群馬県と長野県の県境にある御巣鷹山に日航ジャンボ機が墜落した年のことだった。ぼくはジャンボ機が墜落する数日前まで、御巣鷹山近くの長野県川上村でレタス収穫作業のアルバイトをしていた。大学を出たばっかりのころの20代の、農作業などやったこともないぼくは、牧歌的な風景を夢み、人情の厚い田舎の人たちとの出会いを求めて、夏だけのアルバイトに応募したのが、川上村で1か月ほど過ごすきっかけだった。


その川上村で事件が起きた。新聞報道ではこうなっていた。

平均年収2500万円の真実は? 長野・川上村に“ブラック農業”風聞
産経新聞 12月19日(金)7時55分配信

■中国人実習 日弁連「人権侵害」 村側「投書はデマ」

「平均年収2500万円の村は中国人を使った“奴隷制”“ブラック農業”で成り立っていた」-。ネット上でそんな衝撃的な風聞が広がり、レタス出荷量日本一の長野県川上村が揺れている。発端は、村も設立に携わり毎年数百人の中国人技能実習生を受け入れていた「村農林業振興事業協同組合」(解散)に、日本弁護士連合会(日弁連)が11月末、「人権侵害があった」として改善を勧告したことだ。しかし組合側は「善意の行為も人権侵害とされた。勧告はあまりに一方的だ」と反発している。真実はどこにあるのか。(小野田雄一)

◆班長が罰金徴収

日弁連が調査に乗り出したきっかけは平成24年、同組合が受け入れ、レタス栽培に従事していた中国人実習生の名前で作成された投書だった。投書には、中国人の「班長」が違法に実習生を管理していた▽班長から「深夜に外出したら罰金」「実習生を示す帽子を脱いだら罰金」など多くの名目で罰金が徴収された▽毎日未明から夕方まで休みなしで働かされた▽農家に日常的に暴力を振るわれた-などと書かれていた。

日弁連はこの実習生を含む5人の中国人実習生、組合役員、同村に住む中国人らから聞き取り調査を行い、事実認定を行った。この過程で、投書は実習生の名をかたった別人が作成したことが判明している。

日弁連が認定した事実はショッキングなものだ。中国人実習生は、連日の長時間にわたる激務▽残業代の過少計算▽組合による賃金口座の管理▽罰金制度▽劣悪な住環境-などに縛られ、「自己決定権や人間的生活を送る権利が侵害されていた」と結論付けた。

◆米大使館に届く

組合の状況は日弁連の勧告以前も厳しかった。組合元役員によると投書は在日米大使館などにも届き、今年6月に米国が日本政府に川上村の実習実態の改善を求める事態に。9月には東京入国管理局から「班長制度は違法」として、実習生受け入れ停止処分を受け、組合は11月上旬に解散した。

組合は「投書はデマだ」として、24年に長野県警に容疑者不詳で名誉毀損(きそん)罪の告訴状を提出、今年9月には米大使館に抗議した。しかし組合元役員は「不確かな投書をもとに権威ある機関に一斉に批判され、反論は難しかった」と憤る。

複数の組合元役員は、実習生を日本に派遣する中国側の「送り出し機関」と協議の上、毎年2~3人の班長を置いていたことを認めた。その上で「農作業に携わらない班長は実習制度の趣旨から外れ、違法は事実。しかし、班長制度の目的は実習生の不満を班長を通じて組合が把握し、農家を指導して実習生を守ることだった」と弁明する。

◆「ルールを悪用」

罰金徴収については「噂があり、実習生に聞き取りをしたが、確認できなかった。ただ、地域住民の不安解消や円滑な仕事のために作ったルールが、罰金の根拠として送り出し機関や班長に悪用された可能性はある。監督責任の不備はあっても、『実習生の管理・支配のため組合も黙認していた』との日弁連の認定は事実と違う」と話す。人権侵害とされた他の行為についても組合側は異なる見解を示した。

別の元役員は「一部に問題の農家がいるのは事実で勧告は真摯(しんし)に受け止めている。しかし過酷な仕事で日本人アルバイトが集まらない中、大多数の農家は実習生に感謝し、帰国時は手を取り合って涙を流しているのが実情だ。組合全体で中国人から搾取していたことは断じてない」と話す。

日弁連は「組合のあり方には問題があったが、村全体で人権侵害が行われていたとまでは認定しておらず、ネット上の川上村批判は不本意だ」としている。


あの、思い出すだけでも忌々しい記憶がよみがえった。川上村の村民は、投書の内容をデマだと否定しているようだから、川上村でぼくが実際に体験したことを書いてみる必要があると思った。参考くらいにはきっとなるはずだ。

日弁連の主張は、まさに真実そのもの、女工哀史の女工さえ逃げ出すほどの過酷な労働を、ぼくは川上村で体験した。奴隷労働と形容しても、決して言い過ぎとはいえないだろう。ブラックそのもの。体験したぼくがそういうのだから、間違いない。

ぼくがお世話になった農家は、50代(らしき)の夫婦と小学生の男の子が1人(高校生の女の子もいたような気もするがはっきりしない)、それと祖父母の5人家族だった。専業農家だった。夫婦とも高学歴で、妻のほうは、皇太子の学歴をバカにするような発言をしていたのが思い出される。皇族は学習院に進学するのが決まりなのだから、こういう中傷はさすがのぼくでもどうかと思ったが、口を挟まなかった。1年のうちの半分は農業、残りの半分はなにもしない。夫はパチンコ屋通いだと自嘲していた。

仕事はまだ暗い朝の5時から始まった。昼飯までの12時まで、その間に15分ほどの小休止を挟んで、レタスの収穫作業に追われる。昼休みは昼飯を食べる時間も含めて2時間あったように思う。午後2時から農作業を再開し、午後5時で終了。でも、それだけでは終わらない。女工哀史と言われるゆえんだ。

午後8時ごろから納屋で手作業が始まり、それが午前零時まで続く。1日の総労働時間はざっくりみて、14時間である。睡眠時間は5時間を切っていた。

ある日のこと。農作業中に雷が鳴った。レタス畑は丘陵地だったので、ぼくは雷に当てられるのではないかと、それが怖くて怖くて作業どころではなかった。それでも農家は手を休めない。そのうち、不安が的中した。ぼくが作業していたところからおよそ20メートルほど先の大地に落雷したのだ。ぼくといっしょに作業をしていた大阪の大学生が自分に直撃したのだと勘違いして、大きな声をあげた。ぼくも頭上から全身に電気が走ったのを感じた。そのことがあって、初めて農家は作業の手を緩めた。

以下が、日弁連と組合側のそれぞれの主張を表にしたものだ(産経新聞 12月19日(金)7時55分配信より)。



ぼくがアルバイトをした1985年当時は、外国人実習制度がまだなかった時代である。だから、表にあるような、班長制度はなかったし、帽子をかぶらされることも、罰金が課されることもなかった。住居も、農家の2階の個室をあてがわれた。

しかし、それ以外の日弁連の主張はおおむね正しい。それどころか、労働時間についてはもっともっと長時間だったことは先に書いた。

休日も1月働いて1、2日だった。1日は軽井沢に遊びに行った。アルバイト仲間の大阪の大学生と神戸の大学生が農家に1日だけ休みをくださいと懇願した結果、ようやく与えられた休日だった。もう1日はあったようななかったような。だから、「休日や休憩が少なく、過酷な作業を強いていた」はまったく正しい。

次に賃金。いくらもらったのかは全く覚えていない。しかし、はっきり覚えているのは「残業代が過少計算された場合があった」なんて生易しいものでなくて、残業代そのものが一切出なかったことだ。出ない理由は、働きが悪いからということだった。たしかに、ぼくは持病の痔が仕事を始めて半月後くらいから再発して、ふだんだと指で押し込めば治まったのに、重い荷物を持ったり、腰を引いて踏ん張る作業が多かったりしたため、指で押し込んでも押し込めきれず、押し込んだと思ってもすぐに出てくるということになって、作業に支障をきたすことがあったのは事実だ。しかし、だからといって、残業代を支払わなくてもいいという理由にはならない。

バイト仲間の話だと、前年参加したバイトに対しても仕事にケチをつけて、給料をけずった「前科」があったという。これも「変種の」罰金制度だといえなくもない。

ぼくは、今回の事件が発覚するまで、こういうクレージーな農家は、いくらなんでもここだけかと思っていた。しかしどうも違うようだ。ネットで調べてみると、ぼくと同じような体験をしている日本人の「回顧録」がいくつか見つかったからである。しかし、だからといって川上村全体がそうだとは思わない。良心的な農家が大部分であるにちがいないと思いたい。

しかし、である。以下のような発言をみると、その病根は深いようにも思えてくる。

農作業に汗する中国人研修生 長野・川上村(08.15産経新聞)(リンク切れ)
研修手当は月額8万5千円。時給換算すると530円ほどで、最低賃金の全国平均(20年)の703円にさえ届かない。農家が「安い労働力」として使っているとも指摘されるが、受け入れ団体の一つ、川上村農林業振興事業協同組合の鷹野憲一郎専務理事(58)は「農家は手当以外に渡航費や手数料、保険料、宿舎の光熱費、コメ代まで負担し7カ月で100万円になる。日本人なら繁忙期の4カ月だけ雇えばいいからトータルコストは変わらない。目的はあくまで労働力の確保であって安い人件費ではない」と話す。

よくもまあ、ぬけぬけとこんなことを。日本人に対してさえあのような仕打ちをするのだから、相手が中国人ならもっと安くこき使いたいのは目に見えている。


川上村村長がワイドショーで語ったお言葉
年収2500万円というカネの話ばかりがクローズアップされるけど、厳密には年商2500万円ですし、そもそもそれより大切なのは、村民たちの心の満足度。いくらカネがあっても心が貧しければ村は衰退する。子供が元気に育って、村民全員が健康で笑顔の絶えない村を作るのが、私の使命だと思っています

川上村の唯一のよき思い出は鯉コクが美味しかったこと。水もうまかった。そして、このありがたいお言葉。川上村の村民の心が豊かか貧しいか、そんなことはぼくにはどっちでもいいけれども、こんなに儲けているのだったら、今からでもいいので、未払い残業代くらい支払ってもらえないか。年5分の利子もちゃんとつけて。

(追記)
読み返してみると、朝食時間が抜けていた。朝食は、レタス畑でテキトウに何かを摂ったような気がする。
AD