不確実な未来を「計算」する――社会保障の背後にある見えない方程式

社会保障と聞いて、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか。年金、医療、介護……いずれも今の自分には関係ないと思うかもしれません。しかし未来は「不確実」なものだからこそ、大学生のうちに社会保障を勉強する価値があるのだそうです。

 

明治大学4年生の私、白石が今までずっと気になっていた先生方にお話を聞きにいく、短期集中連載「高校生のための教養入門」特別編の第1弾。安定した学生生活から一転、卒業後に待ち構えている複雑な未来に対して、私たちはいったいどのように向き合っていけばいいのでしょうか。明治大学政治経済学部の加藤久和先生にお聞きしました。(聞き手・構成/白石圭)

 

 

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何のために、お金を取られないといけないのか

 

――最初に、先生のご専門である社会保障論について教えてください。

 

いきなりですが、社会保障論と言っても定まった定義がないんですよね。たとえば経済学にはミクロ経済学とマクロ経済学というのがあって、どちらも教科書の内容は決まっているんですが、社会保障論は時代に応じて内容が変わってきます。年金や医療、介護はもちろんのこと、最近では子育て支援や少子化問題も社会保障論に含まれています。

 

社会保障論への接近方法は大きく分けて2つあります。法律から接近する社会保障と、経済学から接近する社会保障です。前者は社会保障法を中心に学びます。僕はもともと経済学から出発した人間なので、経済学の立場から社会保障論を研究しています。年金や医療、介護の問題を、財政や人口の問題と絡めて実証分析をやってきました。

 

 

――大学の社会保障論の授業ではどのようなことを教えているのでしょうか?

 

基本的には制度の紹介だけでなく、制度の裏にある理論的な背景を話すことを心がけています。たとえば政府はなぜ年金を用意しないといけないか。学生の皆さんは、そもそも「今お金を支払ってあとでもらうことに何の意味があるのか」と考えますよね。将来自分で老後の生活を支えていくときに一番頼りになるのは、自分で貯金をすることです。だから年金なんて必要ないと思われるかもしれません。でも自分で貯金して自分の老後を支えるのは、近視眼的な人間はそう簡単にはできない。考えてみてください、学生のみなさんが老後の生活設計を想像できますか?

 

 

――難しいと思います。

 

できないですよね。僕も学生の頃はそんな先のことはまったく考えていませんでした。それにもし計画的にお金を貯金していったとしても、それを失うことはあります。たとえば外国で政治的な問題が発生し、それが原因で株式市場が大混乱することがあります。また、過度なインフレーションが起きてお金の価値が下がってしまうこともあります。

 

自分から遠く離れたところで、自分の意志とは無関係に起きた出来事が、こうして自分の人生を左右してしまうことがあるわけです。一言でいえば、将来は不確実なんですね。だから、そんな不確実な老後の生活を守るために、お互いが助け合って年金という仕組みを維持しようというわけです。

 

 

――年金は不確実な未来を安定させるためにあるのですね。

 

もう一つ理由があります。それは、「モラルハザード」の回避です。「老後に貧しくなっても、きっと政府が助けてくれるだろう」という考えで、若い頃から好き放題にお金を使い続ける人がいるとしましょう。実際、日本ではそうした人を放っておいてはいけないので、税金を使って生活保護としてその人を救済します。1人や2人だったら政府も支えられます。

 

しかし、「それなら自分も政府に甘えよう」と思う人が増えたらどうなるでしょうか。何百万人という規模で、政府が支えなければならなくなったら? 相当な負担ですよね。これがモラルハザードです。そうなると財政的にも不可能なので、政府は年金という仕組みをつくり、強制的に貯蓄をさせているわけです。ですので学生の皆さんでも、20歳の誕生日に政府からバースデーカードが届くわけです。「国民年金のお知らせ」という名のね(笑)。

 

 

――モラルハザードを起こさないためには、政府による管理が必要ということですね。

 

そうですね。ところで今の年金制度には大きな問題があります。年金は今の若者が、今の高齢者のために支払っています。こうした財政方式を賦課方式といいます。しかしご存知の通り、日本では少子高齢化が進行しているため、若者の負担が増える一方なんですね。今後も子どもの数は減るので、相対的に若者が支えるべき高齢世代の人口は増えていきます。今の若者は、今の高齢者が昔払っていたよりも多くのお金を払わなければならない。ですので、ある世代が上の世代を支えるという仕組みは限界が来ているのです。

 

そこで応急処置的に、国民年金の半分は税金を使って支払われています。その中心が消費税で、消費税は若い人だけではなく全世代の人が支払いますから、少しは不平等が均されます。そういったことがどうなっているのかというのも社会保障論の扱う問題です。

 

 

――年金以外にどのような分野がありますか。

 

医療というのも社会保障の一つですね。これも、民間の保険会社だけに任せているとなかなかうまくいきません。なぜなら「情報の非対称性」があるからです。医療保険というのは、誰かが病気になったときのために、みんなでお金を出し合って助け合おうという仕組みですね。ですので医療保険というのは、病気がちな人には、健康な人が払ったお金を支給して医療を受けられるようにする仕組みです。

 

だから、たとえば自分が遺伝的に病気のリスクをもっている人は、保険を受けることに大きなメリットがあります。しかしそれは裏を返せば、健康に自信のある人は医療保険になかなか入ってくれないということでもあるんですね。病気がちな人にお金を渡すだけでメリットを得られないですから。

 

保険会社としては、できれば健康な人に加入してほしいわけです。しかし実際にはそうはいかない。なぜならお客さんがどれだけ病気のリスクをもっているか、保険会社には完全にはわからないからです。その一方で、お客さんは自分にどの程度病気のリスクがあるのかを医療保険会社よりも知っている。これが情報の非対称性です。情報が非対称な市場では、保険を必要とする人だけが加入することになり、保険会社は保険金を支払うのが難しくなります。

 

 

――それでは保険が成り立ちませんね。

 

そうです。だから政府が国民を強制的に医療保険に加入させているわけです。それに、どんなに自分は健康だといっても、将来病気になる可能性はゼロではない。政府としては、健康だと思っていた人が保険に入らず、突然病気になったとして、その人を「自己責任だ」と見放す訳にはいきません。政府はそのために社会保険制度をつくっているんです。

 

年金も医療保険も、当然ですがお金が必要です。そこで経済学が関わってくるんですね。いくら国民から集めて、どのように国民に還元するか。そういうところは僕のような経済学者が分析しなければなりません。

 

制度だけ理解するのは本を読めばできます。でも大学ではそこから一歩進んで、なぜその制度が必要なのか、どうしてできたのか、経済学的にどう考えるのかというところまで勉強します。だから社会保障と経済学は密接な関係にあるんですね。

 

 

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500本の方程式を一度に解く?

 

――分析というのは、どのようなデータを集めて、どのように計算しているのでしょうか?

 

マクロ経済全体のデータや財政、社会保障のデータが必要です。マクロ経済というのは、所得や人口など。財政というのは、税金がどれだけ入ってくるのか、地方と中央政府、民間と中央政府の間のお金のやり取りのデータです。そうしたデータからモデルを構築し、マクロ経済や財政などの動向を描きます。

 

たとえば消費税を3%上げたらどのぐらい景気が変化するのかとか、年金の支給額を70歳からにしたらどのぐらい負担が減るのかなどの分析をしています。最近では、民間シンクタンクである東京財団が、年齢別の支出をもとに、将来の社会保障財政の動向などを予測しています。さらに厚生労働省や日本国民年金機構などでは、年齢別に医療費をどのぐらい使っているかなどを調査しています。それらを見て、将来的に年金支給額と若者の年金負担がどのように変化していくのかなども計算できます。

 

 

――基本的には、税金がどのぐらい入ってきて、それをどのぐらいのスケールで分配していくのかを計算していくということでしょうか。

 

簡単にいえばそうです。ただ税金だけでなく社会保険料も含まれますけれどね。ここで複雑になるのですが、税金というのは本来、再分配のために使われるものです。高所得の人から取って、所得の低い人に配るということですね。その一方で年金や医療などの社会保障は、表向きには、人々がお金を支払ったことへの対価として、病気などのリスクに直面した時、給付を受け取る権利を得るという仕組みになっているんです。

 

先ほどもいったように、少子高齢化の影響を受け、年金などの社会保障費は年々増えています。もう若者世代だけでは負担できません。だから今は、本来再分配のために使うはずの税金を社会保障費に回しているんです。つまり、今の社会保障は保障と再分配が混ざり合っているんです。保険として使うべきお金と、再分配として所得の低い人に配るべきお金が、ごちゃごちゃになっている。それがどのぐらいごちゃごちゃになっているのかを明らかにするのも経済学の役目ですね。【次ページにつづく】

 

 

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