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全国で盛況の「アニメ聖地巡礼」、過度なビジネス化に振り切るリスク
これではファンを裏切ることに…

アニメ聖地巡礼の新しさ

近年、「聖地巡礼」といえば、四国遍路やサンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼路を歩くよりも、アニメや映画の舞台になった場所をめぐる実践を意味するようになっている。コンテンツ・ツーリズムに分類される観光実践である。

舞台訪問はけっして新しいものではない。映画、小説、ドラマなどの舞台めぐりは、かねてから行われてきた。

たとえば、全国に無数にある郷土ゆかりの作家の文学館は、そうした「文学巡礼者」の需要に応えたものと言って良いだろう。太宰治がどのような風景のなかで育ったのかを見るために、ファンは青森県五所川原市まで足を運ぶわけである。

NHK大河ドラマの場合、放映後に舞台になった場所が観光化することはあらかじめ見越されており、制作前から誘致合戦が行われるようになっている。

とはいえ、アニメ聖地巡礼には新しさもある。そもそもは制作側が意図しないところから始まったことだ。

 

アニメの背景に実際の風景が使われるようになったのにはさまざまな理由があるが、大きいのは制作プロセスの簡略化だと言われている。実際の風景を写真撮影し、それをトレースすることで、実写のような背景がある意味で機械的に作れるようになったのである。撮影やデータの取り込みなど、技術発展がこうした制作法を可能にした部分も大きい。

こうして現実に紐づけられた背景を使用したアニメ作品が増えることで、アニメ聖地巡礼の下地が整えられた。だが、すぐに誰でもが舞台訪問をするようになったわけではない。

アニメの場合、映画や小説と異なり、まず、背景の元になった場所を特定する必要がある。基本的にトレースされたものとはいえ、場所の名前が示されていなかったり、景色に修正が加えられていたりするためだ。

当初、アニメの舞台訪問を行っていたのは、情報の収集・分析に優れた一部のファンに限られていた。彼らはアニメの中から断片的な情報をかき集め、そこから地道に舞台を特定していった。そして、彼らがネットを中心に舞台情報を発信し、それを見てさらに多くの人が舞台訪問をするという流れであった。

ここで重視したいのは、舞台の特定がファンの自発性に基づいて行われていたことだ。誰かに頼まれたわけでもないし、舞台を特定しなければ作品が理解できないわけではない。コアなファンが自らの意志で、作品世界をより深く味わうために行っていたと考えて良いだろう。

観光の表舞台と舞台裏

観光研究には、観光の表舞台/舞台裏という概念がある。表舞台は、観光者のために作り込まれた場だ。そこを見れば、観光客は観光者として一定の満足を得られる。

だが、よりディープな観光者は、表舞台の裏側にある本物の日常に触れようとするというのだ。もちろん、表舞台の裏にも、さらに舞台裏であるかのように作り込まれた場が準備されている。

しかし、一部の観光者は、そうした作為性をかいくぐり、裏側をのぞき見ようとするのである。