避難速く大震災の経験生きた!課題は予想上回る津波に気象庁対応の遅れ
2016年11月23日6時0分  スポーツ報知
今回の地震では、5年8か月前の東日本大震災の経験が生かされる場面や課題もみられた。
宮城県東松島市の小野竹一さん(68)は以前暮らした仮設住宅団地で車いすの高齢者ら約40世帯に声を掛けて安否を確認した。海から約700メートルに位置し、震災時に1階が津波で浸水した宮城県岩沼市の南浜中央病院では職員ら14人で入院患者約150人に対応した。津波情報を収集し、注意報から警報に切り替わった段階で患者全員を2階に避難させた。「災害科学科」がある宮城県多賀城高(多賀城市)では地震発生から3時間余りで全校生徒835人の無事を確認。メールによる安否確認システムが威力を発揮した。
宮城県東松島市の男性(66)は自宅から高台に逃げる際、周りに避難を呼び掛けたが「大丈夫」と自宅から出ようとしない住民がいたと明かす。福島県南相馬市では津波警報が注意報に切り替わると、集まった住民の大半が帰宅した避難所も。震災後、東北の太平洋側に津波警報が出たのは3回目、ほかに注意報が13回。慣れが生じている可能性がある。
宮城県内の自治体では、地震の1時間余り後に学校側が自宅待機を呼び掛けるメールを保護者に送ったが一部は学校へ向かった後で、間に合わなかった。また、気象庁が宮城県の津波注意報を津波警報に切り替えたのは、予想を上回る津波が仙台港に到達した後だった。津波の高さは沿岸の地形に左右され正確な予想が難しく、対応に混乱が出た自治体もあった。