感覚から見る日本語

イェスペルセンの著書「言語」の中の“音象徴”という章の中で、どんな音が人間にどんな印象を与えるかについて、各言語を通じて一般的な傾向があると述べている。例えば"i"及びその系統の母音は、明るさを表す語に用いられ、"u"及びその系統の母音は暗さを表すのに用いられる傾向があるという。 英語のgleam,glimmer,glitterは明るい光を表し、gloomは暗さを表す。ドイツ語ではLichtが光を表すのに対して、Dunkelは反対の闇を表すという。また母音"i"は、小さいもの、弱いものを表すのに適しており、英語のlittle、フランス語のpetit、イタリア語のpiccoloなどはその例として挙げられる。

日本人のこのような音感覚を一番よく表しているのは、邦楽の〈口三味線〉の類いである。長唄の三味線でいうと、三本の糸をどこも指で押さえずに弾く場合、高い音の方からテン、トン、ドンといい、もし勘所を抑えて高い音を出す場合は、高い糸はチン、中間の糸と低い糸はツンである。これらを総合するとチンが最も高く、テンがその次、トンが低く、ツンがテンとトンの中間くらい、そしてドンが最低である。要するに母音では"i"が最も高い音を、"e""u"がその次の音を、"o"は最も低い音を、そして濁音は清音よりも低い音をラ行音はツァ行音より低い音を出すと言える。

これと関係して、擬音語、擬態語と呼ばれるものがある。母音について言うと、例えばア(オ)の母音は大きいもの、荒いものを表す。「ザーっと」「ガバッと」などという場合に調和する。オもこれに準ずる。イの母音は小さい感じで「チビっと」「チンマリ」などが挙げられる。エに関する用例は非常に少ないのだが、あったとしても「ヘナヘナ」「セカセカ」など品のない感じを与えるものが多い。一般の単語でも、形容詞には量の小ささを表すものに母音の"i"を持った拍で始まるものが目立ち、量の大きさを表すものには母音"o"や"a"を持った拍で始まるものが目立つ。チイサイ・チカイ・ヒクイ・ミジカイなどは前者の例、オーキイ、トーイ、タカイ、ナガイなどは後者の例である。他、子音の与える印象の特徴をまとめると、カ行音は乾いた感じ、サ行音は快い、タ行音は強く、男性的な感じ、ナ行音は粘る感じ、ハ行音は軽く、抵抗感のない感じ、マ行音は丸く、女性的な感じ、ヤ行音は柔らかく、弱い感じ、ワ行音はもろく、壊れやすい感じがあるという。

しかし、日本語は子音の違いよりも静音と濁音の違いの方が効果が大きい。清音の方が小さく、きれいで速い感じである。コロコロとゴロゴロの例を挙げればわかるように、コロコロの方はハスの上を水玉が転がる感じの形容であり、ゴロゴロの方は大きく荒く遅い感じで、力士が土俵の上で転がるような時の形容である。一般の名詞・形容詞などで一番明瞭に見られるものは清濁の関係で、和語で濁音で始まるものには、ドブ・ビリ・ドロ・ゴミ・ゲタ等、汚らしい語感のものが多い。そのようなことから女子の名前に濁音で始まるものが極めて少なく、例えばバラは美しい花の代名詞だが、バラ子という名前の女の子はいないだろう。 日本人はこの濁音に対する感覚がかなり固定しており、濁音は本来汚い音というように思いがちであるが、科学的にはそういうことは証明されてないそうで、英語でも"b"で始まる言葉に、bestとかbeautifulなど良い意味のものが多く、女子の名前でも"B"で始まるものがいくつもある。日本人が濁音を嫌うのも語頭に来る場合だけで、影・風・角など語頭以外の位置に来たものにはあまり悪い感じをもたない。これは、濁音で始まる言葉は古く方言にのみ見られ、それを卑しむ気持ちが作用したものと想定される。

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