【あの時・素顔の北の湖】(4)実は憧れは野球選手「相撲より好きでした」
子供の3大好物「巨人・大鵬・卵焼き」というフレーズを、誰かが反語的にもじったのが「江川・ピーマン・北の湖」。後年、北の湖は「面白いことを言うだろ」と笑っていたが、憎まれようが、尊敬する大鵬や大好きな巨人と“同じ土俵”に上がれたのは、うれしかったようだ。
中学1年で初土俵を踏んだ「北の怪童」小畑敏満少年は、実はプロ野球選手に憧れていた。5歳上の姉・やす子は「野球、チャンバラ、スキー、あの子は何をやらせても上手だった」と言う。愛称は「とんこちゃん」で、運動会のはしごくぐり競走でも、あっという間にゴールし「とんこちゃんは速いね」と評判だったという。
10人兄弟の9番目の四男(8人兄弟が定説だが、実際は姉2人を幼くして亡くしている)。父・勇三は「兄弟の中で敏満が一番素直だ」と言っては、バットやグラブを買い与えたという。そんな野球少年の顔をのぞかせたことがあった。
2002年5月、新理事長になったばかりの北の湖は、報知新聞社主催の「大相撲勝抜優勝戦」の企画で、巨人軍・長嶋茂雄終身名誉監督と対談した。ミスターの到着を、理事長室でそわそわして待った。
長嶋「このたびは理事長就任おめでとうございます。理事長が横綱になられた年(1974年)に僕は引退してるんですね。あっという間に横綱に上がられましたからね。21歳でしたか。北の湖関は無敵でしたね。あの全盛時はすごかった。横綱・北の湖は僕の中では無敵という存在でしたね」
北の湖「私も長嶋さんに憧れてました。生まれが北海道でテレビでは巨人戦しかやってないもんですから、子供の頃はテレビで拝見させていただいてずっと長嶋さんのファンでした(笑い)。相撲より野球が好きでしたね。内野手を守っていて長嶋さんのハッスルするプレーをよくまねていましたよ」
頬を赤らめて「ファンでした」と告白する北の湖は少年のようだった。同じ北海道出身の若松勉がヤクルトの監督だった03年。神宮球場での巨人戦に招待されたことがあった。若松への激励を忘れることはなかったが、ゲームが白熱すると巨人を応援していた。試合後、夜の赤坂に場所を移しても、野球の話は止まらなかった。
02年の日本シリーズ(巨人・西武戦)では、東京ドームで始球式を務めた。主催社が作ったその投球写真入り図書カードを、後援者にうれしそうに配っていた。相撲の伝統を継承するという北の湖の魂は、相撲協会に確かに息づいている。だが、素顔の「とんこちゃん」としては、天国で野球をやっているのではないかと思う。(酒井 隆之)=敬称略=
あの時