完全にゲーム開発とは関係ない私情なので「その他」のカテゴリを作って語らせていただこう。
実は私の出身は大阪であり現在は東京都在住。
若い頃は少し無茶な人生を選択して歩んできたものだが、
今では、まかりなりに普通の暮らしが送れるようになっている。
だが大阪にいた頃の私は自身の愚かな判断で自分が境遇に立たされ、
その頃の自分を幾度となく救ってもらっていた人が私にはいる。
彼女という表現を用いるが決して交際している彼女という意味ではない。
昔の彼女はしっかりした人であったが、
何かが彼女の心を苦しめ今は少し精神的におかしな状況に苦しめられている。
簡単に言えば精神障害者。
実は先月の私は大阪と東京を2往復している。
一人暮らしをしている彼女の部屋を訪れ
部屋の掃除をしてあげたり、料理を作ってあげたり、一緒に散歩に連れて行ってあげたり、髪を洗ってあげたり、
そういうことをしてあげて「再来月にまた戻って来てあげるから」と言い残して、私は東京に戻ってきた。
その再来月というのが12月である。
今の私は東京で暮らしてるが東京に何か未練があるわけでもない。
自分の出身が大阪であることと大阪の方が過ごしやすいという理由もあり、
大阪に移住して彼女の部屋の近くにアパートでも借りて暮らそう。ということを約束してしまった。
だが東京に戻ってきた私の今の心は揺れている。
本当にそれでいいのか?と。
自分にとっては彼女は恩人なので救ってあげたい。
いつでも駆けつけられるところに自分が移り住み、そして彼女を支えてあげよう。
そんな気持ちでいっぱいなのだが、果たしてそれが良いことなのか・・・?
人生とは他人のため(家族を養う)に歩む人生もあれば、自分を主に考え自分のために歩むのも人生。
境界性人格障害
この精神の病は危険な病気です。
自殺をしたい願望に襲われ、自分の体を包丁で切りつけたりする。
病院で傷口を縫ってもらっても、その上から何度も包丁で切りつけ、
「なぜそんなことをするのか?」と聞いても「わからない」と淡々に平然と答える。
辛くて悲しいからリストカットをするのか?
苦しみから逃れられたいから自殺をしようとするのか?
そういう単純な言葉では片付けられない。
自分の腕を切りつけて傷口から流れ出る血液を見ることで、なぜか心が落ち着く。
だから何度もリストカットをする。
つまり明確に死にたいから自殺未遂をしているわけではないのだ。
それは自分の血を見ることで落ち着くからやるだけであり、
「落ち着きたい」という理由からそのような行動を取るのだろう。
ではなぜ、そのようなことすることで心が落ち着いてしまうのか?
そこが本人も私もわからないところである。
ところで今日、大阪の彼女から(交際してる彼女という意味ではない)メールが何度も送られてきた。
詳細は明かせられないが救いを求めるような内容。
返答に困っていると直接スマホに電話が掛かってきた。
1回目は居留守を使ったが、また掛かってきたので私は電話に出ることにする。
「メール見た?」と言われたが「いや?まだ見てないけど何かあったの?」ととぼけながら応対。
電話での口頭で彼女のおかれている詳細な状況を確認。
その上ではっきりと頼みごとをされてしまったのだが、
「少し考えさせてほしい」と答え彼女を励ましてから私は電話を切ることにする。
どうして私なんだ?なぜ私が彼女を救う役目を?親は何をしている?
私が彼女に救いの手を差し伸べる理由は、
若い頃の自分が彼女に救われ、彼女が恩人であるという立場だからである。
彼女を愛してるから?好きだから?
そんな簡単な言葉では片付けられない。
「守りたい」「救いたい」という気持ちはあるものの、
愛してる愛してない、好きか嫌いか?という感情は持ち合わせていない。
昔の自分が救ってもらえたので、そのことへの「感謝」の気持ちが原動力の大半を占めている。
まあ、このことをきっかけにして「大阪に戻ってこれればいいかー」的な考えも頭をよぎっている。
別にあの人のために大阪に戻ってきて移住するわけではないんだよ?
大阪が俺の出身で、大阪の方が過ごしやすくて、大阪の方が物価も安いし家賃も安い。
だからなんだよー。誤解しないでね?
で、そのついでにあんたの面倒も見てあげようではないかー。
こういう考え方をすればいいのかなーと。