前記事(「できれば避けたい「激痛」の死に方」gendai.ismedia.jp/articles/-/50216)で見た脳卒中や心筋梗塞の場合、激痛を伴って死は突然訪れる。家族や友人に暇を告げる間もなく死んでしまうのは、心残りも多いだろうが、苦しむ時間はあくまで短時間。家族や周囲に負担をかけることもないので、気が重くはない逝き方かもしれない。
だが、脳卒中から生還したものの、重篤な麻痺が残り、半身の自由が利かないまま緩慢な死を迎えるケースもある。
「夫は72歳で脳出血で倒れました。一命は取り留めたものの、体を動かすことができず、寝たきりになってしまいました。目だけは動くものの、食事はできず、水も飲めない。以後2年間、要介護5の状態です。
栄養はお腹に作った胃瘻を通して摂っています。口から食べるリハビリなどもしましたが、回復しません。それでも意識は、はっきりしているようなので本人もつらそうです。
当然、介護する側もつらい。考えてはいけないと思いながらも、『本当はあのとき、主人は天に召されるべきだったのに、無理に引き戻してしまった』と感じることもあります」(埼玉県在住の女性、70歳)
意識があるにもかかわらず、食べる飲む、排泄するといった基本的な行為を自分で行うことができなくなってしまうことは、想像以上につらいものだ。ホームオン・クリニックつくば院長の平野国美氏が語る。
「高齢の患者さんと話していると、『死ぬこと自体はそれほど怖くない』という人が多い。悩みとしては、死に至るまでの過程が苦しくないか不安だというもの。
痛い病気というと、がんやがんの骨転移がよく挙がりますが、終末期の患者を診ている医者からすれば、『痛み』よりも『意識がしっかりしながら病を抱えること』のほうがつらいと思います」
医師で作家の米山公啓氏も同じ意見だ。
「実際の臨床では、死ぬ時の痛みはそれほど問題になることはありません。かなりの程度、ペイン・コントロールができるからです。それよりも寝たきりの状態が長く続き、介護期間が延びるほうが、精神的な苦痛が大きい」
前出の脳梗塞のように、急な病気で寝たきりになる場合もあるが、80代、90代になって体力的にも衰えているのに、無理な延命治療が行われる場合もある。
「日本人は、『食べる』ことにこだわりがあり過ぎるのでしょうか。がんであれ、老衰であれ、脳梗塞の後遺症であれ、最終的には食べられなくなって亡くなるのが自然なのに、無理矢理に高カロリーの輸液を点滴したり、適応を認められない患者にも胃瘻を作って長生きさせようとします。
患者が食欲を失っているのに、家族が良かれと思って食べさせて、のどに詰まって苦しい最期を迎える患者さんもよくいます」(平野氏)
「老衰しているのに、診療報酬目的で不必要な医療を施す医療者につかまって、逃げられないケースもある」(医療コーディネーター)
終末期の医療に詳しい石飛幸三氏が語る。
「治る見込みのない病気であっても、家族や親族が『どうしても治療を受けさせたい』といって病院に連れて行く。そして胃瘻をつけられて、そのまま最期を迎えるという方は本当に気の毒です。
生き物なのですから、人の身体はいずれ朽ちて消えていくものです。そのことを忘れて、『医療がわれわれを生かしてくれる、死なないためにはなにかをしなければならない』と、無理に医療に頼ろうとすることが苦しみを増しているのです」
延命治療が発達した現代において、老衰で死を迎えるのは、そう簡単なことではない。だが、本誌のアンケートでは、大半の医師が理想の死に方として「老衰」を上げた(医者が明かす「痛い死に方ランキング」ワースト50 gendai.ismedia.jp/articles/-/50215)。
実際のところ、戦後、老衰で亡くなる人は減り続けていたが、'00年(2万1213人)で底を打った後は右肩上がりで、'15年には8万人以上が老衰死している。これは、日本人の死生観に変化が訪れている証拠だ。