“サイレントマジョリティ”の市区町村行政への意見反映

私たちの多くは市区町村にとってサイレントマジョリティである

 

市区町村は、市民に最も身近な総合的な行政主体として「基礎自治体」と呼ばれます。私たちの日々の生活や経済活動は、市町村の政策や事業なしでは成立しません。(※本稿での「区」は、東京23区のことを指します。政令指定都市の行政区は含みません。)

 

一方で、皆さんはお住まいの市区町村の政策形成や事業計画・事業見直し等に関し、政治家(市区町村長、市区町村議会議員)や行政職員に届く形で意見提示をされたことはあるでしょうか。「ある」人も多いと思いますが、「ない」人も少なくないでしょう。また、「ある」人においても、回数は限られ、また出した意見が実際にどのように議会や役所内で扱われ意思決定が行われたか、判然としない方が多いのではないでしょうか。

 

日々の生活や仕事を通じて、私たち市民は行政に対する色々な感想を持ちますが、その“感想”を政策形成や事業化に資する“意見”として政治家や行政職員に届けるには、現状は制度が不十分であるとともに心理的なハードルも高いと言えるでしょう。

 

さらに、私たち一人ひとりが、広範にわたる市町村行政の全分野に常に関心を持ち続けることは不可能とも言え、特に自分の生活や仕事に無関係(と思われる)分野には関心が行き渡らないのは仕方ないことです。

 

国や地方自治体(都道府県、市町村)の政策に対して意見を積極的には表明しないという、多くの一般的な市民のことを、“サイレントマジョリティ”と呼ぶことがあります。この言葉は、時代背景や使用される場面によって意味が一定とは言えませんが、サイレントマジョリティの持つ意見は“声なき声”とも称されます(もちろんサイレントマジョリティの意見は多様であり、一つにまとまったものではありません)。

 

行政職員の中にも、「現状では特定の声の大きな人の意見ばかりが行政に届いてしまっているのではないか。もっと民意を的確に把握したい」という問題意識を持つ人も多くいます。特に、行政で対応すべき課題が複雑化・多様化・高度化し、また行政への市民参画に対する注目が高まる中、市民に直接接する機会の多い市区町村行政の現場では、このサイレントマジョリティの意見をどのように政策や事業に反映していくかが大きな関心事・課題となっています。

 

そこで本稿では、無作為抽出による市民参加型会議を事例として多様な市民意見の把握や政策への反映に関する考察を行った南(2010)での論考を軸とし、執筆後の動向も加味した上でサイレントマジョリティの市区町村行政への意見反映の視点や課題を概略的に例示します。

 

なお、人口1万人を下回るような小規模な自治体の場合、政治家や行政職員と市民が“顔の見える関係”を有し、市民意見を細かな部分まで把握しやすいと言われることがあります。小規模な自治体においても市民意見を反映する仕組みをきちんと構築することは重要課題ですが、実態としてサイレントマジョリティの存在は大きな課題とはなりにくいでしょう。そこで、本稿で扱う市区町村とは比較的人口の多い自治体のこととお考えください。

 

 

サイレントマジョリティの存在で生じる社会的リスク

 

尾花(2005)は、消費者行動を捉えるマーケティングのモデルを援用し、政策に関係がある人の中で、「(1)政策を知らない」、「(2)政策を知っているが、関心がない」、「(3)政策を知っていて関心もあるが、誤解している」、「(4)政策を知っていて関心もあり理解しているが、意見を表明したくない」、「(5)政策を知っていて関心もあり理解していて意見を表明したいが、(実際には)意見を表明しない」という人々の総和をサイレントマジョリティと位置づけています。

 

そして、尾花の指摘および南(2010)等を踏まえると、サイレントマジョリティの存在は行政、ひいては社会に様々なリスクをもたらす懸念があります。例えば以下のa)~c)のようなものです。

 

a)市民から寄せられる意見が少ない場合、行政は寄せられた少数の意見を踏まえて事業内容の検討をせざるを得ません。しかも寄せられた少数の意見は、市民の「多数の民意」を代表した意見とは限りません。そのため、結果として市民の望まない政策や事業が推進される懸念があります。なお、アンケート調査についてもサイレントマジョリティの意見を十分に汲み取ることが難しい場合があります。

 

b)意見を出さない市民にとって、一部の特定の市民の意見だけが行政に尊重されているかのような印象を持ちやすい状況が起こり得ます。そのため、不公平感が生じることや、意見や立場・属性が異なるグループ間で地域内対立が生じること、場合によっては「陰謀論」が噂話で流れるなど、市民の持つ「行政や地域に対する不満」が増幅されていく懸念があります。

 

c)ある事業について当初はサイレントマジョリティであった市民が、事業が具体的に進み始めた段階になって事業の存在を認知し、事業の見直し等について強い意見を出す場合が起きがちです。場合によっては、事業の検討が振り出しに戻ったり停滞したりする懸念があります。さらに、「サイレントマジョリティがノイジーマイノリティ化する」懸念もあります。

 

このうちc)については、事業が具体化した段階で市民が関心を持って反対意見を出すこと自体は、市民参画推進の観点からは悪い事ではありません。むしろ様々な段階で闊達に意見を出せる環境であるべきです。しかしながら、そのタイミングによって、反対意見の拡がりは社会的なリスクとなりえます。

 

例えば、市区町村が事業主体の事例ではありませんが、日本の新国立競技場を巡る2015年の一連の“騒動”を思い浮かべていただければと思います。

 

当初のザハ・ハディド氏プランや事業費の妥当性等については本稿では論じませんが、一応の正式な手続きを踏んで進められてきた事業が急遽白紙撤回され、結果として新国立競技場は当初予定されていたラグビーワールドカップ2019のメインスタジアムとしては使用できなくなり、また2020東京オリンピック・パラリンピックのメインスタジアムとしても余裕の全くないスケジュールで建設を進めざるをえない状況となっています。

 

直前までサイレントマジョリティ状態であった政治家や学識経験者、一般市民等が急に関心を高めて意見を発信し、それがマスコミやSNSなどを通じて増幅され、その反響の大きさも影響して事業が振り出しに戻った例と言えるでしょう(注1)。

 

(注1)競技場プランを見直したことの妥当性は本稿では論じておらず、あくまでc)のリスクが発露した分りやすい事例として挙げています。

 

こうしたリスクは、市区町村にとってできるだけ回避したいものです。そこで、様々な市民参画手法を計画策定段階から導入したり、広報紙やWebサイト、CATV、市民説明会等を用いて情報発信をしたりしていますが、従来型の手法には多くの課題があります。

 

例えば、計画策定を行う委員会などの市民公募委員を参加させることは大半の市区町村で行われていますが、広報紙に掲載した「この事業に関心のある人は応募してください」という情報を見た人のみが応募する形では、サイレントマジョリティに分類される市民の応募は限定的なものとなるでしょう。

 

また近年、計画策定にインターネットの掲示板機能やSNSを活用して市民意見の収集や市民同士の意見交換活性化を図る試みも行われていますが、市民からの意見はあまり多く集まらず、また意見を出す市民の固定化が進みがちだったり、特定の主張が少数の人によって繰り返されることによってあたかも多数の意見のように錯覚されてしまったりする事態も起きがちです。

 

若者や忙しいビジネスパーソンが気軽に意見表明しやすくなるメリットはありますが、サイレントマジョリティの問題の解消には不十分と言えるでしょう。【次ページにつづく】

 

 

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