豊臣秀吉が築いた伏見城(指月<しげつ>城)跡=京都市伏見区=とみられる遺構から、新たに大規模な石垣が見つかった。「関西文化財調査会」(同市上京区)が19日発表した。これまで発見された石垣に比べて保存状態が良く、専門家は城の全貌を解明するうえで貴重な資料としている。
指月城は、関白職を退いた後の秀吉が1592年に隠居所として造営を始めたが、完成直後の1596年に慶長の地震で倒壊。この後、北東約1キロの木幡山(こはたやま)に第2の城(木幡山城)を築いたが、大坂夏の陣で豊臣秀頼が滅んだ8年後の1623年に取り壊された。
指月城跡の推定地では昨年、長さ約36メートル、高さ0.5~1メートルの石垣の下段が出土している。今回の調査では、その西約50メートルの地下約1.5メートルから、石垣が発見された。南北長さ14.5メートルで、自然石が多く使われていたが、割った石も混ざっていた。最上段は残っていなかったものの6、7段にわたって石が積まれ、最も高い部分で2.8メートルあった。
千田嘉博・奈良大教授(城郭考古学)は「伏見城の規模を推測する手がかりになる発見。慶長の地震の経験が後世に与えた影響を解明するうえで役立つ成果だ」と話している。【宮川佐知子】