はじめに、「さん付け」するか否かに関する個人的な感覚を書いておきたい。
・知人を呼ぶときは、さん付けする
・しかし仲良くなれば、さん付けしない
・有名人の名前は、呼び捨てにする
・しかし有名人でも知人ならば、さん付けする
・歴史上の人物には、さん付けしない(織田信長さんとは言わない)
・グループ名にも付けない(SMAPさんとは言わない)
・企業名にも付けない(ソニーさんとは言わない)
これが私の中の「常識」なんだが、常識というのは強固に見えて、すこし叩けばグニャッと曲がる。時代と場所で少しずつ変化するからである。実際、どのような時にさん付けするかは、この十年でも微妙に変化したように感じる。
ということで、「SMAPさん」という呼び名への違和感である。グループ名にさん付けするのか? それはおかしくないか? それとも私の感覚のほうがおかしいのか?
具体的に考えてみたい。
まず、現在の私はSMAPのメンバーをフルネームで呼び捨てにしている。木村拓哉、中居正広というふうに。これは芸能人全般を呼ぶときの私の態度である。自分の中では非常に自然なことである。
次に、私がSMAPの五人と知り合いだとしてみよう(なんちゅう仮定だ)。その場合、個々人に対しては「木村さん、中居さん」と呼ぶことになる。これも違和感はない。
しかし、それでもグループ名を呼ぶ時は「SMAP」と言うんじゃないだろうか。知人の所属するグループだろうが、さん付けはしないんじゃないのか。
しかし、である。仮に、私がSMAPに楽曲を提供したとする(本当になんちゅう仮定だ)。その場合、どうも「SMAPさん」と言いたくなる気もする。「SMAP」という個人と仕事上の取引をしている気がするからである。
もしも私がSMAPとの仕事をツイッターで告知する場合(なんちゅう仮定だ)、「SMAPに楽曲を提供しました」と言えるだろうか? ちょっと失礼かもと思って、「SMAPさんに楽曲を提供しました」と言ってしまうのではないか?
いまさらだが、この文章を書くきっかけになったニュースがある。SMAP解散の報を受けたスガシカオが、過去に『夜空のムコウ』を提供したことに言及して、「オレの中でSMAPさんは大きな存在」と言っていたのである。そのときの「SMAPさん」という表現に違和感があって書いている。
しかし私は自分のなかの常識がグラつきやすい人間である。へんに細かいところを気にするうえに、常識がグラつきやすい。だから違和感から書き始めたはずなのに、すでにスガシカオの立場ならグループ名にさん付けするんじゃないかと思いはじめている。
つまり、いますぐ私とスガシカオの身体が入れ替わって(なんちゅう仮定だ)、スガシカオとしての私がインタビューでも受けたならば、当然のように「SMAPさん」と言う気がする。スガシカオとしての私は、SMAPさんに感謝しているから(本当になんちゅう仮定だとは思いますが)。
以下、いちいち「なんちゅう仮定だ」とは書きません。
かわりに適当な顔文字をいれます。
とにかく、さん付けの問題は微妙であって、考えれば考えるほど分からなくなる。たとえば、次のような問題もある。私がSMAPのメンバーに相談されるほどの仲だとして (≧▽≦)、人名とグループ名を同時に呼ぶ場合はどうなるんだろうか?
つまり、私が親友の中居正広に質問するとして (◎o◎)、「中居さん、SMAPさんを解散する件ですが」とは言わないはずなのである。この場合、「中居さん、SMAPを解散する件ですが」である。「中居さん」と呼ぶならば「SMAP」は呼び捨てである。これはかなり共感される感覚ではないのか。
ちなみに、これをシンプルに裏返すと、「中居」と呼び捨てにするなら「SMAPさん」と呼ぶことになるんだが、これは絶対にちがう。「よお中居、SMAPさんを解散する件だけどさ」というのは、頭のおかしいチンピラの発言である。
こうなると、冒頭で箇条書きにした「さん付けするか否かの条件」も非常に怪しくなってくる。「歴史上の人物はさん付けしない」と私はあっさり書いた。しかし、歴史上の人物の子孫と会う場合はどうなるのか?
たとえば明日、私が織田信成とメシに行くとして (^o^)/、先祖である織田信長のことはどう呼べばいいのか? なんとなく「信長」と呼び捨てにしてしまいそうだが、それは子孫の前では失礼なのか? やはり「信長さん」と言うべきか? それとも「織田さん」か? しかし「織田さん」だと、信長と信成どちらのことか分からないか?
というか、まず信成のことを私はなんと呼べばいいのか? 「信成さん」か? 向こうのほうが年下だから「信成くん」か? 初対面でこれは馴れなれしいか? 「信成さんは信長さんの御子孫なんですよね」がベストか?
常識がグラグラしてきた。もうだめだ。
あきらかに、自分を支配する無自覚な法則がある。しかし言語化するのは厄介だ。たとえば人工知能に「どのような条件でさん付けすればいいか」は教えられるのか。これは非常に難しいのではないか。
というか、「人工知能さん」か? 人工知能に知性があるならば、さん付けは必要か? 現在、これはアホらしい冗談にしかならないだろうが、十年後、二十年後はどうか? 人間と同等の知性を持ったとき、私は人工知能にさん付けするのか?
そろそろ私の思考はドン詰まりにきてないか?
人は、太陽をさん付けすることがある。「おひさん」というふうに。もっと丁寧に「おひさま」とも呼ぶこともある。しかし「太陽」と呼び捨てることも多い。これはどういうことなのか? 明日、私が銀河系のどこかで太陽とメシを食う場合 (@□@)、なんと呼べばいいのか?
あるいは、月の場合はどうか? これも「お月さん」や「お月さま」と呼ぶが、「月」とも言う。もしも月と太陽と私の三人でメシを食うことになった場合 (*T▽T*)、呼称の問題だけで胃がブッ壊れそうだ。
そろそろ終わりにしよう。
日本語には、「敬語」という形で自然に上下関係が組み込まれているとどこかで読んだことがある。だから私はこのように悩んでいるのだろう。要するに、上下関係なんてものを認識するから問題が起きる。社会に組み込まれた自分、関係の網の目のなかで上下する不安定な自分だから悪い。
すなわち、私が世界の誰よりも偉く (^_^)v
この宇宙における唯一無二の存在であり σ(^_^;)
あらゆる存在をその支配下に置いた場合 (*^◯^*)
さん付けの問題など起こらない。あらゆる人間、あらゆるグループ、あらゆる企業を私は呼び捨てにする。太陽と月も呼び捨てにする。私は神であり、他のすべては被造物だからである。
結論が出ました。
私は神だそうです。ぜんぜん知りませんでした(○゚ε^○)v