治大国若烹小鮮 おがた林太郎ブログ

衆議院議員おがた林太郎(福岡9区)が、日々の思いを徒然なるままに書き綴ります。題は「大国を治むるは小鮮を烹るがごとし」と読みます。


テーマ:

 先週、「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する質問主意書」を提出しておりました。本日、閣議決定を経て答弁書が返ってきました。そのまま掲載します。あまりコメントは加えませんが、結構、画期的な事が書いてあるような気がします。


【質問】

風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律第二条第一項第四号において、風俗営業の一類型として「まあじやん屋、ぱちんこ屋その他設備を設けて客に射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業」と規定されている。

 

これを踏まえ、次の通り質問する。

 

一 まあじやん屋、ぱちんこ屋以外に何が含まれるか。

二 射幸心とは、何を意味するのか。

三 射幸心の「幸」には、直接的又は間接的に金銭的利益を得る幸せは含まれるか。

四 平成二十六年六月十八日の衆議院内閣委員会で、政府参考人が次のように答弁している。

「刑法上賭博等が犯罪とされておりますのは、賭博行為が、勤労その他の正当な原因によらず、単なる偶然の事情により財物を獲得しようと他人と相争うものであり、国民の射幸心を助長し、勤労の美風を害するばかりでなく、副次的な犯罪を誘発し、さらに国民経済の機能に重大な障害を与えるおそれがあることから、社会の風俗を害する行為として処罰することとされているものと承知しております。」

ここで言う「射幸心」とは、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律第二条第一項第四号の「射幸心」と同義か。

五 「そそる」の有無を判断する基準は何か。また、上記答弁の「助長」との違いは何か。

六 ぱちんこ屋で景品を得た後、その景品を金銭に交換している現実を政府として把握しているか。

七 風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律に規定されるぱちんこ屋は、刑法第二編第二十三章における罪の違法性を阻却する必要はないのか。

 

右質問する。

 

【答弁書】

一について

風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(昭和二十三年法律第百二十二号。以下「風営法」という。)第二条第一項第四号の「営業」には、御指摘の「まあじやん屋、ぱちんこ屋」のほかにアレンジボール遊技機、じやん球遊技機等を設置して客に遊技をさせる営業で、当該遊技の結果に応じ賞品を提供して営むもの等が含まれる。

 

二及び三について

風営法第二条第一項第四号の「射幸心」とは、偶然に財産的利益を得ようとする欲心をいう。

 

四及び五について

御指摘の答弁中の「射幸心」は、風営法第二条第一項第四号の「射幸心」について述べたものではなく、一般的な用語として用いたものである。また、同号の「射幸心をそそるおそれのある遊技」に該当するかは、当該遊技が偶然に財産的利益を得ようとする欲心を起こさせるおそれがあるか否かによって判断することとなる。すなわち、「射幸心を助長」するまでに至らないものであっても、「射幸心をそそるおそれのある」ものに該当し得ると考えられる。

 

六について

客がぱちんこ屋の営業者からその営業に関し賞品の提供を受けた後、ぱちんこ屋の営業者以外の第三者に当該賞品を売却することもあると承知している。

 

七について

ぱちんこ屋については、客の射幸心をそそるおそれがあることから、風営法に基づき必要な規制が行われているところであり、当該規制の範囲内で行われる営業については、刑法(明治四十年法律第四十五号)第百八十五条に規定する罪に該当しないと考えている。


テーマ:

 最近、あまり追っていないのですが、直感的に思っていることを書き残しておきます。ただ、私の読みはあまり当たりません。

 

 右派は、現時点ではサルコジ前大統領とジュペ元首相との間で候補者争いをしています。フィヨン元首相も名乗りを上げていますが、現時点では力が弱いです。トランプ的マッチョの要素を持つサルコジ元大統領と、かつてはテクノクラート臭さがあったものの最近は円熟味を増したジュペ元首相、さてどちらが選ばれるかですが、それぞれに弱点があるように思います。

 

 サルコジは右側に手を伸ばそうとすると、そこには極右国民戦線のマリーヌ・ル・ペンが居ます。政治的な立ち位置としてちょっと窮屈感があります。あまり過激な事を言うと、国民戦線と同一視されてしまいます。かと言って、今回は中道側に手を伸ばそうとするとジュペ元首相が居ます。逆に、ジュペ元首相は、20年以上前に首相を務めていることからさすがに古株感を醸し出しており、年齢的にも71歳というのは弱点でしょう。ただ、私は現時点ではジュペ元首相の方に若干の分があるように見えます。

 

 与党左派ですが、オランド大統領が2期目を目指すのかについてはフランス国内でも疑問視する声が強いです。国内的には、批判されているというよりも、既にバカにされている感があります。むしろ、今のヴァルス首相の方が良いのではないかという声が強いです。正直、オランド大統領ではマリーヌ・ル・ペンに第一回選挙で排除されてしまう可能性が極めて高いです。ヴァルス首相だったら大丈夫かと聞かれると自信はありませんが、若くて、エネルギーに満ち溢れ、かつ右派にも食い込める(党内最右派です)という事でより、オランド大統領よりは可能性が上がってきます。

 

 さて、国民戦線ですが、マリーヌ・ル・ペンが出てくるでしょう。フランス大統領選挙では、第一回投票では20%弱取れれば決選投票に行けますので、かなり可能性が高いです。2002年の大統領選挙では、第一回投票でシラク大統領と(父の)ジャン・マリー・ル・ペンが上位2位となりましたが、その再来があるのではないかと見られています。マリーヌ・ル・ペン的に最もやりやすい相手はサルコジです。仮に決選投票にサルコジとマリーヌ・ル・ペンが残る時、左派の支持者は、マリーヌ・ル・ペンを排除するためであってもサルコジには票を入れたくないと思うでしょう。一方、中道色のするジュペであれば「まあ、仕方ないか」という気になるはずです。

 

 さて、国民戦線の票の出方ですが、第一回投票で20%前後を叩き出す力が付いてきているように思います。2002年の時は、第一回投票と決選投票でジャン・マリー・ルペンが取った票は殆ど差がありませんでした。全く伸びなかったという事です。そういうトレンドは、昨年末の地方議会選挙でも同じでした。第一回投票で40%近く取った地方でも、結局、決選投票で全く伸びず、過半数まで行きませんでした。つまり、国民戦線に票を投じない人は、何があろうと(例:自分の支持している候補が第一回投票で落選した後の決選投票)票を投じないという事でした。

 

 簡単に纏めると、①国民戦線の地力は確実に上がっている、②ただ、決選投票において第一回投票からの上積みがない、これが「これまでの選挙」の中で明らかになっていると思います。さて、この②の状況が来年の大統領選挙でも続くのか、それとも、第一回投票では別の候補に投じたけど、決選投票ではマリーヌ・ル・ペンに入れようとするフランス国民がどの程度出てくるのか、という事が最も重要なテーマになります。

 

 私は「ある程度」そういう国民が出てきているように思います。決選投票で30%くらいまで行けるんじゃないかなと思っています。仮にサルコジが相手であれば、左派が棄権に回る可能性が高まるため、相対的にマリーヌ・ルペンの得票率が上がるという事もありうるかなと思っています。同じく、左派(オランド or ヴァルス)が残る時は、現時点で右派の中には「左派には投票しない」という強い意見もありますが、特に党内最右派のヴァルスである場合は、なんだかんだで右派支持者はヴァルスに投票する向きが強くなると思います。一番纏まりが良さそうに見えるのはジュペ元首相でして、決選投票で広く票を集めそうな感じがします。ジュペ元首相が勝つなら、その後の政権は左派の一部を取り込んだ連立になりそうな気がします。

 

 いずれにせよ、現時点でフランス大統領選挙でマリーヌ・ル・ペンが勝ち上がる可能性は現時点ではまずあり得ません。ただ、決選投票に上がってくる事は大いにあり得ると思います。2002年の時にジャン・マリー・ルペンが決選投票に残った時は「seisme politique(政治的激震)」と言われましたが、段々「(国民戦線の伸長に対する)慣れ」が出てくるのかなという感じがしています。この「慣れ」が怖いと思います。

 

 さて、これがどの程度国際政治に影響するかですが、あれこれ書いた割には大した結論になりませんが「誰が勝とうと大転換は無いだろう。」というふうに思います。

コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 日印原子力協定の、核実験に関する公文について、その法的ステータスについては、先のブログに書きました。これを読んだ多くの記者さんから照会がありました。

 

 その際に常にお話しているのですが、「この公文には影の主役が居ますよね。」と私は思います。それは「パキスタン」です。

 

 インドの2008年9月5日のムカルジー外相(当時)ステートメントで、自発的かつ一方的な核実験モラトリアムを宣言しています。私はそのモラトリアムが守られる事を信じたいと思います。しかし、一つだけ例外があります。それは「パキスタンが核実験をした時」です。その時は間違いなく、インドもやるでしょう。

 

 ただ、インドがどういう言い訳をするかは既に予想が付きます。恐らく「自分(インド)は今でもモラトリアムを遵守する意図を持っている。しかし、今回はパキスタンがやらかしたから、安全保障上の要請でうちも核実験をせざるを得なかった。自分に責がない話で、何故、日印原子力協定に基づく協力を止められ、それに対して補償を求めたら異議を唱えられなくてはならないのだ。非難されるべきはパキスタンではないか。」という説明が返ってくることは必定です。ビリー・ジョエルの曲ではありませんが「We didn't start the fire」という事です。

 

 「パキスタンが核実験をやらかした結果、インドも核実験をやった時、それはモラトリアムからの逸脱か。その時、この公文で日本が言い放っている協力停止、補償への異議申し立ては発動するのか。」、外交的にも、実務的にも、この公文の本質ではないかと思っています。国会でチャンスがあったら聞いてみたいポイントです。

 

 なお、この公文の構図については先のブログで説明したつもりですが、ちょっと分かりにくかったみたいです。簡単に言うと、私と奥様との間の会話で、私から「お小遣い上げてほしい。上げてくれないなら、仕事も辞めるし、家出する。それによって家計に穴が開いたとしても知らない。」と言い放ち、それに対して、奥様が「お小遣いのアップは昔、ルールを決めたでしょ。」と言い放つ、その会話をすべて記録に留めた、という事です。分かっていただけると思いますが、私の主張に奥様は何らの評価もしていませんし、お小遣い額についての合意もありません。

 

 という事で、出来るだけ分かりやすく説明させていただきました。

コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 題がちょっとショッキングですね。今日、安全保障委員会で質疑に立ちました(映像はココ)。一部、徹底的に役所の言葉遊びに付き合い、そして、それを詰めた部分があります。私が積極的に言葉遊びを展開したわけではありません。

 

● リスク論

 まずは、自衛隊の南スーダン派遣に対する「リスク論」。正直、何度話しても、政府側のリスク論は情緒的で、検証に耐え得るものではありません。私はリスクの定義である「危害の大きさ(hazard)」×「起こりやすさ(likelihood)」をベースに議論をしています。危害が大きくても、起こりやすさが低ければリスクは小さいでしょうし、逆も然りです。

 

 森羅万象には常に「危害の大きさ」があります。なので、当然駆け付け警護という業務に伴う「危害の大きさ」が出てきます。さすがに「起こりやすさ」がゼロという事はないので、オン・トップで乗ってくるリスクはあるはずです(ゼロで計算するのであれば新規リスクはゼロですが、それこそ安全神話です。)。それを否定することは出来ません。

 

 仮に稲田大臣答弁のように、共同防護のような業務をやる事で既存業務のリスクが低減するのなら、それでいいのです。駆け付け警護で新規に乗ってくるリスクと、既存業務のリスク低減を比較してみて、それで南スーダンPKO全体でリスクが下がるのなら、胸を張ってそう言えばいいのです。しかし、そうではなさそうでした。

 

 私が怖いのは、このリスク論を曖昧にしているところです。答弁を聞きながら、時折、情緒的なものを感じることがあります。先の大戦でのインパール作戦では、食料調達のリスクがありました。司令官であった牟田口中将は牛に運送をやらせて、牛がなくなったらそれを食するという「ジンギスカン作戦」という荒唐無稽な案を考え出し、食料調達のリスクを眼前から消し去りました。結果は御承知の通りです。それと同じレベルの事をやろうとしていると言うつもりは毛頭ないのですが、発想の根本において似たものを感じるのです。

 

 「リスクは高まる。しかし、しっかりと対応する。」、こういう姿勢を何故見せないのかと疑問でなりません。「一+一+一=三のような考え方は取っていない。」、それは私もそうです。だからといって、客観性をすべて反故にしていいわけではありません。

 

● 武力紛争と戦闘行為

 ここが「徹底的な言葉遊び」です。ただ、元々は私がやり始めた言葉遊びではありません。

 

 政府は「戦闘行為」の定義として「国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為」を採用しています。その結果として、南スーダンでは「キール大統領とマシャール元副大統領との戦いは国際的な武力紛争ではない。なので、戦闘行為は無い。なので、PKO五原則は崩れていない。」と言っています。これが端緒です。

 

 一方で、10月25日付の内閣官房、内閣府、外務省、防衛省による「派遣継続に関する基本的考え方」の6に以下のような記述があります。

 

「他方、PKO参加五原則については、憲法に合致した活動であることを担保するものである。この場合、議論すべきは、我が国における、法的な意味における「武力紛争」が発生しているか、であり、
具体的には「国家又は国家に準ずる組織の間で行われるものである戦闘行為」が発生しているかである。(これは憲法との関係であり、その意味において我が国独自の問題である。)」

 

 ここでは武力紛争の具体的な定義が「国家又は国家に準ずる組織の間で行われるものである戦闘行為」とされています。

 

 ここで上記の「戦闘行為」の定義を代入してみると、武力紛争の定義は「国家又は国家に準ずる組織の間で行われるものである、国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為」となり全く意味をなしません。簡潔に言うと「Aを説明する時にBという用語を使い、Bを説明する時にAという用語を使ってしまうと、全体として定義がループのようになってしまい、意味が分からなくなる。」という事です。

 

 「言葉遊び」に徹底的に付き合った結果として、政府の論理が崩壊しているでしょ、これだと意味が通じないでしょ、という事を聞いていたのですが、最後の最後まで稲田大臣は理解しませんでした。終いには、当方に「質問が混乱している」と言っていましたが、同僚議員は全員「聞かんとしていることはよく分かった。」と言っていました。自分が詰まったら人を誹謗中傷するのは止めた方がいいですね。

 

 「戦闘行為という言葉を使わずに、武力紛争を定義ありたい。」という質問主意書を出したいと思います。それはさすがに政府に課せられた義務でしょう。

 

● 戦闘行為

 上記の論理の流れだと、最後の最後は「What is 戦闘行為?」というのが分からなくなるのです。なので、私からは「では、戦闘行為の英訳は何か。」と問い質しました。予想通り、「combat」だと返ってきました。

 

 しかし、国連の文書等を見ていると、南スーダンの状況を説明するのに「combat」という表現は何度も出てきます。つまり、ここで明らかになるのは、日本の「戦闘行為」と国際社会の「combat」との間には乖離があるという事です。もっと言うと、日本は色々な事を正当化するために、「戦闘行為」という概念に国際的に通用しないものを詰め過ぎてしまっています。日本の概念はある意味ガラパゴス化しているという事です。

 

● 武力紛争

 上記の「戦闘行為」と同じです。「武力紛争」は英語では「armed conflict」です。しかし、国連安保理決議を始めとするありとあらゆる文書で、南スーダンの状況を説明するのに「armed conflict」は出てきます。

 

 「戦闘行為」の所では詰め切れませんでしたが、「武力紛争」の所では「英語で言うarmed conflictと、日本の法制度で言う『武力紛争』とは同一ではない。」という答弁が返ってきました。論理的にはそうならざるを得ないわけですが、そういうガラパゴス化は一度よく見直した方がいいと思います。

 

● 南スーダンの現状

 今年7月に生じた暴力(violence)に関する独立特別調査のサマリーを読んでみたら、色々と衝撃的な表現が出て来ます。
- 危機が生じた(crisis)
- 集中的な戦闘(intense fighting)
- 多くの民間人及び2名のPKO要員の死(death of many civilians, two peace keepers)
- 脆弱な和平合意の崩壊(collapse of the fragile peace agreement)
- 危機は無制限の暴力を首都にもたらした(crisis brought unrestrained violence)
- 戦闘員は破壊と苦悩の痕跡を残した(participating fighters left a trail of destruction and suffering in their wake)
- 国連要員、援助関係者、ローカル・スタッフは、武装兵に奪われ、打ちのめされ、レイプされ、殺された(UN personnel, aid workers and local staff were robbed, beaten, raped and killed by armed soldiers)

 

 これでも武力紛争は無いのかと聞いたら、稲田大臣は「マシャール派は系統だっておらず、支配地域もないので武力紛争は無い。」と答弁します。なので、私から「系統立たず、支配地域を持たない組織が引き起こす危機の度合いが極限まで上がっても、武力紛争は無いという事か。」と聞いたら、答えは「武力紛争ではない」という事でした。爾後、フォローとしてお役所に「大量虐殺が起きていても武力紛争は認定しないという事か。」と聞いたら、答えは「武力紛争ではない。」とのことでした。

 

 言葉遊びからスタートしていますが、我々が普通に解する言葉の意味と大きく異なる事は理解していただけると思います。

 

● 提案(最後にやりたかったこと)

 時間不足でやれませんでしたが、本当は最後に一つ提案をしたかったのです。それは、国連PKOの今後についてです。

 

 「国連PKOの将来」と題する国連事務総長報告において、国連PKOの任務の多用化や複雑化、対処すべき紛争の拡大や激化により、メンバー国の結束が揺らぎ、状況の変化に対処する事が困難になっているといった趣旨のことが言われています。国連の文書を読んでいると、there is little or no peace to keepといった状況での対処の困難性を述べるものもありました。国連のPKO部局の魂の叫びをそこに見て取りました。

 

 安保理非常任理事国はそろそろ終わりますが、日本が主導すべきは、何でもかんでもPKO任せにするのではなく、PKOのスコープをもう一度絞り込み、PKOで対応すべきもの、そうでないものを分ける作業を主導する事ではないかと思うのです。質疑で取り上げた色々な用語の矛盾も、無理に無理を重ねざるを得ないミッションが増えてきているからです。

 

 そういう改革を進めていけば、戦闘行為にしても、武力紛争にしても、通常の理解と大きく異なるような言葉遊びをしなくても済むようになるはずです。そういう思いを述べたかったのですが、時間配分を誤りました。

 

 読んでみて、「所詮言葉遊びじゃないか。」というご批判が多いと思います。その通りです。しかし、その言葉遊びの裏に色々な無理が潜んでいるという事を少しでもご理解いただければと思います。

コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 日印原子力協定が署名されました(日本語英文)。この協定には、インドが核実験を行った時の対応に関する公文(日本語英文)が別途あります。

 

 まず、法的な観点から言うと、公文の中身をよく読んでみると、法的拘束力を持つ国際約束ではありません。なので、憲法上、国会承認が必要な条約に当たりません。

 

 公文では、基本的には単に日本の認識を言い放っただけでして、それに対するインドのコメントは2008年9月5日のステートメントを再確認しただけです。このステートメントは多くの事を述べていますが、核実験との関係で言うと「自発的かつ一方的なモラトリアム(voluntary and unilateral moratorium)」です。インドは「日本側はあれこれ言っているけど、うちは昔から『モラトリアム』を言っている。それは今でも変わらない。」と言った、それだけです。

 

 条約マフィアの間では、こういうものは「国際約束」、「合意」とは呼びません。もっと言うと、日本の言う事に、インドは何らの賛意、同意を示しているわけではありません。

 

 ましてや、公文に署名したのは両国の外務省の部長(審議官)級です。原子力協定をインド外務次官と在インド日本大使間で署名したのと比較すると、少しランクが下がります。

 

(余計な事ですが、広島1区選出の岸田外相はこの協定にご本人が署名したくなかったでしょう。今回、インドのスワラージ外相がモディ首相に同行しなかったので、次官・大使間での署名になった事は、もしかしたらホッとしておられるかもしれません。)

 

 他方、日米原子力協定は異なります。

 

【日米原子力協定第12条】

1. いずれか一方の当事国政府が、この協定の効力発生後のいずれかの時点において、
(a) 第3条から第9条まで若しくは第11条の規定若しくは第14条に規定する仲裁裁判所の決定に従わない場合又は
(b) 機関との保障措置協定を終了させ若しくはこれに対する重大な違反をする場合には、

他方の当事国政府は、この協定の下でのその後の協力を停止し、この協定を終了させて、この協定に基づいて移転された資材、核物質、設備若しくは構成部分又はこれらの資材、核物質、設備若しくは構成部分の使用を通じて生産された特殊核分裂性物質のいずれの返還をも要求する権利を有する。

2. アメリカ合衆国がこの協定に基づいて移転された資材、核物質、設備若しくは構成部分又はこれらの資材,核物質、設備若しくは構成部分において使用され若しくはその使用を通じて生産された核物質を使用して核爆発装置を爆発させる場合には、日本国政府は、1に定める権利と同じ権利を有する。

3. 日本国政府が核爆発装置を爆発させる場合には、アメリカ合衆国政府は、1に定める権利と同じ権利を有する。

(以下略)

 

 これは国際約束を構成しています。厳格な意味での法的拘束力があります。

 

 色々な意味で困難な交渉だった事を窺わせます。 

コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 2本の質問主意書を出しました。前者については、過去の議論を踏まえれば答えは概ね分かっていますが、後者についてはさっぱり検討が付かない部分があります。

・賭博及び富くじに関する質問主意書
・風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する質問主意書

 最近、こういうテーマについて、かなり真剣に勉強しておりまして、その奥の深さと理屈の積み上げには感心しています。関心のある方は多いと思います。答弁書に期待したいと思います。

 

 なお、私の関心は「法的観点」のみです。遊技産業に対する特別の感情は一切ありません。ともすれば誤解されそうなので、そこは明確にしておきます。

コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

【以下はFBに書いたものを大幅に加筆修正したものです。】

 

 アメリカ大統領選挙がこういう事態になるとは予想していませんでした。そういう中、衆議院本会議でTPP協定及び関連法案が通過しました。協定については、国会を延長さえすれば憲法の規定により30日後には自動成立です(ただし、関連法案はそうではありません。そして、関連法案が成立しないと批准書の寄託はありません。自動成立ばかりを強調するマスコミには違和感を感じます。いずれにせよ参議院でも採決まで漕ぎ着けないといけないのです。)。

 

 ところで、今後のTPPについてですが、国会での議論を通じて、私がTPPについて「蓋」をしてきた将来的可能性が幾つかあります。広義での再交渉、見直しに当たるものを丁寧に「これはやりませんね。」と蓋をしてきました。TPP特委よりも前の、通常国会での衆議院内閣委員会での議論でかなり石原大臣と激しく議論した結果です。

 

【国際法】

●再交渉:これはTPP協定そのものの再交渉を指します。

●法的拘束力のない文書での新しいコミットメント:口上書、解釈了解、サイドレターといった法的拘束力のない文書で追加的なコミットメントをすることを指します。

●TPPとは法的には別物となる、新規の追加協定:別協定の交渉をして事実上、TPP+αを作ろうとする動きを指します。

 

【国内法】

●国内法の追加的改正:これはアメリカがよくやる手法でして、協定は変えないけど、それを実施するための国内法での追加的コミットメントを求めることを指します。

●政省令での対応:法律は変えないけども、政省令で何らかの対応をすることを指します。一番わかりやすいのは、畜産物の価格減少時の補てんを行う通称「マルキン」の補填率を8割から9割に上げることが予定されていますが、これは省令事項です。アメリカからの圧力でこの率を現状維持とするようなものをイメージしていただければと。

 

 これらの可能性については、すべて「やらない」という答弁を、私は政府から取り付けています。「そんなの簡単だろ。聞けば答えてくれるだろ?」と思う方もおられるでしょうが、かなり骨が折れました。石原大臣は一発では応えてくれなかったのです。当初、国内法の追加的改正には「想定されない」という答弁が用意されていたようで、そればかり言うので、「想定されるから聞いているのです。」と何度も詰め寄って、最終的に「やらない」という答弁になりました。

 

 しかし、遠からず、トランプ大統領による「再交渉」要求が出てくるのではないかなという気がするのです。というのも、例えば、既に発行している日豪EPAでオージービーフの価格が下がります。冷凍については、最終的(15年後)に38.5%→19.5%、冷蔵については38.5%→23.5%まで下がります。しかも、この削減は1年目でガンッと下がり、その後徐々に下がってこの水準ですので、即効性があります。TPPではこれよりも下げ幅が大きく、9%まで下がる予定でしたが、これが反故になるとアメリカンビーフが日本市場で明らかに売れなくなっていきます。アメリカの牛肉生産者からすると、BSEで失った日本市場シェアをようやく取り戻したのにまた、手から溢れていくという印象でしょう。

 

 トランプ新大統領はそれを知らないはずです。早晩、テキサスの牛肉業界から突き上げられるでしょう。普通に考えると、そこでトランプ新大統領が口にするのは「再交渉」です。牛肉だけの交渉などそもそも成立しないでしょうから、やはり包括的な「再交渉」を言ってくると思うのです。

 

 当初はもしかしたら「アメリカだけ9%に下げろ」と言ってくるかもしれませんが、GATTにおける最恵国待遇の原則に反します。最恵国待遇の例外を構成するのは、GATT24条における自由貿易協定でしかありません。なので、これは国内法のみでは対応できず、アメリカンビーフに対して関税を下げたければ、GATT24条の自由貿易協定に依拠せざるを得ません。

 

 ここで心配なのは、安倍総理による第二の「新しい判断」が来そうなことです(つまり、上記の蓋を開け始めるという可能性。)。一度前例があるだけにとても気になります。これは絶対にダメです。そういう判断をしないよう、しつこく、しつこく我々野党も政府に圧力を掛けていかなくてはなりません。

 

 まずは、「トランプ大統領に何を言われても、絶対に上記の蓋を開けない。『新しい判断』を絶対にやらない。」という国家的なコンセンサスを作り上げていく事が必要です。その上で、私がもう一つ提案したいのは、「EUとの自由貿易協定を年内に纏める。そして、来年さっさと国会を通して発効させる。」という事です。

 

 元々、EUとの交渉は佳境に入って来ています。先日、関係者と話しましたが良い所まで来ていそうです。来年になると、フランスの大統領選挙・国民議会選挙、ドイツの連邦議会選挙等、政治の季節に入ってきます。そこでのコミットメントが難しくなる以上、単にEUとの関係でも今年中に纏めるのが賢明です。

 

 それだけではないのです。EUとの間で交渉を纏めて発効させると、アメリカへの圧力になるのです。農産品で言うと、まずは豚肉でしょう。主たる産地はデンマークです。仮にTPP並みの削減をEUに約束するとしましょう。高級豚肉は関税ゼロですし、低価格帯ものもかなり下がります(制度が難しいので、具体的に言いにくいのですが。)。放置していれば、アメリカ産豚肉はデンマーク産に駆逐されていくでしょう。


 EUとのEPAが纏まると、これまでの豪州とのEPAと相まって、畜産業でもの凄い圧力がアメリカに掛かるという事なんですね。他分野でも同じような例はかなりあります。日本はそれに悶えるアメリカを静かに見ていればいいのです。

 

 ただ、一つ気になる事があります。私の経験からして、EUとの自由貿易交渉というのは、TPPと同じくらいの政治的なコミットメントが必要なはずなのです。EUとやるのと、アメリカとやるのでは、最低でも同じくらいのエネルギーが必要です。

 

 実を言うと、EUとやる時はEUという主体とだけ交渉すればいいのではありません。貿易についてはEUに権限が集約されていますが、例えば、投資分野ではEUに権限が集約されていません。なので、そこは各加盟国がうるさい事を行ってきます。最近、EUとカナダのEPA交渉の最終局面で、ベルギーのワロン地域議会が反対した事で大揉めに揉めた事がありました。ベルギーという国の議会ではないのです、ワロン地域の議会です(あの国は諸事情から地方分権が究極まで進んでいるので。)。関係する主体が多いだけに、それだけ大変なのです。

 

 何が言いたいかというと、対EU交渉専任の国務大臣置いた方がいいんじゃないかな、ということですね。まだ、交渉すべきテーマは残っており、その中には政治の判断が必要な大玉が幾つかあります。

 

 長々と書きました。衆議院の審議では、こういう事もやりたかったんですけどね。

コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 TPPの審議で大きなテーマとなった、SBS米の価格偽装問題ですが、私なりの思いを少し書いておきます。経済学的な視点から書きますので、ちょっと小難しいです。これまであまり議論にならなかった視点からの分析です。

 

 まず、SBS米の輸入についてですが、マークアップというお金を取ります。これは何かと言うと、国産米と輸入米の価格差を調整するための課徴金です。「政府による中抜き」と理解していただいて結構です。まず、商社が外国からコメを買い付けます。そして、政府に一旦それを買い取ってもらいます。そして、マークアップ分を付加して、卸業者に売り渡します。

 

 この政府予定買取り価格と政府予定売渡し価格には、それぞれ上限と下限があります。なので、一定の金額のマークアップが必ず取れる事になります。私が作成したかなり簡潔化した図の左側を見てください。なお、私の図で「実際の仕入れ価格」というのは、正確には「仕入れ+(商社の正当な)利益+諸経費」を指します。

 

 そして、ここで何が問題かというと、予定買取り価格の上限と「仕入れ+(商社の正当な)利益+諸経費」との間に隙間があるという事です。ここに経済学で言うところの不労所得、レントが生じています。分かりやすく言うと「濡れ手に粟」が生じる仕組みになっています。

 

 この「濡れ手に粟」をどう使ったか、これが今回の問題の本質です。それが私の図で言うところの右側(赤の部分)のように使われたら、輸入米の価格引き下げに繋がります。これが「調整金」です。

 

 ただ、どうも調べてみると、この「濡れ手に粟」の使い道は「調整金」だけではなさそうです。農水省の調査結果にもある通り「様々な使われ方」をしています。輸入米価格の引き下げのみならず、場合によっては商社に正に「濡れ手に粟」で残っているかもしれませんし、商社と卸で分け合っているかもしれませんし、様々な可能性があります。その一つが「調整金」というだけです。

 

 しかし、よく考えてみたいと思います。問題の本質は「濡れ手に粟」が生じている事にあります。そして、その「濡れ手に粟」は誰の負担でしょうか。仮に政府予定買入れ価格を引き下げれば、その分だけマークアップがたくさん取れます。「仕入れ+(商社の正当な)利益+諸経費」よりちょっと高い所に、政府予定買取り価格を設定すれば、今、「濡れ手に粟」になっている部分をすべてマークアップで徴収可能という事になります。

 

 さて、政府が徴収した「マークアップ」は何に使われているかという事になります。これは米麦の輸入に伴う様々な経費を賄う事にしています。食料安定供給特別会計の食糧管理勘定というところに入ります。ただ、この食糧管理勘定は輸入米に伴う様々な経費(保管費)等で赤字を出しています。そして、一般会計から毎年1000億円繰り入れています(税による赤字補填)。

 

 ここで明らかになる事があります。調整金に使われ得る「濡れ手に粟」は国民負担なのです。マークアップですべて取ってしまえば、一般会計からの繰入(特別会計の赤字補填)が下がるはずなのです。ここがポイントです。国民負担によって、商社が濡れ手に粟を手に入れ、それを様々なやり方で使っている、これが現状です。考え方によっては、「調整金」としてSBS米を価格を安く国内に流通させるための原資としているのは、まだ、国民負担を国民に還元しているだけマシとすら言えます。そうでなく、誰かがポケットに入れているケースですら大いにあるわけです。

 

 そうすると、普通に考えるのは「ならば、おまえの言うように『政府予定買取り価格引き下げ』をやればいいではないか。そうすれば、『濡れ手に粟』は出なくなり、物事はすべて解決する。」という事でしょう。しかし、今回の調査結果としての農水省の結論は違います。単に「輸入業者(商社)及び買受業者(卸)との間で金銭のやりとりを行ってはならない。」という新しい規制を盛り込むだけです。

 

 これですと、「濡れ手に粟」は残ります。その扱いについて、極めて部分的に取引規制をするだけです。これですと、また、第二の、第三の「調整金疑惑」は出てくるでしょう。そんな知恵は少し考えれば、幾らでも出て来ます。そして、農水省として「(国民負担による)濡れ手に粟」は残す、と判断したという事になります。

 

 経済学的には、様々な制度を導入すると、マーケットメカニズムに依らない部分に「濡れ手に粟」が出て来ます。普通の制度であれば、それを予期して、「濡れ手に粟」の配分方法を盛り込むとか、「濡れ手に粟」を政府が吸収するとか、色々な措置が取られますが、現行の食糧法ではそれが放置されています。

 

 邪推なのかもしれませんが、この「濡れ手に粟」の部分を残さないと、SBS輸入の制度が回らないのではないかと思います。私は意図的な放置だと思います。

 

 纏めとして少し難しく言うと、「食糧法上、レントが生じる事を許容しているし、今回の調査結果を踏まえても放置することにした。なので、そのレントを巡って分捕り合いが生じる。その一つのスタイルが『調整金』による輸入米の価格引き下げである。」ということです。

 

 小難しくてすいません。

コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 昨日、内閣委員会で宇宙関係2法の質疑に立ちました。「人工衛星等の打上げ及び人工衛星の管理に関する法律案」「衛星リモートセンシング記録の適正な取扱いの確保に関する法律案」の2法案です。担当大臣は鶴保大臣です。

 

 1時間の質疑時間の中、最初の所で「そもそも、宇宙とは何ぞや」という極めて単純かつ本質的な質問をしました。映像はココです。実はこれは深遠な議論がありまして、これだけで国際法の本が幾つもあります。私も質疑に際して、外務公務員採用一種試験の際勉強した山本草二教授の本などを少しひっくり返して勉強しました。

 

 学術的には、領空の上限としてカーマン・ラインというものがあり、このラインは上空100キロで設定されています。また、国会でも昔、議論になったことがあり、政府委員は以下のような答弁をしております。ここでも同じように100キロ前後の数字が出てきます。

 

【参議院内閣委員会(昭和61年11月27日)】

○政府委員(斉藤邦彦君) (略)この辺で境界を引こうという国際的な議論が行われておりますのは、先ほど申し上げましたとおり、まだ合意がございませんけれども、大体上空九十キロとかあるいは百十キロとか、そういうところが討議の中心になっているようでございます。したがいまして、メートルで申しますと十万メートルでございましょうか、そのぐらいの高さのところで引くというのが大体のアイデアのようでございます。

 

 そういう認識なのかと聞いたところ、武井外務政務官からは上記答弁と比べても少し下がった答弁が返ってきました。具体的な数字は全く述べておりません。昭和61年から現在までの間で技術の発展もあり、100キロ以上は主権下になく、宇宙条約上、自由に使っていいとされることへの危惧があるのかなと思いました。

 

 私からは、更に「考え方として、領空―位置づけが判明しない空域―宇宙の三層構造なのか、領空―宇宙の二層構造なのだが、その境目が判明しないという事なのか。どちらか。」と聞いてみたのですが、ここも明確なお答えはありませんでした。

 

 こうやって宇宙と領空の切り分けの議論をしていくと、次の疑問が出てきます。「弾道ミサイル」です。弾道ミサイルへの破壊命令については、自衛隊法に以下の通り書いてあります。

 

【自衛隊法(弾道ミサイル等に対する破壊措置)】

第八十二条の三  防衛大臣は、弾道ミサイル等(略)が我が国に飛来するおそれがあり、その落下による我が国領域における人命又は財産に対する被害を防止するため必要があると認めるときは、内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊の部隊に対し、我が国に向けて現に飛来する弾道ミサイル等を我が国領域又は公海(海洋法に関する国際連合条約に規定する排他的経済水域を含む。)の上空において破壊する措置をとるべき旨を命ずることができる。

 

 読んでいただくと分かりますが、ここには(宇宙概念に対置される)領空概念は出てきません。「上空」という、そもそもどう定義するのかが難しい用語になっています。

 

 私は「領空内を弾道ミサイルが飛んでいく際は、仮にそれが我が国に飛来するかどうかとか、我が国領域における人命又は財産に対する被害があるかどうかとかに関係なく、そもそも主権が侵害されているのではないか。」と質問しました。

 

 小林防衛政務官からは、法文とこれまでの解釈をそのままご説明いただきました。なかなか難しいところなのだなということはよく分かりました。たしかに我が国への武力行使には当たらないかもしれませんが、位置付け的には「ゴミ」のようなものなので、威力のあるゴミが主権のある地域を飛んでいけばそれを排除することは別に禁じられているわけではないでしょう。逆に高度が非常に上がる時、どの程度の高さなら主権侵害に当たらないのかという話にもなるでしょう。

 

 「宇宙とは何ぞや」と聞くと、「何をアホな質問をしているのだ。」と思う方もおられると思いますが、意外に深遠な議論があるのです。与野党を問わず、非常にご好評な質疑でした。

コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 10月21日の内閣委員会の最後20分程度、丸川珠代サイバーセキュリティ担当相(と宮澤防衛大臣政務官)に、サイバーセキュリティと自衛権の関係について質問しました(ココ)。何故か、これも与党議員に好評でした。

 

 まず、導入として、丸川大臣に「担当」を聞いています。丸川大臣は、先の予算委員会で自身の担当について「サイバーを含むセキュリティ、運送面、気運の醸成」と答弁しました。しかし、オリ・パラ法において同大臣は「内閣総理大臣の命を受けて、大会の円滑な準備及び運営に関する施策の総合的かつ集中的な推進に関し内閣総理大臣を助けることをその職務とする国務大臣」 と位置付けられています。

 

 私の質問は、「内閣総理大臣の命を受けて、大会の円滑な準備及び運営に関する施策の総合的かつ集中的な推進に関し内閣総理大臣を助けることをその職務とする国務大臣」マイナス「サイバーを含むセキュリティ、運送面、気運の醸成」の中に入るものは何か、と聞いています。今、オリ・パラ相としての存在感が極めて薄い同大臣としての気概を聞きたかったのですが、「CIQの強化と感染症対策」というものが追加的にあるという答弁でした。ちょっと意地悪く言うと、「サイバーを含むセキュリティ、運送面、気運の醸成」プラス「CIQの強化と感染症対策」なのか、という事になります。どうも、丸川大臣の認識はオリ・パラ法に書いてある所掌とはかなり差があるように思えてなりません。

 

 まあ、そんな質疑は続けても意味がないので、主題である「サイバーセキュリティと自衛権」について質疑を移りました。政府は、一般論として「武力攻撃の一環としてサイバー攻撃が行われた場合には、自衛権を発動して対処することは可能と考えられる。」と述べてきています。


 ここで、「武力攻撃の一環として」という言葉について色々な疑問が湧いてきます。私の問題意識は以下のようなものです。

 

● サイバー攻撃自体が武力攻撃に該当すると考えているのか。

● サイバー攻撃のみが行われる場合も「武力攻撃の一環として」に入るか。

→ これらについては、まだ、議論が百花繚乱で決めきれていない、という答弁でした。ただ、そうすると、同じサイバー攻撃でも物理的な武力攻撃と相俟って行われる場合は武力攻撃と見なされ、単体で行われる場合にはそうでないという変な結論すらあり得るわけです。ここは「全体として判断」という事でした。
● サイバー攻撃の主体が国家ではなく、武力攻撃が起こり、その一環として民間主体がサイバー攻撃を行う場合はどうか。

→ これは個別具体的な判断という事でした。
● サイバー攻撃の対象が、国家や政府機関ではない企業や事業体である場合も、「一環として」と考え得るか。

→ これは、私は「当然考え得る」という答弁であるべきだと思いますが、ここですら「個別具体的な判断」という事でした。違和感がありました。

 

 また、「自衛権を発動して」についても質問しています。自衛権発動については、既存のPower Projection Capabilitiesの考え方が根幹から変わるという事が重要です。例えば、ミサイル等での武力攻撃が今にも起ころうとしている場合、策源地攻撃は、従来から(安保法制改正前であっても)個別的自衛権で整理可能でした。ただ、現在、日本の自衛隊はそういう攻撃能力を十分に有していないので策源地攻撃は必ずしも現実的ではありません。

 

 しかし、サイバー攻撃については、策源地攻撃が可能なのです。なので、例えば、個別的自衛権の行使として、日本にミサイルを発射する直前の基地をサイバー攻撃する事は可能かと質問しました。これは自衛権の解釈のあり方なので、別に「こちらの手の内を明かす」ということにならないと思いますが、何から何まで「お答えを差し控える」でした。これくらい「やり得る」と答えても問題ないと思うのですが。

 

 最後に、サイバーセキュリティについては、どうも現場で実務に携わっている方々と、安保法制を担当している方々との間に距離があるように思えるので、そのインターフェースを作っていくべきではないかと指摘しました。この程度の質問には「そうですね、引き続き頑張ります。」と受け流しておけばいいのに、ポイントの外れた反論をしていました。あれは性格なんですかね...。

 

 丸川大臣に対する違和感と、防衛省答弁の雑さが印象に残った質疑でした。

コメント(0)  |  リブログ(0)

Ameba芸能人・有名人ブログ

芸能ブログニュース

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。