もう、若い女性を暴行したり、また、小さい子どもを虐殺したり、それはもう、村の外に出てますから、何やってもいいという、そういう倫理性が働かないのが日本的信条の
一つの特徴ですね。いわゆる、日本人にとっての「パブリック=公」
というのは、すなわち、村なんです。村からどう見られるか。これは、精神医学でも対人恐怖症というのがありますが、この対人恐怖症なんかでも、顔見知りが一番問題になるんですね。見知らぬ人はあまり気にならない。つまり、世間が問題なんです。顔見知りでないのは世
間じゃないから、あまり問題にならないんですね。日本人のこの心線の中に村意識というのは、非常に強烈に根づいております。人の目を
気にするというのは、大体、顔見知りの目を気にする。で、この文化。これは「白黒はっきりさせてはいけない」。出しゃばってはいけな
い。また、「ずうずしいのはいけない」というふうにずうーとこう言われるんですよ。今年こういうことを考えていてつくづくそう思ったんです。私の所に、精神科の患者さんと、いわゆる、アレルギーの喘
息とか、アレルギー性鼻炎とか、アトピー性皮膚炎とか、アレルギー性疾患の患者さんが主に来られるんですが、今までに一万人以上の患
者さんが来られました。その患者さんを見ていつも思うんです。みんな、真面目なんです。世間をみると、真面目な人も不真面目な人もいますよね。ところが、私の所に来る患者さんは不真面目な人はほとんどいないですね。ほとんど真面目なんです。一万人もいれば、一万人
くらい来れば、不真面目な方がいてもいいと思うんですが、いらっし
ゃらない。みんな真面目です。どうして、真面目な人が病気になるんだろうとやっぱり考えざるを得なくなってきますね。で、だんだん考えだして、去年でしたかね、聖教新聞の「ふれあい診察室から」という心のページに、「あそびとまじめ」という題で書いてたんですが、これ調べてみますと、「真面目」というのは、まず、原点に戻ろうと
思いまして、広辞苑を開いて、「真面目」ってどういうことなんだろうと調べてみましたら、なんとですね、「真心のこもった顔つき、態
度」と書いてあります。ちょっとふつうのイメージと違いません?「
真心のこもった顔つき、態度」。これが真面目だっていうんです。そう書いたらですね、聖教新聞の担当の方が違和感を懐いたんですね。もう一度、広辞苑をひきなおしたら、私が調べた広辞苑は第3版で古い奴だったんですが、今、第5版で新しい奴です。意味が変わっているんですね。「真面目」の意味がここ十年、二十年で変わっているん

です。それくらい、こういうことは気がつかないうちに、変わっているんですね。で、我々はふつう医学で真面目というのは「周りに合わせる.世間の常識に忠実に従って生きる.日本文化に従って生きる」ことをいう。こういうのを真面目と考えると思うんです。この日本文化というのがくせ物ですね。私が見るところ病気の文化なんです。すな
わち、謙虚、ひかえめ、謙譲の美徳、奥ゆかしく、男は黙って、女は
一歩退いて、人に気を使って、人に合わせて、自分が我慢して、でしゃばってはいけない、いい気になってはいけない、調子に乗ってはいけない、天狗になってはいけない、とにかく、一言で言うと「自分を殺せ」と言うのが日本文化なんです。だから、真面目な人ほど自分を
殺してますね。だいたい、真面目な人は個性がないですね。だいたい
、消極的ですね。世の中一つの組織を動かしたり、会社を引っ張っているような人は、だいたい、ずうずうしい人ですね。それで、図太い人ですよ。それから、非常識な人が多いですね。どちらかと言うと。それで、ワンマンの人が多い。こう考えると、今の世の中、いわゆる、日本文化から見て悪い人が元気なんですね。いい人がみんなこう元

気がない。病気になりがちなんです。結局、これを仏法という眼で見ますと、妙法の当体である自分自身を輝かしている人は、実は、考えたら、図々しい人ですね。図々しい人っていうのは、妙法に則って生きているんですね。こうやって、真面目で自分を殺すっていうのは、
妙法の当体を殺しているわけですから、これは謗法になるんですね。
そうしてみると世の中、一番良い例が自民党の代議士。まあ、あの当選者インタビューなんかで、テレビを見てると、まあ、図々しいと言うのかね、なんで、こんな奴に入れるんだっていう人が、やはり、こう大きな顔をして出ている。そういう人は確かに元気なんです。勢い
があるんです。それで福運があるんです。一方、真面目な人は福運がない。で、結局、よく池田先生が、「ずうずうしく、図太く、たくま
しくいこう」と、「口八丁、手八丁でいくんだ」とおっしゃりますが、これが実はね、そっちが正しいんですね。だから、今の世の中、「悪がのさばっている」と言いますが、むしろ、悪がのさばっていることが問題というよりも、「いい人が自分を殺す」という、間違ったこ
とをしていることが問題なんですね。だから、これからは、真面目な人が、いい人が、思いやりのある人が、心優しい人が、もっともっと
言いたいことをずけずけ言っていくと、正義を主張していくと、勢いを増していくと、そうなっていくと、今のさばっている、自分さえよ
ければいいという人が、だんだんだんだん肩身が狭くなっていくでしょう。そうなってこそ、牧口先生のおっしゃる、「人道的競争の時代」ではないかと私は思うんです。
 

小さな事実の指摘

 投稿者:おせっかい星人  投稿日:2016年11月25日(金)13時33分6秒
編集済
  寝たりオジサンさん、いつも体験のupありがとうございます。
ただ、やはり新聞等で公開されたものでないためか、事実誤認や脚色があります。
感動の体験・先生のエピソードの前では小さいことですが私の知ることを指摘させていただきます。

1. タイのプーミポン国王のエピソード
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57954
■原文
タイというのは宗教活動は法律で禁止されているそうです。
創価学会というのも、当時非合法の団体で、戦争中自分たちを苦しめたのは、
日本の兵隊だった、僧侶だったということで、日蓮正宗創価学会というのは
絶対に認められない団体だったそうです。

したがって、学会員も日本の商社の人を含めても、三十人もいない。
しかもタイというのは、これは私も聞いて驚いたんですが、いわゆる
王国なんですね。

■指摘
どこか他の国の事情と間違えていると思われます。
正確な数字は不明ですが80年代初頭でタイには数千世帯以上のメンバーはいました。先生が会長就任直後に初訪問し支部結成した国なのでSGIメンバーの歴史は長いです。一方で組織を割って出ようとするグループが出るなどそれなりの混乱はあったようです。

ご承知の通り上座部仏教の国なので僧侶への尊敬の念は想像できないほどのものがありますが、上座部仏教で妻帯僧侶はあり得ないので坊主が直接動いても全然効果ない土壌であったようです。一方、妻帯している信徒が指導するSGIのあり方もタイ国の常識では仏教としてあり得ないことで、この部分がタイ国広布の頭痛だったようです。それをすべて打ち破ってしまったのが先生の闘いで、プーミポン国王との会談でこうした障害はほとんど雲散霧消したようです。本当に凄い、有り難い師匠です。


2. インドネシアは勝った!
http://6027.teacup.com/situation/bbs/60498
インドネシ理事長だったセノスノト氏は既に80年代初頭には「我々の師匠は猊下。池田先生は信心の先輩として尊敬するが、信仰上の師匠ではない。」と明言していた人物で、その頃から既に間違ってました。第2次宗門問題で裏切ったのではなく、とっくに宗門に付いていた人物です。NSICやSGIはその軌道修正をすべく働きかけていましたが効果がありませんでした。メガマドン研修道場は彼の資産(たぶん別荘だった)をインドネシアの法人に寄付したものです。

■原文: また、ある幹部はタクシーに乗って高速道路を走っていた際に、車が横転し、瀕死の重傷を負うなど魔が跳梁していた。
■指摘事項: 80年代初頭(浅見男子部長時代)にインドネシア指導に行った日本の副男子部長が遭遇した事故のことだと思われます。第2次宗門問題以降のこととして書かれていますが時系列が違います。
 

「信濃藩家中見聞」 其の九

 投稿者:ヨッシー  投稿日:2016年11月25日(金)10時38分1秒
  其の九

頼綱「これでご城代の腹も決まったのう」

勃樹「さすが、頼綱どのの思惑通りですな」

頼綱「さて、いよいよ具体的に動かねばならんが、まず藩律改正については、貴殿を中心に進められよ。いかがいたす」

勃樹「はい、取り敢えずは律令方の者に投げてみますが、あの現律令方衆はどうも殿至上主義者が多く、また八百の守に同調する傾向にありますから、あまり当てにはしておりません。まあ、いざとなれば拙者の赤門の先輩衆で学問所にいる二士に命じて作らせますによって、ご心配はご無用かと。彼等は殿絶対主義を鼻から嫌っておりますので好都合かと」

頼綱「さようか。八百の守の方は、次より会議には参加させぬ。また、失脚への道筋も考えておるから安心せい」

勃樹「さすがでござるな。あと、このたび参加の無かったお側用人衆への対策はいかがでござるか?」

頼綱「まだ決めてはおらぬが、まあいざとなれば筆頭御用人の坂田の守をつつくさ。奴は優柔不断の上、鼻薬に滅法弱いからな。どうにでもなろう」

勃樹「なるほど。して、幕府へのご対応は?」

頼綱「永田町下屋敷に居る佐藤金津園の守泡浩(かなづえんのかみ・あわひろ)に任せておる。彼奴は幕臣たちの好きな赤坂・銀座あたりの遊びを心得ておる上、ジジイ転がしの天才じゃ。褒美と軍資金さえ与えておけば、万事上手くやるであろう」

勃樹「ぬかりはござりませぬな。ふぇっ、ふぇっ、ふぇっ」

頼綱「その変な笑いは止めんか、特にそのエクボは妙に寒気がするわい」

勃樹「・・・・」

(つづく)


※これまでの投稿はこちらを。
壱の巻
其の壱 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60044
其の弐 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60103
其の参 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60470
其の四 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60472
其の五 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60473
其の六 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60474
其の七 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60407
其の八 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60468
 

話半分で読んでみてください

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年11月25日(金)10時11分40秒
  「本当にグローバルな『世界秩序』」を築き、新機軸を打ち立て「ヴェストファーレン・システム」の現代化を図ろ

うとしている共和党の重鎮ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー博士は18日、19日、20日(日本時間19

日、20日、21日)、ニューヨークでトランプ次期米大統領と会談し、トランプ政権が進める政策、閣僚人事など

を協議した。このなかで、対日外交について、「いま一番危険な男は、安倍晋三首相だ。極右のカルト集団である

『日本会議』を支持母体にしていて、戦前の日本に戻そうとしているからだ。この世界で最も危険な国は日本であ

り、世界の火薬庫となる。安倍晋三政権は、一日も早く潰さなくてはならない」と指導し、トランプ次期大統領も認

識を一致したという。キッシンジャー博士は2月3日、息子のポール・アルフレッド・マナフォート氏を伴って訪ロ

し、ロシアのプーチン大統領と会談、その後、頻繁に連絡を取っており、2017年2月3日、再度訪ロする。これ

は、天皇陛下にごく近い筋からの情報である。

出典:http://blog.kuruten.jp/itagakieiken

世界的に大きなパラダイムシフトが起きています。

創価と公明党は乗り切れるのか ?

はたまた、私たち一人、一人は ?

一人一人が師匠の指導を精読、本気で題目あげ、自らの処し方を問われる時が来ているようです・・

激動する変革の津波に飲まれないよう…足元からはじめて、すべてを見つめ直す時かも・・

気に入らない方は、どうか飛ばしてくださいね・・


ペンギン
 

だからさ~、柳チャン、どうして取材しなかったのか?っていう問題なのよ~

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年11月25日(金)09時18分46秒
  おはよう柳チャン、昨日は随分と遅い更新だったんだね~。体調ダイジョ~ブ?

>こうした紛争事には必然的に両者の「言い分」というものがあり、それらを注意深く踏まえることが必要と思われる<
(11月24日コラム日誌より引用)

柳チャン、たまにはいいこというじゃな~い(笑) でも、その後がいけないね~。

>客観的事実を簡略に記す< と言いながら、

>おどし文句を支部長に対し述べていた<     脅し文句とは誰の判断なの?
>自宅や職場まで押しかけ<           押しかけっていうのは主観が入ってるね~
>留守であることがわかっているにもかかわらず< かかわらずって主観の強調じゃないかな?
>子どもにまで恐怖心を与えている<       これって、だれの判断なの?

なんかさ~、どう見ても、支部長側の言い分と情報で、柳チャンの主観満載のコラムだとおもえるんだけど~(笑)

おまけにさ~、柳チャン、これには思わず笑っちゃったよ~。

>私はこうした紛争事は一方が100%善で一方が100%悪などと言うつもりは毛頭ない<
(11月24日コラム日誌より引用)

いいかい、柳チャン、11月12日の集会に取材もせずに自分のコラムになに書いてるの~

11月15日「足軽会の専門弁護士」
11月16日「唯我独尊の3人によるプロパガンダ本」
11月17日「元職員3人による蒸し返し訴訟」
11月18日「福岡を中心とする組織内組織」
11月19日「信用を失った青年たち」
11月21日「ふるいにかけられた者たち」
11月22日「元足軽会所属メンバーの証言」
11月23日「敵は内部から生まれる」

一方的に、元職員を100%悪だと言ってんのはいったい誰でしょう?

柳チャンのコラムのどこに、支部長側の非をただした文があるのかな~(笑)

最後にね、柳チャン、「宗教」以前の問題として「常識」がないって彼らをさんざんこき下ろしているけど

柳チャンも学会員だったらさ~、12月の大白でも読んで、少しは勉強した方がいいんじゃな~い(笑)

「一切世間の治生産業は皆実相と相遺背せず」(P1295)

少しでもこの文の心が分かればさ~、宗教以前の常識なんて言葉は出てこないと思うんだけど~(笑)

もっと勉強しようね、ガンバレ、柳チャン、(笑)
 

ツイッターより。浅見の伊藤園、次期会長の374919、それでも創価学会仏ってアンタw

 投稿者:ツイート人  投稿日:2016年11月25日(金)08時33分42秒
  今後創価学会仏が犯罪を犯したら一大事。伊藤園問題の浅見副会長を始め、問題が明るみになれば困る幹部が多いのでは?矢野裁判の和解の真実が、世間に明るみになればどうなる事やら。それとも創価学会仏だから犯罪などあり得ないと会員を洗脳するのか?創価学会仏の会長に女性問題などあり得ないと。  

二十一世紀への対話8

 投稿者:まなこ  投稿日:2016年11月25日(金)08時31分28秒
編集済
  【池田】 まったく、戦争がもたらす倫理観の恐ろしいほどの低下は、いつの時代でも同じですね。

【トインビー】 戦争は悪です。ただし、科学的精神は悪ではありません。ところが知らず知らずのうちに、しかも間接的にですが、この科学的精神は現代の無法化を、とくに性関係において助長してきたと私は思っています。科学が倫理上もつメリットは、真理の発見とその直視に寄与することです。科学はあらゆる伝統的な信念、しきたり、風習に挑みます。
性行為に関する伝統的なしきたりは、どこの社会でも程度の差こそあれすべて抑制的なものでした。私は、これは倫理上正しいことだと考えます。しかしながら、規制というものは、厳しければ厳しいほど、それを破ることが頻繁となり、悪質なものとなり、その違反を慎重に隠そうとする行為も、ますます偽善味を帯びてくるものです。現代の子供たちは、正規の学校教育を通じてだけでなく時代精神を通じても、真理への科学的情熱と、まやかしに対する科学的侮蔑心をもつよう教えられています。その結果、今日ではクレディビリティ・ギャップという形で、親や政府の威信が、したがってまた権威が失墜しています。現代っ子たちは、性関係についてもその他のことについても、親たちの言行は一致していないと頭から疑っているわけです。
このことがもし性行為に関する伝統的しきたりへの現代の反抗の一因であれば――私はそうだと信じていますが――若者たちは、その性の行動を規制しそうにはありません。公的機関が抑圧的な措置を加えても、あるいは性的禁欲主義への自主的な運動が起こっても、彼らをその気にさせることはできないでしょう。
 

ドンピシャリその名はタニガワ、

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年11月25日(金)08時31分22秒
  許せません。

蘭夢さま、よくぞ言ってくださいました。

万死に値する愚劣な暴挙。



タニガワ。

何考えてんだか、目も顔も普通じゃないなあと、学生時代から違和感がね、悪いけど。


長ですからね、最初のころからレール敷かれた上にいてね。

アブナイですよね、勘違いしやすくて。

自分は何様か、よそ様がシモジモに思えてしまうんですよ。


「バッカだなあ、シモジモって。バッカだなあ、創価のオンナって。バッカだなあ、幹部って」

そんな風に思ってるんだろうなって、想像してました。


そういう卑しさがね、目も顔にも出ていてね、イヤ~な感じでしたね。



だから、蘭夢様のお話に納得しました。

「やーっぱり。ドンピシャリ」

御友人、まるで災難でしたね。

でも、本当に辛かったのは、蘭夢様でした。

 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、やはり怪鳥様の御威光は大したものデスね~

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年11月25日(金)08時22分22秒
  おはようございます。本日の政教珍聞1面「インドネシアが団結と躍動の総会」誠におめでとうございます。

いつもならば、10日から14日遅れの海外総会の記事なのに、さすがは怪鳥様がご出席の会合、間髪入れずの報道デス。

笠貫女史も写真に写ってご機嫌でしょう、ご苦労様デス。

ところで、原田怪鳥様、「訪問団」のメンバーが写真に写っていません。どうしてでしょうか?

まさかとは思いますが、怪鳥様、女史、通訳、カメラマン、記者の方だけで「訪問団」とブチあげられたんデスか~(笑)

それは「訪問団」とは言いませんよ~(笑)

池田先生のメッセージも全文紹介されていません。こういう姿勢もいい加減に直しましょう。

さてさて、タイ国、インドネシアと続く南アジア旅行団、あっ、失礼、訪問団の次のお国はどこでしょうか?

小生の大予想では、次はカンボジアでしょうか? なぜならばアンコールワットがあるから(爆笑)

原田怪鳥様、浄財使いまくっての「訪問団」なのですから、明細を公表して下さいね~(笑)
 

もんすもん様

 投稿者:つかさ  投稿日:2016年11月25日(金)08時08分58秒
  素晴らしいと思います。
何も、信仰にこだらわなくても、今のもんすもん様の
気付きは、人として尊敬致します。

選民は、慢心の最も醜い姿。
素晴らしいなあ。
そんな大事な事に、すぐ気付ける。
頭のいい方なんでしょうね。

これが、この仏法なんです。
有難うございます。
組織は嫌い。でも、こんな事があるから、
素晴らしいなあと思うんです。
 

わが友に贈る 2016年11月25日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2016年11月25日(金)07時13分19秒
  激しい寒暖差に注意。
体調管理を万全に!
リーダーは
高齢者の会合参加等に
こまやかな心配りを!
 

王座奪取!――修、チャンピオンに!

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月25日(金)06時54分28秒
  ■やったー! 万歳! 佐藤がチャンピオンに!
 新宿男子部のニューリーダー・佐藤修さんの、WBA世界スーパーバンタム級タイ
トルマッチ(埼玉スーパーアリーナで)。
 “無敗の王者”と謳われていたヨーダムロン・シンワンチャー(タイ)を、見事、
8ラウンドKOで完全勝利! 世界チャンピオンになっちまった! おめでとう!
そして、勝利の一言は……まぁともかく、最後まで読んで!

■試合の経過――其の1
 きょう18日午後4時30分、開始のゴング。
 第1ラウンド、第2R……。相手はムエタイ経験者で、目の良さ、パンチの回転の
速さを武器にしているだけに、一進一退の攻防が続く。
 第3R。――3カ月前、世界へ初挑戦した試合では、悔しい2度のダウンを奪われ
たのが第3R。しかし、今回は違った。
 しなやかに攻め寄ってくるヨーダムロンを相手に、しっかりとガードを固め、そし
て攻め負けない。3分。3R終了のゴング。無事に山を乗り切ったことを誇るかのよ
うに、佐藤は“よしっ”とコーナーへ。
 4R、5R、6R。佐藤は序盤戦とはうって変わって、どんどん攻め込む。
 7R。1分20秒。ヨーダムロン、1回目のダウン。これまで、一度もリングにひ
ざまづいたことのない男が、うずくまった。
 さらに2分目。もう1度、ダウンを奪う。このラウンド終了間際には、ロープ際に
追い込んで、相手をサンドバック状態に。会場の歓声は、いや増して高まった。

■試合の経過――其の2
 そして第8R。しかし、勝負はもう決していたのかもしれない。ヨーダムロンはマ
ウスピースを忘れてリングに向かった。それほど、動揺が隠せない。
 改めてゴング。ヨーダムロンも死力を尽くす。しかし、佐藤は落ち着いていた。
 そして反撃。猛攻。1分18秒、ヨーダムロン、ダウン。レフェリーがカウント。
 1、2、3……。立てない。レフェリーが手を振った。ゴング。勝った!

■試合後のインタビュー――師匠・池田先生、ありがとうございました!
 チャンピオンベルトを付け、インタビューを受ける佐藤。
 ――ベルトを付け、どうですか?
 佐藤 重いです。何よりも重いです。
 ――それでは念願のチャンピオンとなった今、ファンの皆様に一言。
 佐藤 その前に、まず、故・金平(協栄ジム)前会長、僕が9人目の協栄ジムの世
界チャンピオンになりました。ありがとうございます!(大歓声)
 そして、人生の師匠・池田先生、現・金平会長、大滝先生、北原先生、そしてファ
ンの皆様、友達のみんな、本当にありがとうございました!(大歓声)
 これからも、勇気を持って戦いますので、皆さん応援、よろしくお願いします!

 言っちまったよ、佐藤! すごいよ! 会場の埼玉アリーナはもちろん、TBS
(東日本)に、そのままオン・エア! 1個の人間として、男として、あらゆる方々
への、そして師匠への「感謝をエネルギーに勝った」「心で勝った」、本物の人間と
してのチャンピオン、万歳!

※この試合は2002年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会で年間最高試合賞に選出され、同時に佐藤は殊勲賞も受けた。



佐藤 修さんへの御伝言        2002.5.18

試合中にラウンドごとに先生から伝言が

「思う存分頑張りなさい。勝てるように三唱したよ」
「ラウンドごとに三唱したからね」
試合終了後
「おめでとう! 嬉しい、万歳だよ 万歳だよ 勝って兜の緒を締めよだよ 日本中、皆が万歳三唱していますよ」
「大学の方で見ていました。テレビで『人生の師匠 池田先生にお礼を申し上げます』と言ったのも見ていたよ。その心だから勝ったんだよ。本当におめでとう」

この伝言を本人に伝えようとしたらマスコミ人で控え室がごったがえししていたので、本人をトイレに連れだして伝えた。

※なお佐藤選手は、7年前から、いつか世界チャンピオンになって、あの「人生の師匠・池田先生、ありがとうございました!」という言葉を叫ぶことを目標に、厳しい練習に取り組んできたそうです。

 

佐藤修もヤング男子部!――

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月25日(金)06時51分22秒
  去る2月5日、ボクシングWB Cスーパー・バンダム級世界戦に出場した、佐藤修さんは、新宿ヤング男子部の一員です。試合前日も、本部新館で1時間唱題に励み、決戦に臨みました。結果は、ご存じの通り判定ドローながら見事な内容で、新聞にも「チャンピオン防衛なるも弱気な表情」等と報道される程でした。
 世界初挑戦の佐藤さん、トランクスには八葉蓮華の学会マーク、法華経に 説かれる「志固精進」の幟が、何十本も翻(ひるがえ)る中、(なぜか1本だけ「ヤング男子部万歳!」という、幟も)見事な敢闘精神で、全国に感動の渦を起こしました。「先生にお応えします。次は勝ちます」と意気軒昂(けんこう)に決意を語っています。

喜多区・本部責任者の加藤君は、1月、会社の先輩から入決を奪取。しかし、先輩は、いざ、入会となると、「家族会議を開いてOKが出ないとダメなんだ」と、今どき、めずらしいリアクション。加藤君は、意気消沈し、本部責任者会に参加したのです。
本部責任者会で先生から長文のメッセージを頂戴し、「本陣・東京を断じて頼む」との大激励とともに、“波動を起こしていきなさい”“拡大の起爆剤に”と記念撮影・聖教掲載のご配慮を賜(たまわ)り、史上最強の拡大を、と決意。この先生の大激励にふれ、「先生はヤングを見つめてくださっている。必ず結果の出せる弟子に成長します」と一念を定めた所、会合終了後、携帯電請が鳴りました。電話は会社の先輩からで、うれしいことに、「例の家族会議で入会していいことになったよ」と歓喜の声が届いたのです。大感激の加藤君、今度は、全ての友人に仏法を語ろうと決意。伝統の2月、なんと個人折伏4世帯を達成しました。

 板橋ヤング男子部の関口君は、「悩んでいる人と会わせて下さい」と真剣に祈りました。すると、唱題の最中に友人の藤崎君から携帯メールが届きました。関口君は「たまには語り合わないか?」と返信。するとすぐに友人から「語り合いたいのは山々。でも金がない。飯も食えない。そんなこんなで“悩んでいる”」との返信メールが返ってきました。“こんなに早く、祈りが通じるのか“と驚きながら、真剣に唱題を続けたのです。
 藤崎着の本流を心ゆくまで祈りつつも、「何か変だな」と思い、よくよく考えてみると、興奮の余り、いつの間にか友人の「藤崎あつし君」ではなく、同じ部のヤング男子部の「藤崎ひろし君」の名前で3時間も祈っていたことに気づいたのです。
 そこからの30分は「御本尊様、今の間違えでした」と訂正の題目をあげ、折伏に行きました。すると友人の藤崎あつし君は素直に話しを聞き入れ、晴れて入会することができたのです。
 ちなみに、間違って祈ってもらったヤング男子部の藤崎君も、この祈りが効いたのか、1週間後に、友人を見事、本流。ヤングだけで本部5世帯の本流が決まりました。すると30代、本家本元の男子部が焦り、本部長、副本が慌(あわ)てて本流を決め、男子部の拡大に壮年部・婦人部も勢いを増し、四者で早々と地区1を達成。総区リードの戦いを展開中とのことです。

 昨年、長編詩「若き青春乱舞に栄光あれ!」で先生がつづって下さった「ヤングには恐れがない。ヤングには垣根がない」「ヤングこそ広宣の拡大の旭日である」との大激励を、実践の中で体得し、広布の起爆剤として、元気いっぱい戦ってまいりましょう!
 

大白蓮華12月号

 投稿者:アルベア  投稿日:2016年11月25日(金)05時56分54秒
  11月4日の総務会での重大決定「三代会長」の敬称・「創価学会仏」等の会則変更の記事が掲載

されていません。過去の大白では、必ずそれなりの会則変更の記事は掲載されていました。

まさに、学会員を愚弄する、広布を破壊する輩です。大白は「創価蓮華」です。聖教新聞は「創

価新聞」です。

変質・変貌を加速する創価、これからが面白いです。
 

蘭夢さま、ありがとうございます!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月25日(金)02時50分9秒
  あの時代(昭和54年代)の折伏は大変でした。週刊誌に学会批判の無い日はなく、それでも蘭夢さまのように信頼関係を築いて一人、また一人と信心していきました。今の壮年幹部の中核は、この時に信心した学会一世の学生部員ですね。ボロボロの服着て、乞食みたいな生活していた者が、会社役員になったり、司法書士や行政書士で立派に活躍している。人生の後半戦から大きく変わっています。

私も大学祭(折伏セミナー三昧)で折伏した相手が、トンデモな奴(金持ち坊ちゃん)で『信心なんてビンボーな奴がやる事だ!』と高笑いされ悔しい思いをしたところ、数年後、中心会館の側の仏壇屋(たしか、国際物産)で、そのトンデモな彼と再会、『いや~あの時は悪かった。あれから卒業前に親の会社が倒産して俺も仕事失敗して信心した、今、ここで働いているんだよ。』と言う嬉しい事も有りました。
人生分からないもので、どんな方とも仏法対話は必要ですね!
しかし、タニガー便1は許さん!徹底的に叩きマス!
 

ハム議員たちへの激励

 投稿者:サンダーバード  投稿日:2016年11月25日(金)02時41分52秒
編集済
  2010年1月本部幹部会でのハム議員たちへの激励

http://sgi-shiteifuni.com/?p=5216

母と子で言うと、完全に親ばかですね先生は。先生の性格です。優しすぎて実行できないんですよ。

元職員の3人も、その他大勢も、(どいつもこいつも)、[先生が応援しようと言っている=公明党は正しい]になってるんですよね。
中には[先生が応援しようと言っている=公明党は正しいと思わないが、何か意味があるのだろう]と言う人もいます。

先生が公明党に何か指示をしているんですか。
私は聞いたことがありません。
その事実があったら教えて下さい。


本部の相談室に破折しに行ったとき、ある人は「先生に責任がいかないようにしているんだ」と、またある人は「学会を守るために公明党を利用して何が悪いんだ、よそも同じことをやっているんだ」と言っていた。
 

その名はタニガワ、なぜ忘れられないのか。

 投稿者:蘭夢  投稿日:2016年11月25日(金)01時40分32秒
  イケディアンの住人(正義の獅子同盟)様、かなり気にいったのか、
僕の投稿を何回か、再掲されていますね。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/60364

再掲ばかりでは、何でしょうし、少し話を補足しましょう。

かなり、感情を抑えた文章ではあったので、伝えていない想いを

なぜ、忘れられないのか、

ちゃんとお話しましょう。

先輩に聞かされた内容に驚いて、忘れられないという事ではありません。
確かに驚愕の話でしたが

キーワードは、
「同席していた、友人(僕が学生の時、本流した友人)」
の存在です。
その場に友人がいたということ。

簡単に、さらりと文章に紛れていますが、これこそが忘れられない原因です。

本当は、怒髪天を衝くほどの怒りに震えながら、先輩のそのゲス話をきいていたのです。
なので覚えているのですが、当時、かなり頭に血が上っていて、怒りばかりが記憶に残り
細かいニュアンスが飛んでしまっているのが実のところです。

隣に座る友人。
やっと入会にこぎつけ、そして数か月。
そんな、大切な時に、この話を聞かされたのです。


思い起こせば、あの時、彼が入会の決意をした、あの時も

彼から、入会したいとの話を受け
片道2.5時間、往復5時間。電車での移動。
僕は、入会申込書を携えて、彼の下宿へと向かった。

約束の時間に彼の下宿に着く。
約束の時間は、彼からの申し出だ。なのに、不在。
おかしい。何かあったのだろうか。

公衆電話を探し、電話を入れてみる。

出ない。

1時間ほど、公園をぶらぶらする。

再度、彼の下宿に向かう。

やはり、不在。でも、今度は何となく、人の気配があった。

まさか、居留守?

気が付かないだけ?

どれくらい粘っただろうか、けれど、扉は冷たく拒絶するように開くことはなかった。

諦めて、帰ることにした。

お腹空いたなぁ。
手には、彼への差し入れも兼ねて、途中で買った、ビッグマックが2個。
すっかり冷えてしまっていた。

あたりは、すっかり暗くなっていた。
疲れて、ベンチに腰掛けた。

「何でだろうなぁ・・・」

何か、あったのだろう。でも、何で、顔も合わせられないのか。
折伏は、難しいと言われるけれど、本当にそうだと痛感した。

無性に悲しくなった。

「先生、僕のお題目が足らなかったのかなぁ」
「先生、どうしたら、友人を救えるのかなぁ。先生。先生。」

涙がこぼれた。

最初、学会は大嫌いだと言われた。
君は友人としては最高だが、ひとつ欠点がある。信心の話はするな。聞きたくない。
信心の話を二度としてみろ、絶交だ。
そんな状態から、ひとつひとつ誤解を解き、信心の話を聞いてもらえるようになり。
そして、一緒にお題目あげるまでになった。
そして、彼の口から、信心をしたい。入会したいと・・・なのに。

色々な想いが交錯する。

お腹空いていると、だめだなぁ。
せめて、精一杯頑張った自分に御褒美。2人分のビッグマック。
お腹いっぱい食べよう。

やけに、しょっぱい、ビッグマックだなぁ・・・・・涙の味がする。

自宅に戻り、気を取り直して、彼に連絡を入れる。

約束の時間に行ったけれど、どうした何かあったのかとの問いかけに

そこには、自虐的な彼の声があった。

俺にかまうな。二度と、俺の前に顔を出すな。
さらには、居留守を使ったことも告白、それほど顔も見たくないし、話もしたくない。
一方的に早口に言って電話は、切られた。

次の日、学校で、彼の姿は、無かった。
避けられている?
授業をさぼってまで?

そして次の日。
学校で、彼に会った。

「○○さん」
声をかけられ、振り向くと、そこに、涙を一杯に浮かべた、彼が立っていた。

「どうした、何かあったのか?」

よく見れば、彼の口元に血?

「誰かに殴られたのか、どうした?、何があった?」

彼は、絞り出すように
「ごめんなさい。・・・・・罰が当たった。」

それは、昨日のこと。彼は学校に来ていたのだった。
だが、突然、事件は起きた。
顎の骨が外れたのだ。彼曰く、何の前触れもなく、突然、外れたそうだ。
それが、どれほどの痛みなのか、解らないが
ともかく、相当、大変だったとのこと、そして病院でも、うまく元に戻らず
七転八倒の死ぬほどの痛い、辛い、酷い思いをしたとのこと。

そして、入会の約束を反故にしたことについて、話をしてくれた。
入会を決意した彼は、勢い余って、実家の家族に入会宣言をしてしまった。
ところが、家族全員から反対され、さらには親戚まで知れ渡り、
家族から、親戚から、止まることを知らない、説得攻撃にさらされたそうだ。
特に、母親に泣かれたのは、彼自身、相当にショックだったそうだ。
耐えられなくなった彼は、入会を諦めた。
しかし、親身に信心を教えてくれ、世話になったことを考えると僕に会うのが辛い。
そして、居留守。逃げたい一心からの逆切れと・・・・・。
そして、罰の現象。
でも、このことで、彼は、再び、決心し、信心を始めた。
入会し、御本尊を安置し、そして数ヶ月後

その名はタニガワ事件に遭遇することとなった。


一人の人を折伏することが、どんなに大変なことであるか
様々なことがある。

タニガワとかいう人。貴方がどのような生き方をされようが文句はない。
自業自得で、好きに生きてくれ。

だが、我々の広宣流布の歩みだけは邪魔するな。
それは、万死に値する。

中央で、権力まみれ金まみれで腐敗しようが何しようが、どうでも良い。
だが、同志を苦しめること、悲しませること。広宣流布の妨害、邪魔をするなら
貴方達、即刻、出ていきなさい。
 

実名告発創価学会読んでます!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月25日(金)01時32分35秒
  これ、大変な内容で過年に出されていた人間の科学新書の公明議員OBやら婦人部脱会者の本とはかなり異なります。
それは、他人の話や思い込みや恨みではなく、自分受けた事実を列挙しているからです。

これは、重いですね。こんな事を今も信濃町でやっている。そしてその張本人が跋扈している。

感想は、読了してから書き込みます!
 

「一暼」の調べて方

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月25日(金)01時07分10秒
  スマホ検索とか、goo用語、知恵袋などの簡単検索をせずに、図書館に行って調べてみて下さい。
訳者の豊島与志雄氏が、この「一暼」を使って両者の視線が合った瞬間の意味合いを「一暼」と表現した意味が分かります。私はあえてここでは説明しません。読んでる者が怠け者になるから!自分で調べて納得して下さい。

プロジェクトXさまの2010.1スピーチ投稿、大きな事が起こる前の先生の指導、その真意を受けて大きく変わる者と変わらないで堕ちていく者、広布破壊の先導者となって本まで出されて惨めな姿を晒す者。

まさに日本版レ・ミゼラブルを観ているようで、テナルディエ一派が投稿して仲良くしているのもオカシナ話ですね(-_-)

 

ありがとうございます。

 投稿者:もんすもん  投稿日:2016年11月25日(金)00時24分42秒
  かなり刺さる指摘、ありがとうございます。会ったこともないけど、かなりえぐられました。てんごくは修羅だったかな、まさしく自分です。我賢しで人の意見は聞かない、こないだも友人に注意されたんです。ゆっくりですが今後は改善してきます。まさしく生命の傾向性です。いやあ、まいったな、名前長いから小作人さんでよろしいですか?ちょっと脱帽しました。経験なんでしょうね、上手い文章書けませんが、ありがとうございます。ちょっと辛いけど意識して直していきます。成せばなる、成さねば成らぬです。我賢しと思ってるからすぐ上っ面で判断しちゃうんです。  

もんすもん様

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年11月24日(木)23時57分58秒
  おかげさまで日が替わる前に無事帰宅出来ました。

「絶対とか正義とかありそうでない」--。
まずこれが自分の主観の中で堂々巡りしている論理になってはいないか考察してみることです。

何かにつけ自己完結している人は、他者から触発されたり、何かを学び取ることが出来ません。
人と接していてもそこから得るものが全くとは言わないが、ほとんどないのです。
会話をしていても延々と自分の事ばかりを語ってしまいがちです。そういう人は。

ダイヤモンドを磨けるのはダイヤモンドしかない。
人間を磨き、鍛えていくのは人間どうしの関わりの中にしかない。
組織といっても所詮は普通の人間の集まり。善につけ悪につけ人との関わりの中で貴方自身がどう変われるか--。
出来上がった組織に付く付かないではなく、目の前の一人とどう関わり、価値創造できるか。それが問われます。

信仰は一人でも出来る。だが信仰の有無にかかわらず人間は一人では生きていくことが出来ない。
ヒトは社会を形成する動物です。他者との関わりを通して貴方自身がより良い社会の形成に資することが可能かどうか。。
貴方から見て学会員は変な人ばかりかも知れないけど、ふだん気付かない貴方自身の姿を写し出す鏡になっている・・・そういうこともあるかも知れないと思って、これからも人との出会いを大事にして、他人から何かを学ぼうとする姿勢を忘れないでください。
それは読書にも言えることです。
 

螺髪さんへ

 投稿者:もんすもん  投稿日:2016年11月24日(木)23時36分53秒
  すいませんね、熱意みたいなのは伝わりますが、わかりません、心ほど不安底、変化が激しいので螺髪さんの思う解釈には達さないのではと、思います。難しいですね。  

2010年1月本部幹部会

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年11月24日(木)23時33分26秒
  【投稿者:竹鶴   投稿日:2015年 3月13日(金)03時18分4秒】

●ハム


P:議員全員、立て!名前を言いなさい!

議:(山口、太田、浜四津以下10数人の参加者が全員名前を大きな声で言う)


(浜四津さんに)

P:もうやめるんだろ。と一言。


P:議員などは、エラクないんだよ。学会員のおかげであり、
偉いのは学会員さんなんだ。学会員さんに、最敬礼だよ。


P:もう一度みんなに頭を下げろ!


全員:宜しくお願いします!(頭を下げて最敬礼)


(頭を下げていた時間が短くて、最初に早めに頭を上げた議員に)

P:今、一番早く頭を上げたやつ!おい、お前だ!

○列目の、右から○番目の、お前は誰だ!

(どうやら関西の衆院議員、おそらく赤松か竹内。但し、一瞬早いくらいだったが)

P:もう一度、頭を下げろ!

議:(1人で)宜しくお願いします。

P:お前たちは負けた!皆に全員土下座するんだ!

(議員、何度も土下座)

P:お前たちよりも芸術部のみなさんの方が何倍も戦っている!
お前らよりずっと有名なんだ。

芸術部を出したほうがいいじゃないか!

(ちなみに、Pが「ねえ、リンダさん」と語りかける
と、リンダは「ねえ、岸本さん」と切り返していた)


P:今度はしょうがないから、勝ちたいから応援しよう。
それは、負けたら同志がかわいそうだからだ!
それで負けたらもう(党は)解散だ(趣意)


P:今度負けたら、党など無くさせるぞ!


議:必ず勝ちます!(多分、浮島ともこ)

P:違う、そうではない! こう言うのだ。

“先生のために”戦います!と。 言い直しなさい!

“師のために”戦うのだ!


その後、新人候補二人(東京・竹谷とし子、大阪・石川ひろたか)が決意を述べる。


竹谷:竹谷とし子です。先生のために必ず勝ちます!

石川:大阪の石川ひろたかです。先生のために必ず勝ちます!


P:(会長のほうを向いて)だれなんだ?

会長:新人です。

P:おじぎもろくに出来ないのか

と指導されていた。二人とも、とても大きな声だったが

P:私は口先だけじゃ信用しないんだ!

P:人類史上、私ほど、戸田先生のために戦い、師匠を護った弟子はいない。

秋谷、その通りだろう?

秋:(立ち上がり)その通りです。

P:先生のおっしゃる通りだというんだ。

秋:先生のおっしゃる通りです。


●竹入・矢野・矢島を「酒・金・女でダメになった」

とめった切りの中で特に矢島の件


※いわゆる、戸田先生が理事長を辞任され、矢島が理事長になり、
「君の師匠は僕だよ」といわれた際のエピソードを通されて、


P:先生、私が矢嶋を追い出します!そして戸田先生には会長になっていただきます!
といったんだ!

P:戸田先生が亡くなられるとき、「大作、ありがとう!」「大作、ありがとう!」
と言ってくれたんだ

http://sgi-shiteifuni.com/?p=5216
 

2010年1月本部幹部幹部会より

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年11月24日(木)23時26分35秒
  【投稿者:竹鶴   投稿日:2015年 3月13日(金)02時20分15秒】

2010年1月度本部幹部会


★壇上のSGI幹部に対して


P:高◯(??欧州議長)。お前はこの席にいる資格なんかないんだ!

高:はい。

P:おまえの女房もだ!
※(旧姓藤◯、勇退当時の女子部長。勇退勧告書?に署名)


高S:はい。
※特に女房をめったぎり。SGIメンバーの席にいてその場で立たされた。


P:婦人部のお前が悪いんだ


※SGI欧州副議長?の長◯川さん(フランス理事長、画家)へは終始やさしかった。
高◯夫妻には一貫して厳しかった。
前回の本幹でも「お前のやっていることはわかっているぞ」と指導があった。
続けて2度目だった。


(長谷◯さんへは)

P:むしろ 絵を買ってあげたいけど難しくてね

(長谷◯さんが笑うと)何を笑っているんだ。

いい笑顔だね。ヨーロッパは君が中心なんだ。

高◯じゃない。こいつは悪いやつだから飛ばしたんだ


P:(高Sに対し)先生の為に戦うと言え!


高S:先生の為に戦います!(2~3度繰り返した)


●会長、N◯副理事長

P:原◯

H:はい

P:お前になってから全然勝てないじゃないか!みんなに謝れ!

H:本当に申し訳ありませんでした!

P:お前は酒・女なんだ!

H:はい

P:(HKのことを)皆でバカヤロウといいなさい

皆:バカヤロウ!

P:関西も負けた!N◯(関西総主事)、土下座しろ!

N:申し訳ありませんでした!
(続けて「壇上の関西の幹部も謝れ!」と)

P:(皆は)全然本気じゃないんだ!甘いんだ!

何とかなるだろうという考えが甘いんだ!(趣意)

※もっときつい言葉だったと気がしますが……


P:今度の選挙はそんなに甘くないぞ!また同じ目にあうぞ。
私は50年やってきたからわかるんだ!
このままではまた負けるぞ!

ーーーーー続くーーーーーーー

http://sgi-shiteifuni.com/?p=5214
 

2009年2月頃の御指導

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年11月24日(木)23時20分45秒
  【投稿者:ダメよ~ダメダメ   投稿日:2015年 5月23日(土)18時44分16秒】

2009年は創立80周年の前年。年頭より様々御指導して下さっております。
2月頃の折々の指導には


昭和54年の会長辞任の事にふれられ


■「あの時は学会の中枢が逃げたんだ!諸葛孔明もこう云って

いた『側近が危ない!』側近の幹部、最高幹部がずるくなってはいけない。

私がどれほど苦労し、戦って今日の学会を作ったか。今は何も心配いらない学会になった。

何もしないで、出来上がっている上にただ乗っかっているようではおかしくなってしまう。

最高幹部は絶対にいい調子になってはいけないよ。」(趣意)と


又、


■「幹部は、お金だけはインチキはあってはいけない。あれば厳しく糾弾していく以外にな

い。師弟の魂こそ学会精神であることを、幹部は真剣に青年部・後輩に教えていかなければいけ

ない。最高幹部にその息吹がなければ学会は滅びてしまう。


師匠がいる。

師匠から指導が受けられる。凄いことなんだ。

今こそ学会を師弟で立て直していこう。

私は戸田先生にお仕えした事が最高の誇りである。

戸田先生は、それはそれは厳しかった。

峻厳だった。

峻厳さの無い世界は烏合の衆に過ぎない。」(趣意)


又、この前年2008年10月の本部幹部会・青年部幹部会での冒頭、中継では当然カットになってい

ますが、有名な


■「今は、学会が貴族仏教だと言われている。

難も無く、金が有って。。。。

将来ダメになります。衰亡しますよ。

私は戸田先生の仰る通りにやってきた。

私は自ら難を起こしてやってきた。なのに今は何だ?」(趣意)


と仰られていました。


その後、

■「昭和54年は、私が絶頂の時ですよ。

それでやっかんで私を追い落とそうとしたんです。

私と奥さんが理想的な夫婦だから、やっかんで。」とも


結局、現在の問題の根っこは昭和54年問題にあり、
その総括は現在も為されていないばかりか現在も続いていると思われます。

http://sgi-shiteifuni.com/?p=6051
 

師弟不二アーカイブより 【正しい信心】

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年11月24日(木)23時15分2秒
  【投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 3月30日(月)08時12分11秒     通報】

~(中略)~

創価学会が仏意仏勅である根拠は、正しい信心があるからであり、では、正しい信心とは一体何か。これが本質部分であり肝でしょう。

それは、正しい信心を教えてくれる指導者の指導の下、広宣流布を推進していくことが、正しい信心であると思います。それが三代の会長であり、だからこそ永遠の指導者なのでしょう。

三代会長の指導から逸脱した行為の中に、正しい信心は存在しない。そのように考えることが、過ちを犯さない道であり、生き方でありましょう。

教義変更は果たして池田先生の方針に沿ったものだったのか。

どこかでズレがあったのではないかという疑惑。背景に師敵対の人間がいるのかいないのか。学会から正しい信心がなくなれば、宗門と同じである。「正しい信心を失ってほしくない」、ただそれだけが大事であり、それこそがすべてなのである。


・・・・・(詳細は)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=3330

---------------------------------
★師弟不二ARCHIVE★
http://sgi-shiteifuni.com/
---------------------------------

 

(無題)

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年11月24日(木)23時11分49秒
  もんすもんさんへ


 言うべきものは「心」です……。



 まっ、このコーナーは余談ですが……




 

螺髪さんへ

 投稿者:もんすもん  投稿日:2016年11月24日(木)23時06分30秒
  ごめんなさい、ぼくは剣豪系は興味ありません。すいません。話合わせていただいて。武田信玄とか中期あたりです。織田信長も興味ありません。マイナーなんですよ。  

同盟題目、23時開始です。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年11月24日(木)22時58分19秒
  今日もよろしくお願い致します。任意参加です。  

もんすもんさん

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年11月24日(木)22時52分42秒
編集済
   もんすもんさん


 私も、学生部時代に貪り読みました。

 戦国時代の書物だったら、吉川英治です。

 吉川英治の「宮本武蔵」の一説が思い起されます。

 武蔵が、西軍敗残の関が原から舞い戻り、故郷で悪事をはたらいて捕まり、村人に杉の大木に吊るされ、沢庵(たくわん)和尚から諭される場面です。

=吉川英治「宮本武蔵」=から
***************

 武蔵(たけぞう)が杉の木を揺さぶって沢庵に雑言を浴びせる。

 沢庵「そうだ、そうだ。それくらい怒ってみなければ、ほんとうの生命力も、人間の味も、出ては来ぬ。近頃の人間は、怒らぬことをもって知識人としたり、人格の奥行きと見せかけたりしているが、そんな老成ぶった振る舞いを、若い奴らが真似るに至っては言語同断じゃ。若い者は怒らにゃいかん。もっと怒れ、もっと怒れ」

 武蔵「オオ、今に、この縄を摺(す)り切って、大地に落ちて貴様を蹴殺してやるから、待っておれ」=略=
 沢庵「おう、えらい力、木が動く。しかし、大地はびくともせぬじゃないか。抑々(そもそも)、おぬしの怒りは、私憤だから弱い。男児の怒りは、公憤でなければいかん。われのみの小さな感情で怒るのは、女性の怒りというものだ」
 武蔵「何とでも、存分に吐(ほ)ざいておれ。――今にみよ」=略=
 沢庵「それだけの力を、国家のためとはいわん、せめて、他人のためにそそいでみいい、天地はおろか、神も動く。――いわんや人をや」

***************

 吉川英治の青年に対する叫びだとも思います。いつの時代も青年が世を引っ張ります。

 

琴の弦様

 投稿者:京都西京区乃虎  投稿日:2016年11月24日(木)22時31分7秒
  分かってますよ、琴の弦様。
ネットでは顔が見えないので平気で人のHNを使って書き込む変態野郎がいること自体が、
この板の劣化の始まりですよ。
残念ですが、終わっています。
どさくさ紛れで言う、仕事中に書き込むバカがいる限り死ぬまで治らないのですよね~。
 

フェイク 第1556号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年11月24日(木)22時03分21秒
  (発行=16.11.23)

大石寺のお会式は下手な茶番劇
大聖人の仏法を供養集めに使う"日蓮商宗 "
「説法は意味不明、歓喜も感動もない」と講員

邪宗に成り果てた日蓮正宗大石寺では十一月二十・二十一日の両日、お会式
を行った。毎年、この日に大石寺がお会式を行なうようになったのは昭和三十
九年からのことで、歴史は極めて浅い。宗門は〝中世の美しい絵巻を思わせる
〟とか〝日蓮正宗の歴史の長さを示す〟古式豊かな行事だと宣伝している。だ
が、参加した法華講員は「説法は難しく意味不明で、信心の歓喜も感動もなか
った」と感想を語っている。

 参加した講員が難しい説法だったと言うのも当然で、日蓮大聖人の仏法を金
儲けの商売道具と考えているため〝日蓮商宗〟と揶揄されている日蓮正宗は、
仏法を難信難解なものに仕立て、信徒の日常生活から隔絶したものにしている
のだ。

 お会式の初日は御開扉に始まり、夕刻にはニセ法主の日如が差しかけられた
真っ赤な大傘の下を〝本仏気取り〟で歩くお練り、その後は日如の下手な説法、
三三九度の儀式と続いた。

 このうち、お練りの際、助番僧が片手に提灯を持って日如の所まで走って来
て一礼していた。これは御本仏の御説法を願う姿を現しているというが、お粗
末な演出の三文芝居だ。

大願寺の住職、法道院の主管の頃、満足に御書講義も出来ず、当時の教学部
長の大村寿顕に講義を頼んでいた日如がニセ法主になった途端に〝本仏気取り
〟で説法するとは驚くばかりだが、茶番劇はまだ続いた。

 入場して菩薩の座(上行座)に座った日如に会行事が恭しく礼をした。これは
涌出品の右繞三匝(うにょうさんそう)の法式、及び寿量品の三誡三請、重誡重
請(じゅうかいじゅうしょう)の格式をもって本仏に高座へ登ることを願い奉る
儀式だということだから、実に滑稽の極みだ!

あの遊び人の〝ブクロの寛ちゃん〟が完全に大聖人気取りなのだ。これだか
ら「法主信仰」と言われるのである。

ニセ法主の分際で、もったいぶって時間をかけるほど己自身の権威づけにな
ると、日如は思っているようだが、今の時代に物笑いの種でしかない。

 ここでは御本仏が寿量品文底久遠名字の南無妙法蓮華経を説く儀式だとして
説法は寿量品に限るのだが、日如は権威づけのため難解な仏法用語を多用し、
法主だけが仏法の本質を極めているかのように装うから、先述の通り、講員は
理解できないのだ。これは大聖人の仏法を愚かにも訓詁注釈の領域に封じ込め
ているのであり、これでは世界広布はできない。

 二日目は丑寅勤行から始まり、勤行が嫌いで有名な日如が大導師だった。

日如は大願寺住職の頃は勤行をしないと改革同盟の渡辺雄範氏に糾弾された
が、丑寅勤行をよくサボっていた日顕と違って、登座してからは渋々、勤めて
いるらしい。

 お会式の中心的な行事は申し状の奉読である。この申し状とは時の権力者に
出された諫暁の書で「立正安国論」などを坊主が次々に奉読していた。

だが、戦時中、時の権力に迎合し諫暁の書も出さず、神札を受け、御書を削
除し、御観念文を改変した宗門が今更、ごく少数の講員の前で七百年前の申し
状を奉読しても全く意味がない。


 

ClearSky様

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月24日(木)21時46分34秒
  ありがとうございます!圧倒的な内容!ありがたく頂きました。
これは半端ではないですね!これが拡散されればすごい事になりそうです。
 

螺髪さんへ

 投稿者:もんすもん  投稿日:2016年11月24日(木)21時41分33秒
  学生部時代、一冊よんで内容もわからず、たぶんトインビーかラダクリシュナンだったかな、うんざりしました。25過ぎて戦国時代の書物、小説をかなり読んでそっちの知識は水を吸うが如くですね。まあ、単純に池田先生の書物には興味ないんです。すいません。
もう40才だから好きな本とか趣味を優先ですね。
 

(話題)「インドネシアは勝った!」

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月24日(木)20時51分21秒
編集済
  (2008.7.18)
7月16日の聖教新聞に掲載されているように、13日インドネシア共和国と日本の国交樹立50周年記念の平和芸術祭がジャカルタのコンベンションセンターで盛大に行われた。これは、インドネシア最大のイスラム組織ナフダトール・ウラマ(約8,000万人)に所属する文化団体(レスブミ)とインドネシア青年会議(約9,000万人)並びに創価学会インドネシアの共催である。

ここに、ワヒド元大統領夫妻、行政改革担当大臣、アデ州議会議長、駐インドネシア臨時代理大使等、複数の来賓が出席した。池田SGI会長も招待を受けたが、名代として池田博正副理事長、そして大場SGI理事長が出席をした。インドネシアは赤道直下の国で1万7千の島国からなる世界最大の群島国家。人口は日本の倍の2億3千万人。国民の9割がイスラム教徒で、世界最大のイスラム国家である。(ただし、イスラム教が国教ではない)インドネシアの広布の歴史は長い長い冬の時代を経て、今百花繚乱の春を迎えた。それ(インドネシアでは「冬は必ず春となる」という御書は熱帯の国なので、よく理解できない。

したがって、どんなに厳しい乾期であっても必ず雨期はくるという解釈をしている)は、1980年代、東南アジアの中で折伏が最も進み、数万人のメンバーを擁するようになった。ところが、1997年の第二次宗門問題で中心者であったセノ・スノト、ケイコ(日本人妻)夫妻が日顕に金銭でたぶらかされ、反逆をした。殆どのメンバーは事情もよくわからずに学会から離れていった。セノ・スノトは政治的な野心の強い人物で、女房のケイコも金銭欲の強い人物であった。当時、メガ・マドンという場所にあった研修道場(1,200mの高原にある避暑地。日本では軽井沢に例えられる)に研修道場があり、セノ・スノト一派に奪われてしまった。御書に「千が九百九十九人は堕ちて候」とあるように、ほとんどの人が学会を離れ、僅か学会に残ったメンバーは10支部中1支部であった。

ほとんどが壊滅状態であった。残った1支部の当時の支部長が学会本部に訪ねてきた。何とか数百名のメンバーが残っている事が判明した。そうした中、日本から指導派遣班も通ったが、セノが治安警察に手を回して、様々な妨害工作を行った。ある青年部幹部が行った際に観光ビザで入国したにもかかわらず、宗教活動をしたという嫌疑で2日間ジャカルタ警察で取り調べを受けた。また、ある幹部はタクシーに乗って高速道路を走っていた際に、車が横転し、瀕死の重傷を負うなど魔が跳梁していた。ある幹部は入管の際に、税関職員から数時間‘いちゃもん’を付けられ、入国を拒否された事もあった。

派遣団はジャカルタ市内でも2泊ずつ、場所を変えて宿泊するなど、またジャカルタ・スカルタ・ハッタ空港から入国しても、帰国の際はシンガポール空港から帰る等、その苦労は並大抵ではなかった。そうした中、セノが死去。その死に様は原島某と全く同じで、目は見開き、鼻からも口からも血を流して死亡。その後、女房のケイコの死去。現在は、娘がセノ一派を率いている。そして、最後に残った当時の支部長、中心者も退転してしまう。そこで、立ち上がったのは、田口徹二さん(現在、副壮年部長)を中心とした青年部が反転攻勢のうねりを起こした。田口さんは東大在学中に折伏を受け入会。

大分の実家から勘当を受けながらも信心を貫き、インドネシア石油公団に就職。日本とインドネシアを往復していた。結婚もし、順風満帆の人生と思われた矢先、最愛の妻が死去。嘆き悲しむ彼を先輩が先生の指導を引いて激励。題目をあげて、あげて、あげ抜いた時に、一つの結論に達する。それは、妻のいない日本に未練などない。インドネシアの広布の土になろう。妙法のハリマオとしてインドネシアを自分の本国土と決めた。彼は全財産を整理した資金でジャカルタ市内でゴム草履屋(ビーチサンダル)の工場をはじめる。(熱帯の国ではゴム草履がポピュラーな履き物)2001年、毎月のように当時の青年部を中心として代表十数名を本部幹部会を中心とした特別研修会に、先生は呼んで下さった。訪日するたびに、無名のインドネシアの青年達に全力投球の激励をして下さった。

「絶対に負けてはいけない。嘆いてはいけない。一番苦しんだ所が一番幸せになるんだ。これが仏法の方程式だよ」先生の魂を揺さぶられる激励に彼らは涙し、決意した、そして厳しい現実のインドネシアに帰国した。その状況が大きく転換したのは、2002年であった。5月に創価大学でワヒド元大統領と先生の会見が実現する。ワヒド元大統領は8千万人とも言われているナフダ・トウール・ウラマの指導者である。

先生とトインビー博士の対談を読み返し、是非、先生にお会いしたいと願い、アメリカブッシュ大統領の就任式の帰りに、東京に寄るので、お会いしたいと希望したが、叶わず、翌2002年に実現。ワヒド元大統領はイスラムの指導者でもあるにもかかわらず、先生に対しても「先生、先生」という言葉を使いながら「私は二十数年間、トインビー対談を読みましたが、このページのここにこう書いてありますが、どういう事でしょうか?」と、先生に生徒が教えを請うような2時間であった。ワヒドさんの娘は国費留学で鳥取大学に留学してたが、地元の女子学生部と交流するうちに、是非先生の創立された創価大学で学びたいと決意し、転入した。

2002年を境に大きくインドネシアを取り巻く環境が変わって来た。それは、「創価学会インドネシア」という法人名からもわかるように、創価学会という旗を表に立てた法人名にしよう、私たちこそ創価学会の直系、先生の直系であるとの思いで、法人名にした。2005年8月には、インドネシア独立60周年の青年音楽祭を開催。そこに現ユドヨノ大統領も出席。1,200人が収容できるインドネシア新本部の落成等、大きく創価学会インドネシアは前進した。先生の自然との対話展も23都市で開催。共催にはインドネシア青年会議、インドネシア写真家協会等、今回歴史的な芸術祭はまさにインドネシア創価学会の勝利の宣言であった。
詳しくは、聖教新聞の報道にあるように、5,000名の出演者のうち3,500人が創価のメンバーであり、一つひとつの演目も、一人ひとりの演技者も勝利と栄光の誇りに光り輝いていた。創価学会インドネシアのペーター議長、田口さんは「かつては、セノ一派の謀略をはじめ、絶望的な気持ちにもなりました。しかし、全ては先生の激励からスタートしました。今まさに創価学会インドネシアはインドネシアの光となり力となって、インドネシア社会の発展に寄与して参りました。その事がイスラム社会であっても、学会に対して、まっとうな評価をして頂けるようになったと思います。先生から文化祭終了後、『インドネシアは勝ったな、大勝利だな。本当によくやった』と「伝言」が伝えられ、本当に、メンバー全員が泣きました。

結局、どのような厳しい環境であろうと、最後の勝負を決するのは、自分自身の生命の中にあるという事を先生のご指導から学びました。今でも先生の『負けちゃいけない。一歩も引いてはいけない。一番苦しんだ所が一番幸せになるんだ』というご指導が耳朶を離れません。どんなに高い壁であっても、破れない壁はない。その最大の壁は自分の心の壁であることを学びました。私たち創価学会インドネシアは、創価学会という4文字を表に立てて、インドネシア社会の発展に貢献して参ります」と力強く語っていた。

 

もんすもんさん

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年11月24日(木)20時47分41秒
   もんすもんさん


>正直、池田先生のトインビー氏や思想家などの対談て、頭のよい人同士で話合ってるだけで頭の悪い僕にはわかりません、知識だけで遊んでる感じ。みんな怒らないでね。(投稿者:もんすもん   投稿日:2016年11月24日(木)16時14分19秒 )<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/60485

 その通りです。私もそうでした。でも、読むことが大切なんです。「読む」と、いつか思い出すんです。あっ、それ「何か」にあった、って。人間の意識って、そういうもののようです。わかんないけどね。ましてや20世紀の世界的な歴史学者です。
 トインビー博士の他の言葉に、「12、3歳までにその民族の神話を学ばなかった民族は例外なく滅びる」ってのも、確か、ありましたね。私たちは、「地涌の菩薩」って、学んできてよかったですね。地涌の菩薩って、「菩薩仏」でしょっ!

 

間違えました。

 投稿者:もんすもん  投稿日:2016年11月24日(木)20時44分21秒
  相手間違えました。小作人@地上の発心さんでしたね、スクロールしたの気づかないでイケディアンの住人さんに宛てちゃった。お二人ともすいません。失礼しました。お恥ずかしい  

イケディアンの住人さんへ

 投稿者:もんすもん  投稿日:2016年11月24日(木)20時36分48秒
  他人の意見に耳を傾けてみてくださいはよく注意されるんですよ。知ってる人かな?ってくらいね。びっくりしました。すぐには治らないだろうし、治らないかもだけど、少し痛いとこ突かれました。お仕事頑張ってください。まいったな、こういう人も少しいるからもったいないんだと思います。  

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