「同僚が匍匐(ほふく)前進してゲートをくぐったり、飛び越えたりする姿を、何度も目撃しましたよ」。電通の中堅社員はこう自嘲気味に話し、ジョッキに注がれたホッピーを喉に流し込んだ。
匍匐前進にしてもゲート飛び越えにしても、社会人の行動としてはあまりに突飛でにわかには信じられない。一体どうしたことだろう。
電通は入り口のゲートで、社員の入退館の時間をチェックしている。過重労働をしている社員は、出勤簿を正直につけると労使で定めた労働時間の上限を超えてしまい、上司に睨まれるなど不都合が起きる。それを避けるために過少申告すれば、入退社時間との差異を指摘される。そこで、ゲートに記録を残さないように、上記のような行動をとる社員が相次いだのだという。
昨年末に自殺した女性新入社員の労災が認定されたことが報じられ過重労働への批判が高まった電通では、現在勤務時間を午前5時~午後10時に制限している。午後10時には照明が消えてしまうため、それ以降に意図的に残っているケースはほぼないという。また、電通は労働基準法36条にもとづく労使協定(三六協定)により最長で月70時間としていた所定外労働時間の上限を月65時間へ5時間引き下げた。さらに、この上限を超えて残業を行う必要がある場合、労使の合意があれば一時的に認められる範囲を定めた「特別条項」の上限も最長50時間から30時間に引き下げた。
本筋から外れた対策
染み付いた習慣を変えるには、ショック療法が必要な時もある。その意味で電通の取り組みを全否定するつもりはないが、本筋からは外れた対策との印象は拭えない。現時点で業務量そのものが減ったり、仕事の進め方が変わったりしたわけではないからだ。
「仕事はたくさんあるので、持ち帰って家や取引先で仕事をするしかない。変わったのは午前5時~午後10時以外の業務時間を出勤簿につけられなくなり、残業代が減ったこと。会社が得をして終わりというのなら、モヤモヤしますね」と、前述の中堅社員は証言する。
「決められた時間以外働くな」「残業を減らせ」という指示は、過重労働対策にはならない。日本型雇用においては、労働者に業務量の裁量権が事実上ないからだ。業務量、人員配置、業務の進め方、労務管理のあり方を総合的に変えなければ、「サービス残業」として地下に潜る。正確に労働時間が捕捉できなくなれば、企業は安全配慮義務を果たすことはできず、本末転倒だ。
もちろん緒についたばかりの段階で、評価するのは早すぎるだろう。電通は11月1日、「電通労働環境改革本部」を発足した。「過重労働問題の再発防止に向け、事業計画や組織、人事制度、業務フローなどの抜本的な見直しも含めた包括的な改革案を策定する」としている。実効性がある改革ができるかが、問われている。