偽科学批判をしている物理学者が優生学を批判しないことに、ネット界隈の左派の人が何故か苛立ちを表明していた*1。これについて議論が多少されているのだが、優生学(Eugenics)は語尾に-icsがついているが学問ではなく、優性思想と訳す方が適切なシロモノなのが良く把握されていなくて残念な事になっている。優生学は思想なので、それ自体は偽科学批判の文脈では言及できない。科学と思想の区分けができないネット左翼*2の皆様には、上手く理解できないようなのだが*3。
優生学は検索すると、人間集団の遺伝的改良を目的とした信念や運動と出てくる*4。遺伝的改良の程度と方法は幾つかバリエーションがあって、先天的な障害者を出産することを抑制するための消極的なものから、知能や体格などの向上を図った積極的なものまである。最近は、遺伝的改良を目的としていない中絶などの肯定も、優生思想と批判される事が少なくない*5。介護費用の削減を目的にした重度知的障害者殺害も、優生思想だと批判されていた*6。ある種の立場の人々が、考えの違う人々を罵るための言葉になっている。しかし、批判を加えるためには、その範囲は限定すべきである。
第二次世界大戦前は流行っていて、米国、スウェーデン、ドイツなどで優性思想に基づく施策が行なわれた。当時の施策は、犯罪者や罹患者を断種することで、それらが後の世代に遺伝しないようにするもの、遺伝的に優れている人種の血統を守ろうとするものの二つに分けられると思う。なお、遺伝と犯罪や疾病の関係や、遺伝的に優れているとされる人種の基準に科学的な根拠があったとは言えないので、過去の優生思想に基づく各種施策については偽科学批判は可能である。もう決着がついてしまって、意味が無いが*7。
過去の政策ではなく、優生思想自体、つまり人間集団の遺伝的改良は否定されるべきなのであろうか。過去の施策とは異なる方法で、例えば遺伝子組み換え技術を受精卵に用いることで先天性の病気をなくす行為は、否定されるべきであろうか。科学的に技術的な可否は判断できるであろうが、問題となるのは倫理的な部分である。可能や不可能は言えても、社会正義に叶うか否かは言えない。つまり、優生思想の是非の焦点は人文科学の領域であって、自然科学の議論ではない。だから、自然科学者だから優生学を批判しろと言うネット左翼の皆様の主張は、滅茶苦茶と言わざるを得ない。
*1話題のツイートでは歴史修正主義についても言及しているのだが、これは多くのケースで政治的立場に応じてそれぞれ捏造や無理な解釈を行なっており、優生思想とは別の問題を抱えている。このため議論が拡散するので、本エントリーでは割愛する。
*2ルイセンコ論争から考えると、左翼の特徴なのかも知れない。なお、ルイセンコ論争は「環境因子が形質の変化を引き起こし、その獲得形質が遺伝する」と言う生物学における否定された仮説なので、それを信奉すれば偽科学と批判されることになる。
*3『疑似科学批判者の「政治性」を擁護する。(または優生学の踏み絵について)』
*4日本語版Wikipediaの「生物の遺伝構造を改良する事で人類の進歩を促そうとする科学的社会改良運動」は、「生物の」をつけたことで人間の血統改良である事が不明瞭になるし、どういう意味で「科学的」と形容しているのか議論の余地がありそうなので、英語版Wikipediaの"a set of beliefs and practices that aims at improving the genetic quality of the human population"の方が適切な説明に思える。これも合意された定義ではないとされているが。
*5関連記事:障害を持つ胎児を中絶することは倫理的であり得る
*6相模原障害者殺傷事件。しかし、重度知的障害者が子孫を残す可能性は極めて低いので、彼らを殺す事で人間集団の遺伝的改良に結びつく事はほとんど無いように思える。
*7ナチスの優性思想を批判しろと言う意味だと言う話もあるが、日本人にアーリア人至上主義批判を説いても困惑するばかりであろう。
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