敢えて外部に向けて書く。外的革命を成し遂げる前に、内的革命が必要や。
私は主張する。
そもそも私は、現実を直視しない世界に対して、おかしいおかしいと主張してきた。
日立製作所はもう、ヒラメ社員ばっかで、日立製作所よりもAKBの中高生のほうがよく聞いてくれるとは実感していた。
だから、岩田華怜に対しても、
「目の前にいるヒトに対して、言うことをキチンと聞いて、キチンと対応しよう」
と言った。
そして、日立製作所が私の個人情報を収集していることがわかり、以下の資料
https://drive.google.com/file/d/0B1zRzD_3tvlRSUx3RjhBTU9pNTA/view?usp=sharing
を得て、もうコレは日本政府がぶっ潰れるくらいの大事件、と騒いだところで、日立製作所も日本政府も隠蔽してきて、私も会社員を続けるには、AKBのメンバーに対して送ったファンレター等々について、ウソをつかざるを得なくなった。
私は、ウソなんてつけんから、AKBのメンバーに対して送ったファンレター等々に書いた内容を忠実に守って、恣意的に日立製作所を懲戒解雇され、日本政府からも隠蔽され、さらにはドイツ政府からも隠蔽されて強制送還された。
私は、ドイツにいるとき、私の日立製作所時代における行動等々について、日立製作所の者による、たくさんの工作投稿を受けた。
https://drive.google.com/file/d/0B1zRzD_3tvlRLUJUOHJSMndNUmc/view?usp=sharing
https://drive.google.com/file/d/0B1zRzD_3tvlRT1M4dkpXLTFfTTg/view?usp=sharing
そんな事実を、誰もが、
「そんなこと、到底信じられない!」
と言って、中身の検討さえしようとせんかった。
そして、いま、極左集団のヤツらが大挙して、
「そんなこと、到底信じられない!」
と言って、中身の検討さえしようとしてない現実に直面している。
労働者を大切にする、ということは現場主義に繋がるし、現場主義ということは、すなわち、とにかく自分が責任を持つと思った者が言っていることは、仮に半信半疑でも聞いて確かめてみる。
それくらいは必要や。
それができなくなったとき、そいつは原義的には、労働者を管轄しているとはいえなくなるはずで、その職を自ら辞さなアカンねん。
世界を見渡したとき、ほとんどの主張が誰かのコピペとかリツイートで、オリジナルな主張なんてごくわずかしかない。
そのオリジナルな主張について、逐一検証することは可能や。
逐一ったって、全部検証するのは難しいから、半信半疑でも、そんな可能性もあるよなあ、と思って聞いて、聞いて、聞いて・・・・、とにかく最後まで聞いて、自分が遭遇したような事例ではなくても、そのストーリーの中に明白な矛盾があるならばともかく、わずかでも矛盾なく可能性があり得ると思ったら、それは具体的に検証する必要があるし、それこそが、労働者の生の声やねん。
言い換えたら、自分が患者になったと考えた場合に、かかる医者が名医かヤブか?をどうやって見極めるか、の問題でもあるといっていい。
まず、ヤブは、患者の症状を、自分がかつて経験した所見に当てはめて、それしかないとして処方する。
だから、処方が間違うことが多くて、ヤブと言われる。
名医は違う。
患者の症状をあらゆる可能性から考えて、もしかしたら、自分がかつて経験した所見にはないものかも知れないと思って、ココでは診断しきれないと思って、誰かに紹介状を書いたりするねん。
患者を診て、
”もしかしたら、自分がかつて経験した所見にはないものかも知れない”
と考えられるかどうか、名医とヤブの違いはそれやねん。
然るに、それがわかっとるのは、健常者ではなくて、恒常的に医者に罹っている人々=障害者といえる。
語弊があるかもワカランけど、障害者は、医者と向き合い、この医者がちゃんと患者と向き合っているかどうかをチェックする、という労働(たとえその賃金は医者に支払われようとも)をしている、ともいえる。
労働と賃金というのが、全く別の概念で、賃金が支払われていなくても労働をしている、というのは往々にしてある。
障害者の例が正しいかどうかの検証は必要やろけど、そういう側面は間違いなくあるし、討論すべき内容には違いないやろ。
最近のコメント