「夢があるなら、なぜ命をかけないのか」
この言葉には同意しかない。だけれども、「命をかけたいほどの何かがない人」はどうしたら良いのだろうか。「命をかけたいほどの何か」が欲しくてたまらないのに、それを見つけることができない人はどうしたらいいのか。そんなことを悶々と考えながら生きてきた自分が、やっと自分の中の答えにたどり着いたので、そんな同士に向けて書く。
「夢」であったり「やりたいこと」であったり「成し遂げたいこと」の必要性を、僕らは教育の中で植えつけられてきた。教育だけでなく、僕らが目に触れる言葉の多くは、「何かを成し遂げた人の言葉」だったりする。それゆえに、「夢を持てない自分」に対して劣等感を抱くようになってしまう。「やりたいことがない」状態は異常なんじゃないかと感じてしまう。そして、「やりたいとがある彼ら」に対しての異常なまでの憧れが元で、その劣等感に拍車がかかってしまう。そんな自分を変えたくて「自分探し」みたいなことをしてみても、偽りの夢しか見つからず、結果として何も変わらない。
そんなときに「彼ら」は、「夢を持つ必要性」を大事そうに教えてくれる。「夢に向かって努力すればいずれ夢は叶う」と。何かを成し遂げるためには、まずは「夢」を持たなくてはと。大きなお世話だ。そもそも、本心では何かを成し遂げたいと思ったことなどない。そのことを、「彼ら」が理解することはない。「彼ら」には何の悪気もない。「彼ら」の性質上「夢」が必要であって、それを達成することが生きがいだったから。そして、自分が感じる生きがいを、他の人が感じないわけがないと思っているから。
「何かを達成していくこと」に生きがいを感じる人と、その部分には何も感じない人がいる。この単純で明快な事実を、僕らは一度も教わったことがない。教育どころか、世の中全体として、その事実をひた隠そうとする。いや、隠しているのではない。「彼ら」の考えの中には、「何かを成し遂げたいと思わない」人など存在しないだけだ。隠していることに気付いてもいないだけだ。だからこそ、心に留めておいてほしい。「彼ら」の世界が全てではない。そこに気付くことができなければ、自分の人生を価値がないものと思ってしまうから。
「やりたいことを成し遂げる」こと自体は、素晴らしいことだ。だけれども、人の生き方や性質は、それだけではない。やりたいことなんてなくても正常だし、それでいい。そこに悩む必要はない。そんな人生にも意味がある。何かを成し遂げない楽しさも存在する。何も成し遂げられなくとも、何かをしている「過程」自体が楽しいという性質の人もいる。根本的に、「彼ら」とは違う人種なんだ。ただそれだけなんだ。やりたいとが何もなくても、劣ってるわけでもなんでもない。正常だ。「彼ら」が何を言おうが、耳を傾ける必要はない。ただ、人種が違うだけなんだ。そこだけは覚えていてほしい。
ただ、「やりたいことができたのならば、命をかけてやれ」。