kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年11月22日

英国で、所謂Snooper's Charterが法律として成立した。国家に属する「国民」にとって、もう「プライバシー」は存在しないも同然。

さて、米大統領選挙の結果で全世界が騒然とし、「新政権の顔ぶれ決定」的なニュースがそれに続く中で顔面蒼白にならない理由を探すのが大変というような状況の一方で、英国でも大変に大きな動きがあった。だが、米国のニュースがすさまじいので、英国のとんでもないニュースはBBC Newsのトップページのような「全世界に知らされるニュース」ではとても影が薄かった。私も個人的にいろいろ疲れていて、ネットなんか見ないで本を読んでたりしたので単に見逃したのかもしれないが、それにしても影が薄かった。

といっても、英国があえて「トランプの当選」というすさまじいニュースにぶつけたわけではない。ことが決まったのは国会でのことで、国会での審議の日程はずっと前(米大統領選挙の前)に決められていただろうし、そもそも米大統領選は、結果が出るそのときまで、ほぼ間違いなく「米国初の女性大統領誕生」ということになると考えられていた。米大統領選から1週間も経過した時点で、英国で「民主的な法治国家」と個人のあり方を完全に変えてしまうような法律が成立すれば、「米国初の女性大統領」をトップニュースから落としていただろう。

それがそうならず、いつまで経っても「米国の大統領選挙」の話題がトップニュースに居座っているのは、ひとえに、結果がああだったからで、新たに大統領となる人物の側近・取り巻きが、そろいもそろってアレだからである。

というわけで、米大統領選が穏当な結果になっていたら、11月第3週に世界的トップニュースになっていたのではないかと思われる件。週が明けても、おそらく、少なくとも英国のメディアでは、各種論説記事などがごんごん出ていただろう。日本では2年前の「特定秘密情報保護法」のころのことを思い出せば、かなり近いのではないかと思う。

何だか棚ボタで首相になった感のあるテリーザ(テレサ)・メイが内相になったときからぶちあげていた「国家の権限の強化」という方針にのっとってまとめられた法案、Snooper's Charterが議会を通過し、法律になった。

snooperscharter.png


通称Snoopers' Charterこと、Draft Communications Data BillについてはWikipediaを参照するのが手っ取り早い:
https://en.wikipedia.org/wiki/Draft_Communications_Data_Bill


個人的にも、これについて書こうと思っていたところで、米大統領選でそれどころではなくなってしまったのだが、せめてメモ程度は残しておこうというのが本エントリの主旨だ。













グリーンズが早速「アンチ・トランプ」風味でフィードしているのも味わい深い。






グレイアム・リネハンはこのように述べているが、恐ろしいのは、「政府があなたの行動をすべて把握する」ことではなく、「政府があなたの行動をすべて把握している気になる」ことだろう。

例えば私がオランダに行ったとする。前の年にはコロラドに行ってる。来年はカリフォルニアに行くよう航空券を取っている。そして最近、ネットである元女優さんのニュースを読み、詳細を検索している。(実際にはこんな程度でこうなることはないだろうが)その行動を把握した政府は、私のことをマリファナ愛好者の可能性がある人物だとみなす。そして私はマークされることになる。私の友人たちも。(※この段落は完全にフィクションなので心配しないでください。私はオランダにもコロラドにも行ってないです。)

こういうのが絵空事でないということは、英国では「えむあいなんとか」の行動によって、ある程度は広く知られていると言えるだろう。例えば、白人男性で極右と付き合いがありそうな人物を極右組織潜入スパイとして利用する、というパターン。

最近、最も有名になった具体例は、「えむあいなんとか」がスパイにしようとして失敗し、単にそのターゲットの人間関係を壊しまくって将来をつぶした西ロンドン出身のイスラム教徒の男性のケースだ。といっても当人に元々「過激主義」への傾きがあったからこそああなったのだが……詳しくは下記書籍参照。(私は英語版しか読んでいないが、ざっと見たところ日本語版の翻訳も読みやすくて優れていると思う。)

4163904700ジハーディ・ジョンの生涯
ロバート バーカイク 国谷 裕子 Robert Verkaik
文藝春秋 2016-07-15

by G-Tools

1780749430Jihadi John
Robert Verkaik
Oneworld Pubns Ltd 2016-03-29

by G-Tools


モハメド・エムワジはほっといても過激主義者になっていたかもしれないが、彼をその方向に駆り立てたのは、「えむあいなんとか」が彼を疑い、彼に付きまとい、英国外への旅行を妨害し、彼の婚約者の家族にその話をして婚約を破談にしたことだった、ということが、上記の本で検証されている。

むろん、「えむあいなんとか」のかかわりがなくても、いずれ奴はジハディストになっていた可能性が高いということは、どんなに強調しても強調しすぎることはないだろう。だが、当局の「安直な決めつけ」と、人権侵害の域に達する嫌がらせが奴に大きな影響を与えたことは確実だ。そして当局がそういうふうに動いたのは、当局がそのように判断するだけの「データ」を得ていたからだ。

そういう「データ」を、当局は、モハメド・エムワジのように疑いの余地があるとマークした人物についてだけでなく、英国内のすべての人(多分国籍は関係ない)について、完全に合法的に(法的なグレーゾーンなどではなく)得ることができるようになるのだ。当局が、膨大な量のデータを処理しなければならなくなることは、「ビッグ・データ」が当たり前になった今では何の問題にもならないだろう。そして少しでも疑わしい者はすべて、追跡され、調べられるターゲットとなりうる。何がきっかけで何について「疑わしい」と思われるか、疑われる可能性のある側にはわからない。

































労働党はほんと、何をやってるんすかね。Brexit後にまず「コービンおろし」にかまけたと思ったら、その次がこの「ほぼ無抵抗」。コービンも、トライデントの件で明らかになったけど、「党首でいること」を優先していて、彼の主張を党の方針にすることはできていない(できているのはStop the War Coalitionのヘタレっぷりと重なる部分くらいじゃないかと。CNDなんか影も形もありゃしない)。

ともあれ、これが何なのかについては、FTがわかりやすいです。

Snooper’s Charter passes into law − what it means
https://www.ft.com/content/40d2ede4-adac-11e6-9cb3-bb8207902122

November 20, 2016
by: Madhumita Murgia, European Technology Correspondent
※FT記事を読めない場合は、記事の見出しをそのままGoogleで検索して、そのGoogleのリンクから入ってみてください。

※この記事は

2016年11月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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