AI の読解力,人の読解力
ある意味で面白い話だが「キーワードとパターンで解いている子、読んでいる子が意外にいる」ことに驚いているということが私には驚きだ。 そんなの当たり前じゃないか。
ちなみに私も読解力に関しては得意ではない1。 上の記事の最後のほうに問題が2つ掲げられているが,私は2問目を間違えた。 私は子どものころからこういうミスが多い。 「条件忘れのテトラ」ちゃんに深く同情する。
そういえば,子どものころは試験に出てくる問題にわざと誤読させるようなものも多かったので,余白に(絵心はないので)図を描いて問題を理解するように努めていた。 これも一種の受験テクニックである。
日本の学校教育は「学問」を教えない。 基本的に問題を提示して解かせるだけだ。 その問題をどうやって解くかは(受験テクニックを含めて)教えてくれるが,問題の背景にある学問体系について学ばせてくれるわけではない。 学びたいなら自前でやることになる。 他人が提示した問題を解いていくだけなら「それなんてエキスパートシステム?」となるのは当然の帰結なのである。
これは結城浩さんの「数学ガール」シリーズを読むようになって納得できたことだが, 正しい理解には対話が不可欠 だと思う。 なぜなら「理解はプロセス」だからだ。
この記事では子どもの読解力を上げるために文章を絵で表す方法を紹介している。 絵本の読み聞かせがヒントになっているらしい。
このやり方のポイントは絵を起点として対話が発生していることだと思う。 絵を文章にリンクさせるには何らかのトリガーが必要で,そのトリガーが「対話」なのである。 たとえば「読み聞かせ」ではなく子どもがひとりで絵本を読んでいるだけで理解が進むのか? ということだ。
「キーワードとパターンで解く」だけでは理解を放棄しているのと同じで,それを率先してやっているのが日本の学校なのである。 その呪縛から抜け出せるかどうかは(学校の外側の)環境に大きく依存する。 それなら富裕層が有利で貧困層が相対的に不利になってしまうのは当たり前とも言える2。
機械も同じ。
今の世の中にある殆んどの AI はエキスパートシステムのバリエーションにすぎない。 でも機械にはいくらでも「キーワードとパターン」の組み合わせを詰め込むことができる。 それは理解しているのとは異なるが「人間エキスパートシステム」を機械に置き換える程度には優秀であると言えよう。
そもそも私は機械が人の言葉をそのまま理解する必要はないと思っている。 Human readable な言葉と machine readable な言葉は異なっていて当たり前だが,機械はまだ machine readable な言葉を獲得していない。 機械が自身の言葉を獲得して初めて人との対話が始まるのではないだろうか。
これはたぶん素敵なことである。 私たち人間は「理解」について完全に理解しているとは言えない。 でも機械が人に迫り凌駕していくことで人もまた「理解」について理解を進めることができる。
まさしくこれは「進化」なのである。
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参考図書
- そもそも私の脳内思考は言語的ではないので言語を脳内思考に decode し更にその結果を言語に encode するというのは割としんどい作業なのだ。歳をとってからは更にしんどくなった。私が拙い文章ながらブログを続けているのは訓練の一種だと思っている。楽しんでやってるけどね。もっとも周囲には「君のブログは何が書いてあるのか分からない」と酷評なのだが orz 仕事で書くドキュメントなら記述フォーマットが決まってるので問題ないんだけどねぇ。 [return]
- これは「なんでも学校でやれ」と言っているのではない。子どもの教育というのは(どんなに教育者が頑張っても)学校の中だけでは完結しないということだ。それを踏まえた上で教育政策を行うべきなのである。 [return]