芸術は科学的に説明できるか?

(写真:ロイター/アフロ)

最近読んだ本の中でオススメを一冊選ぶとすると、記憶研究でノーベル賞を受賞したエリック・カンデルの「Reductionism in art and brain science: Bridging the two cultures (芸術と脳科学における還元主義:二つの文化を橋渡しする)」(Columbia University Press)だ。今年の9月に出たばかりでまだ邦訳はないが、訳されるのもそう遠くないと思う。

いろんな読み方ができるだろうが、マーク・ロスコの絵が表紙に使われているこの本で取り上げられた問題は、「なぜ抽象絵画が私たちの心を揺さぶることができるのか?」だと私には思えた。

これに対しカンデルは、ターナー、モネ、カンディンスキー、モンドリアン、クーニング、ポロック、ロスコ、ルイス、フラビン、タレル、カッツ、ウォーホールなど様々な画家とその絵画スタイルを解説しながら、それぞれの画家が「見たもの」をどのように要素還元したのか、そしておそらく直感的に行われた還元過程が、視覚認識についての脳科学からみていかに理にかなっているのかを説明している。

要するに、カンデルの答えは、「私たちが視覚認識として行っている脳による要素への還元過程を、画家が直感的に取り出して表現しているのが抽象絵画である」になる。(例えば私達の脳は、像を認識するとき、像を様々な要素の組み合わせとして別々に処理するし、色と形も別々に処理している)。

カンデルの美術に対する専門的な造詣の深さに感心するとともに、彼の展開する脳科学に基づく説明に納得し、舌を巻いた。もちろん、この説明が正しいかどうかを問うのは意味のないことだ。面白い説明に出会うとともに、抽象絵画も理屈から楽しむ可能性があることがよくわかった。カンデルの提案を頭に入れて、NY近代美術館をもう一度訪れたいという強い気持ちが湧いてきた。

これと比べると、古典から現代へのクラッシック音楽の展開を単純に要素還元的に説明することは難しいような気がする。これは、絵画と違って、音楽はもともと抽象的で、コンテンツそのものがないからだろう。

音楽を脳科学的に研究するのは大変だが、それでも例えば最近バルセロナ大学のグループが発表した論文のように、音楽を聞いたときの快・不快をなんとか分析しようとする研究も行われている。この論文のタイトルは「Neural correlates of specific musical anhedonia(音楽特異的な不感症の神経的基盤)」で、10月30日号の米国アカデミー紀要にオンライン掲載された(www.pnas.org/cgi/doi/10.1073/pnas.1611211113)。

この研究では、45人の大学生を、筆記テストで、音楽好き、普通、不感症にわけ、次に古典から現代まで様々なクラッシック音楽を聴かせて、1)好感度の採点、2)皮膚伝導計による興奮度の測定、3)機能MRIによる脳活動の測定、を行い、音楽に対する感受性の違いを脳科学的に説明しようと試みている。

詳細を省いて結果をまとめると、

1) BMRQと名付けられたテストで特定した音楽不感症の人に不快な音楽を聴かせても、皮膚伝導計反応(嘘発見器と同じ原理)は、ぞくぞくする音楽を聴かせたときと変わりがない。(ちなみにここで不快な音楽とは例えばシェーンベルグの弦楽四重奏曲3番)

2) 一方、音楽好きだけでなく、普通の人も、ぞくぞくする音楽には強く反応する。(ちなみにここでぞくぞくする音楽とは例えばベートーベンの第9交響曲と、チャイコフスキーのクルミ割り人形の中のシュガープラムの踊り。)

3) 音楽好きの人は、MRI検査で側坐核を含む腹側線条体が好感度の高い音楽ほど反応する。しかし、音楽不感症の場合は逆に興奮が低下する。一方、音楽とは全く異なるギャンブルでの喜怒哀楽については、音楽好き、不感症を問わず、大体同じように反応が見られる。

4) 音楽不感症の人では、一次聴覚野から側坐核への神経結合がもともと低下している。

要するに、音楽不感症に対して脳科学から一定の説明が可能だと主張している。

しかし、この論文は始まりに過ぎないだろう。以前ここで紹介したように、人間が生まれついて持っているハーモニーへの感覚でさえ、文化と教育の産物であることがわかってきた。これは言葉の獲得と同じだ。

像がコンテンツとして外的、内的に存在する絵画と異なり、音楽に対する私達、あるいは音楽家の行動を脳科学的に説明するには、まだまだ調べなければならないことが多い。

実際、この論文を読んでいて納得できないことも多い。例えば、いくら音楽不感症とはいえ、ベートーベンの音楽と、シェーンベルグやウェーベルンの音楽に対して同じように反応するとは到底信じられなかった。

いずれにせよ、この論文も、カンデルの著書も、芸術と科学を二つの文化として並置するのではなく、なんとか接点を求めようとする試みが21世紀に求められていることを伝えようとしている。カンデルの本が、CP Snowが指摘した「二つの文化に接点はない」というテーゼの説明から始めているのも、接点は必ずあるという信念があるからだろう。ぜひ若い人たちに読んで欲しい本だ。