(英エコノミスト誌 2016年8月6日号)

葬儀ミュージアム、死に魅了された都市ウィーンに再オープン

オーストリア・ウィーンの葬儀ミュージアム(Funeral Museum)の展示物(2014年10月21日撮影)。(c)AFP/JOE KLAMAR〔AFPBB News

ベビーブーム世代が高齢化する中、企業は数少ない成長産業での利益獲得に苦労している。

 最近の見込み客は人生の終わりについて話すことへの抵抗感がかなり弱くなっているので、会社で作っている棺(ひつぎ)に試しに入ってみるよう勧めている――。東京・青山霊園のほど近くにオフィスを構える増田進弘氏はそう言って棺の1つを手で示した。なかなか立派なものだ。内側は白のサテン生地で覆われており、外側には高級な赤いキモノの生地が配されている。中に入ってふたを閉めてもらうと、そこはレコーディング・スタジオと同じくらい音の反響がない「デッド」な空間になり、眠気に誘われる。そして少なくとも筆者のような体重過多の西洋人にとっては、肩や腰の辺りが少々きつい。

 一部の日本人にとって、死について語ることはまだタブーだ。また、この国の一部の地方では、中世に虐げられた人々の末裔で今日でも差別を受けることの多い「部落民」と呼ばれる人々が、葬儀業界の従業員の大部分を占めている。しかし、そのほかの多くの日本人にとって、このタブーはもう破られている。

 日本では、火葬する前に遺体を清める「納棺」という仏教由来の儀式が故人の自宅で行われるが、2008年公開の映画『おくりびと』がこの儀式の美しさと高潔さを感動的に描いて大ヒットし、納棺師になろうとする人が激増した。それから程なく雑誌「週刊朝日」が、自分の人生の終わりを自分で計画する「終活」という考え方を売り込み始めた。読者の注意を引き、あわよくば広告も獲得しようという考えだった。

 そんな折に2011年の大地震と津波が起こり、多くの日本人がこんな疑問を口にし始めた。自分が死んだら、葬式の面倒は誰が見てくれるのだろうか、誰が自分の残した問題を片付けたり、自分の希望をかなえたりしてくれるのだろうか――。

 文化にかかわるこのような変化の底流にあるのは、人口構造の呪縛だ。日本人は以前よりも長く、健康に生きられるようになったが、第2次世界大戦後の数年間に生まれたベビーブーム世代が高齢になって亡くなり始める一方で、若い世代はあまり子供を作らなくなっている。