オックスフォード辞典が今年の流行語に「脱真実(Post-truth)」を選びました。
SNSでニュースが繰り返し、しつこくシェアされるこんにち、たとえそれがねつ造されたニュースであっても上位にトレンドしてしまうし、たいていのユーザーはそのニュースの真偽を判断できる能力を持っていない……
そんなことから、真実を伝える記事より、RT(リツイート)ないしは「シェア」される記事のほうがインパクトを持つ……これが「脱真実(Post-truth)」社会です。
「ウォールストリート・ジャーナル」や雑誌「ニューヨーク」にはファクト・チェッカーが居て、記事の内容の正確さが常に検査されています。
しかし新興メディアはPVを取ることが最優先され、記事の正確性は「ゆるくていい」と考えられているので、品質管理は、ないがしろです。
ひとつの考え方として、ある記事がたくさんの人の目に触れれば、間違いを指摘する人が出てくるだろうから、おのずとそういう記事は淘汰されるという思い込みがあります。実際、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグもそう考えていたひとりです。
しかし、現実には、ねつ造記事がどんどんシェアされてゆく一方で、しっかりとしたニュースは露出されにくくなっています。
これには二つの理由があると思います。
第一に、しっかりとした記事を書くコストは、タダじゃないということです。
きちんと取材できる記者を雇わないといけないし、ファクト・チェッカーやエディターも必要だからです。
既存メディアはサブスクリプション課金することで、それを賄っています。たとえば僕の場合、「ニューヨーク・タイムズ」、「ウォールストリート・ジャーナル」、「インベスターズ・ビジネス・デイリー」、「ストラトフォア」などを購読しています。
それらのメディアは売上高を維持し、自分の組織をガードする必要から、ペイウォール(課金の壁)のような一線を設け、コンテンツがダダ漏れにならないように「抱え込み」ます。
一方、ねつ造サイトはエディトリアル・コストが安いので、コンテンツは「ひとりあるき」すればするほど良いのです。彼らはアドセンスなどの広告収入によって主に生計を立てています。
昔、英国の王室財政代理人、トーマス・グレシャムは「悪貨は良貨を駆逐する」と言いました。
いま同じ額面だけど貴金属の含有量が微妙に違う二種類の金貨があるとすれば、ゴールドなどの高価値の金属をより多く含んだ金貨は退蔵され、「まじりもの」を多く含む悪貨から最初に遣う……みんながそれをやりはじめると悪貨ばかりが世にはばかる、、、
これが「グレシャムの法則」です。
ネットでシェアされるニュースも、残念ながら加速度的にガセネタ度を増してきています。特にフェイスブックは、それがひどい。
最近では、むしろツイッターの方が速報性やガセの少なさでマシなくらいです。
いうまでもなくフェイスブックは「友達」のつながりですが、似通った関心や好みが「友達」として承認する判断基準となるため、考え方の同じ人たちは、同じ人たちで集いやすいという傾向を生じます。
だからヒラリー・クリントンを支持したユーザーたちは、民主党を賛美する記事ばかり回し合い、彼女の勝利を疑わなかったのです。
マーシャル・マクルーハンは「消費者は自分がすでに所有しているクルマやモノについての広告を、いちばん熱心に読む」ことに気付きました。その理由は、人々が求めているのは自分が正しい選択をしたのだというreassurance (安心させる言葉)だからです。
第二番目は、閾値(いきち)の問題です。
ネット上である記事が目に留まるためには、ユーザーの目を惹く工夫がなくてはいけません。
往々にして、本文の内容よりも、見出しの工夫の方が重要です。どんなに価値ある情報でも、見出しにパンチ力が欠けているとシェアされません。
この点、新興ネットメディアは気の利いた見出しをつけることにたいへん労力をかけているし、不適切、不正確すれすれの、きわどい見出しでも平気でつけるので、品行方正な既存メディアとではそもそも勝負にならないのです。
今般の大統領選挙では「Alt-Right」と呼ばれる新しいタイプの右派が、ネットで大活躍しました。ここでのAltとは、alternative(オルタナティブ)を指します。
オルタナティブとは「主流ではない前衛的かつアンダーグラウンド」を指します。
アメリカにおける伝統的な右派は、たとえばネオ・コンサーバティブ(小さな政府、規制緩和、貿易推奨、軍備拡張などの価値観を持つ)になりますが、今回の選挙で活躍したのは、もっとネトウヨ的な、魑魅魍魎(ちみもうりょう)たる連中です。
この煽りの総帥が、今度、トランプ政権のNo.2、すなわち首席戦略官兼上級顧問に据わるスティーブン・バノンです。
フェイスブックに代表されるSNSがヘイトのアクセラレーターに成り下がった背景には、Alt-Rightたちの鮮やかなネット戦略があったというわけです。
SNSでニュースが繰り返し、しつこくシェアされるこんにち、たとえそれがねつ造されたニュースであっても上位にトレンドしてしまうし、たいていのユーザーはそのニュースの真偽を判断できる能力を持っていない……
そんなことから、真実を伝える記事より、RT(リツイート)ないしは「シェア」される記事のほうがインパクトを持つ……これが「脱真実(Post-truth)」社会です。
「ウォールストリート・ジャーナル」や雑誌「ニューヨーク」にはファクト・チェッカーが居て、記事の内容の正確さが常に検査されています。
しかし新興メディアはPVを取ることが最優先され、記事の正確性は「ゆるくていい」と考えられているので、品質管理は、ないがしろです。
ひとつの考え方として、ある記事がたくさんの人の目に触れれば、間違いを指摘する人が出てくるだろうから、おのずとそういう記事は淘汰されるという思い込みがあります。実際、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグもそう考えていたひとりです。
しかし、現実には、ねつ造記事がどんどんシェアされてゆく一方で、しっかりとしたニュースは露出されにくくなっています。
これには二つの理由があると思います。
第一に、しっかりとした記事を書くコストは、タダじゃないということです。
きちんと取材できる記者を雇わないといけないし、ファクト・チェッカーやエディターも必要だからです。
既存メディアはサブスクリプション課金することで、それを賄っています。たとえば僕の場合、「ニューヨーク・タイムズ」、「ウォールストリート・ジャーナル」、「インベスターズ・ビジネス・デイリー」、「ストラトフォア」などを購読しています。
それらのメディアは売上高を維持し、自分の組織をガードする必要から、ペイウォール(課金の壁)のような一線を設け、コンテンツがダダ漏れにならないように「抱え込み」ます。
一方、ねつ造サイトはエディトリアル・コストが安いので、コンテンツは「ひとりあるき」すればするほど良いのです。彼らはアドセンスなどの広告収入によって主に生計を立てています。
昔、英国の王室財政代理人、トーマス・グレシャムは「悪貨は良貨を駆逐する」と言いました。
いま同じ額面だけど貴金属の含有量が微妙に違う二種類の金貨があるとすれば、ゴールドなどの高価値の金属をより多く含んだ金貨は退蔵され、「まじりもの」を多く含む悪貨から最初に遣う……みんながそれをやりはじめると悪貨ばかりが世にはばかる、、、
これが「グレシャムの法則」です。
ネットでシェアされるニュースも、残念ながら加速度的にガセネタ度を増してきています。特にフェイスブックは、それがひどい。
最近では、むしろツイッターの方が速報性やガセの少なさでマシなくらいです。
いうまでもなくフェイスブックは「友達」のつながりですが、似通った関心や好みが「友達」として承認する判断基準となるため、考え方の同じ人たちは、同じ人たちで集いやすいという傾向を生じます。
だからヒラリー・クリントンを支持したユーザーたちは、民主党を賛美する記事ばかり回し合い、彼女の勝利を疑わなかったのです。
マーシャル・マクルーハンは「消費者は自分がすでに所有しているクルマやモノについての広告を、いちばん熱心に読む」ことに気付きました。その理由は、人々が求めているのは自分が正しい選択をしたのだというreassurance (安心させる言葉)だからです。
第二番目は、閾値(いきち)の問題です。
ネット上である記事が目に留まるためには、ユーザーの目を惹く工夫がなくてはいけません。
往々にして、本文の内容よりも、見出しの工夫の方が重要です。どんなに価値ある情報でも、見出しにパンチ力が欠けているとシェアされません。
この点、新興ネットメディアは気の利いた見出しをつけることにたいへん労力をかけているし、不適切、不正確すれすれの、きわどい見出しでも平気でつけるので、品行方正な既存メディアとではそもそも勝負にならないのです。
今般の大統領選挙では「Alt-Right」と呼ばれる新しいタイプの右派が、ネットで大活躍しました。ここでのAltとは、alternative(オルタナティブ)を指します。
オルタナティブとは「主流ではない前衛的かつアンダーグラウンド」を指します。
アメリカにおける伝統的な右派は、たとえばネオ・コンサーバティブ(小さな政府、規制緩和、貿易推奨、軍備拡張などの価値観を持つ)になりますが、今回の選挙で活躍したのは、もっとネトウヨ的な、魑魅魍魎(ちみもうりょう)たる連中です。
この煽りの総帥が、今度、トランプ政権のNo.2、すなわち首席戦略官兼上級顧問に据わるスティーブン・バノンです。
フェイスブックに代表されるSNSがヘイトのアクセラレーターに成り下がった背景には、Alt-Rightたちの鮮やかなネット戦略があったというわけです。