その一球は、カメラのファインダーから突然、姿を消した。
“What a……!? と言いながら、左打席のバッターが大げさに動いたのが分かる。シャッターを押して打撃ケージの中を覗き込むと、キャッチャーが捕球した直後だった。内角低めの際どいコースだが、ストライクゾーンを外れている。大きく打席を外したバッターは、苦笑いしていた。
首を振っている。気持ちは分かる。ファインダー越しに見たその一球は、確かに一瞬、打者に向かってやって来たのだ。そう、彼は球を避けようとしたのだ。
“It was nasty, ha?
「えげつない球だったよな? 。捕手がバッターに問いかける。バッターはそれには答えず、仕切り直して次の一球を待った。
次の一球が来る。バットを思い切り振り、乾いた音が響く。アリゾナの青空に白球が舞い上がり、無人の外野にポトリと落ちた。中堅手がいたら楽に追いついて捕球している。やや左中間寄りに飛んだ平凡な中飛といったところだ。
マウンドにいたのは大家友和だった。10月2日、日本人歴代5位のMLB通算51勝を挙げた40歳右腕は、たった一人の公開トライアウトを受けていた。
大家は秋季リーグに参加していたオリオールズの有望株たちを相手に、実戦形式でナックルボールを投げ込んでいた。その姿をレイズ、オリオールズ、ロイヤルズ、パドレス、マリナーズのスカウトたちが見つめていた。
以前のコラムで書いたが、横浜(現DeNA)でも通算8勝を挙げた大家は、2011年の右肩手術を契機にナックルボーラーに転向した。それは単にナックルボールという球種を増やしただけではない。角度や風向きに影響されるため、不規則な変化となる魔球が全投球の約9割を占める“ナックルボーラー”となったのである。
大家は横浜退団後の'13年に日本の独立リーグに在籍。翌'14年にはブルージェイズとマイナー契約し、キャンプ中に自由契約となったものの、米国の独立リーグで一年間、先発ローテーションを守って見せた。今年は日本の独立リーグ福島でプレーし、16試合で7勝4敗、防御率2.82の好成績を残している。
「日本の独立リーグでこれ以上やっても、ナックルボーラーとしての成長はもうないでしょう。遅いナックルで結果を残すことを優先して投げるんじゃなく、バットを振り回してくるこっちのバッター相手に速いナックルを投げる練習をしないと、今以上は望めない」
大家は公開トライアウトで4人の打者相手に約60球を投げた。「えげつない球」は冒頭で挙げた以外にも何球かあった。大家の手を離れた瞬間、バッターに向かってくる。それが手元で大きく変化してストライクゾーンに収まる。本当の試合になったらそう簡単にはいかないだろうが、見るべきものはあった。