東日本大震災の教訓生かし避難 岩手 山田町の消防団

東日本大震災の教訓生かし避難 岩手 山田町の消防団
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岩手県の沿岸に一時、津波注意報が発表された際、山田町の消防団は、東日本大震災の教訓を生かして、水門を閉めるなどの活動を終えたあと、すぐに内陸の待機所に戻り、津波の到達予想時刻の前に避難を完了しました。
宮古市や山田町など4つの市町村で作る宮古地区広域行政組合消防本部は、震災の津波で避難誘導などにあたっていた消防団員にも多くの犠牲者が出たことを教訓に、津波の予想到達時刻の15分から20分前までに高台に避難するルールを定めています。

このうち、山田町消防団第8分団に所属する6人は、津波注意報の発表を受けて、海岸沿いの水門を閉めたあと、住民に避難を呼びかけました。

その後、決められた手順に従って、すぐに内陸の待機所に戻り、津波の到達予想時刻の前に避難を完了させました。そして、避難の完了を無線で宮古市にある消防本部に報告したということです。

待機所に戻ったあとはテレビを見て津波が到達していないかなど状況を確認しました。

山田町消防団第8分団の白野正分団長(57)は、「震災では、責任感から水門を閉めることなどを優先した結果、多くの消防団員が犠牲になった。今は震災の教訓を生かし、消防団員も避難して命を守るようにしている」と話していました。

津波到達まで活動していたところも

宮城県東松島市では、津波が到達するまで消防団員が海岸近くで活動を続けていたケースがあり、安全確保の対策をいかに徹底するかが課題になっています。

宮城県東松島市の宮戸地区では、津波で小型の船舶16隻が転覆するなどの被害が出ました。

地区の消防団員の小野文義さん(33)は、地震の発生直後、海岸から200メートルほど離れた場所に集合したあと、ほかの消防団員とともに防潮堤の上に移動し、避難誘導などの活動に当たりました。

そして、活動を続ける最中に、津波が近くの海岸まで押し寄せ、車で逃げたといいます。東日本大震災のあと消防団に加入した小野さんは、「高い波が来て驚きました。消防団員として初めて津波を経験し、難しさを感じました」と話していました。

東松島市では、震災で消防団員8人が犠牲になったことを教訓に、津波の到達予想時刻をもとに、各消防団であらかじめ活動時間を決めるよう、マニュアルで定めていますが、市によりますと、22日はほかの消防団でも津波到達の直前まで活動していたケースがあったということです。

東松島市防災課の担当者は「消防団員は減り、住民の避難誘導などの業務は増えているが、消防団員自身の安全を確保する対策を改めて徹底したい」と話しています。