落語・掛け算

山本弘

第1話



 毎度馬鹿馬鹿しいお笑いを一席。


 昔から「鉄は熱いうちに打て」と申します。何事も好機を逃してはいけない。スポーツでも学問でもそうですが、若いうちから鍛えておかないと、大人になってから学んでもなかなか効果が上がらない。子供には若いうちからしっかり勉強をさせておくのが大事でございます。

 もっとも、子供に何をどう教えるのかというのは、親としては大変に頭の痛い問題でございましてな。変な教え方をして子供が間違ったことを覚えたらえらいことになる。「水の入ったコップに『ありがとう』と書いた紙を貼るときれいな結晶ができる」なーんてことを子供に教えたら、正しい懐疑論者には育ちません。

 大人としては、子供が間違ったことを覚えないように、また、子供の学習への意欲を削がないように、注意する必要があるわけでして。

 さて、ここにおります太郎くん。幼い頃から大変に聡明でありまして、幼稚園の頃からすでに足し算引き算をマスターし、今は掛け算にチャレンジしているところ。壁に九九の表を貼って、毎日、それを見て熱心に暗記しております。


「お父っつぁん、お父っつぁん」

「何でえ、太郎」

「僕、すごいことを発見したよ。ほら、これ見てよ」

「おう、この九九の表がどうかしたのか」

「ほら、よく見て。2×3は6でしょ。で、3×2も6なんだよね」

「ほうほう」

「それだけじゃないんだよ。4×5は20でしょ。で、5×4も20。それに、6×9は54で、9×6も54なんだよ。ねえ、掛け算って、数字をひっくり返しても同じ答えになるんじゃないの?」

「おお、いいところに気がつきやがったな。その通りだ。“交換法則”って言ってな、足し算や掛け算じゃ、数字の順序を変えても答えは同じになるんだ。引き算や割り算じゃ、順序を変えると答えも変わっちまうが、足し算や掛け算じゃ、数字を並び変えてもいいんだ」

「へー、そうなんだ」

「しかし、その歳でこれに気がつくとはな。おい、太郎、お前、もしかして数学の天才じゃねえか?」

「へへ、照れるなあ。でも算数って面白いね。僕、算数がますます好きになっちゃった!」


 父親に褒められて、ますます学習への意欲を燃やした太郎くん、小学校に上がってからも、算数のテストでいつも満点を取っておりました。

 ところがある日、返ってきたテストを見てびっくり。自信のあった問題の答えにバツがついております。


「先生」

「何ですか、太郎くん」

「ここ、採点が間違ってます。僕は正しい答えを書いたのに、先生、バツをつけてます」

「どれどれ。問3ですね。『ウサギが3羽います。ウサギの耳は2本です。耳は全部で何本でしょう。式を書いて計算しなさい』……これがどうしたんですか?」

「僕、3×2=6って書いたのに、バツになってるんです」

「それはバツですね」

「ええ!?」

「正解は2×3=6です」

「3×2も2×3も同じでしょ?」

「何を言ってるんですか。3×2と2×3はぜんぜん違いますよ」

「ええ? だって、どっちも6でしょ?」

「答えは同じでも、3×2と2×3は違うんです。算数では、答えの単位になる数字を最初に書くことになってるんです。この場合、求めるのは耳の本数ですから、最初は2でなくてはなりません」

「でも、どういう順序でも、答えが同じなら、どっちでもいいんじゃ……?」

「『どっちでもいい』なんて言ってはいけません。これは規則なんです。偉い人が決めたことなんだから、従わなくてはいけません。みんなそれに従ってるんですから」

「だって……」

「いいですか、将来、あなたが大人になって、『1個100円のリンゴを50個買ったらいくらになりますか』という問題で、『50×100』なんて書いたら、みんなの笑いものになりますよ。『あいつは算数の規則も知らないバカだ』と後ろ指をさされて、社会で生きていけなくなるんですよ。それでもいいんですか!?」

「ええーっ!?」


 先生から叱られてしょげかえった太郎くん、何となく判然としない気持ちで家に帰ってまいりました。家ではお父さんが机に向かって何か仕事をしております。


「ただいま──お父っつぁん、何やってんだい?」

「これか? 請求書を書いてるんだ」

「請求書?」

「ああ。お父っつぁんの会社がお得意様に、これこれの製品を何個お納めしましたので、つきましてはこれだけの代金をお支払いください……って、こういう紙に書いて請求するんだ。

 ほら、左から順に『月日』『品名』『数量』『単価』『金額』『摘要』とあるだろ? 今回、お父っつぁんは3台の機械を取引先に納めた。単価は1台20000円。そこで『数量』は3、『単価』は20000と記入して、『金額』は3×20000で、60000円になるわけだな」

「お父っつぁん、それは違うよ」

「何が違うんでえ? 計算は合ってるだろ」

「答えの単位は『円』でしょ? だったら20000円の方を先にして、20000×3にしないといけないんだよ」

「3×20000も20000×3もいっしょだろ。そんなのどっちでもいいんだ」

「良くないよ! 書き直してよ!」

「直せって言われても、この請求書は文房具屋で買ってきたもんだからなあ。請求書ってのは元からこういう様式になってるんだ」

「うえーん、直してよお! 直さないと大変なことになっちゃうよお!」

「な、何だ、大変なことって?」

「お父っつぁんが笑いものになっちゃうよー! 『算数の規則も知らないバカだ』って後ろ指さされて、社会で生きていけなくなるんだよー! 僕、そんなのやだよー! うえーん!」

「そんなバカな! 掛け算の順序がどうだって、社会で笑われることなんかあるもんかい。いったいどこの誰がそんなドアホウなこと言いやがった?」

「うん。実は学校でね、かくかくしかじか」

「おう、落語ってのは便利だな。『かくかくしかじか』ってだけで事情が分かっちまわあ。

 しかし、2×3が正解だからって、3×2って書いたらバツにされただと? そんな理不尽な話があってたまるかい! 俺ァこれからちょっくら学校にねじこんでくらぁ」


「やい、先公! てめえか、算数のテストで、うちの太郎の正解にバツをつけた野郎は」

「むむ、モンスターペアレント襲来!」

「モンスターハンターでもモンスターコレクションでもねえよ。てめえの教育方針がおかしいから文句言いに来たんでえ」

「何がおかしいんですか?」

「自慢じゃねえがな、うちの太郎は幼稚園の時に、九九の表を見ていて、自力で交換法則を発見しやがったんだ。それがきっかけで算数に興味を持って、熱心に勉強するようになったんだ。それなのに、3×2が不正解で2×3が正解だあ? せっかく芽生えかけた子供の算数への興味を摘むようなまねをしやがって、子供の心を傷つけるとは許せねえ。何で3×2が不正解なのか、その理由をとっくり説明してもらおうじゃねえか!」

「やれやれ……あのですね、これは私が決めたんじゃなく、そういう風に指導するように決まってるんですから。子供に掛け算の概念を正しく教えるためには、何が何倍でいくつになるかってことをはっきりさせなくちゃいけない。だから答えの単位になる数字を先に書くという規則になってるんです。

 ウサギの耳の数を問う問題では、求めるのはウサギの耳の数の合計ですから、最初にウサギの耳の数、つまり2と書く。ね? 分かりやすいでしょ」

「いや、3×2だろうが2×3だろうが、答えは6だろうが」

「何を言うんですか!? 3×2なんて書いたら大変なことになりますよ! 耳が3本のウサギが2羽いることになるんですよ!」

「ならねえよ! 問題文にちゃんと『ウサギの耳は2本です』って書いてあるじゃねえか!」

「でも、世の中にはウサギの耳が2本だということを知らない人がいるかもしれないじゃないですか」

「いねーよ、そんな奴!」

「太郎くんが書いた3×2という式を見て、『ウサギの耳は3本』と思いこむ人がいたらどうするんですか!?」

「だからそんな奴、いねーって!」

「他の問題でもそうですよ。『10円硬貨が30枚でいくらになるでしょう』という問題に、30×10と書いたら大変なことになりますよ。『30円硬貨が10枚ある』と誤解する人がいたら、あなたどう責任を取る気ですか?」

「30円硬貨なんてねーよ!」

「『ジェット機が時速800キロで4時間飛んだら何キロ飛ぶでしょう』という問題に、4×800なんて書いたら、時速4キロで800時間飛ぶことになりますよ!」

「すごく遅いジェット機だなあ! 人が歩くぐらいの速さだよ。そのくせ滞空時間すごく長いし! 1ヶ月ぐらい飛んでんのかよ! どんだけでかい燃料タンクだよ!?」

「そういうおかしな誤解をする人がいるといけないから、正しく規則通りに式を書かなくてはいけないんですよ」

「だから、そんな誤解する奴いねーって。ありもしない仮定を元に論じるなよ」

「むむ、反抗的な人ですねえ。そんなに教育者に反抗するのが楽しいですか?」

「楽しいわけじゃあ……」

「あなたみたいな反体制派の親を持つと、子供は権威に反抗するようになるんですよ。きっと15歳になったら、盗んだバイクで走り出したりしますよ!」

「また懐かしいネタで来やがったな!」

「大学に入ったら、ゲバ棒持って安田講堂に立てこもったりするんですよ!」

「今時そんな学生もいねーよ!」

「あなた自分の子供が機動隊に催涙弾を撃ちこまれてもいいんですか!?」

「だから掛け算の順序が違うぐらいで催涙弾撃ちこまれたりしねーって!」

「とにかく、答えと同じ単位を頭に持ってくるっていうのは、規則なんですから。規則は絶対に守らなくちゃいけないんです」

「ふーん? てぇことは、『半径3センチの円の円周の長さは何センチですか?』という問題だと、どういう式になるんだ?」

「もちろん、長さを求めるんですから、長さである3が頭に来ますよ。3×2×3.14ですね」

「公式は2πrなのに?」

「何ですか2πrって! 子供にそんな間違った公式を教えちゃいけませんよ!」

「いやいや、高学年になったら習うだろ?」

「(大声で)それが間違ってるって言ってるんです!!」

「うわっ、びっくりした!」

「誰ですか、2πrなどというふざけた公式を子供に教えようとする奴は!? 規則からすると、長さの単位であるrが頭に来るに決まってるじゃないですか! r2πと書かなくちゃいけませんよ。2πrなんて答える子供がいたら、私はバツをつけますよ!」

「公式を書いたらバツ!?」

「当たり前ですよ。2πrなんて書いて、子供が『2センチがπr個ある』と誤解したらどうするんですか!?」

「何だよ、πr個って!?」

「そんな間違った公式を子供に教えて、子供の頭を混乱させようっていうんですか!?」

「いやいや、何も間違っちゃいねーから! 子供を混乱させてるのはあんただから!」

「嘆かわしいことです。世の中、そういう間違ったことだらけです。何ですか、あの『四畳半』というのは?」

「四畳半ダメなの!?」

「そもそも何で『四』と『半』が分かれてるんですか? おかしいじゃないですか。1畳の畳の4.5倍の面積ってことだから、『畳四・五』と正しく書かなくてはいけませんよ」

「じゃあ、『畳四・五襖の下張り』とか『畳四・五神話大系』とか書かなくちゃいけねえの?」

「当然ですよ。規則は守らなくちゃいけません」

「当然って言われても、昔から『四畳半』って言ってるし」

「誰が決めたんですか、そんなこと!?」

「知らねーよ!」

「怪しい! これはきっと、子供の頭を混乱させ、日本人を愚民化しようとするフリーメーソンの陰謀……」

「おいおい、怪しい話になってきやがったな」

「テレビ番組なんかのタイトルも見てごらんなさい。『Yes!プリキュア5』とか『アクマイザー3』とか『ワイルド7』とか。あれはワイルドな奴が7人いるから、ワイルドの7倍で『ワイルド7』なんですよ。理屈に合ってるでしょう? 『7ワイルド』なんて言わないじゃないですか」

「ふーん? だったら『三銃士』はどうなるんだ?」

「あれは間違ってます!」

「名作を否定した!?」

「いったい誰があんな頭の悪いタイトルを付けたんですか。銃士が三人なんだから、正しくは『銃士三』ですよ」

「銃士さん!? 何か呼びかけてるみてえだな」

「『三銃士』なんて書いたら、子供が『三が銃士個ある』と誤解するじゃないですか!」

「何だよ『銃士個』って!? もうわけ分かんねーよ!」

「他にも間違った名称は世の中に氾濫しています。『秘密戦隊ゴレンジャー』は『秘密戦隊レンジャーゴ』です。『太陽戦隊サンバルカン』は『太陽戦隊バルカンサン』です。『三大怪獣 地球最大の決戦』は『大怪獣三 地球最大の決戦』です」

「サンって名前の怪獣みてえだぞ」

「タイトルだけじゃありませんよ。『四天王』は本当は『天王四』でなくてはいけません。『八頭身』は『等身八』です。『千手観音』は『手千観音』、『十大ニュース』は『大ニュース十』、『世界の七不思議』は『世界の不思議七』、『七福神』は『福神七ふくじんしち』……」

「何か副腎皮質みてえだな」

「『一石二鳥』は『石一鳥二せきいちちょうに』、『五臓六腑』は『臓五腑六ぞうごぷろく』、『七転八倒』は『転七倒八てんしちとうはち』、『八面六臂』は『面八臂六めんはちぴろく』、……」

「もう日本語がめちゃくちゃだよ!」

「そうです! 日本語は改革しなくてはなりません。これからは『転七倒八』とか『面八臂六』と正しく言い換える運動を起こすべきです!」

「そんな運動いらねえよ! 改革というより日本語の破壊だろ!」

「創造の前には破壊がつきものです。古き世界を破壊しなければ、新しい世界は生まれない!」

「それ、アニメとかで悪のボスキャラがよく言うよなあ! だったら訊くが、体積の求め方はどうなる?」

「体積?」

「おうよ。たとえば『底面積が4平方cmで高さが5cmの角柱の体積を求めなさい』っていう問題の場合、4と5のどっちが先に来るんだ?」

「ええっと、答えの単位は立方cmだけど、底面は平方cmで、高さはcmだから……あれ?」

「どっちも立方cmじゃないわなあ」

「ええっと……そうだ! 積み木で考えてみればいいんですよ。1段4個の積み木を5段積み上げたと考えれば、4×5ですよ」

「でも、5段の積み木を横に4個並べたと考えてもいいよなあ?」

「ああ、そうか……」

「どうだ? あんたらの規則だと、底面積と高さとどっちが先に来るんだ?」

「うーん……その場合はどっちでもいいですね」

「だったらウサギの耳の問題だって、どっちが先だっていいだろ」

「だからそれは、ウサギの耳を3本と誤解する子供が……」

「それは角柱の体積の問題でも同じだろ? 5×4と書いたら、底面が5平方cmで高さが4cmと誤解する奴がいるかもしれねえだろ」

「それは数字の後に『cm』とか『cm2』とかちゃんと書けばいいんですよ」

「だったらウサギの耳の問題でも、2の後に『本』と付ければいいだけじゃねえのか?」

「あー……」

「あと、少し先の理科になるけど、『5ボルトの電圧で4アンペアの電流が流れた場合、電力は何ワットになりますか?』という問題の場合、ボルトとアンペア、どっちが先なんだ?」

「うーん……ボルト……アンペア……うーん、どっちもワットじゃない……」

「それにさっきの飛行機の移動距離の問題でも、時速の単位はkm/hであって、kmじゃねえぞ。正しくはこうだろ」


 800(km/h)×4(h)=3200(km)


「ほら、単位が変わっちまってるだろ? ウサギの耳の問題は、たまたま掛ける数字がウサギの数という無次元数だったから単位が変わらなかっただけで、世の中には距離とか質量とか時間とかの次元を含む掛け算が多いんだ。問題と答えで単位が変わることなんかしょっちゅうなんだよ。だから、あんたらの言う規則に従おうとしてもできねえんだ。子供がそういう問題にぶつかったら、『どっちの数字を先にしたらいいんだろう』って悩んじまうと思わねえのか?」

「だったら、すべての単位について順序を決めればいいんです。『ボルトはアンペアより先にする』とか『高さは底面積より先にする』とか『時速は時間より先にする』とか」

「ややこし! 世の中にどんだけたくさんの単位があると思ってんだ!? その順序を全部覚えなきゃいけないの?」

「でもそうしないと、子供に規則を守らせることができませんから」

「規則を守らせるための規則かよ!? だったら最初から規則なんか無い方が楽だろ!?」

「それは危険思想ですよ! あなたは法律を守らなくてもいいと思ってるんですか!? 子供が信号を無視して横断歩道を渡って、トラックにはねられたらどうするんです!?」

「これは法律の問題じゃねーから! 掛け算の順序が違っても、トラックにはねられたりしねーから!」

「頑固な人ですねえ」

「どっちがだよ! とにかくボルトとアンペア、どっちが先なんだ? 答えてみろよ」

「うーん……そうだ! 私にいい考えがある」

「どっかの総司令官みたいな台詞だな! それは絶対にいい考えじゃねえな。とにかく言ってみろ。聞いてやるから」

「電力の単位もボルトにすりゃあいいんですよ!」

「やっぱりいい考えじゃなかった!」

「ボルト×アンペア=ボルトにするんです。どうです、これでボルトが先になると分かるでしょう?」

「本末転倒だよ! おまけに式が根本的に間違ってるよ!」

「体積にしても、立方cmなんて単位はやめて、cmにすればいいんです。これで子供も混乱しないで済みますよ」

「かえって混乱するよ! だいたい、何でそんなどうでもいい細かい規則で子供を縛ろうとするんだ? 子供が不自由だろ」

「何を言ってるんですか。私たち大人だって不自由なことだらけですよ。わけの分からない規則がいっぱいあって、それに従わなくちゃいけない。『《原住民》は《先住民》と言い換えなくちゃいけない』とか、『教師は起立して君が代を歌わなくちゃいけない』とか」

「おいおい、危ない話になってきやがったな。そろそろオチにした方がよくねーか、この話?」

「だから子供も今のうちからいろんな不自由を体験させて、世の中のきびしさを教えるべきなんです」

「何ぃ? 子供のころから不自由で、大人になっても不自由で……それならいったいいつ、人間は自由になれるっていうんだい?」

「はい、掛け算だけに、死後に自由4×5 = 20になります」

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作者

山本弘 @hirorin015

 SF作家。処女長編は『ラプラスの魔』(角川文庫・1988)。2000年代以前は、『時の果てのフェブラリー』…もっと見る

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