都市の住人にも、郊外の住宅地にも、ブルーカラーにも、ホワイトカラーにすら……「先祖返り」する人はいた。自らの人生が「うまくいかない」と感じ、それを「世間が悪い」とする考えかたなどが、「発症」のトリガーとなった。
たとえば、自分は白人なのに、「代々アメリカに住んでいる(=早い段階で先祖が移民してきた)」のに、なぜか「割りを食らっている」などと考えてしまう。アファーマティブ・アクションなど、社会的弱者や被差別層への優遇策を「逆差別」だとして糾弾しては、「あとから来たやつら」に、いわれなき憎悪を燃やす……。
こうした種類の感情は、白人のなかでもとくに男性が抱く場合が多い、という分析結果があるのだが、この人物類型にも名前がある。略称を「AWM」、「怒れる白人男性(Angry White Male)」というものだ。そして、このAWMもまた容易に「トラッシュ」へと墜ちていく。それもまた、映画になる。
こうした各種の「負け犬白人」の像が、どんどん増殖していったのが、大雑把に言ってゼロ年代中盤ぐらいまでのアメリカのポピュラー文化の歴史だった。
さてところで、「ヒルビリー」という名が冠せられていた音楽ジャンルがあることをご存知だろうか?
なにを隠そう、これは今日「カントリー」と呼ばれている音楽の古称だ。つまりアメリカ最大最強の音楽ジャンルのことだ。この音楽の起源も、アパラチアの山中にある。
スコッチ・アイリッシュの特徴のひとつが「音楽好き」ということだった。旧世界から持ち込んできた音楽を、彼ら彼女らは日々演奏した。これが山の外へと伝わると、「アパラチアン音楽」や「マウンテン音楽」と呼ばれるようになる。1920年代、音楽業界がこれに「ヒルビリー音楽」という呼び名を与える。
が、前述のとおり「ヒルビリー」には蔑称に近い意味が含まれているので、第二次大戦後、「業界側から」さらに新たな名称が与えられることになる。これが「カントリー&ウェスタン」で、のちに短縮されて「カントリー」となった。ロックンロールが「ロック」と短縮型で呼ばれるようになった過程と、ここはほぼ同じだ。
このカントリー音楽、戦後すぐの時点から日本にも入ってきているのだが、ロックやジャズなどと比較すると広がりは小さい。
日本でもよく知られているカントリーのヒット曲は、ジョン・デンバーの「カントリー・ロード」(1971年)や、ドリー・パートンの「ジョリーン」(1973年)あたりだろうか。あとはハンク・ウィリアムズの「ジャンバラヤ」(1952年)ぐらいか。
しかしアメリカでは、音楽産業のなかで、とにかくこのカントリーが占める割合が大きい。「アメリカでだけ」とてつもなく売れて、他の国ではさほどでもない、というスーパースターが何人もいる。
その最たる例が、シンガー・ソングライターのガース・ブルックスだ。
アルバムの売り上げ単位で見た場合、ソロ歌手としてはアメリカの歴史上最強、エルヴィスにもマイケル・ジャクソンにも完全に勝っている。なんと1億3800万枚を「国内だけで(!)」売り切っている。彼の上にいるのは(グループだが)ビートルズだけだ。
また、いまをときめくメガヒット・アーティストのテイラー・スウィフトもカントリー出身だ。
公平な目で見た場合、ロックやR&B、ヒップホップ「ではない」音楽が占める割合が、アメリカの音楽産業にはとても大きく、その範囲を埋めているもののほとんどが「カントリー」だと言っていい。
そして、前述の「白い負け犬」とされるような人々の、日々の生活に、いや人生の全域に、つねに寄り添い、魂とともに浮かんでは沈んでいくものもまた当然、綺羅星のごときカントリー・ソングの数々だった。トラック運転手の孤独も、バーの女の心意気も、都会暮らしから故郷の大平原を思う気持ちも、みんなカントリーの歌になった。
であるから当然のこととして、カントリー界のスターには、今回、早い時点から堂々と「トランプ支持」を表明している人も多かった。とかく日本では、ショウビズ界はとにかくみんな反トランプだ、と報道されていたようなのだが、これは事実に反する。
日本では、こんなふうに言われていた、ようだ。アメリカの音楽業界では、トランプを応援している変人なんて、テッド・ニュージェントとキッド・ロックだけだ、と。ホワイト・トラッシュやレッドネック(これも田舎白人に対する蔑称)調のイメージが売りの、アウトローぶっている馬鹿なロッカーだけだ、と。
しかしそれは完全な間違いか、あるいはカントリーを知らないかの、どちらかだ。