強迫神経症 | 強迫障害 | OCD闘病記

強迫性神経症(強迫性障害/OCD)の娘と向き合う父親の体験記

686.「精神病はうつる」という言葉の真意

2016.11.20 [ Edit ]

私がまだ会社に行っていた頃なので、
もう10年以上前の話になる。

「お父さん、友達が言ってたんやけどな、
 家に精神病の人がいたら、
 家族にもうつるって、言うたはったわ」
こんな話を、妹娘がしたことがあった。

この話は、十年以上前の、そのころ、ここにも紹介したことがある。

パソコンには触れられない娘が、
私のそばで、その記事を斜め読みして、
「わたしのこと、馬鹿にしてるのか?」
「なりたくて病気になったのと違うわ」
「邪魔な私は、死んでしもたらええのか」
激高して、泣き叫んで、大暴れ、
大変な事件になったものです。

あの頃を思い出すと、ほんとに大変だったし、
会社の帰り道のクルマの中で信号待ちをしていたとき、
身体が震えてきて、泣き叫びそうな、
なんとも言えない胸の苦しさに襲われて、
とっさにクルマのテレビをつけて、人の声を聞くことによって、
やり過ごしたことがあった。

妹娘の友達は、何を根拠に、どういう意味で、それを言ったのか、
それは、その時、妹娘には聞かなかったし、その後も聞いていない。

私の中で、心の病気の家族を持って、共闘していけば、
家族、身内の人間も、心が病むほど苦しむものだ。
そういうふうに解釈したので、
それ以外は考えていないし、それで合っているのだろう。
その時、娘にも、必死になって、そう説明したものだったと思う。

私の友達に、統合失調症の息子を持つ親がいる。
息子さんには、強迫の症状もあって、
先日、その息子さんが、
見ようと思っていたテレビの番組を見忘れたと言って、
ひどい落ち込みになった時、
その友達自身が、恐怖のどん底にいるような、
悲鳴にも似た声の調子で、電話をくれた。

そういうふうになると、友達には、私の声は届かない、
私の声は届くのだろうが、
何も解釈できないと言った方が正しいのだろう。

その友達が書いているブログにメッセージが入ったものを、
転送してきた、
「貴方は息子さんと共依存の状態にあると思う」
そんな意味のメッセージだった。
自分のことを、
「確かに、共依存だと思う」
という、コメントと共に、送ってきた。

私は、友達に、
「共依存だとは、俺は思っていない」
という意見と共に、
「いろんな苦しみに耐えてきているあんたは、
 確かに、息子が不調に陥った時には異常な状態にはなる、
 しかし、息子に対しては、精一杯の看病、見守ることを実践して、
 俺から見ても頑張ってると思ってる」
「ある意味、共依存に見えないことも無いとは思うが、
 精神病がうつるという、俺の妹娘の話をしたやろ」
「あんたは、病名をつけられるほどではないけど、
 心の病なんやと思うで、俺も、そうやしなあ」
「それは、仕方ないこととして、精一杯、一生懸命、
 出来ることをやっていけばええやろ、お互いに」
そんな意見を返しました。

これが、以前、我が家で大事件になった、
「精神病はうつる」
ということの証明みたいなもののように思う。

しっかりと、社長として仕事をこなしている友達であり、
大黒柱として家族を支えている人である。

辛くても、悲しくても、決して逃げず、
ましてや、迷惑だとなど、かけらも考えていない、
子供の苦しみを自分のこととして闘っているゆえ、
同じ苦しみを味わっているもの。

それを、「精神病がうつる」という表現、
ややもすると、病気の差別だなどと、騒がれるような表現ではある。

しかしながら、軽はずみでは無く、深く考え、しっかり咀嚼して受け止めれば、
真理ではあると私は考えるものである、この言葉です。












685.ひがんだ見方をしてしまう娘

2016.11.09 [ Edit ]

娘と妹娘の家へ行きました。

甥っ子のところに行く時、娘は、無条件に機嫌がいいので、
なんの心配もいらないので、安心と嬉しい気分になります。

私の会社時代の、今も仲良くつきあってくれているる後輩の女性がいて、
彼女も娘より少し年上の独身女性なのですが、
妹さんの息子さん、甥っ子をとてもかわいがっていることを話してくれます。
その彼女の妹さんが、先日、癌でお亡くなりになりました。
悲しさは、いかばかりかと胸が痛いですが、
彼女は、気丈に振舞っていて、湿った様子を見せません。
心の中は傷だらけなのだろうに、芯の強い娘さんです。
私と同じ感じの、心筋梗塞を患ったお父様と暮らしている娘さんで、
私の娘の病気も知ってくれている彼女が、
「娘さん、甥っ子さんが可愛いと思いますよ」
「とても、かわいがるでしょう」と。

そうなんやろうなあと、
彼女の言ってくれるとおり、
甥っ子がかわいいんやろうなと思います。
ちょっと変な言い方なんやろうけど、
何もかも忘れて、夢中になれる存在なのかもだと思います。

その甥っ子のところへ行く途中の車の中で、
妹娘からの私へのメールが入ってきました。

「父だけで来るんやろ?」
「美味しい店があるので、食べに行こうか」

娘といっしょに行くと言ってなかったので、
「お姉も、いっしょやで」と返し、
娘に、父さんだけやと思ってたみたいや。
いっしょやと返しといたわと、なにも考えずに話したのですが。
妹に何かメールを打っていました。

妹娘の家についた時、
妹から姉に、
「お姉、あんたも、いっしょに来るのに、悪いけど私も行くわってなんやの?」
「悪いけどとか、いちいち言わんでええやん」

妹娘は、姉妹の仲で、そんなにへりくだる言い方せんでええと言いたかったもの、
けっして強い口調ではなかったのですが、
娘の顔色が、一瞬変わったのが見て取れました。

甥っ子がいるので、険しい表情にはならなかったのですが、
「私、駅前の店で、服をみてくるわ」
そう言って、止める間もなく、ひとり駅のほうに歩き出していきました。

妹娘は、
「きつく言うてしもたかな?」
「電話して、あやまるわ」
電話をしましたが、つながりませんでした。

「まあ、ええわ」
「よう、あることやから、気にするな」
笑いながら、そうは言いましたが、重い気分。

私が孫と近所を散歩してる間に、妹娘は、姉を車で駅前まで迎えに行き、
いっしょに帰ってきた娘は、機嫌もよく、
事なきを得た感じではあり、
その後、甥っ子を遊んでやったり普通に過ごして安心の時間でした。

ところが、帰りの車の中、
助手席に乗らず、後ろの席に乗った娘の様子を見ていると、
ティッシュを取り出して、泣いています。
やっぱり、気持ちはおさまってない様子。
気づかないフリをして運転していましたが、
おさまりそうに無いので、途中のパーキングで、
「コーヒーでも、飲もうか」と車をとめました。

入った喫茶店で、黙って娘が話し出すのを待っていると、
「わたし、いつも父さんを独り占めしてるからなあ」
「悪いなあと、いつも思ってるねん」
「それを言うたら、あかんのかなあ」

こうなってしまうと、
「おまえの言い方がおかしい」
などと意見すると、かえって機嫌を悪い方向へ向かわせるので、
「まあ、ええやん」と濁した表現でかえします。

たぶん、娘の中には、妹に対する羨ましさがいっぱいあって、
ひがんだ見方をしてしまうのだろうと思い、
そこまでを妹娘は理解してくれないのだろうなと。

親からの目と、姉妹からの目の違い、
それは、仕方の無いものなのですが、
難しいものだなあと、しみじみ。

普通なら、
「そんな言い方せんでも、わたしも来たでえ」
「こう言えばええんや。」
これで、いいのだけれど。

病気のせいで、恋もできない、結婚も、子供も・・・
そんなふうに考えているだろう娘の悲しさ。

普通に暮らさせてやりたかったなあと。
世の中に対し、せめて、ひがまずに見れる娘であったらなあと。

娘が悪いのではなく、
病気が、ひがんだ見方をさせるものなのです。

娘は、いい子なんです。
優しくて、気配りができて、ほんとにいい子なんです。
感受性が強すぎるがゆえ、心に傷を負ってしまったのだと思います。


684.ねんりんピック

2016.11.05 [ Edit ]

このブログは、娘の病気を寄り添って治そうと決心して、
会社を51歳で会社を辞め、
医師に、娘と共の診察日以外に、
私がひとりで医師に娘の症状、様子の報告をメモっていたことから、
共に闘った記録を残そうと考えて始めたものでした。

あのころは、自分はいつまでも若い父でいられると思っていました。
病気をして、身体が不自由になるなど、考えてもいませんでした。

サッカーで、骨折したり、接触プレーで膝の内出血で手術をしたり、
靭帯を切って左足のギブス生活をしたり、
怪我のデパートなどと仲間に言われていたことはあります。

しかし、前立腺がん、坐骨神経痛、二度の脳梗塞、
これは以前からですが、ヘルニアもあり、
今度は、病気のデパートになってしまいました。
脳梗塞の麻痺の悔しさから、鬱病も発症。
脳梗塞での麻痺が自身で認められず、鬱病を発症する方は多いそうです。

そんなことで、娘との闘病を記すものが、
最近は、私の闘病記になっていることが多くなりました。
もちろん、娘が治ったわけではありませんので、
娘との共闘は続いているのですが。

いまだ、パソコンを触れない娘に、私の気持ちや共闘の軌跡を、
私が死んでから、これを読んで、
振り返ってくれたらいいかと思い始めたのも最近です。

まあ、そんなことで、前置きが長かったですが、今日は私のページにします。

「ねんりんピック」名前は耳にしたことがあるが、実態は知らない。
そんな方が多いと思います。
簡単に言うと、
60歳以上の男女が様々なスポーツで競い合う、「国体」のようなものです。

私は、サッカーの滋賀県選抜(もちろんメンバーは60歳以上)の監督兼選手として、
今年は長崎県での開催なので、19名の一員として長崎に遠征してきました。
身体は不自由ですが、3試合の、任意に選んだグループのリーグ戦に、
10分だけでも、出場できたらなあと思っていました。

しかし、グループでの優勝を目指す仲間たちの邪魔になってはいけないと、
結局、私が決めるメンバー、ポジションに自分自身を加えることができませんでした。
先輩が、気を使ってくれて「お前も、試合に出ろよ」、
優しく言葉を、かわるがわるかけてくださるのですが、
緊迫した接戦を見ていると、自分を出場させることは出来ませんでした。
60歳以上でも、サッカーは、他の種目に比べても、
激しく、真剣に戦っているものなのです。

でも、半分以上が先輩なのですが、私の指示に黙って従っていただき、
ベンチにいても一体感を感じられた嬉しい遠征試合でした。

そんな中、一勝して、次の試合に勝てばグループで優勝ができると臨んだ試合。
ともに一勝している熊本県が相手の試合、
相手のフォワードに早く上手い選手が観戦したときにいたので、
それを止められる選手をセンターに配置したのですが、
試合が始まると、サイドに配置したはずの後輩がセンターに入っています。

「あれっ、なんであいつが」
そう思っていた矢先、センターに入っていたその後輩がミスを、
キーパーと譲り合って、蹴ったボールがあわやオウンゴールに。
すぐに交代させて「なんで、お前がセンターに入ってるんや?」
聞いてみると、「先輩に言われて、ポジションを代わりました」

その先輩は、上から3番目の年齢の先輩。
仕方がないと、私は黙っていました。
短い時間で交代させられて腐っている彼を、後半に別のポジションで出場させました。
(シニアのサッカーは、一度退いても、交代が可能なルールなので)
結果、その試合は、なんとか、引き分けになりました。

そのポジション変更の件など、忘れてしまっていた夕食の時間。
私の横に座っていた別の後輩との話の中で、
「Kが勝手にポジション変わってたでしょう」という話になった。
Yさんが、勝手にKがポジション変わったのはなんでやねんって言うてましたと。
その話を近くの席で聞いてたYが、
「I先輩と、センターをどんな風に守ろうかと打ち合わせしてたのに」
私は、「えっ、I先輩が指示したのと違うの?」
まるで子供の嘘みたいな、Kの偽り発言が露呈しました。

笑ってしまうような、60歳以上の選手間の話では無いような話。

サイドよりセンターの方が、かっこいいポジション、
そんなふうに子供みたいなプライドが出たのかなあ。
「アホな奴」
独り言をつぶやいてしまいました。

次の日の最終試合、徳島県に引き分け以上で、グループ優勝。
試合前のメンバー発表の時、
先発メンバーを発表しおえ、試合に対する注意点の確認をするところで、
「私なりに熟考したメンバー編成にしています、
 個々の考え方はあるでしょうが、
 指示させていただいたポジションを勝手に変えないでいただきたい、
 昨日の試合で、そういうメンバーがいましたので、
 それが誰かは、自身わかっているでしょうが、よろしく」

我慢出来ず、こんな話をしてしまいました、
士気を盛り上げる時間に、アホな話をしたものです。
私自身が「アホな奴」でした。

試合結果は、押しまくっていながら、0対1の敗戦。
帰りのバスの中、試合を振り返ることなく沈んだ雰囲気。
まあ、沈んだ雰囲気と言っても、
そこは大人のグループで、負け試合は振り返らないけど、
60歳代の修学旅行の楽しい雰囲気はもちろんあるのですが。

別に、誰も若い頃のように、敗戦を振り返って悔やむ人などおらず。
明るく、還暦こえた修学旅行を楽しんではいるのですが、
若い時から、それぞれ、それなりにサッカーにプライド持って、
試合に臨んできた経験あるメンバーたちなので、
負けて悔しい思いは誰もが持っています。

この悔しさを作ってしまったのは、
試合前に、アホな話をしてしまった自分にあるなあと。

それこそ、それを責めるメンバーなど一人もいないのですが、
大いに反省の一幕でした。

60を超えている人の話だとは思えない話。
青い青い、老人達の真剣なサッカーの話でした。

まったく関係無いようですが、
実は、私の大人気ないというか、我慢の出来ないところ、
そんなムキになってしまうような私の性格が、
少なからず、娘を病気にさせてしまったところもあるのだろうなと、
遠征から帰ってきて、遅まきの反省を繰り返ししています。

683.わたし何も悪いことしてへんのに

2016.10.29 [ Edit ]

今日、娘が、
「父さん、着信拒否ってどうするの?」と聞くので、
誰かから迷惑な電話が入っているのかと思っていたら、
妹娘が、
「恋人やと思ってる人の電話が拒否になってるらしいわ」

唯一一人でも行けるところのパチンコ店で出会った男性、
話すようになって、帰りに車で送ってもらったりして、
(送ってもらうと言っても、すぐ近くに家があるので)
仲良くはなっていたのだけれど、恋人というのは、ちょっと違う。
私の目から見れば、そうなのだけれど、娘は、世間が狭くて社会経験がないから、
どう言えばいいのか、ウブ、この言葉が当たっているのかなと思う。
私の恋人だと、妄想してるという感じだった。

妄想というと、娘がかわいそうかな。
嬉しさの中で、空想が膨らみすぎているという感じでいいのかも。
夢を現実としたい願望に、追い越されているというところだと思う。

「付き合ってください」
そんな意思表示を冗談めかして言ったらしい。
冗談めかしてというのは、いい加減な感じではなく、
娘としては、必死の意思表示だったのだと思う。
答えは、「いいです」だったらしい。

ところが、この「いいです」の返事の翌日から、
彼は、毎日来ていたパチンコ店に姿を見せなくなった。

娘が普通に生きてきた38歳の女性なら、
「振られたんやな」で、終わった話。

娘の夢の中では、きっと、映画に行ったり、
遊園地に行ったり、美術館に行ったり、
いろんなデートを空想していたのだと思う。

彼が来なくなってから、もう数ヶ月経っているのがけれど、
「もう、あきらめたほうがええ」
「やめとけ、嫌がられてるんやから」
そんな言葉を、娘にかける勇気は私には無いものであり、
「まあ、そのうち、来るやろ」
「負けがこんで、来られへんのやろ」
こんな言い逃れ的な慰めを発している。
あかんなあと思いながら。

38歳なりの考え方と、病気になる前の18歳くらいの常識が入り混じった娘であり、
普通に過ごしていれば、それなりに恋人もできたろうし、
結婚もし、子供もいたのだろうと思う。

毎日、晩御飯を作り、弟の弁当を毎日作ってやり、
洗濯も毎日し、干した洗濯物を丁寧にたたんでいる娘。
親ばかがゆえかもしれないけれど、小さいときから可愛くて、
病気になった二十歳ころは、美人で鼻が高かった娘だったのに。

「私は、耳が悪いから、普通の仕事は出来ないから、漫画家になる」
そんなふうに言っていた娘を、普通の世界に導いてやれなかった私を、
自身、情けない親だと思う。

妹の息子を、自分の息子のように慈しみ、
強迫と闘いながら、おしめを変えてやり、
抱きながら寝かしつけている娘をみながら、
娘の不憫を恨めしく感じ、
年老いていく自分を責める毎日ではある。

「わたし、何も悪いことしてへんのに」
そんな娘の声が、不憫に思う心とともに、頭の中で聞こえる毎日。




682.20年経っても新たな発見

2016.10.12 [ Edit ]

娘の楽しみは、唯一パチンコ。

強迫に攻め込まれ、どうにかなりそうな焦燥からの発作的な泣き叫び、
物への暴力(壁を蹴って穴を開けたり、たくさんの物を壊したものです)
家庭内暴力というような感じで、止められなかったものでした。
そんな行為を、家族が理解できなかったころ、弟が気晴らしにと連れて行ってくれたパチンコ。

これで、なんとか症状が落ち着くならと、たくさんのお金を使ったものです。
今は、やっとのことで、金を使わないような我慢のパチンコをするようになった。
ギャンブルをしない方には、金を使わないパチンコ?意味がわからないかもですが、
そういう表現の楽しみ方みたいなものがあるのです。

いつもの安価なパチンコ店で遊んでいた時、
調子よく出している台から、急に娘が移動したので、
いつも、自分が楽しむより、娘の調子を気にしている私が、
「出てるのに、何で移動するの?」と、言うと、
私の顔が、ちょっと険しかったのでしょう、娘がとても不機嫌になって、
店を飛び出して、家に帰ってしまいました。

“なんと、わがままな“と、普通の方は思うのだろうと思いますが、
その不機嫌には、きっと隠された理由があるものなのです。

家に戻って、「どうしたん?」聞いてみると、
(以前なら、泣き叫んで、こんな対応は、まったく出来なかったものですが)

「父さん、私な、パチンコ屋さんの掃除のおじさん、嫌いなことないんやけどな、
 いつも話しかけてくれたりするし、ええ人なんやけど、
 落ちてる玉を、親切で私の台に入れてくれたんや、
 それは汚いやろ、だから、玉おいたまま移動しな仕方なかったんや」

普通なら、当たり前に、「ありがとう」で、済むことですが、
「なるほど」仕方ないなあということなのです。

そうか、掃除のおじさんは、汚いんやなあ。
長く強迫との付き合いはしていますが、こういう新たな発見、気づきが、日々あるものなのです。

ある時、突然、通り過ぎられる事柄になったりはするのですが、
この一つずつを記憶しないといけないわけです。

まあ、でも、この記憶、最近は、絶対でもなくなってきたことを、少し喜んではいます。
トンネルの出口の灯りが、少しずつですが、ぼんやり見えてきてるような気がしますから。


681.治癒と寛解の狭間

2016.09.11 [ Edit ]

「どれくらいで治るものなんですか?」

「3年なのか、10年なのか、治るかもしれませんが、治らないと考えるほうがいいのか・・・」

20年近く前、娘が探してきたメンタルクリニックの医師と初めてした会話です。
その後、何年間も、同じやり取りを繰り返した記憶があります。

今でも、理解しきれたとは思えないのですが、
無理やり受け入れてきたような気がします。

発症して数年が経ち、51歳で会社を辞めたときも、
55歳までに、娘に寄り添っていくことに専念すれば、病気はなんとかなるだろうし、
それまでは、何もせずに、娘とともに生き、闘病に寄り添い、
55歳になったら、仕事を考えよう、
そんなふうに考えていました。

63歳になる今、
二度の脳梗塞は、私を老人にしてしまい、
そのおかげもあってか、娘が、私を気遣うことにより、マシになってきたことがたくさんあります。

それは、マシという言葉が、しっかり当てはまる、
マシ以外に、表現の無いものです。

娘の横で、娘に対する医師からの話を聞いていた時の、医師の表現、
「治る、元に戻るではなくて、新しい自分と出会うと思えばいいのですよ」

「寛解」
今の娘は、この表現が当てはまるような気がする。
怒らなくなった娘、
泣き喚かなくなった娘、
料理が、洗濯ができるようになった娘。
でも、普通ではない娘。

やはり、何かに触れると風呂に入らなければいけないし、
時間をかけて手を洗わないといけない。
泣き喚くことは無いけれど、突然、私に見えないように、ぽろぽろ涙を流している姿がある。

「マシになったから、治ったと思ってるかもしれんけど、まだまだなんやで」
時々、相互確認してくれとばかりに、訴えてくる娘がいる。

ずいぶん楽になったとは思うけれど、
この安心を、して欲しくないんやろうなあとも思う。

娘もそうだろうが、私自身も、安心をせずに、包んでやることを忘れてはいけないのだと思う。

680.久しぶりの憤り

2016.09.05 [ Edit ]

もう、老人になったなあと思うことが多い、このごろ。
先日、公園で、孫をブランコに乗せたり、滑り台で介添えしながら滑らせたりしていた時、
「すいませんが、ちょっとスナップを撮らせていただいていいですか」と若い女性が。
「市民雑誌の取材なんです」と。
「そしたら、母親にかわるわ」と、言うと、
「9月の敬老の日の特集記事なので、オジい様と、お孫さんの写真をお願いします」。

生まれて初めて、じい様デビュウ。
真剣に、じい様扱いされたのは、初めての経験で、ちょっとびっくり。
「でも、父親には、見えないやろうし、しゃあないなあ」と、苦笑い。
そんな私は、丸くなったなあと思うことが多くなり、
怒ることは、ほとんど無くなったようなきがします。

が、しかし、今日は、ちょっと、憤りました。

長女は、この頃、家事をすべて、担えるようになっています。
炊事、選択、掃除、すべて、出来るようになっています。
まあ、そのすべての中で、強迫症状との闘いが解決しているわけではありませんが。

そんな中、今日の夜中、弟の弁当を作り終えて、
ぬか漬けに入れる、瓜を切っていて、
包丁で、ずぶりと小指を切ってしまいました。

「病院へ行くのはいややし、バンドエイド貼っとくわ」
そう言う娘の指からは、血があふれて、流れ落ちて止まりません。
見ると、かなり深く切れており、
すぐにERのある、クルマで10分ほどの、市民病院に連れて行きました。

いつものことながら、難聴の娘は、受付で苦労します。
最近の病院では、お医者様も、職員様も、ほとんどの方が、マスクをされています。
長い難聴での生活で、娘は読唇を自然に身につけています。
唇の動きを見て、言葉を読み取る娘にとって、マスクは、それを遮ってしまう厄介な代物なんです。

「耳が悪いんで」と、説明するのを、娘は嫌がります。
そう言わないと、社会生活が不便なのは、よくわかっているのですが、
娘いわく、
「耳が悪いと説明しても、大きな声で話してくれるのは最初のうちだけ」
「結局、普通の声で話して、辛気臭そうに見られるだけやから、いやなんや」

私が、横で聞いていても、いつも、そのとおりなんです。

「耳が悪いので、すいません」
娘が、そう、申し訳なさそうに説明しても、
結局、聞こえないままに、会話を進めようとする人ばかりなのが、現実です。

これも、娘は嫌がりますが、
私が、横から返事をしてしまうと、
娘は無視されて、会話の相手が、私になってしまうのです。

メガネは、ポピュラーな器具ですが、
補聴器は、まだまだ、好奇な目で見られてしまう対象物なのを、
世間の人は、知らない、気づかないものです。

「そんなこと無いわ」と、
世間は温かいものだと、反論される方が多いでしょうが、
現実は、厳しいものなんです。

今まで、いろんな医療機関で、
何度も、何度も、口には出さず、悔しいなあと思い続けてきました。

この20年間くらいの間で、
たった一度だけ、耳鼻咽喉科のちょっと年配の女医さんが、
娘の、橋本病での甲状腺の手術をしていただいた先生、その方だけが唯一、
「聞こえにくいやろうから、マスク外しますね」と、言ってくださいました。
20数年で、この発言、この行為をしてくださったのは、たった一度だけです。

そんなことで、これには慣れてはいるのですが、

看護師さんに、娘が診察室に呼ばれてから、
やっぱり、横で聞いてやろうと、
「難聴なので、付き添っていいですか」とお願いをしたところ、

「いいですけど、先生には、耳が悪いと言ってありますから」
迷惑そうな返事が返ってきました。

今日の市民病院のERの外科医師、若い方です。
やはり、大きなマスクをされています。
そして、特別に小声で話しているのかというくらい小さな声。

娘は、お医者様が、なにか話してるけど、聞こえない、困った表情でいてました。

「おまえ、耳が悪いと聞いてるんやろ?」
怒鳴ってやりたくなるのを、いつもどおり、ぐっと抑えて、

「血を止めていた、ティッシュがくっついてるから、傷口を水で洗うようにおっしゃってる」
娘に教えてやりました。

娘が強迫性神経症になった、ひとつの要因だと思います。
この難聴。

あきらめていますが、
何度も、娘と話し合ったことなのですが、世間は厳しいです。

お偉いお医者様、なんとか、お願いですから、弱者への気配りも勉強してください。

「研修医の訓練に協力をお願いします」
そんな張り紙をしている、夜中の市民病院のER.

研修医でなくても、ベテランでもない若さの「にいちゃん」。
そんなに、「偉そう」にプライドかけなくても、
ほんとに、思いやりをもって、真摯に診察していただいたら、
周りは、貴方を、尊敬して接しますから、
頭をたれて、稲穂になって生きていっても、悪いことは無いと思いますよ。

ちょっと、老人らしくなく、憤った話でした。


679.偉そうなこと言うてしもたな

2016.06.08 [ Edit ]

先日に投稿した記事のこと、夜中に思い出して、
「解ったように、偉そうなこと言うてしもたな」と。

「あかん、あかん、やっぱり消しとこ」と。

消す前に、もう一回、読んでみて、
「やっぱり、そうやで」と。
でも、この子が死んでしまってたら・・・

いろんな考え方の人がいるやろうに、
俺は、ひとりで、頭の中で考えといて、
答えを出そうなどと考えんでもええんやわと。

アホみたいに、痛みで寝られへん頭で考えて、
言い訳を書き足しとこうと。

実は、サッカーが、まだ、まともには出来ないけれど、
ちょっと出来るようになって、
短い距離のパスなら出せるようになって、
少しのズレなら、少々の早いパスも受けれるようになって、
同じ年代、60歳代の試合に、
「おまえも、出てみろ」
先輩の、何よりありがたい励ましの提案。

調子に乗って、試合に出て、
喜んで、かっくんかっくん走って、
左足に負担がかかっているのにも気づかず、
精一杯、走って、
「出来るやんけ」仲間の声が嬉しくて。

次の日から、歩けなくなって、
診断は、「坐骨神経痛」。
疲労しすぎた筋肉が、神経を挟んでしまって、
坐骨神経痛となり、左足の太ももから膝までの痛みになった。
そんなことらしいけど、もう一月になるのに、
しびれ痛いのが治らない。

寝ていても痛いので、
痛み止めの注射を毎日してもらってるけど治らない。
半年くらいはかかるでしょうと。

そんな痛みがあるので、寝られない中、
先日の俺の意見を頭の中で検証していての話。

娘を病気にさせたのは、きっと俺のせいやのに、
「大きな言い逃れ」してるのと、ちゃうの?

娘の人生、めちゃくちゃにしてしもたんは、俺やのに、
「なにを、偉そうに、人生語ってるんや」と。

行ったり来たりの、痛みの中での考察です。

死んでしもたら、身体の不自由もとれて、
痛みもなくなって、また、自由に走れるんかなあ、なんて。
痛みの中での、ぐちゃぐちゃな、あっちこっちの考えの中。

この世に、いなくなった時に、娘が読んでくれる為の、
遺書としての意味を持たせて書いてきたもんやのに、
娘が納得できんような偉そうな意見は書いたらあかんなと、
ちょっと、言い逃れをしとこうかと思って、
投稿したの文章は消さんと、この言い逃れも書いとこうかと。

アホみたいな反省文でした。


678.しつけか、虐待か

2016.06.06 [ Edit ]

私が娘にしてきたこと、小さいときの話。
「いつか、父さんを殺そうと思っていた」
娘に、こう、言われた父親。

娘の、父を許せない理由とする一つのエピソード。
「会社の人から、電話がかかってくるから聞いといて」
「私、聞こえへんから、嫌や」
「聞こえるほうの耳で聞いたら、聞こえるやろ」

何の用事だったかは覚えていないが、
私に出かける用事があって、
娘に用件を聞いておくように言って出かけた時の話。
私は、これから先、難聴の娘が生きる為の訓練と考え、
娘は、無理やりの冷たい命令として受け取ったもの。

今から思えば、
知らない父の会社の人からの電話の声を、伝言を、
聞き取る自信が無かった、
とても不安な命令であったのだと思う。
この時、娘は小学生だった記憶がある。

すごい恐怖だっただろうと、
これを聞かされた時は、
娘が心の病気を発症していたときだから、
よけいに、申し訳なく思って、反省した自分がいた。

私は、厳しいということが、
父親の姿だと信じ込んでいたところがある父親で、
実際に厳しかっただろうから恐怖だったと思う。

これは、”虐待”だったのだろうか?

この瞬間、私の行為は、精神的虐待だったのだと思う。
ただ、言い逃れではなく、この瞬間のことに限ると考える。
この瞬間から、時間は経過していく。
親子の時間は、止まらないものなのだと思うのです。

この瞬間から、娘の病気の芽が発生したのかと思う。
そして、娘の病気が現実のものとなってしまい、
父と娘の、病気を間にした付き合いが始まり、
何度となく話し合い、言い争い、共に闘い、
心の叫びを、お互いに掛け合ってきた。

「父さんを殺そうと思っていた」娘は、
「やっと、こんなことが言えた」と、言ってくれ、
「この父さんで、よかった」とまで、言ってくれるようになった。

北海道のやまと君の父親の行為を虐待だと言う識者の方の意見。
私は、この親子にも、止まらない時間があると考えている。

賢い方の意見で、
「この行為が、子供に反省を促すことは無い」
「虐待と言える」ものだと。

科学的な考察であったり、
この行為に瞬間的な判断をくだすとすれば、
そうなるのかもしれないし、
私は、それを否定するものではない。

この父親の行為が原因で、心的外傷の為に、
子供が、心身症を発症するかもしれない。

でも、私は、親子の時間が止まらないこと、
失敗を取り返す時間は、無限にあることに期待したい。

いろんな意見があって、
これが正しいとか、これは間違っているとか、
カッコいい言葉を並べて断定するのは簡単なことです。
この、人生のある瞬間の出来事を、
瞬間のニュースでの断定で済まさないほうがいいと思うのです。

この親子が、失敗をしっかり胸に刻み、
その瞬間の出来事のみで終わらず、
親子が共に生きていく中で、共に成長する過程で、
何度も検証し、思い起こしながら、生きていく。

これは、親子の絆の礎にしていけるものだと思うのです。

この出来事が、”しつけ”と認められても、
”虐待”だと断定されても、
お互いが生きていく中で、検証しつづけていけばいいものだと。

にぎやかなニュースを見聞きして、自分なりに考えてみた話です。






677.娘の病気の出口

2016.04.25 [ Edit ]

いつ頃からだったか、
毎日、娘が家事を担うようになっている。

朝起きると、先ず洗濯機を回す。
洗濯物を干すと、
次は、昨日の洗濯物をベランダから取り入れ、
家族それぞれの衣類を、綺麗にたたむ。

朝起きると言っても、
寝るのが朝方なので、起きるのは昼過ぎ。

だから、夜遅く洗濯機を回すときもある。
普通は、夜遅くなのだが、
うちの時間は、世の中の普通とは少し違うので、
世の中の時間だと、朝早くかな。
4時ごろとか、5時ごろかな。

以前は、明るい時に起きていると、
「汚い」に、気づかされるので、
明るいときは無理やり寝ている娘だった。

最近は、その理由が、ありがたいことに、ちょっとボヤケて、
明るいイコール「汚い」の構図は消えてきている。

洗濯物をたたみ終えると、夕食の準備にかかる。

いろいろな献立、
毎日のことなので、レパートリーが増えてきている。
最初は、食事の後片付けや、料理で出るゴミが大丈夫かなと、
ハラハラもしたが、
そこは、回を重ねているうちに、マシになったように感じる。
この部分は、気をつけて会話には出さないようにしてきた。

弟の仕事に持っていく弁当を入れ始めたのが、
家事へのいざないだったような気もする。

とにかく、強迫に対する闘いが自然に出来たことを、
俺の心の中では、密かに大喜びではある。

但し、思い込みというか、テレビで見たものを作ったりする時、
ちょっと味がおかしい時がある。
長く外食をしていないので、
ほんとの味がわからないところがあるというのもある。

今日も、酢豚を作ったのだけれど、
酢がききすぎて、味が濃過ぎて、
酢の味を弱めるために醬油の量が多くなりすぎ、
酸っぱくて辛いものになりすぎていた。

料理の味に、ちょっと自信のある俺は、
以前なら、
「酢がきつ過ぎるから、酢の量を抑えた方がええで」
こんなふうに言ってしまい、
もっといくと、自分で作り直して、
「これなら、美味いやろ」と、どや顔をしていたものだと思う。

歳が、気を長くさせているものなのか、
黙って、「美味しいな」と、食べるようになっている。

小さい話ではあるが、
俺の、こういうところが、
無言のうちの抑えつけみたいな作用をして、
娘に、「いつか、父さんを殺す」
的な発想を呼んだのかもしれないと思う。

なにもかも、知らないうちに、
抑えつけていたような気がする。
若い父親の、気負い過ぎ、みたいなものだったような。

それを、今は、気をつけ、気をつけ、
努力するようにしている。
それでも、失敗することは多いのだけれど。

娘の病気の、大きな原因は、きっと俺にある。
そんなことを、娘の料理を食べながら、思い知っている毎日だ。

でも、娘のトンネルの出口の灯りが、ぼんやりと、
娘の家事の中に見えはじめているような気がする。

焦らずに、あきらめずに、歩いていこうと思う。




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強迫性神経症(強迫性障害 | OCD)と闘う父親の日記。画像は娘が描いたものです。

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